第11話 吸血衝動
怒涛の一日が終わったその翌日、俺は先生の所へ向かった。
昨日のお礼と、今回の件について、いくつか腑に落ちない点を尋ねるためだ。
「先生、先日はありがとうございました」
「どういたしまして。あなたに預けた服はお役に立ったかしら?」
「ええ。予想以上に。ところであの洋服についてですが……」
どうして予測できたのですか?
やはり噂通り魔法使いなのですか?
どのように質問を切り出そうかと考えていると、先生の方が先に口を開いた。
「そうですね。先に言っておきますが、私は魔法使いではありませんよ。私は少し人相見と星占いができるだけです」
「人相見……ですか?」
「ええ。占術の一つで、顔を見ることでその人の生き方や性格、その後の人生を読み解くものです」
それがどう関係あるというのだろうか。
その疑問を口に出す前に、先生は再び言葉を続けた。
「星の巡りと合わせて彼女を見ていました。占いによれば、彼女にあまり良くない事が起きる予定だったのですよ」
「……なら、直接お嬢様に伝えていただければ」
「星の巡りから来る不運を、人間の浅はかな知恵で避けようとすることは好ましくありません。より深い問題を招くことがあります。それに、あの子も楽しみにしていたでしょう?」
確かにエルザは今回の舞踏会を楽しみにしていた。
だが、だからと言って傷つけていいわけじゃない。
「他に方法があったんじゃないか、そう言いたいわけですね?」
「ええ……」
俺の考えを見透かしたように、先生は先に質問をぶつけてくる。
おかげで俺は何も言えずに、ただ頷く事しかできなかった。
「たとえ私の助言で今回の舞踏会を見送ったとしても、期待が大きかった分だけ、それは彼女の中でくすぶり続けたでしょう。それに、彼女を助ける男性がいれば、その痛みが軽減されることも占いに出ていました。あなたがその助け手となることを願って、あの服を用意したのです」
そこまで言われたら、俺には何も言うことはできない。
だが、そこまで見透かす力があるとは。
「それだけの力があるなら、講師など引き受けずとも、占い師を職業にすればよいのではないでしょうか?」
俺のその言葉に先生の顔がわずかに曇る。
その複雑な表情は、俺には理解しがたい何かがあることを物語っていた。
先生はしばらく沈黙し、外を眺めたあとで、自身の過去について語り始めた。
「占いを生業にしていたことはありますよ。私は昔、多少は名の知れた占い師でしたから。それがきっかけで貴族社会にも少しだけ顔を出していましたので、今はこのように先生としてやれています」
先生の話を詳しく聞くと、過去にある貴族の望む答えを出さなかったために、反感を買ったことがあるらしい。
先生は自分自身の行く末を占い、考えた結果、専業としての占い師はやめ、副業だけにとどめることを決めたそうだ。
「私はてっきり魔法使いか何かだと思っていました」
「奇跡を起こせる魔法使いは王城で囲われていますので、あなた方が目にすることはないでしょう。それに、そんな者たちに関わることなど無いほうが良いのですよ。ドラクル公のような伝説に謳われる力を持った魔法使いは、今はもうおりません。にもかかわらず、火種なしで火を起こせるだけでも傲慢になりますから」
どうやら、先生は魔法使い達に対して、あまり良い印象をもっていないらしい。
俺にとっては未来を見通す先生も魔法使いのようなものだが。
それならそれでいいか。
とりあえずその力を使ってもらおう。
「それでは先生、お嬢様のため未来を見て助言をいただけないでしょうか」
だが、先生は静かに首を振った。
「もう見ました。そしてその結果は伝えないことにしました」
「それは……何故……?」
「それはあまりにも大きく、防ぐことができず、また、それを伝えて防ごうとすること自体が、エルザの未来にとって悪い影響となるからです」
そういうと先生は俺を真っ直ぐ見つめてくる。
その表情はとても真剣で、ふざけている様子はない。
「今の選択があなたの未来を決めます。未来はあなたが望むようにはならないかもしれませんが、あなたの行動でおおよその形を決めることはできます。何が正しいのか自分で選んで決めること、それが今のあなたに一番大事な事です」
「……分かりました」
何を占ったのか詳細を教えてほしいが、ここで食い下がっても何も教えてはくれないだろう。
俺は大人しく引き下がろうと先生に背を向ける。
「ああ、でも一つだけ」
「……何でしょう?」
「彼女がどこかの貴族に嫁ぎ、悲しみに暮れるという未来は消えましたよ。よかったですね」
「……そうですか」
俺はそれ以上何も言うことが出来ずに対話を終わらせた。
廊下を歩きながら、一人考える。
何が正しいのか、か。
俺にとって何が一番良い結果なのだろうか。
エルザが幸せになってくれることか?
それとも、彼女を手助けして、陰から見守る事が俺の望みなのか?
……少し考えたが、答えは出なかった。
結局、先生と話をした以外はいつも通りの日常だ。
エルザは先生から教育を受け、その間に俺は掃除洗濯をおこなう。
習い事が終わるとエルザはベッドに突っ伏す癖があるので、一番綺麗にしておかなければいけない。
続けて窓や床、部屋の花瓶の水換えまでやっていく。
最後は風呂場だ。
豪華で大きな浴場を水垢がつかないよう、丁寧にこする。
エルザから許可を得て、俺はこの掃除の際に自分の体も洗ってしまっている。
どうせ俺しか掃除をする人はいないからな。
なんの問題もない。
何より、メイド達は使用人専用の風呂場をあまり俺に使わせたくないみたいだ。
俺も肌を見せないで済むのは助かる。
掃除が一通り終わるころには、礼儀作法の授業を終えたお嬢様が戻ってくる。
「ふぁあ。疲れたぁ……」
「お嬢様、はしたないですよ。お仕えするメイドとしては見過ごせませんね」
予想通りにベッドに突っ伏すエルザに注意をすると、彼女は不満そうな顔をした。
「もう! いいじゃないの、少しくらい」
「いいえ、貴方に仕えるメイドのリアとしてこれは見過ごせません」
俺は「リア」の部分を強調して悪戯っぽくそう言うと、エルザもその意味を察したようだ。
「……ならレオの意見は?」
「お疲れ様。どうせ俺しかいないし、ゆっくり休んでな」
「さすが! 話が分かるわね!」
そういうと再びゴロゴロとベッドの上で転がりだす。
なんだかいつものエルザと違い、今日は行動に貴族らしさ、というか仰々しさがないな。
……まあ、舞踏会の事は気にしていないようでよかった。
「おいおい、さすがにやりすぎだぞ」
「礼儀作法ってね。背中とか首が固くなるのよ」
「気持ちはよく分かるがな……。一応、お前は貴族なんだから」
「いいのよ。私はもう、そこまで人と関わらなくても良いのだから」
そう言った彼女はどこか拗ねたように後ろを向いてしまった。
前言撤回だ。
やはり前回の舞踏会が尾を引いているらしい。
「そんな事より、話の続きを読み聞かせて」
「まったく、しょうがないな。夕食の後にな」
俺は夕食を料理長から受け取り、エルザの部屋へ運ぶ。
……そこで違和感に気づく。
今日はなぜか、食事にあまり手をつけようとしない。
顔もほんのりと赤く、ぼうっとしている。
「どうした? 調子が悪いのか?」
「調子……? そうね、そうかもしれないわ」
「常備されている薬草があったはずだ。それを取ってこよう」
俺がそう言って部屋を出ようとすると、エルザは俺の袖を引っ張ってくる。
「ありがとう、レオ。……でも、今日はいいわ。私のそばにいて、夕食を食べさせて」
「……しょうがないな。今日だけだぞ」
そう言いながら額に手を当てて、熱を測る。
……熱はないようだし、一度様子見をするか。
少しだが夕食のスープを食べ終えた後は彼女の体調も落ち着いたようだ。
様子見を兼ねて、いつも通り彼女の部屋で本の朗読をする。
彼女が寝るまでの間の、お伽話の時間だ。
「“おお、友よ。彼女を助ける方法はないのか!” そう問いただすドラクルに友人の魔法使いは答えます。“もしも貴方に覚悟があるのなら、それは可能です” 魔法使いは秘術を用いてドラクルの持つ不死性の一部を分け与える方法を提案しました。ですが、それは禁忌の選択でした――」
そこでエルザが俺の袖を引っ張っていることに気が付いた。
朗読を止めてエルザの顔を見る。
エルザは潤んだ瞳で俺を見ていた。
「ねえ、お願いがあるのだけど……良いかしら?」
珍しく、どこか甘えたような声を出してくる。
……やはり体調が悪いのだろうか?
「何だ? いつも通り、できることならなんでも――」
「そう、なら失礼するわね」
「お、おいっ!」
最後まで言い終わらないうちに、彼女は俺の体にもたれかかってきた。
そして俺の首筋に顔を近づける。
いきなりの行動に俺の心臓がドクン、と大きく跳ね上がるのを感じる。
「お、おい聞こえているかエルザ。何をする気……痛っ!」
首筋に痛みを感じ、とっさに俺は身を引いてしまう。
エルザの方を見ると、口から一筋の赤い血が流れていた。
「あなたの血、美味しいわ」
彼女は妖しく微笑む。目はどこか虚ろで、恍惚とした表情だ。
俺はそっと自分の首筋に手をやると、ぬるりとした触感とともに俺の指が赤く染まる。
……これは俺の血、か?
俺の手に広がる血を見たエルザは、ハッと我に返ったかのように、オロオロと不安そうに慌てだす。
「ご、ごめんなさい。痛かったでしょう。今、手当をするわ!」
「いや大丈夫だ。……どうしたんだ、急に?」
ハンカチを取り出したエルザは俺の首元に当てようとしてくる。
さすがにエルザのハンカチを血で汚すわけにはいかないので、これを止めさせ、事情を聴くことにした。
「本当にごめんなさい。私、昨日からなんだか歯が疼いて……。ちょっと正気を失っていたみたい」
「気にするな。本当にたいしたことはないから」
俺はエルザをなだめようと近づこうとする。
だが、エルザは怯えたように距離を取った。
「ダメ! 近づかないで!」
「どうしたんだ? もう大丈夫なんだろう?」
「ごめんなさい。抑えようと思っているのだけど……昨日からあなたに噛みつきたくてたまらないの。これが……血の呪いなのね」
エルザは再びうろたえ、泣きそうになっている。
血の呪い? 初めて聞く言葉だ。
「その、血の呪いっていうのはなんだ?」
「この病気よ。私たちみたいに太陽に弱い人たちは、ある時から急に、近くにいる人の血が欲しくなるの。噂では血を吸った人はこの病気を移してしまうそうよ」
知らなかった。
そして同時に理解する。
……貴族たちのエルザに対する態度は、そういうわけか。
「あくまでも噂よ。先生は大丈夫だって言ってたわ。だけど……」
そう答えるエルザの表情は不安げだ。
だがその視線は俺の首筋に向けられている。
きっと俺の血が欲しくてたまらないのだろう。
……普通なら感染するかもしれないというのは、問題になるんだろうな。
だが、俺もエルザも普通じゃない。
「誰の血でも血を吸いたくなるのか?」
「いいえ。今のところそうなったのはレオ、あなただけよ」
申し訳なさそうな表情をして俺を見てくるエルザ。
「ねえ、レオ。もしあなたが嫌なら配属を見直すように――」
「問題ないな」
「え?」
俺はシャツを緩め、エルザに背を向けて肩を見せる。
「吸えばいいだろう? 俺も同じ体質なんだ。ちょっと血を吸ったところで変わらないさ」
「そんな……。でも、いいの?」
俺は返事の代わりにコクリと頷き、エルザに背を向けた。
さすがに正面から抱きつかれるように噛みつかれると恥ずかしい。
「……ありがとう、レオ」
「気にするな」
それだけ言うと、彼女はそっと俺の体に手を回し、首筋に再び噛みついた。
先ほどまでとは違い、とてもやさしく噛みついてくる。
「……っ!」
これは、マズいな。
痛みそのものは問題じゃない。というか、もはや痛みすらない。
最初は刺すような痛みがあったが、すぐに慣れた。
それどころかむず痒いような、変な感覚……妙な心地よさが傷口から伝わってくる。
しばらく血を吸う音だけが部屋に聞こえる。
やがて、エルザは落ち着いたのか牙を抜き、舌で傷口を舐めていた。
「落ち着いたな。気分はどうだ?」
「ありがとう、レオ。落ち着いたわ。とても美味しくて……癖になりそう」
「気にするな。もし欲しくなったら言えばくれてやるさ」
吸血は終わったようだが、エルザは後ろから抱きしめたまま離れようとしない。
「ねえ、もう少しだけ……。このままでもいい?」
「ああ、構わないぞ。俺はお前のモノだからな」
甘えるような声で尋ねてくるエルザに返事を返すと、エルザは傷口を優しく舐める。
しばらく互いに無言のまま、エルザがそのまま眠りにつくまで、静かな時間が流れていった。
翌日。
ロゼッタにエルザの吸血衝動を報告すると、メイド達は大騒ぎとなった。
一応、俺は血を吸われていないと嘘をついたのだが、メイド達はあまり信用していないようだ。
元々よそよそしかったメイド達だが、もうエルザの近くへは近づこうとしない。
――あの娘、本当に……?
――うん、メイド長が言ってたわ。だから皆は近づかないようにって
階段の踊り場から聞こえる若いメイド達のさえずりを聞き流しながら、俺はいつも通りの仕事をこなす。
メイド長から連絡があり、ロゼッタどころか、料理長やバロムのおっさんも含めて、直接エルザと接触することを禁止されたらしい。
メイドから俺への接触も最低限にとどめられている。
……これが普通の反応なんだろうな。
エルザと普通に接してくれるのは先生だけだ。
先生はこの病に関して知識があるのか、あるいは占いの結果なのか分からないが、普段と変わらず接してくれる。
エルザ本人はあまり気にした様子もないが、それでもあいつのケアをしてやらないと。
部屋に入ると、エルザは窓の外を眺めていた。
俺が部屋に入ると、窓からこちらに視線を移してくる。
俺は昨日のエルザの様子を思い出す。
……心なしか、俺も歯が少し疼いた気がした。
「ねえ、レオ。私たちはどうなってしまうのかしら」
「なにかあったのか?」
「メイド長から手紙を受け取ったわ。私が血を吸ったら渡すようにお父様から言われていたんですって」
手紙には、吸血衝動が起きた場合は、住居を移す手続きを進める、とのことだった。
物品の類は手に入りにくくなるが、結果的にそちらのほうが住みやすくなるだろう、とも書かれている。
正式な通達は王家を通じて送られるそうだ。
「……ここを引っ越すことになるのか」
「ええ。そうなるみたい。詳しくは分からないけれど……」
「どうもしないさ。俺が傍にいるんだからな。俺がいないと血を吸えなくなるだろう?」
「ふふっ、そうね。頼りにしているわ」
俺が冗談めかして言った言葉に、彼女は少し安心したようだ。
俺は優しくエルザの頭を撫でる。
心配するな、どんな場所でも守ってやるさ。
それから半月ほど経った頃。
エルザ宛てに手紙が届いた。
一つはエルザの父親から、もう一つは王家の印が押された手紙だ。
俺はその手紙をエルザに渡す。
エルザは先に王家の手紙を読み、次に父親からの手紙を読んだ。
それぞれを読み終えた彼女は、眉をひそめて難しい顔をしている。
「私、ここから遠くの領地を与えられるみたい。と言っても聞いたことのない土地だけれど」
「領地? ということは領主として就任するのか……?」
「そうなるわね。お父様も先の手紙と似たようなことを書いているわ。今後は一代限りの領主として、そこで過ごすことになるようね」
一代限り、ということは暗に婚約をあきらめるようにという事だろうか。
詳しくは語らなかったが、そのあたりは聞かないほうが良いだろう。
エルザはこちらに視線を向けてくる。
「ただ少し問題があるの。この館のメイド達や調度品はお父様の管轄だから、連れて行ってはいけないんですって」
「……そうなのか? それは結構面倒だな」
移転に合わせて、使用人を雇い直さなければならなくなる。
まあ、今の使用人には問題があるからメリットもあるが……。
エルザに手紙を見せてもらう。
移転までの日付と資金には十分な余裕があるが、僻地に行く人材をこちらで集めるのは難航しそうだ。
そんなことを考えていると、どこか不安そうな、小さな声でエルザが尋ねてきた。
「……レオ。お願いがあるのだけど」
「どうしたんだ? 改まって」
俺が聞き返すと、彼女は一瞬言葉に詰まる。
少し迷ったような、困ったような、彼女にしてははっきりしない様子だ。
「あなたは一応、私の所有物という扱いになっているわ。だから、この館に縛られないから、あなたが望むのならここで自由になっても良いのだけれど……。その、もしよかったら一緒に来てくれないかしら」
「何をバカなことを言ってるんだ」
「そう……そうよね。やっぱり――」
「俺がお前の所有物なら、付いていくのは当然だろう? 今更聞くまでもないさ」
俺の返答を聞き、目を丸くするエルザ。
やがて、ほんのり顔を赤く染めて笑顔になった。
「ありがとうレオ! あなたが一緒に来てくれるなら私、とっても嬉しいわ!」
「……気にするな」
気恥ずかしくなった俺は目を逸らしてしまった。
あいつの笑顔を見ると、なんだか歯が疼く。
気持ちを切り替えて、俺は今回の移転に意識を集中する。
色々な問題は山積みだが、これはエルザにとって悪い話じゃない。
少なくとも、メイド達に監視されている今よりはマシだ。
エルザ一人では領地の運営もままならないだろう。
知らない土地では色々な勝手も違うだろうし、俺が付いていくのは当然だ。
色々と考えていると、エルザが腕の裾を引っ張っていることに気が付いた。
すごい笑顔だ。
「次の領地でもよろしくね。レオ」
「……ああ、任せておけ、色々と調べてくる」
こいつのためにも、移転するその日までに情報を集めないとな。
それから数ヶ月は引っ越しの準備に大忙しだった。
移住するための準備もひと段落し、後は明日を待つだけだ。