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吸血貴族の愛し人  作者: SHノーマル
第二部
22/31

第22話 誘拐犯

ラナリアを見送った後、応接室には重たい沈黙だけが残った。

窓の外で揺れる木々の葉音だけが、やけに大きく聞こえる。


「……これから、考えなければならないことが山積みね」


エルザが不安を滲ませながらぽつりと呟く。

俺たちの足元で起こっている誘拐事件。そして、王都で囁かれる悪質な噂。

二つの事象が、悪意をもって意図的に俺たちに絡みついているかのように感じられてならない。


「ああ。王都の噂も気掛かりだが……まずは目の前の脅威だ。この領地に潜む誘拐犯を、野放しにはしておけない」

「ええ。その通りね。レオ、まずはこの村を脅かす者の対処をお願いできるかしら?」


エルザの瞳には、領主としての強い意志が宿っている。


「承知した。神父様と村の者たちと連携して、必ず見つけ出す。エルザは心配せず、館で待っていてくれ」

「頼んだわよ、レオ。あなたを信じているわ」


エルザの信頼を背に、俺も巡回に加わる時間を増やして、森の深くへと足を踏み入れる。


だがこの土地特有の深い霧により、捜索は困難を極めた。

視界が白く閉ざされる中では、痕跡を見つけることも、遠くの気配を探ることもままならない。

まるで、霧そのものが犯人に味方しているかのようだ。

それでも必死に捜索をすすめ、さらに数日過ぎていく。そんな闇雲な捜索を続けていると、一つの確信が芽生える。


これだけ村中を探しても、犯人の決定的な痕跡が見つからない一方で、目撃情報は多数出ている。

地形を考えると山越えも現実的ではないだろう。

つまりこの状況は、犯人がどこかに潜伏し、息を潜めている可能性が高いことを示唆していた。


だが誘拐した人間を連れて森に長期間潜伏するのは容易ではない。食料と水の確保はどうしている?

この土地は霧深い。身を隠すには好都合だが、土地勘のない者が下手に動き回れば、それだけで命取りになりかねない。

つまり犯人の行動範囲は、俺たちが考える以上に制限されているはずだ。


人を隠しつつ、定期的に食料や水を調達できる場所。そんな都合の良い場所が、森の中で見つかる可能性は低い。

とすれば犯人は民家から食料を盗み、ほとぼりが冷めるまで特定のねぐらに留まっているのではないだろうか?。

ならば……狙いは食料だ。野菜や穀物、干し肉などの保存食。最近、不自然な盗難被害はなかったか? その線から辿れば、犯人の潜伏場所に繋がるかもしれない。


俺はその仮説を胸に、再び教会を訪れた。


「――というわけで神父様。最近、村で食料が盗まれたといった届け出はありませんでしたか?」

「食料の盗難、ですか……。そういえば、確かに……」

俺の問いに、神父は何か思い当たったように眉を寄せた。「王都へ続く街道沿いの、少し離れた民家なのですが……このところ、畑の作物や軒先に干していた保存食が、頻繁に盗まれるという話が上がってきております」


街道沿い。誘拐事件があった場所からは少し離れている。街道を通る商人や住民からの被害報告がなかったため、これまでの捜索範囲からは外れていた。

……そこに、犯人がいるのか?


確信に近い予感を覚えながらも、俺は慎重に行動することにした。捜索隊を動かせば、犯人に感づかれる恐れがある。ここは俺一人が動く方がいい。リスクは高いが、その方が静かに、確実に核心へ迫れるはずだ。

俺は神父に礼を言い、一人、その街道沿いの森へと向かった。


俺は五感を研ぎ澄ましながら、鬱蒼とした森の中を慎重に進む。探すのは、人の気配だ。

足跡、食べかす、不自然に折れた枝……どんな些細な痕跡も見逃す気はない。


しばらく進むと、湿った地面に真新しい足跡を見つけた。

それは獣のものではない、明らかに人間のものだ。近くには、乱暴に折られた小枝や、踏み荒らされた下草も見える。

……間違いない。この先に犯人がいる。


息を殺し、足跡を慎重に辿っていく。森はさらに深くなり、やがて木々に隠れるようにして、小さな洞窟の入り口が見えてきた。

足跡は洞窟の中へと続いている。

様子をうかがうために洞窟へと近づこうとして――カサリ、と小さな足音が聞こえた。

音を聞いた俺は反射的に近くの茂みへと身を滑り込ませる。


洞窟の入り口近くには、一人の見慣れない男が腰を下ろし、何かを貪るように食べていた。

日に焼け、荒んだその顔つきはここの村人にはない、かつて俺がいた貧民街の空気を思い出させる。

間違いない、目撃証言にあった男だ。奴が誘拐犯か……!


一歩、前に踏み出そうとして、俺は思いとどまる。

ここで仕掛けるのは危険だ。相手の力量は未知数。それに、洞窟の中に仲間がいる可能性もある。

万が一に備え、麓には村の者たちが数人待機している。


ここは一度退き、村人たちと合流して態勢を整えて一気に包囲しよう。

そう判断し、静かに後退しようとした、その一歩が命取りだった。

足元の枯れ葉の下に隠されていた細い糸に、俺の足が引っかかった。


リィン――!


その瞬間、静寂を破り、鈴の音色が鋭く鳴り響く。

……しまった! 侵入者を知らせるための罠か!


音に反応し、男は弾かれたように顔を上げる。驚愕に歪んだ男の顔と、俺の視線が絡み合った。

一瞬の硬直の後、男は食べていたものを放り投げ、脱兎のごとく駆け出す。


「待て!」


反射的に叫び、俺も逃げた男の後を追う。幸いにも相手は一人のようだ。ここで捕まえれば、全てが終わる!

だが、男は予想以上に森の中の地形に慣れていた。巧みに木々の間をすり抜け、俺との距離を保ち続ける。

……この土地に、これほど早く順応したというのか? 厄介な奴だ!


息を切らしながら追跡を続けると、不意に視界が開けた。木々が途切れ、切り立った崖の縁に出る。

行く手は崖だ。追い詰めたようだな。


「……行き止まりのようだな。大人しく捕まれ。子供と女性をどこへやった? 全て吐いてもらうぞ」


荒い息をつきながら、俺は男に詰め寄る。

だが、男は崖っぷちに立ちながらも、不敵な笑みを浮かべていた。


「へへへ……。行き止まり? 本当に、そう思ってんのか?」

「攫ったんだろう? どこにいる!?」

「ああ、あのクソ生意気なガキと、役立たずのババアのことか? ガキはまだ洞窟だが……あのババアは、もうとっくに王都に送っちまったぜ! あばよ!!」


言い終えるや否や、男は躊躇なく崖下へと身を躍らせた。


くそっ!何を考えている!

慌てて崖下を覗き込むと、そこは王都へ続く街道から少し外れた場所だった。崖の上は、街道を見下ろす絶好の隠れ場所だったのだ。


そして、崖下には、一台の馬と荷車が停められていた。荷台には大量の藁が積まれており、男はそれをクッション代わりにして、見事に着地した。

男はすぐさま身を起こすと手綱を取り、馬に飛び乗る。そして、鞭を入れ、あっという間に街道を走り去ってしまった。


「……くそっ! 用意周到すぎる……!」


俺は歯噛みしながら崖を降りる道を探すが、その時にはもう馬車の姿は小さくなっていた。


おそらく、あの荷車を使って、攫った女性を王都へ運んだのだろう。それにあの逃走経路の確保には入念な下調べが必要だ。

わざわざこんな辺境の領地まで来て、計画的に人を攫う……。単なる金目当ての誘拐にしては、あまりにも手が込みすぎている。


……ここで犯人を捕まえられなかったのは、致命的な失策だった。

わずかな手がかりでも見つけ出すため、俺は再び洞窟へと戻る。


洞窟の奥では、湿った岩肌の上に、冷たい鉄の手枷をはめられた小さな子供がぐったりと眠っていた。満足な食事も与えられなかったのだろう。その小さな体はあばら骨が浮き出て、痩せ細っていた。胸が締め付けられる思いで、俺は近くに落ちていた鍵を拾い上げ、そっと手枷を外す。


その気配に、子供はうっすらと目を開けた。

「……だれ……? たすけに、きてくれたの……?」


か細い声が、洞窟の中に虚しく響く。


「……すまない。来るのが、遅くなってしまったな」

「ううん……だいじょうぶ……。でもね、おばさんが……おばさんが、馬車で……」


途切れ途切れに語る子供の話によれば、攫われた女性は崖上から降ろされる形で、別の男(おそらく輸送役の仲間だろう)によって、数日前に馬車でどこかへ連れ去られたらしい。犯人たちは、もう何人か村人を攫い、まとめて馬車で運ぶ計画だったという。

……やはり、これは組織的な犯行だ。しかし、何故この領地を狙った?


俺は衰弱した子供を慎重に抱きかかえ、村へと急ぐ。

村に戻り、すぐに子供を医師の元へ連れて行く。

幸い、命に別状はないとのことだったが、心身ともに深い傷を負っていることは明らかだった。

子供を心配する家族の元へ送り届けた後、俺は重い足取りで館へと向かう。


犯人を目の前で取り逃がしたこと、そして攫われた女性を救えなかったこと……。

この結末を、エルザにどう伝えればいいのか考えると、足が鉛のように重かった。


館の扉を開けると、エルザが心配そうな顔で出迎えてくれた。


「レオ! おかえりなさい。……ずいぶん遅かったけれど……何か、あったの?」


普段と変わらないように努めているが、その声には隠しきれない不安が滲んでいる。俺のただならぬ様子を、彼女は敏感に感じ取っているのだろう。


「……今日、捜索中に、犯人と思われる男を発見した。すぐに追跡したが――」


俺は、今日一日の出来事を、ありのままエルザに報告した。

誘拐犯を発見し、追い詰めたこと。

洞窟で子供を発見し、保護したこと。

そして……最後の最後で、犯人を取り逃がしてしまったこと。


「――というわけだ。……すまない。あと一歩のところで、逃げられてしまった」


俯く俺の言葉を、エルザは静かに聞いていた。

俺が話し終えると、ただそっと近づき、労わるように俺の髪を優しく撫でる。


「……大変だったわね、レオ。ご苦労様。子供が無事で本当によかったわ。もちろん、あなたも無事でよかった」


その温かい手に、張り詰めていたものが少しだけ解けていくのを感じる。


「逃げ道まで用意周到に準備していたのなら、きっとそれはもっと大きな計画が犯人にあったのでしょう。でもあなたのおかげで、その計画を途中で阻止できた……それだけでも、大きな成果よ」

「……だが、攫われた女性は、まだ……」

「犯人の話では王都に送られた、と言っていたのでしょう? 私から……お父さ……いえ、王国へ正式に報告して、捜索を依頼しておくわ」

エルザはそう言うと、俺の肩にそっと寄り添ってくれた。その小さな温もりが、今は何よりも心強かった。

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