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吸血貴族の愛し人  作者: SHノーマル
第二部
17/31

第17話 香油

数日が経ち、エルザの顔にもようやく明るさが戻ってきたころ。

俺が当初に考えていた領地の特産品開発もまた、完成に近づいていた。


俺が開発したのは、村に自生する薬草をいくつか調合して作った香油だ。

実は、王都の一部では香油が密かな人気を集めている。そこで、この土地で採れるハーブを使った香油を売り出せないかと考えていたのだ。


もともと香油は、薬師が薬として調合し販売していたものだった。

しかし、その持続する良い香りが注目され、いつしか本来の薬効とは別に、体臭を隠すための嗜好品として高級娼婦たちの間で流行り始めた。

それに目をつけたのが、俺がかつて身を寄せていた組織のボスだ。ボスは薬効を度外視し、香り付けに特化した、より簡易な製法の香油を大量生産し、市場に流通させた。


結果として莫大な利益を得ることになったが、その一方で模倣する者は後を絶たず、やがて利権を巡る組織間の抗争へと発展した。


俺はその製造の一部を手伝わされていたために命を狙われる羽目になったのだが……それも今は過去の話だ。

その時の経験が、領地の発展に役立つとはな。人生、何が役に立つか分からない。


製法は、油に薬草を漬け込むという比較的単純なものを選んだ。錬金術師が用いるような高度な抽出法も知識としてはあるが、今は資金も限られているため、この方法で進めることにした。

単純な製法とはいえ、どのハーブを組み合わせるか、時間経過と共に香りがどう変化するかといった配合の探求には、予想以上に手間取ってしまった。


「ふう……。なんとか仕上がったな」


目の前のテーブルには、数種類の試作品の香油が、それぞれ十本ずつ、丁寧に小箱に収められている。


「これだけ種類があれば、どれか一つくらいは気にいってくれる人がいるはずだ」

「ええ、そうだといいわね」


隣でエルザが微笑む。

しばらくすると、遠くから教会の鐘の音が響いてきた。村全体に時を告げる、穏やかな音色だ。


「もうこんな時間か。そろそろ例の行商人が来る頃だな。もてなしの準備をしないと」

「ええ、うまくいくといいわね」

「ああ、問題ない。今日は試供品を持って行って貰うだけだからな」


俺はもてなし用のお茶と焼き菓子を用意するため、席を立った。

本来なら、給仕は他の者に任せて商談に集中したいところだが、今の館には俺とエルザ以外に満足に動ける者はいないからな、仕方ない。


一通り準備が整ったところで、玄関のベルが鳴る。どうやら、行商人のラナリアが到着したようだ。


「お待たせしましてすみませんなあ。どうにも初めてのモノを取り扱うとなると、調べる事が多くて」

「いえ、こちらも今しがた準備が整ったところです」

「レオさんは若いのに流石ですなあ。それじゃ早速、お話を聞かせて貰っていいでしょか?」


互いに当たり障りのない挨拶を交わした後、俺はラナリアを応接室へと案内した。

応接室で、俺とラナリアはテーブルを挟んで向き合うように腰を下ろす。


商談の間、エルザは別の部屋で日記を読み返すそうだ。


「先だっての手紙でお伝えした通り、今回試作した商品が王都で通用するかどうか、率直なご意見を伺えればと思いまして」


そう前置きし、俺はテーブルの上に手のひらサイズの小瓶をいくつか並べた。


「手紙にあった香油ですか。ちょっと匂いを嗅いでみます。……いい香りですなあ、これは何と何を混ぜて?」

「それは、この土地ならではの秘密の薬草を独自に調合したものです」


俺は笑顔を崩さずに、それとなく製法に関する質問をかわす。ラナリアもその意図を察したのか、「ああ、左様で」と返し、それ以上は深く追求してこなかった。


香油の主原料は、この地方に自生するリューデリアだ。

それを中心に他の薬草をいくつか配合している。将来的には村人たちに採取を依頼する予定なので、情報が漏れるかもしれない。

だが、そこから情報を得たとしても、正確な配合比率を特定するのは至難の業だろう。そこは抜かりなくやっている。


「これなら……そうですねえ、少なくとも銀貨数枚は行けると思います。香りが長持ちすれば……配送中に劣化しなければの話ですが」


「そうですか。では、試供品としてこちらを数十本ほどお渡しします。王都へ行かれる際に、人々の反応を見てきていただけませんか?」

「仕入れ代がいらんのなら、こっちとしても大助かりです。……けど、ホントに構いません?」

「ええ。目先の利益よりも、互いにとって価値のある取引を長く続けることの方が重要ですから」


もちろん、油や瓶の代金はかかるが、試作品の段階では大した額ではない。そんな些細な費用にこだわるよりも、まずは王都での反応を探り、その上で本格的な交渉を進める方が得策だ。


「もし、この香油が王都で安定して売れる見込みが立てば、将来的には信頼できる専属の方に販売を一任したいと考えています」

「へえ……。領主様お抱えの商人ともなれば、そりゃあホクホクでしょうなあ」

「もちろん、話がうまく進めば、の話です。販路の確保など色々と費用もかかるでしょう。その際は、こちらで必要な資金を負担する用意があります」


ラナリアは、明らかに破格の条件に目を丸くしている。

専属契約は、こちらにとってもメリットが大きい。運搬や価格交渉、そして何より製法の秘密保持といった手間やリスクを軽減できるからだ。

安定した販路が確保できれば、継続的な収入源となるだろう。この条件なら、彼女も本腰を入れてくれるはずだ。


「もちろん、これはあくまで香油が売れた場合の話です。結局は売れなければ、何の意味もありませんからね」

「そこは商人の腕の見せ所でしょうなあ。ウチも辺りから集めた売りモノが集まってきてますんで、近く王都まで行く予定です。それでよろしいでしょか?」

「ええ、結構です。では、こちらを」


俺が傍らに置いていた木箱を差し出すと、ラナリアは恭しくそれを受け取った。


「……確かに。こちら預かります」

「ええ。良い知らせをお待ちしています」


その後、以前から話していた館に必要な備品や、移動手段としての馬の購入についても打ち合わせを進めた。

一通りの用件が終わると、ラナリアは香油の入った木箱を大事そうに抱え、館を後にした。

あとは、王都での反応がどう出るか。吉報を待つばかりだ。


ラナリアを見送ると、エルザが部屋から顔を出した。


「どうだった? 話は終わったの?」

「ああ。うまくいけば、この村にも新しい仕事が生まれて、少しは豊かになるだろう」

「きっと大丈夫よ。レオと私が、一生懸命考えて作ったものだもの」


エルザは屈託なく微笑み、俺を励ましてくれる。


今回の香油作りが軌道に乗れば、この土地に農業以外の新たな産業を生み出せる。そうなれば、領民たちの暮らしも少しは楽になり、村全体が活気づくはずだ。


「これで村の暮らしが少しでも良くなるなら、領民の皆さんの願いも、もっと聞いてあげられるようになるのだけれど……」


エルザが少しだけ伏し目がちに呟く。


「また誰か、陳情にでも来たのか?」

「ええ。昨日は、掃除に来てくれた酒場の女将さんから、壊れたままになっている井戸のことで相談を受けたの」


エルザは、バーレイ神父を通じて、あるいは館に手伝いに来てくれる村人から直接、村の現状や悩みを聞き取っているようだ。領主としての役割を果たそうと、真剣に彼らの声に耳を傾け、自分にできることを考えている。


ただし、資金面に関しては、エルザ個人の資産を安易に使うことは俺が諌めている。安定した収入源がなければ、結局は一時しのぎにしかならず、かえって状況を悪化させる可能性すらあるからだ。


それでも、領民の話をする時のエルザは、実に生き生きとしている。

今はまだ資金的な援助はできないものの、村人たちとも少しずつ打ち解け、信頼関係を築き始めているようだ。彼女の領主としての生活は、きっと良いものになるだろう。そう思えた。




行商に出ていたラナリアが戻ってきたのは、予想よりも随分と遅く、年が明け、ちらほらと白いものが舞い始めた頃だった。

遅れる旨の手紙は届いていたものの、肝心の香油の件については多くが語られておらず、俺は少なからず気をもんでいた。


いつ来るか、いつ来るかと待ちわびていたある日、唐突なノックの音と共に、彼女は館を訪れた。

村へ着くなり、まっすぐに俺たちの館へ向かってきたらしい。その息遣いからは、興奮し、急いできた様子がうかがえた。


「予約もせずいきなりお邪魔してすみませんなあ。すぐに領主様に報告せんと、心配するかと思いまして」


雪を払いながら、ラナリアは快活に言い放つ。


「私たちを気遣ってくださり、ありがとうございます。どうぞ、お気になさらないでください。お茶を用意しますので、少しお待ちいただけますか」


いつもの応接室に彼女を招き入れ、話を聞く体勢を整える。

エルザを先にソファに座らせ、俺は用意していた茶葉に丁寧にお湯を注ぐ。……少し、蒸らし時間が必要か。


「茶葉が良い香りでこの部屋を満たすまで、今しばらくお待ちください」

「いやいや、レオさん! そんな悠長にお茶なんぞより、もっと大事な話があります! こっちを先に聞いておくんなさい!」


ラナリアは鼻息も荒く、興奮冷めやらぬといった様子で、俺にも早く座るよう手招きする。よほど良い知らせなのだろう。

……だが、少し急ぎすぎているな。こういう時こそ冷静さを欠いては、思わぬ見落としをするものだ。


「おや……? 私の淹れるお茶では、ご不満でしたか? どうも、お口に合わないようで申し訳ありません」


わざと眉を下げ、残念そうな表情を作ってみせると、ラナリアは途端に慌てふためいた。


「あ、いや、違います! お茶が不味いとか、そういうわけじゃ、決して! そんなんより……ええと、そんなんちゅうのはお茶がどうでもいいとか、そう意味と違いますから!」

「ふふ、ご心配なく。お茶の味には、それなりに自信を持っておりますので。……おや、ちょうど良く蒸らせたようです。さあ、どうぞ。この香りで、まずは一息ついてください」


俺の悪戯っぽい笑みで冗談だと察したのか、ラナリアはバツが悪そうな顔で肩をすくめた。俺は紅茶をカップに注ぎ、彼女に手渡す。促されるままに一口含み、ふう、と息をつくラナリア。


「どうです? 少しは落ち着かれましたか?」

「……いやはや、ちいとばかりがっつきすぎたようで。レオさんには敵いませんなあ」

「こちらこそ、少々おふざけが過ぎました。申し訳ありません」


前のめりだったラナリアも、俺のささやかな茶番で少し頭が冷えたようだ。ようやく落ち着きを取り戻した様子で、王都での出来事を語り始めた。


「ウチの知り合いの店に香油を持てったら、たまたま、そこに名の知れた娼館の楼主が居合わせましてな。その方が面白がって、試しにいくつか買ってくれたんです」

「それは幸先の良い。それで、評判のほどはいかがでしたか?」

「それが、えらい好評でして! なんでも、香りが良いのはもちろん、虫除けの効果もあるってんで、大層喜んどりました。ぜひとも大量に注文したいって、そう言われてきたんです」

「虫除け……ですか」


彼女の話によれば、娼館という場所柄、どうしても衛生面での問題、特に虫の発生には頭を悩ませていたらしい。様々な対策を講じていた中でも、俺たちの香油の虫除け効果が際立っていたというのだ。これは思わぬ副産物だが、願ってもない追い風だ。


「かなりの量の注文だったんで、ちょいと迷ったんですが、一応はお二人に相談しないで受けたらいかんと思いまして、作れるかどうか確認してから、もし可能なら次にお渡ししますって、そう伝えておきました」


ラナリアはそう言って、注文量が記された羊皮紙をこちらへ差し出した。

……なるほど、確かに相当な量だ。彼女が一旦持ち帰って聞いてくれては助かった。


量を作るとなると、人手も時間も必要になる。芋などの農作業が主な領民に、文字通り畑違いの仕事を大量に割り振るわけにもいかない。

下手をすれば、今年の収穫にまで影響が出かねないからな。


だが時間さえかければ、少しずつ仕事を慣らすことで無理なく対応できる。

問題は労働力の確保と、そのための資金だが……。

俺がエルザに目配せをすると、彼女は小さく頷き返した。


「人手については、私から領民の皆さんに相談してみますわ。必要な費用に関しては、こちらで工面しますので、どうぞお気になさらないで」


エルザがそう言ってくれる。

提供する資金は、彼女の父からの仕送りではなく、エルザ個人の貯蓄から出すことになった。幼い頃から使い道のなかったお小遣いが、今ではそれなりの額になっているらしい。


材料となるリューデリアは、近くの山に入れば容易に手に入る。あとは、村長に掛け合い、労働力をこちらへ回してもらえるよう調整するだけだ。


「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。つきましては、いろんな契約書を交わしますんで、そちらの条件を教えてください」

「そうですね。まずは資金提供とその見返り、利益配分について。それから今後この商いを続けていくならば、ある程度の製法は共有せざるを得ないでしょう。それらを踏まえた守秘義務と、あとは――」


俺はラナリアと、細かい契約内容について詰めていく。当然、合意に至るまでには一日では足りず、数日を要したが、最終的には互いに納得のいく、実りある契約を結ぶことができた。


その甲斐あってか、香油の売り上げは順調に伸びていった。ラナリアが行商に出るたびに、王都では香油の名が、少しずつ、しかし着実に広まっていくことになった。

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