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12. 怒り

夜の間中すすり泣く私をずっと抱きしめていたブレイドは、翌日も外出することなく屋敷に留まった。


朝食を促されたけれどもとても食べる気になどなれず部屋に引きこもっていた私を、やがて使用人が呼びに来る。


「奥様、旦那様がお呼びでございます」


──奥様?

昨日まではリリー様と呼ばれていたのに、なぜ変わったの?

私は奥様じゃないんでしょ………。


部屋から出ないつもりだったけれど、行かなければずっと奥様と呼びかけられるならそれを訂正させたかった。


「リリー……!」


私が食堂に入った途端にブレイドが寄ってきて抱き寄せようとする。

服は………貴族の服装だ。

そんな姿を見たくなくて避けようとしたけれど、捕まってしまう。


「リリー。今までは抑えていたけれど、君にふさわしい装いをしよう。」


私にふさわしい装い?


下を向いていたため気付かなかったけれど、部屋には沢山のドレスが飾られていた。

ふわりとした型や身体に沿った型。

とにかく沢山の淡い色のドレス達。


メジャーを持った質素なドレスを着た女性達が微笑みながら話しかけてくる。


「奥様、お好みのものから試着なさってくださいませ」


ドレス以外にもテーブルの上には沢山の靴やアクセサリーがずらりと並んでいる。


「ずっと地味な装いしか用意してやれないことを申し訳なく思っていた。

今日から君は正式にこの屋敷の女主人だ。

ふさわしい装いをしよう。ドレスもアクセサリーも靴も、好きなだけ頼んでくれ」


そう言う男を見上げると、私の瞳を覗き込むようにして何か喋り続けている。


「……要らない」

「え?」

「要らないわ。私は貴族様じゃないんだから。こんな豪華なドレスもネックレスも似合わない」


そう言うと踵を返して寝室へ戻った。 

部屋のドアを閉めた途端に涙があふれてくる。


ブレイドは私の機嫌を取ろうとしている。

私の沈み込んだ気持ちをなんとか浮上させたいと思っている。

それは分かるけれど、貴族の格好をすることで私のこの気持ちが晴れると本当に思っているのだろうか。


子供を奪われ、存在を忘れられる絶望を。

夫にずっと騙され裏切られていた悲しみを。

屋敷中から欺かれていた屈辱を。

取り返しがつかないことになっていたのを今まで気付きもせず、呑気に過ごしていた自分自身への強烈な侮蔑と怒りを。


あんなものでなんとかできると、どうして思えるのか。


カチャリとドアが開く音がする。


「リリー……」


ベッドで丸まる私は顔をマットレスに押し付けて、絶対に上げない。


「リリー……急に貴族の装いを強いるようなまねをしてしまって、すまなかった……」


髪にそっと触れる指を感じる。


「君の立場を、誰からも分かるようにしたかったんだ。この屋敷の女主人だと。決して軽んじられるような存在ではないと」 


「……私は愛人だものね」


ひと言も喋らないつもりだったけれど、怒りが湧き起こってきて言わずにはいられなかった。


「リリー……」


途方に暮れたような声がする。

ブレイドがどう思おうと、知ったことではない。


「ノックスにはいつ会わせてくれるの」

「……すぐだ」


嘘を言っていると分かる。


「リリー、聞いてくれ」


硬い声がする。


「色々と聞いてきっと混乱していると思う。そして怒りや恨みも、あると思う……当然のことだ……。

だが、頼む。どうか穏やかに日常を過ごしてほしい。……君が不安定ではノックスを会わせることができないんだ」


その言葉に今度こそ怒りを抑えられない。

起き上がり、そこにいる男を睨みつけた。


「私がこんな風になっているのは誰のせいよ!?」


「私が今、どんなに苦しいか分かる!?

子供を奪われて、忘れられて!夫だと思ってた男はいつの間にか私を愛人に落として、他の女と結婚して子供を作って!

そのことにも気付かない間に、その女が私の子供の母親(ヅラ)をしているのよ!?」


止まらない。


「自分は大事な侯爵家も立場も守れて、暖かい家庭を新しく作って!何一つ失っていない!

そんな男に『お前が不安定だから子供には会わせられないんだ』と言われてどんなに惨めか!あなたに分かるの!?」


叫び終えると同時にベッドに泣きながら崩折れる。

苦しい。生きていてこんなにも苦しいことがあるなんて……!


「……俺は、何も失っていないわけじゃ、ない……今、君を失いかけている……」


苦しそうに呟いて私を抱きかかえようとしたけれど、暴れて引っ掻いて突き放し、ベッドの上掛けにくるまる。


「リリー、すまない……憎んでくれて良いから、いくらでも罵ってくれて、良いから……俺から離れないでくれ……愛しているんだ……」


ブレイドの懇願するような途切れ途切れの声が聞こえたけれど、私は決して上掛けから顔を出さなかった。


* * *


結局、私は今後もこの屋敷で暮らしていくことを受け入れるしかなかった。


──そうしなければ、ノックスに2度と会えなくなるからだ。


ブレイドを拒んでこの屋敷を出たとして。

侯爵邸に押しかけてもその敷地に入ることなどできるはずもなく、会うどころか一目見かけることも叶わないだろう。


そんなことは絶対に耐えられない。


だから、私はこの屋敷でブレイドを迎えながらノックスに会える日を待つことを選んだ。


「ありがとう、リリー」


言葉を詰まらせながら抱き寄せてこようとするブレイドを腕を伸ばして遠ざける。

そして条件を1つ突きつけた。


「今いる使用人達を全てここから退去させて。庭師も、調理人もよ」


ブレイドと一緒になって、2年の時をかけて私からノックスを離した人達。


彼らは侯爵家の命令に従っただけだというのは分かっている。

それでも、あの人達とこれからも同じ場所で暮らしていけるはずがない。


「──分かった。代わりの者をすぐに寄越させよう」

「いいえ。代わりの人は要らない」

「……要らない?」

「ええ」


「侯爵家の気配をできるだけ感じたくないの。」

吐き捨てるように言い放つ。


ノックスに会いたい……。

会えないのなら、どんな毎日を過ごしているのか、寂しくないか、つらい思いをしていないか、知りたい。

でもそうしたら必ず新しい母親の、ブレイドの新しい奥様の気配を感じてしまうだろう。


今の私にはそれは耐え難かった。

その人の存在を忘れられないのは分かっているけれど、考える時間をできるだけ減らしたいのだ。


「できる限り1人でこの屋敷を維持するわ。

掃除は日替わりで少しずつやっていく。庭も。

食事や洗濯は私1人分か、あなたが来た時でも2人分でしょ。私1人でできるわ」


ブレイドは私を見つめていたけれど、「分かった」と静かに言った。


「食材や雑貨やゴミのことがあるだろうから、商店に毎日訪ねさせる。......ただ、警備の兵だけはつけさせてほしい。君の視界にはできるだけ入らないようにさせるから」


業務連絡のような会話。

どちらも心の中に言い難いものを抱えているのは分かっているのに、それを吐き出すこともできない。


それでも、これからも共に在ることを選んだのだ。

私達がどこにたどり着くのか分からないままに、新しい日々が始まろうとしていた。


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