第29話 エルザ:審判の日
裁判の当日。
夜明け前の冷たい空気の中、私を王都の裁判所へと連れて行くための馬車が静かに止まる。
私は抵抗することなく、衛兵たちに促されるまま、馬車へと向かう。
「……時間です、ローソゼル様」
衛兵の一人が、感情の無い声で告げる。
「ええ、ありがとう。……今、向かいますわ」
私は、深呼吸を一つして、館の扉の前で待っていたレオに向き直った。
「……それじゃあ。行ってくるわね、レオ」
「…………ああ」
「心配しないで。大丈夫よ。……私はすぐに戻ってくるわ」
私は、彼を安心させようと、精一杯の笑顔を作ってみせた。上手く笑えているだろうか。
少しでも彼の心が軽くなればいいのだけれど……。
私が馬車へ乗り込むと、扉が閉められる。車輪が軋む音と共に、馬車はゆっくりと動き出した。
レオは私を見送る間、ほとんど何も言わなかった。
ただずっと怒りを抑えるような、苦しみに耐えるような顔をしていた。
裁判は王都の中心部にある、荘厳な石造りの建物で行われた。
広い法廷に、高い天井。傍聴席には多くの貴族達…彼らの多くは好奇や嘲りの色を目に宿らせているが、僅かながら同情の色を浮かべている者もいた。
そんな貴族達の中、一際目立つ席にカラバル侯爵の姿もあった。彼は満足げな笑みを浮かべ、悠然と席に座っている。
やがて厳粛な雰囲気の中、裁判官が重々しく口を開いた。
「……これより、エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルに対する、『領民への過度な干渉、および、領主権の濫用』に関する罪状についての裁判を、開廷する!」
裁判官の声が、法廷内に響き渡る。
「被告、エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルは、いにしえの魔法使いにして、畏敬されるべきドラクル公の血を引き、かつ、先ごろ亡くなられた偉大なるローソゼル公爵閣下の、ただ一人のお世継ぎにして、ローソゼル家の名を継ぐ者である。その血統は高貴にして――」
裁判官は、まず私の血筋、父の実績、ローソゼル家が王国に果たしてきた貢献などを読み上げ始めた。
「……しかしながら! 彼女は、生まれながらにして、忌むべき『血の病』にその身を侵されており、その内に秘められた、抑えがたき邪悪な衝動は、ついに、数々の許されざる罪を犯すに至ったのである!」
次は、私がこの辺境の領地で犯したとされる、『罪』が次々と読み上げられていく。
罪状は、「領主としての権利の濫用」と「領地運営における重大な不備」とされていた。
私は、この時初めて知ったのだが、この国の法では貴族が領民を殺害したとしても、それ自体が直接的な罪に問われることは、稀なのだという。
ただ今回の私の場合は、その『残虐行為』があまりにも度を越し、領民を恐怖に陥れ、領地の安定した運営に看過できぬほどの影響を与えた、という点が罪の主題とされているようだった。
読み上げられる『罪状』は、あまりにも酷いものだ。
私が領民たちを捕らえては非道な拷問にかけ、その苦しむ姿を見て楽しんでいた、と。
自らの若さと美貌を保つために、あるいは、満たされぬ食欲を満たすために領民たちの生き血を啜り、最後には惨殺していた、と。
存在しない罪が次から次へと、詳細に、そして悪意に満ちた言葉で積み上げられていく。
最後はご丁寧にも、それらの『罪』について、私が先の尋問において、カラバル侯爵の前で全てを認める証言をした、と高らかに告げられた。
「……さて、これより被告、エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルが、自らの潔白を証明するための時間となる。
しかしながら被告人からは、自らの潔白を証明するための証人、および証拠の提出が一切なされなかった。
よって本法廷においては、先に述べられた罪状に対する、被告人からの有効な反論はなされなかったものとして、審議を進めることとする」
この裁判で証人が必要なんて、誰からも、一言も伝えられていない。
やはり結局のところ、この裁判は最初から結末が決まっている、ただの茶番劇なのだ。
誰かがどこかで書いたシナリオの筋書きの通りに淡々と進むだけ。私の意志など、もはや、何の価値も持たない、形だけの裁判。
私は、もはや反論する気も起きず、ただ沈黙を通した。
やがて裁判官は、最後の判決を言い渡すために、再び口を開いた。
「その残虐にして卑劣な手口は、いかに相手が平民であるとはいえ、断じて看過できるものではない。
もし、これが平民同士の諍いであれば極刑は免れない。つまり本来、死刑に処せられるべき性質のものである。
しかしながらローソゼル公爵の血筋を引く貴き血であり、かつ不幸にも『血の病』の抗いがたい衝動により引き起こされた悲劇でもある。
……よって、本法廷は、これらの情状を最大限に鑑み、判決を言い渡す。被告、エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルに対し、ローソゼル家より与えられた領地の没収、および貴族としての地位を剥奪の上、被告人を……『幾ばくかの期間』、王国の管理下に置き、幽閉するものとする!」
幾ばくかの幽閉。
その言葉の意味を、私は知っている。
かつて先生が、歴史を教えてくれる途中で語ってくれた。
罪を犯した貴族は、あえて刑期を定められずに光の届かない牢獄へと送られることがある、と。
それは、事実上の終身刑だ。
政治的な理由で処刑することが憚られる場合に用いられる、陰湿な処罰。
私はどうやら、二度と陽の光を嫌わなくてすむらしい。
だけど、もしも万が一……生きて出られるのなら……。そんな希望が一瞬だけ頭をよぎり、それを全力で否定する。
生きて出られたとしても、その頃にはもう、私の横に彼はいない。
そして、私が生きていれば、彼は私を救おうとする。
そうなれば、私が彼の足枷になってしまうに違いない。
もしも再び会えたらなんて、そんな淡い、自分勝手な期待で、彼の時間を奪うわけにはいかない。
なら、私が言うべきことは決まっている。
「さて、被告よ。なにか申し開きはあるか?」
「……この度の罪は……全て、私、エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルが、ただ一人で計画し、そして実行したことに相違ございません。
私は、私の犯した罪を認め、その有り様が後世に生きる者たちの、戒めの範となることを切に願います。
……つきましては、判決を変更いただき、私に、死刑を賜りたく存じます!」
私が死刑を望んだとたん、静まり返っていた法廷内が、ざわめきに包まれる。
「……ただ願わくば……長きにわたり私に忠実に仕えてくれた、ただ一人の従者へ、最後の別れを告げるための……ほんの、いくばくかの猶予を、いただけませんでしょうか……」
傍聴席の貴族たちは、死刑を望んだ私に対して信じられないといった表情で、互いに顔を見合わせ、囁き合っている。
裁判官も、そして余裕の表情を浮かべていたカラバル侯爵までもが、明らかに面食らったような、動揺した顔を見せていた。
……ふふ。どうやら私が自ら死を選ぶことまでは、彼らの描いた筋書きにはなかったようね。
裁判官は狼狽した様子で、傍聴席のカラバル侯爵と、必死に目で合図を送り合っている。
この予想外の事態にどう対処すべきか、相談しているのだろうか。やがて侯爵がかすかに頷くと、それを受けて裁判官は、咳払いをしてから、再び重々しく口を開いた。
「よろしい。忌まわしき『血の病』に侵されながらも、なお誇り高き貴族としての矜持を全うしようとする被告の、その最後の要望を認め……判決を、死刑に変更する! ……死刑の執行は二日後の早朝とし、『血の浄化』の儀式をもって、被告の内にある悪しき血を完全に滅するものとする!」
血の浄化……。それは私たちのような、太陽の光に弱い体質を持つ者を処刑するために、古くから伝わる方法だ。
歴史上でも、数回しか使われた事はなかったはず。
表向きは、「太陽の聖なる光によって、穢れた血を浄化し、吸血鬼を人間として生まれ変わらせるための儀式」などとされているが……。
実際は、ただの見世物としての処刑に過ぎない。
薬のおかげで、以前よりは太陽への耐性がついたとはいえ、長時間、光を浴び続ければ、私の体はひとたまりもなく崩れ落ち、最後には灰となって散るだろう。
「……さて処刑執行までの間、被告が望む通り、これまで通りの生活を許可する。その間に、親しき者への別れを済ませておくように。
以上をもって本日の裁判を、閉廷とする!」
こうして、私の終わりを決める裁判は、幕を閉じた。