第24話 王都へ、再び
「……分かりましたわ。王国議会のご判断に従います。早速、王都へ参り、この身にかけられましたる汚名をそそぎ、全ての誤解をといてまいりましょう」
エルザは、動揺を微塵も見せず、貴族としての威厳を保ちながら毅然と答えた。
「賢明なるご判断、感謝いたします。それでは、準備ができ次第、こちらの馬車にて王都まで――」
「一つ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
エルザが、アリシアの言葉を静かに遮った。
「私はこれまで、ローソゼル家の者として、多くの人々の支えの中で生きてまいりました。もし、このまま私一人で王都にて生活することになりますと、不慣れなことゆえ、周囲の方々にご迷惑をおかけしてしまうやもしれません。どうか、私の身の回りの世話をさせるため、長年仕えておりますこの従者を一人、同行させることをお許し願えませんか?」
エルザは、俺を指してそう言った。アリシアは一瞬、訝しげに俺に視線を向け、眉をひそめたが、すぐに表情を引き締めた。
「……問題ありません。ですが、ローソゼル様、申し上げておきます」
アリシアの声は、より一層硬質なものになった。
「私は王国の正式な使者として、ここに参りました。
今回の召喚は、あくまで事件に関する『聴取』を目的とするものであり、貴方様を『罪人』として捕縛するために来たのではございません。
貴族であるローソゼル様に対し、我々が非礼な扱いをすることは本意ではない、ということを、まずはご理解いただきたい」
アリシアは、あえてエルザの立場を尊重する姿勢を示しつつ、しかし、その後に続く言葉で、厳しい現実を突きつけた。
「ですが、万が一にも聴取の結果、事態が最悪の結末を迎えた場合は――」
「分かっておりますわ」
エルザは、アリシアが最後まで言い終わる前に、きっぱりと言葉を重ねた。
「彼は、この件には全くの無関係ですもの。もし、私が王都にて何らかの罪によって裁かれるようなことになったとしても、彼はただの従者に過ぎません。その時はどうか、彼を責めることなく、そのまま故郷へ解放して差し上げてくださいませ」
自らの身よりも従者の身を案じるその言葉に、アリシアは一瞬、人間的な驚きの表情を見せたが、すぐに職務上の無表情を取り戻した。
「……そうですか。……承知いたしました」
「では、出発の支度を整えますので、館にて、しばしお待ちいただけますでしょうか」
エルザは優雅に一礼し、アリシアを館の応接間へと案内した。まるで、これから起こるであろう嵐の中心に、自ら静かに歩みを進めていくかのように。
神父が、心配でたまらないといった様子で、応接間に向かうエルザに駆け寄る。
「エルザ様……本当に、本当に大丈夫なのでしょうか……? 何か、私にできることは……」
「ええ、私は大丈夫ですわ、神父様」
エルザは神父を安心させるように、努めて穏やかな微笑みを浮かべた。
「しばらく留守にいたします。その間、この愛しい領地と、そして領民たちのことを、どうぞよろしくお願いいたします」
その微笑みに、神父も言葉を失い、ただ深く頭を垂れるしかなかった。
「……もちろんです。エルザ様……どうか、ご無事で……。我々は、いつまでもお帰りをお待ちしております」
アリシアが応接間で待つこととなり、エルザは扉の前で深く息を吐き、そして、俺の方へと向き直った。その瞳の奥には、これから始まるであろう過酷な運命への覚悟と、しかし隠しきれない不安が、複雑に揺らめいていた。
「レオ……」
彼女の声が、わずかに震える。
「勝手に話を進めてごめんなさい。私と一緒に……王都へ、来てくれるかしら?」
「もちろんだ」
迷うことなど、何もない。
「いつも言っているだろう? 俺はお前の――」
「――モノ、ね」
俺が言い終わらないうちに、エルザは俺の胸に強く顔を押し付けてきた。その小さな体は、微かに震えている。
「ありがとう……。大好きよ、レオ」
不意に囁かれた切ないほどの告白に、顔に熱が集まるのを感じたが、俺は努めて平静を装い、その震える体を壊れ物を扱うように、しかし力強く抱きしめ返した。
俺たちは、必要最低限の荷物を急いでまとめ、アリシアと共に、王都から来た馬車へと乗り込む。
神父には改めて、、しばらく留守にすることを伝え、領地の運営を正式に託した。
長年エルザを支え領民たちからの信頼も厚い彼ならば、俺たちが不在の間も、きっとこの地を守ってくれるだろう。
車輪が軋み、馬車がゆっくりと動き出す。
窓の外を流れていく、見慣れたはずの領地の風景が、やけに色褪せて見える。
俺たちが築き上げてきたささやかな日常が、風景と共に流れ去っていくような錯覚さえ覚えた。
「これから私たち、どうなってしまうのかしら……」
エルザが、窓の外を見つめたまま、か細い声で呟いた。その声は、風に消え入りそうだった。俺は、言葉を探す代わりに、そっと彼女の冷たい手を握る。
「王都で、俺たちの潔白を証明する。そして、ここへ帰ってくるんだ」
「……そうね。すべて終わらせて、またここへ戻ってきましょう」
エルザは力なく頷くが、その瞳には暗い影が落ちている。
正直に言えば、ここまで周到に罠が仕掛けられている以上、俺たちの無実を証明できる可能性は、限りなく低い。
だがそれでも、ここで全てを投げ出して逃亡する道を選ぶことはできなかい。
お尋ね者として追われ、日陰を渡り歩くような生活……。
かつて俺がいたような、泥と絶望にまみれた貧民街の片隅で彼女が生きていけるとは、到底思えなかったからだ。
ならば、たとえ万に一つの可能性しかなくとも、王都へ行き潔白を主張するしかない。
馬車は王都へと向かって重々しく進んでいく。窓の外の景色はゆっくりと、しかし確実に移り変わっていく。
王都への道のりは、これまで経験したどんな旅路よりも長く、重く、そして絶望的なものに感じられた。
長い道のりを歩んだ馬車は、ようやく王都に到着した。
しかし俺たちが案内されたのは、ローソゼル家の壮麗な本邸ではない。
「こちらが、あなた方が王国議会の決定があるまで、滞在していただく館になります」
アリシアが、感情の無い声で告げる。
「ここは……」
エルザが息を呑む。
そこは忘れようとしても忘れられない、かつて俺たちが住んでいた、忌まわしくも懐かしい別邸だった。
「現在の所有者であられるエルミテッド伯爵家より、館の一室を自由にお使いいただくよう、との仰せです。
また申し訳ありませんが、議会の許可なく外出することは控えていただきます。ただし、貴族としてのエルザ様の生活に対し、我々が不当に干渉することはございません。
館内である限り、ご自由にお過ごしください。……どうかなさいましたか?」
アリシアの無機質な説明を聞きながら、エルザは静かに答える。
「いえ……ただ、少し、懐かしいと感じただけですわ」
「……?」
アリシアは訝しげに首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
屋敷の中は、驚くほど閑散としていた。かつてあれほど大勢いたメイドたちの姿はどこにもなく、埃の匂いが鼻をつく。
庭は荒れ放題で、俺が徹底的に教育を叩き込まれた、あの教育棟と呼ばれる離れも、今は固く窓が閉ざされ、まるで廃墟のようだ。
「……ここにいたメイドたちは、どこへ行ったのかしら?」。
「詳しいことは存じませんが……」
アリシアは少しの間ためらった後、淡々と告げた。
「……伝え聞くところによりますと、先のローソゼル公爵閣下の暗殺に関与した容疑で、その多くが処刑、あるいは投獄された、とのことです」
その言葉に、エルザは息を呑み、悲しげに目を伏せた。
「そう……」
「中には、情報を吐き出すために地下牢に幽閉されたまま、日の目を見ることなく過ごしている者もいるとか……。いえ、失礼いたしました。これは、貴方様方には関係のない話でした」
アリシアの話を聞きながら、俺はかつてこの屋敷で顔を合わせたメイドたちの顔を思い浮かべていた。
俺やエルザに対して冷淡で、いけ好かない連中ばかりだったが……彼女たちもまた、ローソゼル公爵に連なる派閥の一員だったはずだ。
おそらく俺たちと同じように、巨大な陰謀の渦に巻き込まれ、捨て駒として葬り去られたのだろう。
「こちらが、エルザ様のお部屋となります」
アリシアの案内に思考を中断され、俺は部屋を見渡した。
そこは、二階にある客室の中では最も広く、良い部屋だ。だが一方で重々しい空気が漂っている。
「繰り返しますが、エルザ様の外出は許可されておりません。議会の決定が下るまで、しばらくはこちらに滞在していただくことになります。基本的に、館内での行動はご自由ですが、決して外には出られませぬよう、厳重にお願い申し上げます」
窓から外を窺うと、門と玄関口には、槍を持った衛兵がそれぞれ二人ずつ、微動だにせず立っているのが見えた。
さらに高い塀に沿うように、一定の間隔で別の衛兵が巡回している。
エルザが逃げ出さないよう、厳重に見張っているのだ。これはもはや滞在ではなく軟禁だった。
「……やはり、私たちは、全く信頼されていないようね……」
「しょうがないさ。今は耐えて、なんとか身の潔白を証明しよう」
「ええ……そうね……」
俺の言葉に、エルザは小さく頷くが、その瞳には深い失望が浮かんでいる。
そこで、アリシアは恭しく一礼をした。
「ご案内は以上となります。それでは、私はこれで失礼いたします。何か御用があれば、外の衛兵にお申し付けください」
アリシアが静かに部屋を退出していく。だが、俺の処遇については、まだ何も聞かされていない。
「……失礼、アリシア殿。私の部屋は、どちらになるのでしょうか?」
立ち去ろうとする彼女を呼び止め、尋ねる。
「ああ、レオ殿の部屋ですか。特に割り当てられてはおりません。館には空き部屋が多数ございますので、ご自由にお使いいただいて構わないかと存じます。……もし、ご希望であれば、かつてメイドたちが使用していた部屋にご案内いたしますが?」
「……では、それで結構です」
俺はエルザの部屋を出て、アリシアに案内されるまま、かつてメイドたちが寝起きしていたであろう、狭く質素な使用人部屋へと向かった。扉を開けると、かび臭い、忘れ去られたような匂いがした。アリシアは、俺が部屋に入るのを確認すると、一礼もせず、足早に去っていった。
一人きりになった部屋で、俺は重い扉を閉め、その場に崩れるように座り込んだ。そして、ようやく、押し殺していた深いため息をつく。
「ふぅ……」
まさか、またここに戻ってくるなんてな……。
明日からは、また別の戦いが始まる。
何としても、エルザの無実を証明しなければならない。




