第20話 葬儀と陰謀
王都へと向かう馬車の中、エルザと俺は、ただ無言のまま向かい合って座っていた。
時折、エルザが俺の方へ視線を向けるが、すぐに伏し目がちになり、膝の上に置かれた手に目を落とす。
その沈んだ横顔を見た俺は、その手をそっと握る。エルザは驚いたように小さく肩を震わせたが、すぐに俺の手を握り返し、こくりと小さく頷いた。
向かいの席でその様子を見ていたロゼッタが、ふう、と小さなため息をつく。
「……まったく。こういう状況でなければ、レオさん、あなたのことを根掘り葉掘り問い詰めて、さんざんいじり倒して差し上げるところですのに」
王都にいたころはメイドとして、ロゼッタと共に仕えていたからな。だが、その事実が今さら明らかになったところで、もう過ぎたことだ。
「……いつから、私が男だと気づいておられたのですか?」
「確信したのは、舞踏会のためのダンスの練習をなさっていた時ですよ。実は、私はエルザ様だけでなく、あなたのことも監視するようにと、メイド長から命じられていましたから。まあ、それ以前から、なんとなく違和感は覚えていましたけれどね」
そうか。あの時は、エルザと二人きりでワルツを踊っていたな……。様々な会話を交わしたが、その時のやり取りや、あるいは不慣れな俺のリードの仕方から、何かを感じ取ったのだろうか。
「もちろん、当時のメイド長には、あなたの正体について報告などしていませんよ。誰も幸せになりませんから。
本当なら、なぜそのような偽りの姿で仕えることになったのか、その経緯を詳しくお聞きしたかったのですが……。残念ながら、今はそのような状況ではありませんものね。今後、もし機会があれば、その時にでもゆっくりと」
「……分かりました。もし、説明させていただける機会が訪れれば、その時はぜひ」
「ええ。私もこれ以上、今回の騒動に巻き込まれたくはありません。早々に役目を辞して、どこか田舎にでも引きこもる予定です。
次に会ったときには土産話として、教えてくださいね」
本来無関係であるはずの使用人としての立場にまで波及する可能性を考えているとは。
ロゼッタも、今回のローソゼル公爵の死が単なる病死ではなく、何らかの陰謀が絡んでいると考えているようだ。
王都の方は、想像以上に厄介なことになっているらしい。
「それほどまでに、大事になっているのですか?」
「……そうですね。様々な場所で、様々な人間が嫌疑をかけられ、時には濡れ衣を着せられて処刑されるといった事態も起きています」
ロゼッタは多くを語らなかったが、その言葉の端々から王都が不穏な空気に包まれていることは、十分にうかがえた。
そのような場所に、エルザを連れて行かなければならないのか。貴族であるエルザに対して、あからさまに無礼な態度や越権行為はできないだろうが……、それでも不安は拭えない。
そんな憂いを抱えたまま、馬車は王都へと到着した。
エルザは、ロゼッタに案内された客室で旅の荷物を解き、一息つく。
葬儀を取り仕切っているエルミテッド家の関係者が迎えに来るので、それまで部屋で待機していれば良いとのことだった。
エルミテッド家は、エルザとは遠縁にあたる家柄らしいが、エルザ自身は当主の顔も名前も知らないという。
翌日、予告通り、一人の執事が俺たちの部屋を訪れた。
「エルザ様でいらっしゃいますか? 私、エルミテッド家に仕える者でございます。葬儀の会場へご案内したく参りましたが、ご準備はよろしいでしょうか」
執事に案内されて向かった先では、既に葬儀が始まっていた。
空は薄曇りだったが、それでも雲間から漏れる太陽の光が、緩やかに周囲を照らしている。
俺は先に馬車から降り、日傘を広げて差し出し、エルザをその影の中へと丁重にエスコートした。
会場の様子を窺うと、司祭らしき人物が厳かに祈りを捧げ、葬儀は粛々と進行している。
一方、参列者の中には、葬儀よりも明らかにこちらに視線を向け、ひそひそと囁き合っている者たちがいる。
その視線の先にあるのは、日傘の下に立つエルザだ。
彼らから聞こえてくる囁き声は、決して好意的なものではない。そんな心ない言葉がエルザの耳に入らないよう、俺はさりげなく彼らとの間に立ち、少しでもその視線や噂話が届かないように努めた。
「どうぞ、あちらがエルザ様のお席になります」
「……そこは……何かの間違いではございませんか?」
案内の執事が示したのは、会場の後方だ。しかも、よりによって日光がもっとも降り注ぐ場所だった。
俺は思わず問い返し、執事は淡々と表情を崩さずに答えた。
「いえ、エルザ様のお席は、そちらで間違いございません」
エルザの体質を知らずにやったのか?
……いや、エルザが太陽の光に弱い体質であることは、ローソゼル家に関わる者であれば知らぬはずがない。それなのに、こんな席を用意するとは……。
俺は、ここからは遠く離れた前列に座る喪主――エルミテッド家の当主であろう人物の方を、鋭く睨みつけた。
少なくとも、主賓の一人でもあるローソゼル公爵の実の娘を座らせるべき場所ではない。
これは明白な侮辱だ。お前のことなど、この程度にしか見ていない、という無言のメッセージか。
俺は内心の憤りを抑え込みながらも、エルザの後ろに立ち、用意していた日傘を高く差し掛けた。
「エルザ様。陽光がお身体に障るといけませんので」
「……ありがとう、レオ」
エルザは力なく呟いた。
葬儀が終わると、俺とエルザは早々にその場を立ち去ろうとした
。本来であれば、喪主であるエルミテッド家への挨拶や、他の参列者への儀礼的な対応など、やらねばならないことは山ほどあるのだろう。
だが今のエルザをこれ以上、この王都の空気に晒しておくわけにはいかない。『日に長く当たったため、体調を崩した』とでも理由をつけて、一刻も早くここを去るに限る。
しかし、そんな俺たちの行く手を阻むように、見覚えのある男が近づいてきた。
前の舞踏会でも見かけたリュミオン家の当主、カラバル侯爵だ。
「これはこれは、エルザ様。この度は、誠にご愁傷様でございます」
「……お久しぶりですわね、カラバル様」
エルザとカラバル侯爵は、簡潔に挨拶を交わす。
カラバル侯爵は、一見すると穏やかで優しげな口調だが、その瞳の奥は氷のように冷たい。
……いったい、何の用だ。
「今回の葬儀は、エルミテッド家が主催となり、我がリュミオン家が全面的に協力させていただきました。本来であれば、実の娘であられるエルザ様に、葬儀の全てを取り仕切っていただくのが筋でございましょう。
しかし遠方の領地にお住まいでは、諸々の手配も難しかろうと拝察いたしました。
ローソゼル公爵閣下のお力は、亡くなられた後もなお絶大でございます。今後、その偉大な基盤を受け継ぐ者こそが、迅速にこの葬儀を取り仕切るべきであると考え、誠に勝手ながらエルザ様へのご確認を待たず、早急に手続きを進めさせていただいた次第。この点につきましては、深くお詫び申し上げます」
……一見すると、筋が通り、配慮に満ちた言葉のように聞こえる。だがロゼッタからエルザへの連絡が、意図的に妨害されていた事実を、俺たちは知っている。
つまり、カラバル侯爵の言葉は、「エルザが葬儀を取り仕切れなかったのは、遠方にいたせいだ」と暗に指摘しつつ、「ローソゼル家の権力はお前には渡さない」と宣言しているに等しい。
その飄々とした態度を崩さない彼の言葉の裏に、エルザを貶め、その立場を弱めようとする明確な悪意が透けて見えるのは、俺の考えすぎだろうか?
「……そうですか。申し訳ありませんが、父を失ったばかりの今、私には諸々のことを考える余裕がございませんの。それに、どのみち私が王都にいたところで、父上のような手腕を発揮することなど到底できはしないでしょう。エルミテッド家、そしてカラバル様におかれましては、葬儀の運営にご尽力いただき、心より感謝申し上げますわ」
エルザもまた、カラバル侯爵の揺さぶりに動じることなく、貴族令嬢として毅然とした態度で返した。カラバル侯爵も、表情一つ変えず、涼しい顔のままだ。
「左様でございますか。それならば、こちらも安心して補佐を務めさせていただきます。……ああ、そうそう、エルミテッド家の当主殿は、あまり面識のない方を信用なさらないお方ですので、おそらくエルザ様とは直接お会いになることはないでしょう。この私から、エルザ様のご挨拶は、代わってお伝えしておきますので、ご心配なく」
エルミテッド家の当主がエルザに会わないというのは、エルザがローソゼル家の中で疎まれている存在だと、周囲に印象付けるためか。それとも、エルミテッド家自身が、カラバル侯爵の操り人形に過ぎないということなのか?
……さすがに、腹黒い貴族たちの真意までは、俺には読み切れそうにない。
エルザは、憂いを帯びた表情のまま、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます。それでは、エルミテッド家の皆様には、よろしくお伝えくださいませ」
「承知いたしました。……そうそう、最後に一つだけ。エルザ様のその類稀なる美しさは、やはり辺境の領地で磨かれたものでございましょうか?」
カラバル侯爵は値踏みするような視線でエルザを見る。その言葉には、純粋な賛辞とは到底思えない、何かを探るような、あるいは揶揄するような響きが含まれている。
エルザの眉が微かに寄せられたが、彼女はすぐに平静を取り繕い、貴族令嬢としての仮面を崩さなかった。
「……私が美しいかどうかは、他の方がお決めになることです。もし、そうおっしゃってくださるのでしたら、それは領民たちが日々、心を尽くしてくれているからに他なりませんわ」
「ほう、そうですか。それはそれは……。ぜひとも、これからもその領地で、美しさに磨きをかけられますよう」
「ええ。それでは、ごきげんよう、カラバル様」
最後に、何か棘のあるような、含みのある言い回しを残して、カラバル侯爵はその場を去っていった。
小さく、安堵の息を吐くエルザに、俺はそっと寄り添う。
……これ以上、この場所に留まるのは、エルザのためにならない。
ここに居続ければ、この後も弔問を兼ねた貴族間の社交や、水面下での政治的な駆け引きが繰り広げられるのだろう。だが、そんなものは今の俺たちには関係のないことだ。そうした貴族社会のしがらみには関与しないという意思表示も込めて、さっさと退散させてもらうに限る。
「帰りましょう、エルザ様。俺たちの領地に」
「そうね。でも、その前に……」
エルザは、会場の奥に設えられた父の墓の方を、じっと見つめた。
「最後にもう一度だけ、お父様にご挨拶をしていきたいの」
俺は無言で頷き、エルザと共に墓前へと歩みを進める。
エルザは墓石の前に一人静かに佇み、目を閉じて祈りを捧げた。
しばらくの沈黙が流れた後、エルザはゆっくりと顔を上げる。
「行きましょう、レオ」
「はい」
本来なら、葬儀の後も数日は王都に滞在する予定だった。
だが、俺たちはその日のうちに帰り支度を済ませ、急遽、馬車を手配してもらう。予定より幾分か早い出発となったが、幸いにも問題なく対応してもらえた。
ただ、急な予定変更のため、別の仕事が入っていたロゼッタは俺たちを領地まで送り届けることはできないそうだ。見送りに出られないことへの謝罪の伝言が、別の従者を通じて伝えられた。
結局、帰りの馬車の中は、再び俺とエルザの二人だけになる。
馬車がゆっくりと動き出すと、エルザはどっと疲れが出たように目を閉じ、そっと俺の肩に体重を預けてきた。
「……ねえ、レオ」
「今は何も考えず、ゆっくり休め」
「ええ、そうね……」
俺は、できるだけ穏やかな声でそう言った。
その言葉に、エルザは少し安心したようだ。
「安心しろ。俺がついている。もう大丈夫だ」
「……ありがとう、レオ」
エルザが、そっと俺の手を握ってきたので、俺も優しくその手を握り返してやる。
そうしているうちに、やがて安心しきったかのように、彼女は穏やかな寝息をたてて、深い眠りに落ちていった。
この、今は無防備な寝顔を見せるエルザが、これから先も穏やかに過ごせるように、俺には何ができるだろうか。
俺は、彼女の小さな手を握り続けながら、静かにそう考えていた。