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吸血貴族の愛し人  作者: SHノーマル
第二部
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第23話 忍び寄る影

翌日、エルザは領民たちの前で、誘拐犯を退け、囚われの子供を救い出したことを告げた。

見えない敵との恐怖に包まれていた村は、堰を切ったような安堵の声が響き渡り、エルザに感謝する声が聞こえてくる。


その光景に、俺の胸にもわずかながらの安堵が広がった。

攫われた女性は依然として行方が知れず、犯人も逃走中だ。素直に喜べる状況ではないが、それでもこの領地に一時の平穏が戻ったことは確かだ。

今後似たような事がおきないよう、俺は巡回や警備などの手配を進めていく。


それからしばらくして、領民たちが落ち着きを取り戻し始めた矢先のことだった。王都のラナリアから一通の手紙が届けられた。

エルザはその手紙に目を通すなり、まるで血の気が引いたかのように真っ青になる。


「どうした? ラナリアから、何か……不吉な知らせでも?」


俺の声に、エルザははっと我に返ったように顔を上げた。

その顔は深刻で、深く息を吸い込み、震えを抑えようとするかのように、手紙を俺に差し出してくる。


「王都の噂話についてだけど……私に関する噂が広まっているそうよ」

「……どんな噂だ?」


嫌な予感がしながらも、手紙を受け取り、文字を追う。

内容は王都での噂話に関する物であり、非常に丁寧な、しかし切迫感を伝える言葉遣いで書かれている。

それは俺たちの想像を遥かに超える、悪辣な噂だった。


“霧深い辺境の領主が、夜な夜な領民を攫っては、その生き血を啜り、己の糧としている”

“かつて追放された吸血鬼の一族が、復権を目論み、辺境の地で密かに力を蓄えている”


そんな荒唐無稽な、しかし聞く者の恐怖心を煽るには十分な噂が、王都で真実であるかのように囁かれているという。

それだけではない。悪趣味なことに、エルザをモデルにしたと思われる残虐非道な吸血鬼が登場する芝居まで上演され、人気を博しているというのだ。


あまりの内容に怒りに震え、手紙を持つ手に力が入る。


「馬鹿げている……!」

「……ええ。本当に、馬鹿げた話。けれど、人々はこういう話を好むものなのね……」


エルザが力なく笑う。その笑顔は弱々しく、とても痛々しかった。


手紙はさらに続く。

一部の貴族に、エルザを無理やり担ぎ上げようとしている動きがあった事。

しかし、この悪質な噂を口実にして、その貴族たちは動きを封じられたという。

その貴族たちを完膚なきまでに叩き潰すために、大公の権力を引き継いだ貴族が「領地の調査」という名目で査察官を派遣しようとしているそうだ。


「……権力争い、か」


かつて俺がいた貧民街のように、権力への欲望を持つ者達が蠢き、エルザを巻き込もうとしている。

顔を上げると、エルザは窓の外を茫然と見つめていた。その小さく震える肩に俺はそっと手を載せる。


「……この根も葉もない噂を意図的に広め、真実に仕立て上げようとしている連中がいる、ということだな」

「……ラナリアは私たちに警戒するよう、そう忠告してくれているわ。……でも今の私たちにできることなんて……たとえ、どんな中傷を受けようとも、ただ誠実に日々を送ることだけよ」


手紙の最後には、ラナリア自身の「何があろうと、お二人を信じております」という、真っ直ぐな信頼の言葉が力強く記されていた。

黒い噂が絶えない王都の中心にいながらも、彼女は俺たちへの信頼を貫いてくれている。


その信頼にこたえるためにも、俺がエルザを支えてやらなければ。

俺はそう意気込み、この一連の出来事について考える。

この件、どうしても不可解な点があるのだ。


たとえば噂話では『領民を誘拐し』とあるがこれは……?


「……俺たちの領地で起こった、誘拐事件のことを指しているのか?」

「え? なにか言ったかしら、レオ?」

「いや……なんでもない」


俺の小さな呟きは、幸運にも彼女の耳には届かなかったようだ。


俺は一人、思考する。

誘拐事件が起こり、犯人が逃走してから、まだそれほど時間は経っていない。にもかかわらず、この噂は、既に王都で広く流布している。

これは……この領地で事件が起こるよりも前から、王都では既にこの筋書きが用意され、噂として流されていた、ということではないのか?


一体、誰が、何のために?


……やはり、貴族によって仕組まれた罠だろうか。エルザを社会的に抹殺するための、周到に準備された陰謀。ラナリアの手紙にもあった、父君の死後に激化した権力争い。

あの誘拐犯も、そのための駒の一つだったのか……?


……ローソゼル公爵直系の娘であるエルザ。本来なら継承権を放棄した彼女を担ぎ上げようとするなど、まともではないだろう。

その動きを阻止するために、敵対する勢力がこの悪評を流した。そう考えれば、一応の筋は通る。

だがそれは言い換えれば、無理をしてでもエルザを担ぎ上げなければならない理由があったという事。

……今回の件、もしかすると単純な派閥争いではなく、もっとおぞましい何かが、この事件の背後で蠢いている、のか?


「ねえ、レオ」


そのとき、俺の思考を遮るように、エルザが静かに話しかけてきた。

彼女は心配そうに、俺の顔を覗き込んでいる。

俺がよほど険しい顔をしていたのだろう。


「……どうしたんだ?」

「噂というものは、一度根付いてしまえば、消し去るのはとても難しいものよ。私たちがどれだけ否定しても、人々は、自分が聞きたい物語、信じたい物語の方を選んでしまうもの」

「そう、だな。……せめて、この馬鹿げた話を笑い飛ばしてくれる人が、一人でも多くいてくれればいいのだが」

「今は……私たちにできることを一つずつ、丁寧にやっていきましょう。どれだけ考えても、今はそれしかないわ」


エルザはそう言うと、無理に、しかし凛とした笑顔を作ってみせた。

そう、本来ならやましいことなど一つもないのだ。

堂々としていればいい。


だが相手は「領地の調査」という大義名分を振りかざし、いつ、どんな罠を仕掛けてくるか分からない。

こちらから王国に釈明の手紙を出せば、かえって疑いを深める事になるだろう。

俺たちは見えない敵意の網が、確実に俺たちを包囲しつつあるのを感じながら、息苦しい日々を送ることになった。




そしてある時、運命の日は唐突に訪れる。

再び王都から届けられた、一通の仰々しい封蝋で封じられた書状。差出人は、この国の最高執政機関である王国議会。その冷たく事務的な文面は、俺たちの抱いていた漠然とした不安を、残酷なまでに明確な現実として突きつけた。


エルザの領地で行方不明になっていた例の女性が、王都で……遺体となって発見された、というのだ。

エルザは同封されていた報告書を読み進めるうちに、みるみる顔から血の気が引いていく。


「そんな……。嘘よ……。なんて、こと……」


その手は小刻みに震え、今にも崩れ落ちそうだ。

俺も彼女から報告書を受け取り、その内容に目を通す。


そこには、亡くなった女性の「友人」を名乗る人物の、詳細かつ衝撃的な証言が記録されていた。

曰く、被害者は領主であるエルザに誘拐され、館に監禁され、その美しい容貌を保つため、あるいは満たされぬ食欲を満たすために、日常的に生き血を啜られていた、と。

協力者により命からがら王都まで逃れてきたものの、長期間にわたる虐待と衰弱により力尽き、無念の内に亡くなったのだ、と。


報告書には、ご丁寧にも被害者の身体的特徴が詳細に記されており、それは、俺たちの領地で攫われた女性のものと、疑いようもなく一致していた。


そして、書状の最後は、こう締めくくられていた。

『王国議会は本件の重大性に鑑み、領主エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルを王都に召喚し、直接事情を聴取する必要があると判断する』


俺たちも誘拐犯や被害者の女性については王国に届けていたはずだが、その件に関しては一切書かれていない。


……この手際の良さ。計算され尽くしたタイミング。

全てが、全ての辻褄が合い、一本の悪意の線で繋がった。

やはり、これは仕組まれていたのだ。


領地で攫われた女性は、王都で計画的に殺害され、エルザを社会的に抹殺するための、決定的な「証拠」として利用されたのだ。

友人を名乗る者たちは、おそらくだが、黒幕が金で雇った偽証人だろう。彼らは、涙ながらにエルザの「残虐行為」を証言し、彼女を断罪するための舞台を完璧に整えたのだ。


全ては、エルザ・ローソゼルという存在を、この世から葬り去るための、周到かつ卑劣極まりない陰謀だったのだ。


「私は……そんなこと、決して……」


エルザの声が、か細く震え、途切れそうになる。


「大丈夫だ!」


俺は、崩れ落ちそうになる彼女の体を強く支え、震える手を握りしめる。

しばらくの間、俺の腕の中で小さく震えていたエルザだったが、やがて顔を上げた。涙の跡は残っていたが、その瞳には、かろうじて理性の光が宿っている。


「……王都へ、行かなければならないわね」

「ああ。そして、奴らの目の前で、俺たちの潔白を証明する。そうだろう?」

「……ええ。……まずは、王都へ向かうための馬車の手配を――」


エルザが少しずつ立ち直り、気丈にも今後の準備について話し始めた、まさにその時だ。


「エルザ様! 大変です!」


神父が、普段の穏やかさからは想像もつかないほど慌てた様子で、館に駆け込んできた。


「王都から……王都から、王国議会の使者の方が、たった今、お見えになりました! エルザ様に、至急、王都へお越しいただきたい、とのことで……!」


予想外の事態に、俺とエルザは言葉を失い、ただ無言で顔を見合わせた。

エルザを陥れようとする者の企みは、俺たちの知らないところで着々と、恐るべき速度で進んでいたようだ。

そしてついに、その毒牙を伸ばしていたらしい。


「……神父様、その使者の方は今どちらに?」


エルザが震える声を抑え、努めて落ち着いた声で尋ねる。


「は、はい。館の門の前で、お待ちになっておられます。あちらに停まっている立派な馬車でお越しになられました」


神父もエルザの対応を見て、少し落ち着きを取り戻したようだ。

窓からそっと門の外を窺うと、確かにそこには、俺たちがこれまで見たこともないような、豪奢で威厳のある馬車が停まっていた。その黒塗りの扉には、王家直属の騎士団のものと思われる、獅子の紋章が誇らしげに描かれている。


「……お会いしましょう。ここから逃げても、何も解決しないわ」


エルザは一度、深く息を吸い込み、馬車へ向かって歩みを進める。


馬車の傍らには女性騎士が一人、凛とした姿勢で立っていた。寸分の隙もなく着こなされた騎士服、磨き上げられた長剣、そして何より、その揺るぎない眼差しからは、厳しい訓練と高貴な血筋を感じさせた。


「お初にお目にかかります、使者様。私が、エリザベート・フォン・ローザ・ミリオンディ・ローソゼルですわ」


エルザが先に名乗り、王家の騎士に対する最大限の敬意を込めて、深く淑やかに挨拶をする。


「お初にお目にかかります、ローソゼル様。私は王都第三騎士団に所属いたします、アリシアと申します」


女性騎士は、丁寧ながらも事務的な口調で応じた。


「本日は、貴方様に関する一連の重大な嫌疑につきまして、王国議会にて直接、真偽を確認させていただきたく、王都へのご同行を要請に参りました」


アリシアと名乗った騎士は、淡々と、しかし有無を言わせぬ圧力をもって、召喚の理由を述べた。

エルザに関する悪質な噂が王都で深刻な問題となっており、その真偽を確かめるため、王国議会の名において、正式な事情聴取を行いたい、との内容だ。


それは要請と言いつつも、もはや「お願い」ではなく、「命令」に近い響きを持っていた。

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