第14話 領地巡回
翌日、約束通りバーレイ神父が館に姿を見せ、改めて挨拶をしてくれた。
神父から見れば、俺たちなどまだ子供にしか見えないだろうに、まったく律儀な人だ。
「領主エルザ様。改めまして、この度の御着任、誠におめでとうございます。どうぞ、貴女様の新たなる道に神の祝福と成功がありますように」
「心温まるお言葉、痛み入ります。私もこの領地の発展と、村人たちの安寧のため、貴族としての責務を全うすべく努力いたしますわ」
「ありがたきお言葉、まことに恐悦至極に存じます。この領地では、ささやかながら芋と薬草を我々の誇りとしております。本日は実物をお持ちいたしましたので、ぜひご賞味いただければと……」
神父は堅苦しい儀礼的な挨拶の後、本題である領地についての話題を切り出してきた。
実に丁寧に現状を説明してくれる。
どうやら、こちらが主目的のようだな。
神父の話を要約すると、ここの土地は痩せており貧しく、これといった名産と呼べるものはないそうだ。
ただし、獣はそれなりに獲れ、毛皮を税として納めているらしい。
そこで、定期的に訪れる行商人との取引では、わずかな農産物や獣骨などを売って、生活の足しにしているそうだ。
「ご丁寧な説明、ありがとうございます。私も領民のために力を尽くしましょう。ところで、ご存知の通り、私の館は諸般の事情により使用人が不足しております。村の方々の中から、人を募ることはできませんでしょうか?」
神父の話を真摯に聞き入れたうえで、エルザは料理人や清掃人、そして庭園の管理などを任せられる者を探していることを告げた。
それに対して神父は困ったような顔をし、やや言いにくそうにする。
「その、使用人の件についてですが……。誠に申し訳ございません。これほどのお屋敷で常時働かせる人間を、村内から調達するのは難しいかと存じます。また、仮に村内から人を出したとて、ご領主様のお気に召すだけの仕事ぶりを提供することができるかどうか……」
申し訳なさそうに、神父はそう言った。
……だが、この館をこれまで手入れしてくれていた人間はいるはずだ。
専門の使用人ではないにしても、掃除洗濯などの雑務くらいはこなせるだろう。
エルザに目で合図を送る。
すると、俺の意図が伝わったのか、彼女は軽くうなずいた。
「困りましたわ……。それでは、これまで屋敷を綺麗にしてくれていた方々に、直接お願いすることはできませんか?」
「館の手入れは、村の者達が月に数回、交代で行っておりました。ですが、領主様に対しての礼儀作法なども含めますと、やはり……」
「構いませんわ。この広い屋敷も、私一人では最低限の場所しか使わないでしょう。もちろん、相応の給金もお支払いしますので、今まで通りの事をやっていただけないでしょうか?」
「……領主様がそれでよろしいとおっしゃるのであれば、問題はございません。給金もいただけるとあれば、村の者もきっとやる気を出すでしょう」
エルザからの提案に対し、神父は快く了承してくれた。
「それでは、これまで通り、村の者を交代で伺わせましょう。彼らは学こそありませんが、誠意を尽くしてくれる事は私が保証いたします」
「はい。それでは、今後の細かいことは、私の従者にお願いしますね」
そう言い、今度はエルザがこちらに視線を向けてきた。
よし、ここからは俺が対応するか。
俺はその視線を受け、神父に対して軽く会釈をする。
「私、執事のレオと申します。使用人の細かい取り決めを行う前に、まず、神父様には村の現状について、より詳しく教えていただきたいのですが……」
「よろしくお願いいたします、レオ様。王都に納める毛皮と農産物以外は、村の生活維持費として割り当てております。帳簿を御覧になりますか?」
「ええ、拝借いたします」
俺は神父が持ってきた帳簿を受け取り、丹念に収支を確認する。
……不正の痕跡はなさそうだが、色々と状況が厳しい。
現状でも、ぎりぎりで生活は成り立っているようだが、少なくとも贅沢できるような余裕は全くない。
何か不測の事態が起これば、王都からの支援を仰ぐ形になるだろう。
俺たちは王都から支援金が送られてくるという話だから、当面の生活には困らないが、領主として本格的に活動するようになると、色々と厳しい局面に直面するだろう。
「なかなかに難しい状況のようですね。差し支えなければ、村内を案内していただいても?」
「はい、勿論構いません。今からご案内いたしましょうか?」
「ああ、それですが――」
俺は自分たちの病について、簡潔に説明をする。
俺たち二人が同じ病を患っていると聞き、神父は最初は少し驚いた様子だったが、やがて納得したようにうなずいた。
「ああ、それでこの辺境の土地に……承知いたしました。それでは、霧の日にご案内いたしましょう」
「霧の日……とは?」
「はい、ここの土地は地形の関係で、おおよそ三日に一度、深い霧に覆われ、太陽が遮られるのです。古い資料には、エルザ様と同様の病に侵された方も、療養のために来られたと記録が複数ございます」
そんな変わった気候の土地があるのか。
なるほど、それでエルザがこの領地に。
エルザが病を患った時点で、ここへ送られてくることも、全て織り込み済みだったというわけだ。
「ここ数日は晴天が続いておりましたので、時期的には明日になるでしょう。もしもお急ぎでなければ、村が霧に覆われてからのご案内でもよろしいでしょうか」
この提案は、俺たちにとっても実に助かる。
馬車がなくなった今、日差しに直接身を晒すリスクは極力負いたくない。
だが、移動にいくつか問題があるな。神父に聞いてみるか。
「実は現在、所有する馬車がないため、エルザ様をどのようにご案内したものか、考えあぐねていたところです」
「左様でございましたか……。一日くらいなら、村の者から馬をお借りすることもできましょう。他に、時間はかかりますが、行商人を通じて――」
神父は行商人を通じて馬を取り寄せるための方法や、その際に行っている取引などを詳しく教えてくれた。
俺も興味があったので、熱心に話を聞く。
「――というわけでして、行商人は村の市場で商いを……おや、もうこのような時間ですか。つい話し過ぎてしまいました。レオ様の時間を過分に奪ってしまい申し訳ありません」
「ありがとうございました、神父様。おかげで、この村の事情を少しだけ知ることができました。神父様もお忙しい身の上ながら時間を割いていただきありがとうございます」
「はい。それでは明日、改めて村の案内にお伺いいたします」
時が経つのも忘れて、随分と話し込んでしまった。
神父も通常の仕事があるだろう。続きは後日にしてもらう事にして、今日は神父に別れを告げた。
翌日。
朝、目覚めた俺は窓の外を見る。
どうやら、神父の言っていた通りだ。
さほど濃い霧ではないが、それでも太陽の光を遮り、柔らかなものにしてくれている。
俺たちにとっては、実に都合が良い。
試しに外へ出てみると、ちょうど神父が馬を二頭、こちらへ連れて来るところだった。
昨日話していた移動手段だろう。だが……。
「お待たせいたしました。本日はこちらにてご案内いたします」
「ありがとうございます。ところで、こちらは移動用の馬でしょうか? 二頭しかいないようですが……」
馬の数を指摘すると、神父は申し訳なさそうな顔になり、深々と謝罪をしてきた。
「まことに申し訳ございませんが、ご用意できたのはこの二頭だけでした。私は歩いてご案内いたします」
「いえ、こちらこそ、急なお願いをしてしまいました。お気遣い、感謝いたします」
しょうがない、エルザ様と俺の分を用意してくれただけで感謝すべきだろう。
エルザ様も馬には乗れたはずだ。
ここは、エルザ様と村長、立場のある二人を馬に乗せて、俺は馬を引いて歩くのが最善だろうか。
「私は歩きますので、エルザ様と神父様はどうぞ馬に――」
「構いませんよ。私たち二人で、一つの鞍に乗ればよいのです」
エルザ様は俺の言葉を途中で遮ると、とんでもない提案をしてきた。
彼女は悪戯っぽく、俺の方を見て、にっこりと笑っている。
「ねえレオ、あなたが手綱を握ってくださらないかしら。馬術の基礎は習っているのでしょう?」
使用人である俺が、貴族と同じ馬に乗るのはよろしくないだろう。
だが一方で、まだ領主の顔が民に知られていない現状だと、貴族は分かりやすく馬に乗っていた方が威厳も保てる。
「その……エルザ様、外聞もございますので……。エルザ様だけが乗るというわけには……」
「私が良いと申しているのに……。仕方ありませんわね。それならば、私も歩くことにいたします」
それこそ、貴族であるエルザが自ら歩くなど論外だ。
だが、彼女もそれは百も承知で、わざとそう言っているのだろう。
……やれやれ、しょうがない。
「……それではエルザ様。不肖ながら、私がエスコートさせていただきます」
「ええ。よろしくね、レオ」
俺は先に馬に跨ると、エルザ様の手を取ってエスコートする。
彼女を俺の前に乗せ、後ろから抱きしめるような格好で手綱を握った。
エルザ様は、安心しきったように、俺にもたれかかるように体を預けてくる。
「お待たせいたしました。それでは、参りましょう」
「……はい。それでは、私も」
神父も俺たちの様子を窺ったのち、自ら馬に乗って案内をしてくれる。
最初に案内されたのは、村の畑だ。
「ここで主に作物を育てております。ただ、この霧により、どうしても作物に影響が出てしまいまして……育てられるのは主に芋、そして日陰でもよく育つ薬草になります」
王都でも貧民がよく口にしている芋類と同じような葉っぱが、畑から顔を出している。
隣の畑からは、あまり見慣れない植物が生えているが、これが例の薬草だろうか。
エルザ様が興味を持ったのか、馬からひらりと降りて、その草をまじまじと見つめている。
「変わった形の葉っぱね。神父様、この畑に生えている薬草は、どのように使われているのでしょうか?」
「この薬草は、滋養強壮を目的としたもので、錬金術師が病の治療に用いていると聞いております。使われるのは主に根の部分で、葉の部分は新鮮なうちは食べられますが、時間が経つと硬くなり、味も格段に落ちるため、残念ながら売り物にはしておりません」
神父は薬草を一つ、畑からするりと抜いて見せてくれた。
根は太く、小さな蕪のようだ。
近くで作業していた農民の一人がこちらを見ていたので、エルザ様が軽く手を振って挨拶をする。
それを見た農民は、やや不格好ではあるが、丁寧なあいさつを返してくれた。
次は、村の周辺を軽く見て、全体像を把握することにする。
周囲はその大半が山に囲われていて、ほかの領地へと続く道は、数えるほどしかない。
山には夥しい数の木々が鬱蒼と生い茂っている。
「この周辺は、どこも似たような光景となっております。最低限の手入れは行われておりますが、特に利用できるものもありませんので、現状はこのまま放置されております」
「木を加工するなどして、利用はしないのですか?」
これだけ豊富に木があれば、何か加工品や民芸品を作れないだろうか。
現状で生活に困ることはないが、今後の領地経営を考えると、新たな稼ぐための手段があるに越したことはないからな。
「代々の領主様で、同様のことをお考えになった方はいたと聞いております。ですがいかんせん、材木もこの霧の影響で常に湿気を帯びてしまい、厳格に管理しないとすぐに腐敗してしまうのです。そのため、利用が難しく……」
ああ、やはりこの霧がネックになっているのか。
俺たちにとっては恵みでも、普通に生活する分には邪魔でしかない。
なんとか有効活用できるよう、この地域の強みを探したいが、なかなか難しいな。
「ねえレオ。これを見て。とても綺麗な花が咲いているわ」
エルザの声で、思考が中断される。
ふと目を向けると、そこには紫を基調とし、縁に金色の差し色が入った、可憐な花がたくさん咲いていた。
エルザ様はその中から一輪の花をそっと摘んで、俺に見せてくれる。
その花から漂う香りは、どこか懐かしくもあり、それでいて高貴さを感じさせる、不思議な香りだった。
「わたくし、このような花は見たことがありませんわ。それに、とても良い香り……。これは、何という花なのかしら?」
「これはリューデリアと呼ばれる花でございます。この深い霧の中でよく育ち、村では古くから虫よけや熱冷ましに使われております」
神父が穏やかな口調で説明をしてくれる。
とても良い香りが広がるその花は、エルザの手から離れても、彼女の指先に優しく香りを残していた。
「じゃあ、これも薬草の一種なのですね。これも村の外に出荷しているのでしょうか?」
「残念ながら……これは太陽の光に当たるとすぐに萎びてしまい、薬効も著しく薄れてしまうため、使うのはもっぱら、村の者くらいでございましょう」
太陽に弱く、霧の中でしか咲かない花、か。
まるで、俺達みたいだな。
……その花を見ていて、ふと、ある考えが閃いた。
「神父様。一つお聞きしたいのですが、この花はこの地域に固有のものですか?」
「はい、この地域一帯、特にこの村ではどこででもよく見かけます。もっとも、領地の外ではあまり見かけませんが……。やはり、この特異な気候が、生育に影響しているのでしょう」
やはりそうか。
ならばこれは、この村特有の名産品と言えるわけだ。
……これなら、利用できるかもしれない。




