第5話 レオ
先生による指導の下、俺の使用人としての訓練の日々は続いた。
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「おい! なんだよこの服は!?」
「『なんだ』ではありません。『こちらの衣装は、どのようなものでしょうか』と尋ねるのですよ。そして、それは貴方の新しい服です」
「だ、だがこれは……明らかに女物じゃ……」
「口のきき方に気をつけなさい。言葉遣いは最低限のマナーです。そして、その服に関しても、これから貴方が務めを果たす上で必要な事ですよ」
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「何ですか、その口の利き方は。貴方は一流の従者になると、あの日誓いました。もっと相応しい言葉遣いをしなさい」
「一流なんて一言も言ってない! 普通でいいんだ、普通で!」
「お嬢様にお仕えするという事は、一流になる以外選択肢は残されていないという事です」
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「それは違います。この場合の礼儀作法は、こう……」
「こ、これでいいのか?……ッ!」
「その場合は、『これでよろしいでしょうか』ですよ」
「……ッ! こ・れ・で! よ・ろ・し・い・で・しょ・う・か!」
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「読み書きと計算は一通り出来るのですね。まだ少し怪しいところはありますが……」
「出来なきゃすぐに騙されるからな。こっちだって必死なんだ……いえ、必死でございました」
「よろしい。ならば基礎の強化と共に、更に上の計算技法と、貴族社会の知識を教えましょう。ついでにダンスと、簡単なメイク術も加えて……」
「一体どこまでさせる気だ!?」
こうして、一通りの礼儀作法と教養の基礎を文字通り叩き込まれた俺は、さらにしばらく先生のところで厳しい指導を受けることになった。
瞬く間に月日は流れ、ようやくエルザの元へと戻る日がやってきた。
「さて、今日からはエルザ様の元でお仕事ですね。気分はどうですか、リア」
「はい、最高に晴れ晴れとした気分ですよ、先生」
「それは良かったですね」
俺は最高の笑顔で精一杯の皮肉を込めて言ってやったつもりだが、先生は飄々とした様子で軽く受け流していく。
結局、数ヶ月間はこの食えない先生と一つ屋根の下で一緒だったわけだが、彼女はかなりの曲者だった。
基本となる礼儀作法から始まって、貴族の歴史、経済、社交術、果ては化粧の真似事まで、実に多種多様な事を叩き込まれるとは、ここに来た当初は夢にも思わなかった。
エルザが時々様子を見に来て、薬を渡してくれたのが、この地獄のような日々におけるささやかな癒しになった。
おかげで俺も、直射日光さえ浴びなければ普通と変わらない肌のまま過ごせている。
ただ一つ、今の俺の外見に致命的な問題があるとすれば……。
「しかしながら先生、私がこのような格好をしているのを、お嬢様がご覧になったらどう思われるでしょうか。お優しい彼女のことですから、不快な思いをされるのでは?」
「ふふ、楽しみですね。実はお嬢様には、まだこの件について何も伝えていないのですよ。ぜひリアの口から直接説明して差し上げてください」
「……それはそれは、実に恐縮の至りです!!!」
俺の怒りとも諦めともつかない発言を、先生はやはり飄々と流していく。満足そうな笑顔のままだ。
やっぱりこの人には一枚も二枚も上手を行かれている。
俺が今着ている服装には、少し……いや、かなり問題がある。
これからエルザに俺の姿を見せることを考えると、ため息しか出ない。
ちょうどそこで、扉をノックする音が聞こえた。
……エルザだ。
「先生、エルザです。リアを引き受けに来ました」
「ええ。扉は開いています。入ってきてかまいませんよ」
「失礼しま……。えっ!? ちょっと、リア! 何その恰好!?」
「……別に、どうということはありませんよ。ごく普通の恰好……ということにしてくださいませんか、お嬢様?」
必死に笑いをこらえているエルザに対し、俺はひきつった笑顔で応対するしかなかった。
「だってそれ……。ふふっ、どうして男の子なのに、そんな可愛らしい女性用のメイド服なんか着ているのかしら?」
そう。いまエルザの目には、フリル付きのメイド服に身を包んだ、なんとも珍妙な俺の姿が映っていることだろう。
「……これが、先生が言うには、今の最善策だそうでして」
「エルザ。男性であるリアが貴方の側で、住み込みで仕えるのには、表向き色々と不都合があるのです」
先生は、その理由を丁寧に説明していく。
嫁入り前の貴族の令嬢の部屋に男が出入りするということは、あらぬ誤解やあらぬ噂を招く可能性があること。
それがどこの馬の骨とも分からない、元は奴隷同然だった男ならなおさらである、と。
普通なら年配の女性か、信頼できる専用のメイドを置くべきだが、今のこの別館という特殊な環境や、例の病の事を考えるとなかなか難しいこと。
それらを踏まえた上で、世話役としての俺を一時的に「メイド」に仕立てる事で、エルザの希望と、周囲への体面を両立させることにしたこと。
それらをエルザに、丁寧に説明していく。
だが、この数ヶ月先生と一緒に生活したことで、俺は確信していることがある。
この先生、一見真面目そうに見えて、意外と悪ふざけが好きなのだ。
「もちろん、永遠にメイドのままというわけではありません。私の読みが正しければ、二年後には転機が訪れるでしょう。 その際に、リアは『遠縁の親戚筋から推薦された執事見習い』という筋書きで通せるよう、既に手筈を整えてあります」
「……納得いかないところもありますが、分かりました。先生がそこまで考えてくださったのなら」
二年後であれば、男の姿に戻った場合でも、先生の遠い親戚として箔付けをしてやることが可能らしい。
それ以外にも色々と都合が良いという話だったが、詳しくは教えて貰えなかった。
まだ不満そうな顔をしつつも、一応は納得したエルザがこちらを見てくる。
そんなエルザに対し、俺はスカートの裾を僅かに持ち上げ、習ったばかりの淑女の礼で恭しくお辞儀をした。
「よろしくお願いいたします。これから二年間、私はお嬢様だけの従順なメイド、リアでございます」
「よろしくね、メイドのリア。ふふ、とっても可愛いわよ、あなた。……でも、その言い方はなんかつまらないわね」
俺の猫を被ったような敬語が気に入らなかったのだろう。
今まで身近に口の悪い人間なんていなかったから、逆に新鮮だったのだろうか。
「そうだわ、二人の時は前のように――」
そこで、わざとらしい小さく咳ばらいが聞こえた。
先生だ。
「残念ですが、そのような不適切なお話は、教育を施す者として見過ごせませんよ」
「す、すいません、先生……」
「ですので、私の目の届かぬところで、こっそりと相談してくださいね」
「……先生!」
先生は悪戯っぽく口に指を当てて「秘密ですよ」とポーズをとりながら、俺のほうにウインクをしてきた。
これは「節度を守って、お嬢様のいうことを上手く聞いてやれ」という意味だろう。
さすがに半年近くも一緒にいると、何が言いたいか、なんとなくわかってくる。
「そうだ! 改めて私のところに来た記念に、新しく名前をあげるわ。リアだと男の子っぽくて紛らわしいものね。女の子の時の名前はリアでいいけど、別に男の子としての名前も考えなくちゃ。新しい名前は……レオでどう?」
「ん? それは別にどっちでも……構いませんが」
「じゃあ決まりね! 女の子のふりをしているときはリアで、男の時はレオと呼ぶわ」
彼女は小さく「レオ、レオ」と繰り返している。
名づけが安直過ぎる気もするが、本人が満足しているようだし、別にいいだろう。
「さあ、本館に行くわよ。これからたくさん仕事をしてもらわなくちゃ」
「お嬢様、いきなり私の袖を引っ張られても困ります。ほら、先生にまだご挨拶も済んでいませんし」
俺が先生の事を指摘すると、エルザは袖を引っ張るのをやめて、挨拶のために先生に向き直る。
エルザが挨拶するのに合わせて、俺も改めて挨拶をしておく。
「先生、私のためにレオを指導してくれて、ありがとうございました」
「俺……私からもお礼申し上げます。ご指導、ありがとうございました」
顔をあげると、先生はいつもの微笑みを浮かべたまま、俺のほうを見ていた。
「レオ。貴方は生まれ持った素質は高く、私がこれまで教えた中でも上から数えた方が良いくらいには、覚えが良い子でした。これからは、その知性を、あなたの主人のために使ってください」
その言葉にたいして、俺は習った事を最大限活かして、今度はメイドとしてではなく、エルザに仕える一人の従者として丁寧にお辞儀をする。
「……ご期待に沿えるよう、最善を尽くします」
「はい。あなたの知性と勇気に期待していますよ」
知性はともかく、勇気……か。
俺にそんなものがあるとは思えないけどな。
その時々で、ただやれることをやるだけだ。
そんな事を考えながら、気がつけばエルザに連れられて教育棟を出て、館へと戻っていた。
一度しか入ったことのない館だが、なんだか懐かしく感じる。
扉を開け、館の中に入ると同時に、中にいたメイド達がこちらを一瞥してくる。
だが、それぞれがこちらを見た後はすぐに自分たちの仕事に戻り、特に手を止める気配はない。
一部のメイドは、明らかに嫌悪の表情を隠そうともせず向けている。
……俺の格好や病気が気に食わないのは分かるが、あからさまに顔に出るとは。こうして先生の所で学んだ後だと、彼女たちがいかに半人前であるかがよく分かるな。
……いや、俺も似たようなものか。気をつけよう。
そんな中に一人、ゆっくりとこちらへ歩いてくる人物がいる。
襟の色が他のメイドと違っている。背筋が伸び、隙のない佇まいだ。
「あの人はメイド長よ。ここにいる皆を取りまとめているの」
エルザがそっと耳打ちしてくれる。
俺はメイド長と視線を交わすと同時に、完璧な会釈をした。