第25話 尋問と賊
翌日からエルザに対する「聞き取り」という名の、執拗な尋問が始まった。
屋敷の一室に設けられた簡素な尋問室。そこに現れたのは、王国議会から派遣されたという、冷徹な目をした初老の執政官だった。
「――という訳でして、ローソゼル様。貴女様に対しては、これだけ多くの、そして詳細な証言が寄せられております。そろそろ、ご自身の罪を認められるお気持ちには、なられましたかな?」
執政官は、テーブルの上に積み上げられた書類の束――おそらくすべてが、偽りの証言が記された報告書だろう――を指し示し、エルザに事実を認めるよう、ねっとりとした口調で迫ってきた。
「私は、そのような事実は断じてないと、何度も申し上げておりますわ。もし疑うのでしたら、私の領地へ赴き、領民たちに直接お聞きになってくださいませ。彼らこそが、真実を知っております」
エルザは、疲労の色を隠しながらも、凛とした態度で反論する。
「ほう、証言は証言ですぞ、ローソゼル様。貴女様が認めようが認めまいが、ここに記された事実が変わることはございません。これ以上、無駄な議論を重ねて時を浪費するよりも、速やかに罪を認め、相応の裁きを受けられる方が、ご自身のためでもあると、私は思いますがね?」
執政官は、鼻で笑うように言い放つ。それは、もはや尋問ではなく、一方的な断罪の宣告に近かった。
そんな、無意味な押し問答が、来る日も来る日もひたすらに繰り返され続けた。
最初の数日間は、俺も「従者としての付き添い」という名目で、何とかその場に同席することを許されていた。
だが、そこで繰り広げられる光景は、常に同じだった。
エルザは決して感情的になることなく、冷静かつ論理的に、そして気高く、自らの無実を訴え続ける。
しかし執政官は、そのような彼女の言葉を聞く価値もないと言わんばかりに、一切耳を貸そうとしない。
爬虫類のような冷たい瞳でエルザを見据え、執拗に、そして時には侮辱的な言葉を交えながらも、ただ罪を認めることだけを迫り続ける。
そこには、真実を明らかにしようという意志など微塵もない。ただ、エルザ・を罪人に仕立て上げようとする、執念のようなものだけが感じられた。
「さて、ローソゼル様。被害者の『友人』による次の証言によりますと――」
「誓って申し上げます。私は、そのような行為には一切関与しておりません」
「はて? まだ私は、何も具体的な内容を申し上げてはおりませんが? もしかして、ローソゼル様ご自身に、何か疚しいこと、隠しておきたいことがあるから、そう先走って否定なさるのではありませんかな? 例えば……」
執政官は、わざとらしく言葉を切り、嘲るような視線をエルザに向ける。
「例えば、その美しいお姿を保つために、若い娘の生き血が必要だったとか、あるいは、貴族としての満たされぬ欲望のはけ口として……」
「いい加減にしろっ!!」
ついに俺は我慢できずに、怒鳴ってしまう。
エルザには同席しても決して口を開かないよう、固く言いつけられていた。
だが、これ以上、この男のエルザに対する無礼極まりない侮辱を聞いていることはできない。
「嘘と偽りで塗り固めた、そのくだらない証言のどこに真実があるというんだ! 」
俺が怒鳴りつけると、執政官は驚いたように椅子から飛び上がり、情けない悲鳴を上げた。
「ひっ、ひいぃぃっ!! 無礼者っ!」
「レオ、落ち着いて!」
エルザが俺を制止する。
「……申し訳ございません、執政官殿。私の従者が、あまりにも無礼な振る舞いをいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」
「……っ! ふ、ふんっ! 飼い犬の躾もできんとは、さすがですな! 飼い主の責任は重大ですぞ! 今後、このような狼藉が二度と起こらぬよう、この者が尋問の場に同席することを、固く禁じます!」
執政官は、震える声でそう言い放ち、俺を睨みつけた。
……最悪の失態だった。
感情に任せて行動した結果、俺はエルザのそばにいることすらできなくなってしまった。
その日から俺は尋問室の外で、ただ無力に待機するしかなくなった。
扉の向こうから、エルザの悲鳴が聞こえてきはしないかと、常に神経を張り詰めていたが、幸か不幸か、そのような声を聞くことはなかった。
しかしあの忌まわしい押し問答は、ただ淡々と続けられているようだ。
それから、さらに数日が過ぎた。
連日の「聞き取り」という名の精神的な拷問に、エルザは日に日に憔悴していくのが分かる。
目の下の隈は深くなり、かつての輝きは失われつつあった。太陽の光以外で、彼女がこれほどまでに心身の調子を崩すのは、初めてのことだった。
俺は、部屋の外で待つことしかできない自分の無力さに苛まれながらも、何かできることはないかと必死に足掻いた。
衛兵たちに、エルザの無実を訴える嘆願書のようなものを提出できないか掛け合ってみたり、僅かな可能性に賭けて、エルザの父君と繋がりがあった貴族に接触できないか調べたりもした。
だが、どれもこれも何の成果も得られなかった。巨大な陰謀の壁は、あまりにも厚く、高かった。
一方で、僅かながら分かったこともある。
エルザの気分転換になるようなものを購入したいと衛兵に相談したところ、外出が禁止されているのはエルザだけであり、従者である俺の外出は特に制限されていない、ということだった。
それを知ってからは、俺はわずかな希望を託し、曇りの日を選んで街へ出た。市場を歩き回り、エルザが好みそうな色とりどりの花や、ジュースにするための甘い果実を探し求めた。せめて、この絶望的な状況の中で、彼女の心が少しでも癒されるように、と。
そうして街へ出かけるようになった、ある日のことだ。
市場の喧騒から少し離れた裏通りに差し掛かった時、人混みの中に、どこか見覚えのある、怪しい男の姿を見つけて、俺は思わず足を止める。埃っぽい外套、猫背気味の歩き方、そして何より、あの油断ならない目つき……。
……間違いない。あの時の男だ! 俺たちの領地で誘拐事件を起こし、惜しくも取り逃がした、あの忌まわしい男!
俺はすぐにでも飛びかかっていきたい衝動を、俺は必死で抑え込む。
奴はこちらに気づいていない。だが、何かを警戒しているような素振りを見せている。下手に動けば、また逃げられるかもしれない。
俺は距離を取り、気配を殺して、奴の動向を注意深く窺うことにした。
男の動きは、明らかにこの裏通りの地理に精通している者のそれだった。だが、尾行されることには慣れていないのか、俺の存在には全く気づいていないようだ。
男の後を追い、さらに薄暗く、入り組んだ路地裏へと足を踏み入れる。そこは、埃と汚水と、そして堕落と諦めの匂いが漂う場所だった。
……エルザに拾われ、この掃き溜めのような場所から抜け出して、もう随分と時が経った。だが、ここは何も変わっていない。
俺はわずかな懐かしさと強烈な嫌悪を振り払い、男の追跡に集中する。
男は、まるで影のように、ひっそりと目立たないように移動しながら、さらに人気のない、袋小路のような路地裏へと入っていく。その奥で、男は立ち止まり、壁際に寄りかかっていたフードを目深にかぶった別の男と、何やら小声で話し始めた。
俺は、近くのゴミの山の陰に身を隠し、息を潜めて、その会話に耳を澄ませる。
「……ほらよ、これが今回の報酬だ」
「……ちっ、これっぽっちかよ。しけてんな」
フードの男投げ渡した、小さな革袋の中身をみて、誘拐犯の男が、不満げに吐き捨てる。
「当たり前だろうが。結局、捕まえて来たのは、あのババア一人だけだったじゃねえか。指示通り、五、六人くらいまとめて攫ってくれば、相場通りのきっちりした額を払ってやったさ」
「何言ってやがる! てめぇらが、『子供は後でまとめてじゃないと引き取らねえ』なんて、ケチな条件をつけやがったせいで、余計な手間がかかったんだろうが! そのせいで、集めてる間に、あのガキを置き去りにする羽目になったんだぞ!」
「知ったことか。これはお貴族様が絡んだ、でかいヤマなんだよ。お貴族様のご要望に応えられなかった、お前が悪いんだろうが」
「けっ! わざわざあんなクソ田舎まで行って、人さらいなんざやったってのに、金払いを待たされた上にこれぽっちじゃあ、全く割に合わねえぜ……」
間違いない。やはり、この男が、俺たちの領地で誘拐事件を起こした犯人だ。そして……。
……『貴族が絡んでいる』、だと? やはり、俺の推測は当たっていた。もう一人のフードの男は、その貴族から依頼を受けて、この男を雇った、いわば仲介役か……?
今すぐ飛び出して、二人まとめて締め上げ、全ての情報を吐かせたい。だが相手は二人。ここで騒ぎを起こせば、他の奴らに見つかって袋叩きに遭う可能性もある。
それに、まだ何か重要な情報を喋るかもしれない。もう少しだけ、様子を見るか……。
「……で、そのお貴族様ってのは、どこのどなたなんだよ?」誘拐犯の男が、興味本位で尋ねる。
「……てめぇが聞いて、どうする気だ?」
「別に、たいしたこっちゃねえよ。ただの酒の肴にするだけさ。なあ、いいだろう?」
フードの男は、少しの間、黙考した後、面倒くさそうに答えた。
「……まあ、いいだろう。表向きは、クリュクス伯爵家からの依頼ってことになってる。だがな……実際は、もっと上の……おそらくは、侯爵家以上の、かなりでかいところからの依頼らしいぜ」
「……おそらく?」
「ああ。何枚も人間が間に入ってるんでな。俺にも、本当の黒幕が誰なのかまでは、分からねえさ。お前らの好きな、『風の噂』ってやつだ。それで満足か?」
「へへへ……。まあな。これで、今夜の酒のネタが一つ増えたってもんだ。ありがとよ」
誘拐犯の男は、下卑た笑みを浮かべ、再び受け取った金を確認すると、さっさとその場を離れた。路地裏を抜けて、おそらくは近くの安酒場にでも向かうのだろう。
……よし。今だ。一人になった今なら、捕まえられる。
俺は、男の後を追って、音もなく背後に忍び寄り――。
「……ああ、そうだ。一つ言い忘れていた」
突然、立ち去ったはずのフードの男の声が、背後から聞こえた。
「次の仕事なんだがな。今度は、貴族の娘を完全に潰すために、何か脅迫のネタになるような材料を……、誰だ!? 貴様っ!?」
フードの男が俺の存在に気づき、鋭い声で叫ぶ。その叫び声で振り返った誘拐犯の男もまた、俺の顔を見て目を見開いた。
「ん? ……あ!? て、てめぇは、あの時の……!」
しまった! 油断した! なぜ、あの男が戻ってきた!?
……逃げるか? いや……もう遅い。それにここまで来て、手ぶらで帰るわけにはいかない!
ここで二人まとめて捕らえて、無理矢理にでも吐かせてやる!
俺は覚悟を決め、まず、目の前の誘拐犯に一気に距離を詰めた。
「お前だけは、絶対に逃がさない」
「な、何をする気だっ……ぐあっ!」
俺は、驚きに硬直している誘拐犯の襟首を掴むと、渾身の力で近くのレンガ壁に叩きつけた。鈍い衝撃音と共に、男は崩れ落ち、動かなくなる。
「なんだこの馬鹿力は…! こいつ、本当に人間か!?」
よし、あとは、もう一人……!
だがフードの男は、俺が誘拐犯を仕留めたのを見て不利をさとったのか、近くの古びた建物の扉へと逃げ込んでいく。
「ちっ!!」
直後、建物から、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
……侵入者を知らせる合図か! まずい、このままでは、あっという間に囲まれる!
俺は、気を失っている誘拐犯を担ぎ上げ、一刻も早くこの場を離れることにした。