第3話 監視
「いい? 扉のすぐ向こうでは、メイドの誰かが聞き耳を立てているわ」
「……分かるのか?」
「気配は感じ取れないけど、いつもの事だもの」
もしエルザが悲鳴を上げていれば、メイドが飛び込んできたのか。
……マズい状況になっていたかもしれないな。
「言っておくけど、メイド達が気にしているのは貴方だけじゃないわ。私も同じよ。もしも私が粗相をすれば、すぐにお父様に報告がいくの」
つまり、ここのメイド達は箱入りのお嬢様の監視役も兼ねている、という事か。
お人好しのお嬢様じゃ、俺みたいな奴を部屋に連れ込んで、うっかり脅されたり金品を取られたり、なんて心配は考えつかないらしいからな。
ある意味当然かもしれない。
「わかった。俺はどうすればいい?」
「そうね……。まず、今は少し声を押さえて。普通に話すくらいなら大丈夫だけど、大声をだすと聞こえるから」
「分かった。今はそれでいいとして、俺の性別はどうするつもりだ? メイド達に正直に教えても問題ないのか?」
「それは……ちょっと待って、今考えるわ」
彼女が考え込んでいる間に、薬を塗った場所の確認をしてみる。
僅かな時間でかなり良くなっており、このまま半日もすれば完全に腫れは引いてくれるだろうか。
体の痛みはもう問題ないな。
次に今の状況だ。
エルザが女と間違えて俺を連れてこられたのなら、俺はもう必要ない可能性もある。
勘違いとはいえ薬を使ってくれた事には感謝しているし、そんな相手に不義理を働くつもりはない。
なら、大人しくそのまま出ていくか。
あまりにも素直すぎるこのお嬢様なら、問題なく外へ送りだしてくれるだろう。
そう考えているうちに、目の前のお嬢様は何やら決断をしたようだ。
「……決めたわ。先生に相談しましょう!」
「先……生? 誰だそいつは?」
「私の教育係で、私がいちばん信頼している人よ。先生なら、きっといい方法を考えついてくれるわ」
細かい話を聞くと、彼女は昼の時間に色々と淑女としての教育を受けているらしい。
その教育は、その「先生」と呼んでいる女性……初老の婆さんにほぼ一任しているのだそうだ。
「先生はすごいのよ。魔法使いじゃないかって時々思うんだけど、先生は違うと言って譲らないの」
「魔法使い……? 王都のどこかにいるってのは聞いていたが……。そんなのが、ここにいるのか?」
魔法使いというのは、何もないところから火や水を出したり、強大な力で岩を浮かせたりする、奇跡を起こせる力の持ち主だと聞いている。
呪術師などが契約につかう「魔術」と呼ばれるものは、魔法使いの力を解析し、ごく一部を再現することに成功したもの、という噂だ。
「私が一方的にそう思っているだけよ。本当のところは分からないわ。そんな事より、さっきの続きをするわよ」
「続き?」
「そう、薬を塗るのよ」
「俺の体に? さっきと同じようにか?」
「もちろん! 残りは……、あっ……! ううっ……」
彼女は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
薬を塗るという意味が、どういう事か改めて分かったようだ。
彼女は顔を赤くして目を泳がせながら、小さな声で話しかけてくる。
「あのねリア、悪いんだけど……」
「分かってる。薬を貸してくれれば自分で塗る」
俺は彼女から薬を受け取ると、白いクリーム状の薬を手に取り、足先から無造作に塗っていく。
「ちょっと! 少しずつ、薄ーく引き伸ばすの! 一度に使いすぎると私が怒られるんだから!」
「そうは言ってもな。これ以上薄くなんてどうやるんだ?」
「ああ! もう! やっぱり私がやるから貸しなさい! 後でメイド達から小言を言われるよりマシよ!」
雑な俺のやり方がよほど気に入らなかったようだ。
俺を睨みつけながら薬を奪い取る。
そしてお手本を見せるように薬を少し取り出し、手のひらの上で薄く引き伸ばした。
「先に言っておくけど、足首しか塗らないわよ? 見本を見せるために足だけ塗るんだからね。いい? こうやって……」
そういうと、彼女は手のひらで薄く伸ばした薬を、俺の足の甲に塗りつけていく。
なるほど。確かに俺のやり方じゃ使い過ぎだ。
しかし――。
「これじゃ、どっちが奴隷か分からないな」
俺は自嘲気味に笑ってそう言った。
奴隷は主人の所有物だ。
ヘマをやらかして殴られるなんて日常茶飯事だ。
貧民街でも、どうにか奴隷の立場から逃げて来た奴がいた。
呪術の影響か、もともと患っていた病気の影響か知らないが、すぐに死んでしまったのを今でも覚えている。
このお嬢様が何か仕掛けてくるなら、俺はさっさと逃げようと考えていた。
だが……ちょっと面白くなってきた。
まさか自分の奴隷に、甲斐甲斐しく薬を塗る貴族がいるなんてな。
俺が笑うと、彼女は不思議そうにこちらを見つめてくる。
「何を言っているの? 貴方は奴隷なんかじゃないわ」
「は? どういう意味だ?」
「言ったでしょう? 貴方は私のモノ……。ふふっ、何その顔? なにかの芸?」
彼女がクスクス笑っている所をみるに、俺はかなり変な顔をしているのだろう。
だが彼女の真意がわからず、それどころではない。
俺は、奴隷の代わりに拾われたんじゃなかったのか?
そう尋ねようとするが、上手く取り繕った言葉が浮かばない。
「えっとだな。お嬢様、あんたは貴族だろ? 平民の……いや、奴隷の代わりとして俺を連れてきたんじゃないのか?」
「そんな訳ないじゃない。私にとっては、平民だとか奴隷だとか、そんなことはどうでもいいの」
なんとか絞り出した問いに、彼女は首を横に振って否定する。
そして俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「いい? 貴方は奴隷じゃないわ。貴方は私のモノ、つまり所有物なの」
「それは……奴隷と同じじゃないのか?」
「違うわよ。奴隷みたいに粗末になんて扱わないわ。自分のモノを大事に扱うのは当然でしょう?」
彼女はにっこり笑ってそう答えてくれる。
このお嬢様が何を言いたいのか、真意を読み取る事はできない。
だが……ひどい扱いはしない、と言っている事だけはわかった。
このままだと俺もどうしたらいいか分からないな。
……いい加減、ストレートに聞いてみるか。
「それで、俺に求めるのはなんだ? 俺を薬品で人形のようにして、飾って愛でようってか?」
「それも面白いかもしれないわね」
エルザは冗談だと思ったのか、面白そうにクスクスと笑う。
貧民街でも悪名高い貴族がそういう事をしていると聞いた事がある。それをほのめかしたつもりだが……。
エルザはそんな汚い世界の事を知らないらしいな。
「でも、やってもらうのはたいした事じゃないのよ。例えば私の身の回りの世話と雑用ね。私、知らない人に自分のモノを触られるのが嫌いなの。あとは――。
気兼ねなく話せる私の話し相手、かしら?」
エルザは他に掃除や使い走りなどの雑用を指折り数えつつ、最後に呟くようにそう言った。
そして彼女の視線は、ちらりと扉のほうに向けられる。
……そうか。監視されている状況で、監視されない人間が欲しいという気持ちもあるってわけか。
大体の事は分かった。
だから最後に、重要な事を確認しないとな。
「貴族は呪術で契約を結ぶらしいな。お前もそれで俺を縛るのか?」
「そうしてほしいなら、呪い師を呼ぶわ。……でも、あんなもので縛ってもなんの意味もないでしょう?」
意味ならある。
その制約があるから奴隷は奴隷としていられるんだ。
その制約がなければ、いつ主人に危害を加えるか分からず、殺されてもおかしくない。もっとも、呪術のかかりが悪くて逃げ出せたという話もよく聞くが……普通はやっておくものだ。
やはり、このお嬢様は何がやりたいのか分からない。
「どういう意味だ? 俺を契約で縛らないってのか?」
「だって、貴方が嫌々仕えても楽しくないじゃない。わたし、そばに嫌々いる人がいるのは嫌なの」
そんな理由で……?
このお嬢様はどうやら、とんでもない世間知らずも良いところらしい。
「まだなにか不満……? あ、もちろんご飯も出すし、少しくらいならお小遣いをあげるわ。私のお小遣いからちょっと分けるだけだけど――。その代わりに、ちゃんと私の命令は聞いてね? ……どう?」
彼女はすこし不安げに俺を見つめてくる。
……俺が断るかもしれないと思っているんだろう。
だが聞く限りは、悪い話ではない。
それに、命の恩人だしな。
……この世間知らずのお嬢様が酷い目にあわないよう、俺もできる限り借りを返すさ。
「ああ、分かった。俺にできる限りの事はやってやる」
「……そう! よかった!! それじゃ、残りの薬を塗っててね。私はちょっと先生のところに行ってくるわ」
俺が頷くと、にっこりと笑顔になった彼女は部屋を出ていった。
そしてエルザと入れ違いになるように、メイドの一人が音もなく入ってくる。
やはり俺を監視しているのだろう。
必要な場所には薬を塗り終えた。
ほどけた服も元通りに戻している。
だが、男であることがわかると面倒そうだ。
あのお嬢様が例の婆さんと何を話してどんな対応をするかわからないし、今は隠しておいた方がよさそうだ。
メイドともあまり会話をしないよう、背を向けておくか。
「ところで、あなた」
……そう思っていた矢先に、いきなり声をかけられた。