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吸血貴族の愛し人  作者: SHノーマル
第一部
10/31

第10話 壁の花の相手



お父様からの贈り物は、決まって金貨だった。

「これで好きなものを買うが良い、それ以外に必要なものがあれば手紙を寄越すように」。それだけが記された短い手紙と共に、手渡される金貨の詰まった袋。

病のため、屋敷の外へ出ることの叶わなかった私は、欲しいものすら思いつかず、それをただ仕舞い込んでいた。


長い療養がようやくひと段落し、陽光が降り注ぐ中でも、直接肌に浴びさえしなければ……つまり、日傘を差していれば問題なく過ごせるようになったのは、ごく最近のことだ。

病状がある程度落ち着いた私は、外の世界を見てみたいと願った。


お父様にお願いの手紙を送ってみたところ、そのささやかな願いは聞き届けられ、護衛付きの馬車で外出することを許された。

黒いヴェール越しとはいえ、外に出て初めて目にする昼間の街の喧騒はとても新鮮で、漏れ出た陽の光が腕をじりじりと焼くまで、私は心を奪われていた。


それからは、時折の外出の際に、馬車の窓のカーテン越しに外の世界を眺めることが、私のささやかな楽しみとなった。


ただ、私の体のことを考えると、やはり身の回りの世話をしてくれる人手が欲しくなる。

メイド達のような上辺だけ畏まった相手じゃない、もっと気軽に話せる、友人のような存在。

私はそのような相手を、そばに置きたいと願った。


メイド長に、ロゼッタを私の専属にできないかと尋ねてみた。

彼女ならば歳も近しく、良い話し相手になってくれるだろうと思ったからだ。

でも残念。彼女は将来、別の貴族の屋敷で奉公することが内定しており、私だけに時間を割くことはできないとのことだった。


他に誰か私の傍仕えに適任はいないか、何度も尋ねていると、メイド長はややうんざりした面持ちで、奴隷商の存在を教えてくれた。

何らかの理由で身分を剥奪された者を金銭で購入し、傍に置くことができるらしい。

暴れたりしないのかと尋ねたが、契約の魔術によって縛り、命令の大半に概ね従うようにされるそうだ。


……私だったら、見ず知らずの相手にあれこれ指図されて動け、などと言われたら、きっと耐えられないだろう。

そう考えて、奴隷の購入をしばらく躊躇っていた。。

それでも悩んだ末、結局は奴隷を求めることにした。

やはり、身近に気兼ねなく話せる相手は欲しいもの。


数日後、私は奴隷商のところへ向かう事を決意する。

日光を避けるため、念のため早朝に屋敷を出る。

まだ薄暗く、肌寒さの残る季節。

私には、この静けさが心地よかった。


奴隷商のもとへ向かう道すがら、私は彼を見つけた。

皮膚が痛々しく爛れ、ぼろぼろになって道端に座り込んでいる。

それはある意味で、私にとって見慣れた光景でもあった。

つまり、彼も私と同じ病を患っているということだ。


「ねえ、あの子は……」

「お嬢さん。ああいうのは見ちゃいけませんぜ」

「構わないわ。彼のところに行くわよ」

「ちょっと! お嬢さん聞いて下せえ!」


従者のバロムから咎めるような声が飛ぶ。しかたなく彼の掌に金貨を一枚握らせると、彼は一つため息をつき、それ以上は何も言わなくなった。こういう時の彼は察しが良くて助かる。


道端で憔悴しきっている彼に声をかける。

彼は私に気づくと、一瞬驚いたような顔をする。そして次に、どこか悲しげな表情を浮かべ、ぽつりと呟いた。


「……関わるな。騙して奪うぞ」


口ではそう威嚇するが、彼の眼はとても寂しそうだ。

私と同じ病を抱え、孤独の中にいる彼。

その姿は、どこか屋敷にいる私自身を彷彿とさせた。

だから私は、自分自身を救うような気持ちで、彼に手を差し伸べる。


館に戻ってしばらくは、「使えない奴隷を買ってきた」と、メイドたちが陰で囁いていた。

実際は購入すらしていないのだけど……。

余計なことは言わないに越したことはないわ。


後になって知ったのだが、彼は犯罪者の巣窟と悪名高い貧民街の出身らしい。

しかし、彼はそのような出自を微塵も感じさせないほど、実直で丁寧な仕事ぶりだった。

日々の務めを黙々とこなし、私のささやかな我儘にも根気強く付き合ってくれる。

彼のおかげで、私は誰の目も気にすることのない、心安らぐ自由な時間を得ることができた。


なぜ彼は契約の魔術で縛られているわけでもないのに、そこまでしてくれるのだろうか。

それとなく理由を尋ねてみたことがある。

すると彼は少し困惑した様子で、「私はお嬢様のモノですので」という、いつもの言葉で話を終えてしまった。

どうやら、彼自身もその理由を言葉にできないでいるようだ。


彼と過ごすようになってしばらく経ったある日、一通の招待状が届く。

それは、舞踏会への招待状だった。


本来であれば、数年前に社交界へ顔を出しているはずだったが、その頃はまだ病の影響で体調が優れず、出席が叶わなかったのだ。

それ以来、この種の招待状が届くことはなかったので、正直なところ驚いている。


この舞踏会で友人や、あるいは素敵な殿方との出会いがあれば嬉しいのだけれど。

できることなら、いつも私の傍にいてくれて、少しの我儘くらいは笑顔で聞いてくれて、困った時にはそっと手を差し伸べてくれるような人がいい。

……さすがに望みすぎかしら。


それに、貴族の令嬢としては、そのような個人的な願望よりも、まずは他家の方々とよしみを通じることが大事だろう。

私は生来の病のおかげで、貴族としての責務を一部免除されてはいる。とはいえ、まったく何もしないわけにはいかない。


レオと先生にダンスの練習を付き合ってもらいながら、気がつけば、舞踏会当日を迎えていた。

私はレオが選んでくれたネックレスを胸に飾り、いよいよ社交の場へと足を踏み入れる。


本来であれば、私のような年頃の子供は、父親か母親が同席し、他家の方々との顔繋ぎのために紹介を取り持ってくれるらしい。

しかし、お母様は私が物心つく前に亡くなっているし、お父様は良くも悪くも放任主義だ。

残念ながら、お父様がこの場に姿を現すことはないだろう。

であればこそ、自ら関係を築いていかなければならないのだが……。


見知らぬ方ばかりだけれど、こちらから声をかけていけば良いのだろうか。

そう思案していた矢先、一人の紳士から声をかけられた。

侯爵家の方だった。

私は丁寧に挨拶をし、先方もそれに礼儀正しく応じてくれた。


侯爵は所用があるとのことで、すぐにその場を辞されてしまったのは残念だった。

表情がやや硬かったように見えたが、私に対してあまり良い印象をお持ちでなかったのだろうか。

もしそうだとしたら、何とか誤解を解く機会を設けなければ。


当初はそう考えていた。

しかし、すぐにそれどころではない状況にあることに気づかされる。

近くにいた同年代と思しき子供たちに話しかけてみるも、私の家名を告げた途端、皆、一様に距離を置き始める。

子供たちの間にも、大人の世界と同様に派閥が存在するということを理解したのは、その時だった。


そして、私がいかに社交界から隔絶された存在であったかということも。

もしかすると、お父様は私を……。


一瞬、不吉な考えが頭をよぎるが、今は考えないことにした。

レオが心配そうにこちらを見つめている。

彼をこれ以上不安にさせるわけにはいかない。

しっかりしなければ。


「お嬢様!」


どうすればこの状況を打開できるかと思案していた、まさにその時、レオの緊迫した声と共に、私の頬に灼けるような熱さを感じた。

どうやら、西日がどなたかの手鏡に反射し、私の頬に当たったらしい。

ほんの一瞬のことだったので、たいした傷ではないけれど、傍目には火傷のように見えるかもしれない。


光を当ててしまった方は、すでにその場にはいらっしゃらないようだ。

もしかして、故意に……? いいえ、そのようなことを疑うのは良くないわ。

今日は運が悪かった、ただそれだけのこと。

……そう、それだけ。


レオは私を人目につかない場所へ連れて行くと、私の顔を見て「大丈夫だ」と言ってくれた。

薬を塗ってしばらく待っていると、赤みは徐々に引いていく。

更には念のため、レオが手早く化粧を直してくれた。


こういう時、彼はいつも頼りになる。

彼を安心させるためにも、せめて一人くらいは知り合いを作らなければ。


私は彼に礼を述べ、改めて舞踏会の会場へと戻ることにした。

会場に戻った時には、すでに子供たちのためのダンスの時間が始まっていた。

結局、どなたともろくに話せていないし、今日はもう駄目かもしれない。けれど、それでも最後まであきらめないようにしないと。


女性の方から殿方にお声をかけるのは、はしたないとされているので、私はどなたかが誘ってくださるのを、ただ待つしかない。


……けれど、誰も声をかけてくれる人はいなかった。

せめて、近くの殿方に微笑みかけてみるくらいは許されるだろうか。


「申し訳ございませんが、既に先約がございますので」


たまたま視線が合った殿方の一人からは、こちらが誘われるまでもなく、先んじて断りの言葉を述べられてしまった。

そう……やはり、私は――。


一曲目が終わり、二曲目が始まっても、声をかけてくれる殿方は現れない。

……少しだけ、胸が痛む。


そして、子供たちのための最後の曲が始まった。

……もう、無理に笑顔を作る必要もないだろう。

私は感情を押し殺し、静かに俯く。

せめて、ここを出る時には、レオを心配させないよう、頑張って笑顔を見せなければ。


だからだろうか。俯いていた私の目の前に、すっと手が差し出された時、すぐには反応できなかったのは。


「もしよろしければ、私と一曲踊っていただけませんか?」


その声に、はっとして顔を上げる。そこにいたのは――

レオだった。


何度も練習相手をしてくれた彼が、見慣れない燕尾服を纏い、紳士の姿で立っていた。

なぜ? どうしてここに?

疑問は尽きなかったが、それよりも。

私は小さく息を呑み、差し出されたその手を取る。


「――はい、喜んで」


***


俺たちは互いにステップを踏み、何度も練習したワルツを踊り始める。

他の貴族たちの目から見れば、まだまだ未熟な踊りかもしれないが、それでも息はぴったりだろう。


俺が現れたのが予想外だったのか、それとも少し照れているのか、頬を微かに染めたエルザは、俺にだけ聞こえる声で囁きかける。


「ここは、関係者以外は立ち入り禁止よ?」

「俺も、関係者さ」


……貴族としてではなく使用人として、だがな。

俺の言葉に、彼女はくすりと小さく笑い、軽やかにステップを合わせてくる。


「まったく、どこからその立派な服を?」

「先生が、なぜかこの服を用意してくれていたんだ」


俺は万が一にも正体が露見しないよう、髪は後ろで束ね、簡単な化粧も施している。

お陰で、普段よりは多少は見栄えがするはずだ。


「さすがは魔法使いね。こうなることを予見していたのかしら?」

「さあ、どうだろうな」


もし、こうなることを予期していたのだとしたら、ずいぶんと意地の悪い婆さんだ。

俺が出ていかなければ、エルザはあの場所で、ただ一人で佇んでいたかもしれないのだから――。

……まさか、俺が出ていくことまで織り込み済みだったってことか?


曲も、いよいよ終盤へと差し掛かる。

この束の間の時間は、もうすぐ終わりを告げようとしている。

その時、エルザが俺の手を、きゅっと強く握ってきた。


「ねえ、レオ。もう少し、こうして踊っていたいわ」

「……館に戻れば、いくらでも付き合ってやるよ」


他の貴族たちも、そろそろ俺を不審に思い始めているだろう。

曲の最中に俺を咎めるような無粋な真似はできなかっただけで、曲が終われば誰かが駆けつけて来るに違いない。


だが心配はいらない。

この場を速やかに離脱する算段はついている。

俺は踊りの流れに乗りながら、エルザをそっとバルコニーへと導いていく。


ワルツが終わりを迎え、互いに踊り終えた者同士が礼を交わし、今日のダンスは終了となる。

そのタイミングに合わせて、人目を引かぬようなるべく自然な動作で、エルザをバルコニーへと連れ出した。


「さて、俺はここから失礼するぞ。適当な所で着替えて馬車で待っている。一人で大丈夫か?」

「ええ、もちろんよ」

「そうか。じゃあ……」

「あ、レオ!」


俺がバルコニーの手摺を乗り越えようとした瞬間、エルザが私の服の裾を掴んで引き留めた。


「えっと、その……ありがとう」

「ん? ああ、こちらこそ、お相手いただき光栄でした」


俺はエルザの手を取り、ダンスの作法に則った礼をする。

するとエルザが、むっとしたように眉をひそめている。


「そうじゃないの。私をダンスに誘ってくださって、ありがとう、と言っているのよ」

「何を言ってるんだ。あんな綺麗なお姫様が一人で佇んでるんだから、誘ったって誰も文句は言わないさ」


なんだか気恥ずかしくなった俺は、おどけるようにそう言って誤魔化した。


「もうっ! 調子のいい事を言って……」


その時、会場の方が俄かに騒がしくなり始めた。

見れば、他の子供たちはそれぞれ親しい者同士で集まり、軽食や談笑を楽しんでいるようだ。


本来であれば、子供たちもこのまま大人の舞踏会に加わり、夜更けまで楽しんでから帰路につくのだろう。

だが、エルザの両親はここにいない。


本来ならもう少しこの場に留まり、友人作りを試みるべきなのかもしれないが……。

この冷めたい舞踏会の時間は、もう終わりだ。

何よりも、これ以上はエルザのためにならない。

主催者には悪いが、俺たちは早々に退散させてもらおう。


「では、俺は先に行く。後でな。あまり長居はするなよ?」

「あ、レオ――」


すまないが、今にも誰かがこちらに気付きそうだ。

ここで、呼び止められるわけにはいかない。

エルザの言葉を最後まで聞かず、俺は手摺を飛び越える。

この程度の高さならば、慣れたものだ。


俺は音もなく着地し、エルザに軽く手を振ると、馬車が待つ方へと駆け出した。

近くで、再びメイド服に着替えた俺は、馬車の前でエルザの帰りを待つ。


ほどなくして、エルザが戻ってきた。


「ただいま。レ――」

「お帰りなさいませ、お嬢様。この“リア”が、わたくし共の館まで、つつがなくエスコートさせていただきます」


俺は口元に人差し指を当て、人前で名を呼ぶことを、やんわりと制する。

エルザも俺の意図を察したらしく、言葉を途中で止め、こくりと頷いた。

俺は彼女の手を取り、馬車の中へと誘う。

馬車の座席に腰を下ろした彼女は、穏やかな微笑みを浮かべて俺を見つめていた。


「ねえ、お願いがあるのだけど……いいかしら?」

「なんでしょうか。私にできる事でしたら、どのような事でもおっしゃっていただければ――」

「そう。ならお願いするわ」


俺の口上が終わらぬうちに、彼女はするりと俺の隣に腰を下ろす。

そして、そのまま俺の肩にこてんと頭を預けてきた。


「お、お嬢様!? いったい何を……」

「私、今日は少し疲れてしまったみたい。だから、リアの肩を借りるわね」


俺は何か言いかけ、彼女の顔を窺うが、その瞼はすでに静かに閉じられていた。


あれだけのことがあったのだ。無理もないか。

館に着くまで、このまま休ませてやろう。

待機していた御者に合図を送り、馬車を発進させる。


館に到着した後は、彼女を起こさぬよう細心の注意を払ってそっと抱き上げ、寝室まで運び、ベッドに寝かせてやった。

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