第6話 メイド達
「どうも初めまして。私は……」
「リア、貴方の事は聞いています。これからは、私たちの代わりにお嬢様専属の世話係となるそうですね?」
「はい。至らぬ点も多々あるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします」
厳しい表情を崩さないメイド長に対して、俺はなるべく感情を顔に出さないようにしながら、あくまで恭しく挨拶をした。
「お嬢様と先生がお決めになったことですから、私からは特に何も申し上げることはございません。ですが立場上、貴方のような者であっても、取りまとめる役割を私は持っています。
先に言っておきますが、くれぐれも立場をわきまえた行動をするように。そして、お嬢様のご様子について、適宜、私に報告をするように」
「……かしこまりました」
どこか高慢な物言いで、俺を……いや、俺とエルザを値踏みするように見下ろしながらそう言ってきたメイド長。
この辺りも先生から聞いていた通りだ。
このメイド長は当主……エルザの父へ定期的な報告をおこなっているらしい。
メイド長にとって真に仕えるべきはエルザの父だけであり、彼女にとってエルザは、あくまでも主人が預かっている厄介者でしかないという。
だからこそ、彼女を決して無視してはいけない、そう先生は言っていたな。
先生の口利きで、俺は皮肉にもエルザをこいつらの代わりに間接的に監視し、話した内容や心理状況を細かく報告するという手筈になっている。
しばらくは俺の報告が正しいかどうか、別のメイドによる監視もつくだろうが、俺の話した内容と監視内容が常に一致していれば、それも緩んでいくだろうとのことだ。
言いたいことは山ほどあるが……俺は平静を装い、改めて挨拶のため、それらをぐっと我慢して一歩前に出る。
「これからよろ――」
「ああ、先に言っておきますが、それ以上は近寄らないように。ほかのメイドに対しても同様です」
挨拶をしようとした矢先、いきなりの冷たい拒絶に俺は思わず固まってしまう。
俺が言葉に詰まっているうちに、メイド長はさらに次の言葉を投げかけてきた。
「理由が分からないのですか? 貴方のその病は、万が一他のメイドたちに感染すれば大問題となります。彼女たちは、これから他の貴族様の元へ奉公へと上がる身。病など患うわけにはまいりませんから」
そういえば、こいつらは俺やエルザの生まれ持った病を、汚い伝染病か何かだと思い込んでいたんだった。
……別に俺は構わない。
貧民街では慣れた扱いだからな。
だがこいつは、それがあまりにも酷い事実を告げていることに気づかないのか。
それは目の前にいる、お前らの仮初めの主人であるエルザの事をも、侮辱している事になるんだぞ。
「お言葉ですが、メイド長。今この場でそのような事を仰るのは、よろしくないのでは?」
俺が鋭く睨みつけると、メイド長は一瞬だけひるんだように見えたが、すぐに何事もなかったかのように無表情な顔に戻る。
「……お嬢様のご病気について、身の回りの世話をするのは貴方の役目です。私たちが直接関与することはございません。貴方の住む場所は私達とは違い、この館にある古い使用人室の一室、二階にあるお嬢様の部屋の真下となります」
そのすまし顔のまま、俺の今後について事務的に指示を出してきた。
……主人への無礼を指摘されたことを、こうして有耶無耶にするつもりなのだろう。
「いくら何でも――」
「リア、良いのよ。もういいわ。とりあえず私の部屋に来て。私から貴方の仕事を説明するわ。あなたも、それでいいわね?」
「……承知いたしました。お嬢様のご判断であり、責任を持つという事であれば、私から申し上げる事は何もございません」
エルザが俺を制するように前に出る事で、あっさりとメイド長は引き下がった。
俺もメイド長に対して一言いいたかったが、エルザの言葉を無視するわけにもいかない。
……それに、ここで下手に歯向かっても良いことはないか。
歯がゆい思いを胸にしまい込みながらも、俺はメイド長にもう一度一礼し、エルザに連れられて彼女の部屋に入った。
「ごめんなさいね。あの人たちも、悪い人じゃないのよ。ただ、少し臆病なだけ」
まだ怒りを抑えきれない俺の表情を見て、彼女はいろいろと察したのだろう。
心配そうにこちらを見てくる。
「お前が謝る……お嬢様が気になさることではありませんよ」
「ううん。メイド長の事で怒っているんでしょう? 仕方ないわ。こんな身体だもの。あの人達も、得体のしれない病気は怖いのよ」
「それでも……、それでもお前が気を使う事じゃないだろう!」
つい素に戻って大きな声をあげた事にハッと気が付き、慌てて口を閉じる。
つい怒りをあらわにしてしまった俺に対して、エルザはどこか悲しそうに微笑んだ。
「レオ、貴方の言いたいことも分かるわ。でも、メイド達全員があんな態度じゃないのよ。中には良くしてくれる人もいるの。私たちは、そんなささやかな宝物を大切にすればいいのよ」
エルザは優しく俺の頭を撫でながら微笑んでくる。
その穏やかな笑顔を見ているうちに、ささくれ立っていた心が少しずつ落ち着いてきた。
「失礼いたしました、お嬢様。礼儀を欠いたことをお詫び申し上げます」
「いいのよ。それに、二人だけの時はさっきみたいな口調でも構わないわ」
「……今はどこで誰が聞き耳を立てているとも限りませんので、また別の機会にさせていただけますでしょうか」
「そう。なら今はいいわ。また今度ね。……さあ! 気を取り直して仕事の説明をするわね!」
彼女は残念そうにそれだけ言うと、気持ちを切り替えて、使用人として俺にやってほしい事を一つ一つ説明していく。
部屋の掃除、朝の起床の手伝い、料理の配膳から服の準備まで、やる事は思った以上に多彩だ。
だが、一つ一つを説明していく彼女のその姿は、とても楽しそうだ。
「――それで、ここの紐を引っ張ると、下にある貴方の部屋の呼び鈴がなるわ。この管が下に繋がっていて声が届くようになってるから、お願いする時はこれで直接……ねえ、聞いてる?」
「あ、ああ……。いえ、やる事の多さに少し驚いていただけですよ」
彼女はボーっとしていた俺に気が付くと、不思議そうにこちらを見つめていた。
……生き生きと楽しそうな彼女の横顔に、つい目を奪われていたなんて言えそうにない。
俺は動揺しているのを悟られないように、彼女に別の話題を振る。
「それよりも、お嬢様が楽しそうで何よりです」
「何言ってるの? これから新しい生活が始まるんだから、楽しみに決まってるじゃない。これからリアに何をしてもらうか、色々考えてたんだから」
彼女は鼻歌交じりに機嫌よく答えると、俺を次の場所へと順次案内していく。
全部の説明が終わったのは、西の空の日が傾きかけた頃だった。
「今日までは他のメイドの子が仕事をやってくれるわ。明日からは貴方がやってね」
「いきなり急ですね」
「嫌なの?」
「いえいえ。お嬢様が望むのなら、いかなるご命令もお引き受けいたしますとも」
俺は恭しく、少し大げさに頭を下げる。
それを見た彼女は、満足そうに再び笑顔を俺に向けた。
「ここに来たときと比べて、挨拶がとても丁寧になったわね。あなたも先生のところから引っ越してきたばかりでしょうし、今日はゆっくり休んで。明日からよろしくね」
今日、エルザの世話はこれで終わりとなるらしい。
俺は新しい拠点……自分の部屋を確認するように促され、エルザの部屋を出て、階下の部屋へと向かった。
部屋の前では、先ほどは見かけなかった若いメイドが一人、立っている。
彼女はこちらに気が付くと、人懐っこい笑顔で声をかけてきた。
「貴方が新人さんですね?」
「はい。まだ至らない点もあるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします」
「同じメイド同士、そんなにかしこまらなくてもいいですよ。私はロゼッタといいます。よろしくおねがいします」
こちらが挨拶をすると、彼女は屈託のない様子で握手を求めてきた。
先ほどのメイド長とは大違いだ。
「……意外ですね」
「ん? 何がですか?」
「ここのメイド達は、私のような者から距離を取りたがっているのかと思いましたので」
「あー……。ここの人たちは、貴族街育ちが多いからか、どうしてもそうなりがちですねえ。私は二人の病気について少しだけ知ってるので大丈夫なんですよ」
ロゼッタは下町の平民の出身で、過去、この病にかかった親族を見たことがあるらしい。
そのため、そこまで偏見を持っておらず、その結果として面倒なエルザの身の回りの世話も、主に彼女に押し付けられていたそうだ。
「――というわけで、私が今まではお嬢様の世話係だったのです。けれども、色々あって異動になってしまいました。私は引継ぎが終わったら新しい業務に移るので、これからはリアさんから連絡を受け取るだけの係になりますねー」
「ということは、私の先輩ということですね。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いしますね、後輩さん」
彼女は茶目っ気たっぷりにウインクして挨拶をする。
……良かった。なんとかまともに話せそうな人に出会えた。
今まで会ったメイド達の態度から、あまりいい印象を持っていなかったが、これで少し安心した。
「それじゃ、今日の出来事を教えてくださいな。メイド長への報告書、私が代わりに書いておきますから」
「はい。今日は――」
彼女に話した内容は、彼女経由でメイド長への報告として上がるらしい。
どうやら当面は、そのまま今日の出来事を正直に伝えるだけで良さそうだ。
いくつか業務上の報告と引継ぎについて話をしたあと、彼女は古風な鍵を渡してくる。
「明日からは私の代わりによろしくお願いしますね。この部屋の鍵を渡しておきます」
そういうと、彼女は「また明日」と手を振って去っていった。
これで後は自由にしていいのだろう。
俺は受け取った鍵で扉を開き、中にはいる。
使用人の部屋は質素だが、掃除は行き届いており、小奇麗にまとまった部屋だ。
部屋の中にあったロゼッタの私物はすべて移動済みらしく、残っている家具や備品は自由に使っていいと言っていた。
ベッドの上、天井から吊るされたランプの近くにはエルザが俺を呼び出すための小さな鈴があり、壁には声を伝えるために設置された古い伝声管が埋まっている。
エルザが仕事の説明をするときに言っていたものだ。
深夜でもなにか用事があれば、これで呼びつけられるのだろう。
この館では、夜は、夜番を兼ねた数人だけが館に残り、他のメイドたちは門の外にある別棟で生活するそうだ。
ここが俺の部屋になるということは、遠回しに「お嬢様がらみのイレギュラーな対応は、俺がすべての面倒をみろ」ということなのだろう。
俺はなけなしの少ない荷物を紐解いて古びたクローゼットに放り込むと、同じく古びた固いベッドへと倒れ込む。
この数ヶ月、気を張り詰め続けていた反動で溜まった疲れが一気に出たのだろうか、俺は泥のように一瞬で眠りに落ちていった。