1. 夫が巻き込まれたトラブル
私達はどこで道を違えてしまったんだろう。
知らなかった。
人生を共に歩くと誓った人と、身分が違ったなんて。
夫と可愛い息子と暮らす、ささやかで平凡な日々が続くと信じて疑わなかった。
* * *
私リリーは地方の活気ある町で、夫ブレイドと息子ノックスと暮らしている。
ブレイドはこの侯爵領で一番の規模を誇る商店で働いている。
朝早くに家を出ては夕飯の頃に帰宅するという、ごく普通の青年だ。
「おかえりなさい」と出迎えると「リリー!ノックス!ただいま!」と私達を抱えてキスをくれる、愛情深い人だった。
ノックスは柔らかい金色の髪に青い瞳という、父親のブレイドにそっくりな1歳半の男の子。
最近活発に動くようになったので、毎日外に連れ出しては公園や広場で遊ばせている。
限られた生活費の中から作るささやかな夕飯を、ブレイドは
「リリーの作るメシは最高だな!」
と繰り返しながら食べてくれる。
その豪快な食べ方に笑いながらノックスには柔らかい食事を小さい口に入れていると、ブレイドがその日にあったことを面白おかしく話し出す。
「日用品部門の仕入れ担当がヘマしちゃってさ」
「この前新しく就いた方?」
「そう。仕入れの単位を間違えちゃって、ものすごい量の箒が届いちゃったんだよ」
「箒なんてそんなに買い替えないのに」
「だろ?明日から各店は一斉にお掃除コーナー特集を展開だよ。うちも1本くらいは買わされるかも」
「ふふっ。新しい箒、楽しみ。でも担当の方は次からは何回も確認するでしょうね」
「そうしてもらわないと困るよ」
少しのお酒を口にしながら語られる仕事の話は子育て中の私には新鮮だったし、
ブレイドにとっても、外では言えない甘えを口にできる時間はきっと心安らぐものだったろう。
そしてブレイドがノックスをお風呂に入れてくれている間に夕飯の後片付けをして、絵本を読んでくれている間に私もお風呂に入り。
ノックスの両脇に寝転び寝かしつけると、ブレイドが私の横に移動してくる。
──そんな、平凡だけれども幸せな日常を私達家族は送っていた。
そんな平凡な日常に変化が訪れたのは、それから数日後のことだった。
* * *
ブレイドの商店で大量に仕入れてしまった箒は、やはりなかなか売れなかったようだ。
かさ張る在庫をいつまでも大量に抱えるわけにはいかないということで、なんと社員は2本ずつ買わされるはめになった。
「さすがに2本も要らないよねえ」
抱っこしたノックスに話しかけながら、箒を片手に以前勤めていた園芸店に向かう。
園芸店は葉っぱや土のクズなどがすぐに散らばるため、箒の出番は多い。
何本あっても困らないだろうから、差し入れついでに仲の良かった元同僚とおしゃべりでもしようと散歩に出ていた。
2階建ての建物が並ぶメイン通りは活気にあふれ、この領地が栄えていることを感じさせる。
私が育ったのは隣の領地で、不作続きで口減らしのために家を追い出された私は、初めてこの町にたどり着いた時にはその差に驚いたものだ。
道が、建物が整備されている。
夜もメイン通りは明るい光に照らされている。
店に並ぶ商品は新しいものも多く、活発なやりとりがそこかしこから聞こえる。
町に活気があふれると、また自然と人が集まってくる。そしてまたお金を呼び込む。
この領地は暮らしていて飽きない土地だった。
「こんにちは。お久しぶりです」
「リリー!久しぶり!」
ちょうど昼の忙しい時間帯を過ぎたところだったので、仲の良かった元同僚がすぐに寄ってきてくれた。
「ノックスー!大きくなったねえ。」
息子の顔をのぞきこんでは大きな声で笑うこの子は口は悪いけれどまっすぐな人柄で、妊娠してお店を辞めたあとも仲良くしてくれている。
「なんで箒なんて持って歩いてんの」という言葉に事情を話し「あげるわ」と手渡すと、「空も飛べそうな立派な箒だ!」と喜んでくれる。
「そうそう、そう言えばさ」
と言い出したのはその時だ。
「ねえ、ブレイドさんとこの商店ってこの頃なんか揉めてる?
1週間くらい前の夜に商店の前を通ったら、2階の明かりがまだついててさ。
それで、ブレイドさんの怒鳴り声が聞こえたんだよ」
「え、ブレイドが?怒鳴り声?」
「そう、しかも1週間前だけじゃなくて、その前にもそういう声を聞いてるんだよね。
ブレイドさんってそういう感じの人じゃないじゃん?
だから、なんか店がまずいのかな?と思って。」
「え、家ではそんなことは全然……」
でもそう言われてみると、たまに帰りが遅い日はあった。
予期せぬことが起これば遅くなることは知っていたので何も気に留めていなかったけれど、何か大きなトラブルがあったのだろうか……。
「まあ気の所為なら良いんだけどさ」
「……そうだね。私も気をつけてみる」
そこまで話した時に店頭の大きな鉢を抱えてヨタヨタと店に入ってきたお客さんが現れて、挨拶もそこそこに失礼する。
中央広場に立ち寄って噴水の前にノックスを下ろすと、先ほどの元同僚の言葉を思い返していた。
ブレイドは穏やかな人柄で、誰かに怒鳴る姿を見たことがない。
商店で下請けの業者さんのミスの尻拭いで駆け回っていた時も、その業者さんにも冷静に注意をしていた。
そんな彼が怒鳴るようなこと……なんだろう?
「ママ、どじょー」
落ちていた樹の実をどうぞ、と笑顔で渡してくれるノックスに「ありがとう!」と微笑みを返しながら、私はそんなことを考えていた。
ノックスはその後も遊びたがったけれども
「パパはいるかな?」
と興味をひいて広場から脱出することに成功する。
そのまま商店の前で覗いてみると、ちょうど商品の搬入の時間だったらしく荷物を馬車から下ろす数人の中にブレイドがいた。
次から次へと荷物を次の人に渡しながら、時折笑ったりして忙しく働いている。
その姿からは何か問題を抱えているようには見えない。
それでも一応今夜に確認してみようと、いつの間にか腕の中で寝てしまったノックスを抱え直しながら、アパートへの家路をゆっくりと歩いた。
* * *
「ねえ。もし言いたくなければ良いのだけれど。このところ、何か大変なことがあった?」
その晩ノックスを寝かしつけた後にさりげなさを装って尋ねてみた。
一応確認するだけのつもりだったのに。
「え……?」
隣で私を見つめるブレイドの顔から表情が消える。どうしたのだろう。
もしかして、本当に何か大変なことが起きているのかしら……。
「なんで、そう思うの?」
探るような声は平坦で、いつもの感情豊かな夫の声ではなかった。
その様子に躊躇ってしまうけれど、確認してみるしかない。
「そうか、園芸店のあの子が……。リリーやノックスに何かあったとかではないんだね?」
確認するように訊かれたので頷くと、ブレイドは膝の上に乗せていた私の手を上からそっと握ってきた。
その大きな手にホッとなり、ほほ笑む。
そんな私をしばらく見つめたあと、ブレイドは静かに切り出した。
「リリー。……いつ言おうか迷っていたのだけれど。しばらくの間、家を移りたいんだ」
「え?家を移る?引っ越しということ?」
「ああ」
「3人でってことよね?どこに?」
「そう、3人で。場所は……ここから東に少し行ったところ。そこにある家にしばらく移りたいんだ」
ブレイド曰く──。
ブレイドの勤める商店は、ここ侯爵領では一番の規模を誇る。
今後は更に他の領地での商売も手掛けていきたいと戦略を練っており、ブレイドがその中心メンバーとなって動いていた。
他の領地への出店となると、既存の商店の利権を脅かすことになる。
そのため慎重に地盤を固めようとこの1年ほど動いてきたけれども、そのせいで厄介な貴族に目をつけられてしまったらしい。
「穏便に済まそうと思っていたんだけど、商店まで押しかけてきて、脅すようなことを言われて。
このままでは君やノックスにも何をされるか分からないと思って、実は隠れる先を探して準備していたんだ」
ブレイド個人の力ではどうにもならないため、商店の会長を通じて、この領地を治める領主様である侯爵家に保護を求めた。
元々領地内最大の商店として侯爵家に出入りを許されていたため願いは聞き届けられ、今は使っていないこぢんまりとした邸宅と警備の兵を用意してくれたらしい。
「そんなことになっていたなんて……」
自分達の身にそんな危険が迫っているなど全く気づかなかったことに愕然とする。
「あなたは私達の安全のために頑張ってくれていたのに、気付かなくてごめんなさい……」
そう言うと、大きな胸に抱き寄せられる。
「いや、俺のために君達に迷惑をかけてしまう。すまない……」
その声は少し震えていて、これまで夫がどれだけ一人で悩んでいたかを語るようだった。
「夫婦なんだもの。迷惑なんてことないのよ。私はあなたの奥さんなんだから」
そう言って額をくっつけると、ブレイドは目をつぶりひっそりと笑った。




