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吸血貴族の愛し人  作者: SHノーマル
第一部
4/31

第4話 先生

「貴方ですよ、えっと……お嬢様に買われたという貴方」

「……ああ、何の用だ。聞こえている」

「聞いていたとおり、口の悪い子供ですね。まあ、いいでしょう。あなたの名前と、先ほどお嬢様と話していた内容を教えなさい」


メイドは背筋をピンと伸ばし、高圧的に問い詰めてくる。

普通の子供なら萎縮してしまうかもしれない。

だが、貧民街ではこのくらいの圧力なんて日常茶飯事だ。


「おれ……私の名前はリア。話していたのは……これからする、身の回りの世話についてだ」

「他には?」

「それ以上は何もない」

「言葉づかいも、礼儀もわきまえていない子供だこと」


しばらくの間、メイドは睨みつけるようにこちらを見ていたが、やがて諦めたように視線を外した。


……男だとバレるかと心配していたが、大丈夫だったようだ。

そういえば以前、貧民街で男娼になるよう勧められたことがあるが、あれも俺が女に間違えられやすいからだったのだろうか。


半刻ほどでエルザが戻ってきた。

それと入れ違いになるように、メイドがエルザに一礼をして去っていく。


「戻ったわ。薬は塗った? 痛みは大丈夫?」

「ああ、俺の方はすっかり良くなった。ありがとう」

「よかったわ。先生に話をしたらね、あなたと直接会って話をしたいんだって。ついてきて」

「お、おい、 いきなり……」

「大丈夫よ。私がついてるもの」


彼女は俺の手をとり、ぐいぐいと引っ張って行く。

向かっていったのは館の外、中庭だった。

館から一歩先は日が差しており、俺は一瞬だけ体が強張ってしまう。


その様子に気がついたのだろう。エルザは優しく手を握りなおし、こちらを見て微笑んだ。


「大丈夫よ。私がついてるから。あの薬を塗った直後なら、直接光を浴びなければしばらくは大丈夫よ」


エルザは扉の前にいたメイドから日傘を受け取り、傘を広げる。エルザの足下に、やさしい影の空間が出来上がった。


「ほら、入って」

「……別の傘はないのか?」

「ないわ。日傘が必要な人なんて、私と貴方くらいだもの。そして貴方は、今日来たばかりでしょう?」


早く入るように促す彼女につられて、俺は遠慮がちにその影の空間に入る。

日傘は小さい。気をつけないと肩が露出しそうになる。


「ほら、そんなに距離を取ると太陽の光が体に触るわ。もっと詰めて」


……一つの傘に二人で詰めたら、今度はコイツの体を太陽の下に押し出してしまいそうで怖いな。

俺は日傘からお嬢様の体がうっかりはみ出さないように、気をつけながら少し離れの建物へ移動する。


向かった先の建物は、豪華に着飾った本館とは対照的に無機質な造りだ。

門から離れた目立たない場所にあり、普通は気が付かないだろう。


「あれは教育棟と言うの。まだ表に出せない見習いの使用人たちを一人前にするための場所よ。先生方もあそこに住んでいるわ」

「住み込みで……? 何人くらいいるんだ?」

「今、私についてくれている先生は一人だけよ。昔は三、四人いたのだけれど……。あとはメイド向けの教育係が何人か住んでいるらしいわ」


変わった仕組みになっているな。


「貴族たちは皆こうなのか?」

「私はあまり他所に行ったことがないから、よくわからないの。ただ、ここは少し特殊だと聞いたことがあるわ」


エルザはそう言って、説明を続けてくれる。


「ここのお屋敷は使用人の教育に力を入れていることで有名なの。実践に近い形で動けるように、使っていない別館を一つ改装して、使用人たちの教育施設を兼ねた形にしたんですって」


練習施設のような場所にエルザを住まわせているのか。

ならば、仕えているのも半人前のメイドたちなのだろう。

そこに貴族の令嬢を住まわせている意図はよくわからないな。


……その時は知らなかったが、後に先生から聞いた話によると、これはエルザの病を考慮した上での特別な措置らしい。つまり、病を患う彼女を社交界から引き離すための、隔離施設のようなものだったということだ。


「さあ、着いたわ。ここから入って右側の部屋よ」


エルザは教育棟の中へ入ると、差していた日傘をたたみ、俺を案内する。

教育棟の中は一見すると質素だが、頑丈な作りになっていた。


「勉強の時はいつもここに来ているのか?」

「違うわ。普段の授業は先生に本館の方へ来ていただくの。でも、先生のお休みの日にこちらがお邪魔するのなら、私たちから伺うのが礼儀でしょう?」

「まあ、そうだな……」


話しながら、途中にある部屋の前でエルザは立ち止まった。

ノックをすると中から返事が聞こえてくる。


「開いていますよ。どうぞ」


部屋の扉を開くと、中には初老の女性が座っている。

その女性は微笑みを浮かべ、俺を見つめてきた。


「いらっしゃい。貴方がリアさんですね」

「ああ。あんたが先生とやら か?」

「ちょっと、リア! 申し訳ありません、先生。この子、まだ躾がなっていなくて……」

「構いませんよ。エルザ、その子と二人で話したいことがあるので、少しだけ席を外していただけますか?」

「え? はい、分かりました」


エルザは婆さんの言葉に従い、部屋を出ていった。

そして婆さんは、微笑みを浮かべたまま、まっすぐに俺を見つめてきた。


「事情はエルザから伺っています。貴方が拾われてきたという男の子ですね?」

「まあ、そうだが……。なんだか嫌な言い方だな。俺は捨て犬じゃないぞ」


拾われてきた、というのは心外だ。

俺はあくまでも自分の意思でここに来ている。

……きっかけはどうであれ、な。


「それは失礼いたしました。貴方は貴方の意思でここに来た。それで間違いありませんか?」

「ああ、問題ない」


婆さんは俺を品定めするように、じっと見つめている。

……なんだか緊張するな。


「ならばこそ、私は貴方に問わねばなりません。貴方はエルザ様のそばで、何を望みますか?」


望む。

日々を生き延びることに必死だった俺には、あまりに縁遠い言葉だ。

何を聞かれているのかわからず言い淀んだ俺は、婆さんに問い返すことにした。


「望む……? えっと……、それは……どういうことだ?」


俺の問いを聞いた婆さんは、少し困ったような顔をした。

俺と婆さんとの間に、言葉にできないほどの育ちの違いがあることを察したのだろう。


「そうですね……。まずは貴方と私で、互いに共通の認識を持つ必要がありそうです。手始めに、エルザ様について少しお話ししましょう」


そう言うと、婆さんは訥々とエルザの身の上を語りだした。


「彼女の話をする前に、一つだけ確認させてください。貴方はエルザ様と同じ病を患っているそうですね」

「ああ。日に当たると体が爛れて、崩れていくような病気だ」

「その病は、彼女の一族、そしてこの街の人間の中でもごく少数が、ごく稀に発症するものです。そもそもこの病は、過去に実在した貴族が……いえ、話の本題とは関係ありませんので、お忘れください」


婆さんは何かを言いかけたが、途中で口をつぐみ、話題を変えた。


「ここには貴方のような方のために作られた専用の薬があります。そのため、市井の罹患者と比べれば症状は抑えられますが……それでも太陽光に当たれば、どうしても肌の状態が悪化してしまいます。その病の特殊性から悪評が立つことを恐れた父親は、彼女を社交界から隔離したのです」


なんでも貴族の社交界というのは、外見や言動を必要以上に気にするらしい。

俺の……俺達のような肌の状態では良い結果にならないと判断したそうだ。

……見た目だけで人を判断するのは、どこも変わらないな。


「彼女の知る世界は、この館の中と、そして馬車の窓越しに眺める街並みだけなのです」

「それは……なんだか寂しいな」

「だからこそ、貴方のように生きてきた世界が違う者は新鮮に映るのでしょう」


そうか。

だから俺みたいな、裏路地の人間にも気軽に声をかけてくるのか。

世の中の悪意を知らないのは幸せなことかもしれない。


……少し危ういな。


「……もしかして、俺に世間の悪意というものを教え込むことを期待しているのか?」

「いきなり物騒なことを言いますね……。いいえ、そうではありませんよ。それに、人の悪意には少なからず触れていらっしゃいます。……メイドたちを通して、ですが」


婆さんが言うには、表向きメイドたちは従順だが、裏では酷い陰口を叩いている者もいるらしい。

……確かに、エルザがいなくなった途端のあの態度だ。薄々感づいてはいたが。


「家族からは距離を置かれ、周りに心から信頼できる大人もいない。そんな中でも、彼女は真っ直ぐに育ってくれました。少し我儘なところはありますが……」


その目はとても優しい。

おそらく、この婆さん……いや、この先生が陰ながら手助けしてきたのだろう。

……そばに信頼できる大人がいるってのはいいな。


「貴方はこれから、エルザ様の従者として、あの方の生活を支えていくことになります。それがどういうことか、お分かりですか?」

「それは……わかっている。あいつの身の回りの世話をすればいいんだろう? それくらいは聞いている」


俺は掃除や洗濯など、エルザが言っていたことを思い出しながら口にした。

先生は頷いてはいるが、俺の答えに満足していない様子だった。


「……間違いではありませんが、少し認識が足りていないようです。あの子のご両親について、何かご存知ですか?」


俺は黙って首を横にふる。

それを見た先生は小さく頷いた。


「彼女の御名はエリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼル。父君は公爵位を持ち、数多の貴族の中でも大きな力を持つローソゼル家の現当主です」

「エリザベート、ミリオン……何だって?」


ずいぶんと長い名前だ。

先生は舌を噛みそうになっている俺を軽く制し、言葉を続ける。


「あの子のことですから、自己紹介を面倒臭がってエルザと呼ぶように言ったかもしれません。ですが、本来はそういうお生まれであることを、覚えておいてください」


彼女の本名はそういう名前なのか。

だが、ローソゼル公爵家……か。その名前なら聞いたことがある。

厳格な大貴族で、俺がいたような場所でも、暗殺や諜報の依頼が時折持ち上がっていたほどだ。

裏路地で名を知られる貴族なんて、悪徳貴族かよほどの大貴族くらいのものだが……。

まさか大貴族の名前が出てくるとは。


「さて、ここまでの話を聞いてどう思いましたか?」

「どう……? 何を言いたいんだ?」

「ええ。貴方がエルザ様を含む、他の貴族の方々に対して粗相をすれば、貴方は厳しく処分され、二度とこの屋敷には……場合によっては、この街にさえいられなくなるでしょう。……それでも貴方は、エルザ様を支える覚悟がありますか?」


真剣な目で俺を見つめてくる先生。


「……そんなことか。俺がいた場所は、理由もなく殺されることだってあった。それに比べれば、今更驚くことでもないさ。それに、あいつがそんなことはしないだろ?」


出会って間もないが、あのお嬢様がお人好しだということくらいはわかる。

もしもエルザが、権力を気ままに振りかざすような傲慢な姫君なら、メイドたちは罰を恐れてもっと萎縮しているはずだ。

だがそんな様子はない。逆に甘やかしすぎだ。


俺の答えに先生も満足したのか、静かに微笑んで頷いた。


「それではもう一つ」

「まだあるのか……」

「ええ。とても大事な話です。彼女が貴族の出自である以上、いつかは家の繁栄のため、有力な貴族の元へ嫁ぐことになるかもしれません。それでも貴方は大丈夫ですか?」

「? それがどうかしたのか? ……あいつが結婚したら、俺はお役御免で仕事を失うとか、そういう心配か?」


おそらく俺の将来を心配してくれているのだろうが、いまいちピンとこない。

あいつがいつ結婚するのかは知らないが、それまでに、せめて旅に出られるくらいの金は貯めておきたいものだ。


「……気になさらないのですね。結構なことです。もっとも、そういった事柄にまだ興味がないだけかもしれませんが――。話が逸れました。貴方の仕事に関しては、その時の事情を鑑みて決まることでしょうから、今から心配しても仕方ありませんよ」


先生は少し呆れたように告げると、軽く咳払いをして再び俺に向き直った。


「では、改めて最後の確認です。貴方が従者として一人前になり、エルザ様をお支えし、見守る覚悟はありますか?」


先生は真剣な目で真っ直ぐに俺を見つめてきた。

嘘や隠し事まですべて見透かされそうだ。


「……エルザが言うには、俺はお嬢様の“モノ”らしいからな。お嬢様の望むままに従うだけだ」


その言葉を聞いた先生は、どこか満足そうに頷いた。


「わかりました。貴方のことは、上手く取り計らいましょう。貴方の今後ですが、言葉遣いや作法など、基本となることから、多くのことを覚えていただきます。そのために――」


先生が、今後の計画について説明を始めた。

先生が言うには、俺は基本的な作法が全く身についていないらしい。

だからまず、先生の元に住み込む形で、基礎を学ぶようにとのことだ。


それ自体は問題ない。

俺は食い物と寝床さえあれば、どこでも構わない。

問題は、エルザが何と言うかだ。


「わかった。それじゃあ、お嬢様がごねた時は、あんたが説得を――」


俺が言い終わらないうちに、エルザがノックをし、部屋に入ってきたため会話は中断された。


「どう? 先生との話はまとまったかしら?」

「ああ。俺は勉強のため、しばらく先生のところに住み込むことになった。悪いが、しばらくお前の世話はできない」

「え? えっ? いきなりどういうこと?」


説明が急すぎたか。かなり戸惑っているようだ。

礼儀作法の基礎を一通り覚えるまで、エルザの側仕えとして働くことはできない、と先生から説明が伝えられる。

するとエルザは目に見えて落ち込んだ。


「そんな……。リアは私のモノなのに……」

「エルザ、貴方様も、今のままでは彼に身の回りの世話をさせるのは難しいでしょう。そうですね……春になる頃までには、最低限の作法を教え込んでみせますよ」


あまり納得がいっていない様子のエルザを、先生は優しく宥める。

先生の説得で、渋々ながらも納得したようだ。


「わかりました……。先生、よろしくお願いします」

「はい。彼のことは、私にお任せください」

「じゃあね、リア。また顔を見に来るわ」


エルザが頭を下げると、先生も笑顔で頷いた。

……肝心の俺の意志が無視されている気がしてならないが、まあいい。


結局、エルザは俺に軽く挨拶をしただけで去っていってしまった。

ここにいるのは先生と俺だけだ。


「それじゃあ、よろしく頼むぜ、先生――ッ! いてぇ! 何しやがる!」


いきなり、鞭が飛んできた。

……どこから取り出したんだ、その鞭は。


「言葉遣いがなっていませんね。まずはその口調から直しましょうか」

「それこそ口で言え!」

「口で言ってわかるようなら、もう少し利口に振る舞ってみることです」


再び鞭が振り下ろされ、俺は慌てて身を躱した。

笑顔のまま鞭を振るう姿は、正直怖い。


「おや、避けてはいけませんよ?」

「避けるに決まっているだろ!」


これから数ヶ月。

俺は先生……いや、このクソババアの元で、礼儀作法を叩き込まれることになる。

……色々と選択を間違えたかもしれない。

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