第2話 館と主人
館では、帰ってきたお嬢様を見て……いや、彼女に連れられた俺を見て、メイド達がそれぞれ驚きの表情を浮かべていた。
「お嬢様! どうされたのですか!? そのような小汚い子供など連れて?」
「奴隷として買ったのよ」
いきなりの嘘だ。
彼女はそっけなくそういうと、メイド達とは目を合わせようともしない。
訝しんだメイド達は、今の話が本当か、と馬車を御していた従者に問いかけるが、従者は「その通りです」と答えるだけだった。
彼の懐には、お嬢様から貰ったであろう金貨が入っている。
それが口を固くさせているに違いない。
……しかし、俺は奴隷か。
だが、呪術の類で契約したわけでもない。なんとかなるだろう。
「しかし、何もそのような痣と病に侵された子供など……。旦那様がなんとおっしゃるか……」
「どうせお父様は、ここには滅多に来ないでしょう?」
「ですが、本来はもっと使い勝手の良い奴隷を……」
「この子はもう私のモノなの! 分かったら、早く私の薬を持ってきて!」
それぞれに口を開くメイド達の言葉を遮り、エルザは苛立ちを隠さずに大声をあげる。
それを聞いたメイドたちは、困ったように黙り込んでしまった。
「分かったようね。じゃあ薬を……あ、その前にこの子を綺麗にするのよ? 風呂を浴びせて、それが終わったら薬を持ってきて。この子に塗るから」
「しかし私共は……いえ、分かりました」
エルザの怒声一つでおとなしくなったメイド達は、途中なにか言いたそうにしていたが、しぶしぶと指示に従って行動に移っていった。
メイドの一人が俺に話しかけてくる。
「それじゃあ、来なさい」
メイドの声色は、とても冷たい。
この俺の醜い肌に関わるのが嫌だという気持ちを、隠そうともしないのだろう。
……貧民街では見慣れた光景だ。
俺はメイドに連れられてエルザから離れ、長い館の廊下を歩く。
「……俺は今から一体何をさせられるんだ?」
「乱暴な言葉遣いの子供だね。教育もできていない奴隷商から買うなんて、お嬢様も人を見る目がないこと。それとも、そのボロボロの見た目に情けでもかけたのかしら」
俺が質問すると、メイドはいきなり冷たい視線で睨みつけてきた。
なぜそこまで敵意を向けられるのか分からない。
「いや、俺は……」
「ああ、質問は後にして。お嬢様が何を考えているか分からないのだもの。貴方がこれからどう過ごすかはお嬢様次第よ。ただ一つ、貴方のような病を持つ人間が、他のメイドと必要以上に接触しないようにして」
一方的にまくし立てられた後、会話はそこで打ち切られ、その後は話しかけても無視をされた。
途中からは無言のまま、メイドの後ろについて連れられていく。
着いたのは館の片隅にある小さな部屋だった。
お湯が入った大きめの桶と、使い古したであろう乾いた布が置いてある。
俺はそこで体を拭くように言いつけられる。
「ここで身体を洗いなさい。なるべく他のところには触れず、服はそこの籠に入れるように」
メイドはボロボロになった籠を指差す。
廃棄する予定の籠じゃないだろうか。
そこで別のメイドが、少し大きめのローブ……いや、粗末な貫頭衣を持ってきた。
「貴方の服は汚れすぎてこの館にはふさわしくありません。別の服が仕上がるまでこれを着ていなさい。体を拭き終わったら速やかに出るように」
どうも子供の俺に合う服がすぐになかったらしい。
新しい服は後日届くと教えてくれた。
……今まで着ていた服は処分されるようだ。
説明を終えると、二人のメイドはそそくさと部屋から出ていく。
俺に配慮した……というよりは、病で爛れた体を見たくなかったのだろう。
俺はさっさと体を拭いて汚れを落とし、用意された服を着る。
生地は厚手だが、二枚の布を紐で留めただけの簡易な代物だ。
俺は紐の長さを調整して、自分の体型に合わせるが、サイズが大きく膝下のところまで丈がある。
元々子供用のサイズじゃないんだろう。
外に出るとメイドが待ち構えていた。
彼女は俺が脱いだ服を直接触らないようにしながら、籠ごとどこかへ回収していく。
「これで、お嬢様の所へ案内する準備が整いました」
それからようやく、エルザがいるであろう部屋へと戻された。
通されたのは、大きな天蓋付きのベッドのある豪華な寝室だ。
そこにはエルザが一人、窓辺の椅子に座っていた。
俺の顔を見ると、退屈そうだったエルザの顔が、一気に笑顔になる。
「来たのね。さあみんな、後は私に任せて戻っていいわよ」
「しかし、この者が何かしら無礼を働きますと……」
「そんな事は心配しなくていいの。彼は私のモノだもの。でも気になるなら、そこでしばらく見ていても良いわよ。薬を塗るところを、ね」
「……いいえ。それでは失礼します」
メイドは深々と一礼をすると、静かに部屋から出ていった。
残ったのはエルザと俺の二人だけだ。
「さあ、まずは服を脱いで」
「……さっき体を拭いたばかりだ」
「そういう事じゃないのよ。さあ早く!」
彼女は他のメイド達と違い、なんでもない様に俺に話しかけてくる。
「お前は……。この病気が怖くないのか?」
「日に当たると悪化する、そういう病気なんでしょう? 私と同じだわ」
「それはそうだけど……そうじゃなくてだな」
「もうっ! いいから脱ぎなさい!」
エルザは俺の返事を待たずに、服を剥ぎ取ろうとする。
俺は抵抗したが、簡素な止め具と紐で各部を留めただけの服は簡単に解け、上半身を一部露わにしてしまう。
このお嬢様は、そんな事はお構いなしと言わんばかりに俺の体を見つめていた。
「……やっぱり、陽の光が強く当たったところは肌がボロボロね」
「随分と乱暴だな」
「貴方の言葉遣いほどじゃあないわ。今回は私が薬を塗ってあげるわね。感謝してもいいのよ?」
「薬? なんの薬だ?」
「貴方の病気を治す……というより、普通に近づけるための薬よ」
彼女はそういうと、半透明のクリームを指先でつまみ、手のひらで丁寧に広げる。
これが薬なのだろう。
柔らかく温かい手が俺の爛れた手に触れ、薬を優しく塗っていく。
塗られた部分から痛みが和らぎ、代わりにむず痒いような感覚へと変わっていく。
「痛みが……引いて、いく?」
「やっぱり効果があるわね。これは、私たちのような体質の人のために作られた薬なの」
「私……“たち”?」
「そうよ。たまにね、私たちの一族は太陽の光に弱い人が生まれるの。あなたと同じね。昔々の事なんだけど、先祖に同じ病の人がいたらしくて――」
エルザが語った内容によると、彼女の家系にも代々、その奇病に悩まされている人がいたらしい。
この奇病を治すために広く知恵を募り、ある錬金術師が薬を作ったという。
それをエルザの先祖が薬の製法ごと高値で買い取り、今に至るそうだ。
市中ではこの病気を発症する人がごく稀なので、薬もほとんど出回っていない、という話だった。
「へえ……」
「昔、この国には吸血鬼がいたそうよ。錬金術師様が言うには、私はその末裔なんだろうって」
吸血鬼の話は俺も耳にしたことがある。
貧民街で、俺も「吸血鬼の子供」と蔑んで呼ばれていた。
この病にそういう由来があった事までは知らなかったが。
「もしかしたら貴方もそうじゃない? ほら、こんなふうに八重歯が尖っていないかしら?」
エルザは、「いーっ」と言いながら唇を指で押し上げ、八重歯を見せつける。
彼女の歯は、たしかに普通の人より少し尖っているようにも見える。
だが、それよりも八重歯を見せるための顔が少しおかしくて、俺も思わずクスッと笑ってしまう。
「あら、やっぱりあるじゃない。鋭そうな八重歯が」
「……気にした事はなかったが、見えたのか?」
「ええ。ちょっと笑うだけで尖った牙が見えるなんて珍しいわ」
「そうかな……?」
笑った拍子に、牙のような八重歯が見えたようだ。
たしかに昔、貧民街で指摘された事はある。
だが貧民街には、薬品で顔が崩れた人間や、亜人との混血などという真偽不明の人間まで、実に幅広く個性的な顔の人間がたくさんいた。
あそこに居た人々に比べれば、自分の歯の形など誤差の範囲だろう。
「はい、両手と顔、首と背中まで塗り終わったわ」
俺は自分の舌で八重歯を触りながら、くだらない事を考えている間に、薬を塗り終わったようだ。
薬の効果は確かにあるらしく、ボロボロになっていた肌から痛みが急速に引いていく。
「じゃあ次は下半身ね」
「は?」
彼女は顔をこちらに近づけ、服を下半身から取り除こうとする。
「大丈夫よ。デリケートなところは触らないから」
「違う、そういう意味で言ったわけじゃない」
「良いじゃない。……? 同じ女の子同士だもの。優しくするから安心して」
「何……? もしかしてお前、何か勘違いしていないか?」
「何を言ってるの? もしかして、また言い訳をするつもり? ……えいっ!」
「お、おいっ!」
「……えっ?」
エルザが不意を突き、俺の服を留めていた腰紐を思いっきり引っ張る。
すると紐はあっけなくほどけ、俺の下半身を隠していた布がはらりと外れた。
目の前に現れたものを見たエルザが、ぴしりと固まっている。
俺は急いで服を取り戻し、紐を再び結びなおすが、少し遅かったようだ。
彼女は、自分には存在しないものを確かに確認したのだろう。
「え、え? あっ――」
エルザは微動だにしない。
だがその顔は、みるみるうちに赤くなっていく。
そして表情が大きく崩れ、悲鳴を上げそうになるも、慌ててエルザは自分で自分の口を塞いだ。
お陰で声はほとんど漏れていない。
互いに顔を真っ赤にしたまま、部屋を気まずい静寂が包みこむ。
しばらくして、ようやく落ち着いたエルザが口を開いた。
「……良かったわ。部屋にメイド達がいなくて」
「あ、ああ。……誤解は解けたか?」
「ええ、あなたが……その……男の子……だって……」
消え入るような小さな声で彼女はそう言った。
その後、恥ずかしいのか真っ赤な顔を手で覆い、下を向いている。
「ああ、その通りだ。俺は――」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
俺が喋ろうとすると、今度はエルザが俺の口を慌てて手で塞いで喋れないようにする。
そして、顔を近づけると囁くように耳元で声をかけてきた。