甘味は心のオアシス。
殿下にエスコートされて部屋を出ると、ここはどこだろうと思っていたが恐らく学校のようだ。窓から見える景色が全然違う。ビルなんて無いし車もない。あるのは訓練場のような所と、木造とレンガ造りの建物だけである。ここからだけの景色なので他は分からないが、ファンタジーって感じがして少し興奮した。
だがしかし現在どこかへエスコートという名の連行されている状況は変わらず、どこへ行くのか怯えつつ現実逃避の為に、窓の外や華美な装飾品が所々に飾られている廊下を見ていた。
そうして私にとっては長い時間に感じたが、実際は数メートル離れただけの部屋に案内された。先に入るように誘導され、おそるおそる入室すると先程と同じように会議室風ではあるが、やはり華美な花や装飾品が壁やエグゼクティブデスクに置かれていてビビる。ひょわー…と臆している私の背中をそっと押して、ベージュのベロア生地のような大きいソファに座るよう無言の圧を受けたので大人しく腰を降ろす。すると殿下は向かいのソファに座り、指を鳴らしてお茶のセットを出すと私にもくれた。
「……恐れ入ります。」
全て魔法とはいえ殿下の手ずから淹れていただいた紅茶を、震える手で必死にカップの取っ手を掴みながら一口飲む。あっちぃ!!と思わず目をギュッと閉じてしまったが、なんとか声に出さずに堪えられたのはすごい。猫舌なので普段はあつあつのまま飲まないけれど、今は緊張のあまり何かしていないと落ち着かないから飲んでみた。やはり熱くて苦手だったので、身体は違っても本質は変わらないのだろうか、なんていう思考に逃げいていた時。
「ふふ、サラ嬢は随分と人が変わったようだね?」
目の前の超絶イケメンから発せられた言葉に紅茶を飲む手が止まった。ついでに身体もガチンッと固まってしまった事により、何も言えないし目も動かせない私が面白いようで、クスクスと笑っているのが分かる。
「本当に別の人間なのかな?だってサラ嬢は熱い紅茶が好きだったし、感謝や謝罪なんてしない女性だったよ。」
自分の太ももに両肘をついて手を組み、そこに顎を乗せながら言うイケメンが眩しすぎて、別のベクトルで固まってしまうからちょっとこっちを見ないでほしい。そしてもしこれが自分の魅力を分かっていての行動なのだとしたら、美丈夫耐性ほぼゼロの私には効果絶大なのである。
「……えーと、あの、申し訳ございませんが、恐らく別の人間で間違いないと思います。」
なんとか掠れた声で答えると、カップの取ってを掴む手がプルプルと震えだしてしまった。零したら大変だ!!こんな高そうな絨毯にシミなんて作ったら、クリーニング代をなんぼ請求されるか分からんし!!と焦りながらテーブルにそっと置くと、黙って見ていた殿下がまた笑っている。笑い上戸なんだろうか?と直視できないのでカップを見つつ、うっすら視界に入るイケメンに緊張しかしないので違う事を考えて逃げる私に、コテッと首を傾げながら彼は言う。あざといのに素敵すぎてもはや芸術!!!
「君はこんなに見ていて飽きないんだね。面白いけど、そろそろしっかり説明してもらおうかな。貴女はどこの誰でどうして入れ替わったの?」
ビクッと肩を揺らして、惜しげも無く美しさを振り撒いてくる殿下に目を向ける。まっすぐにこちらを見ている夕日色の瞳がまた眩しくて、最速で目を紅茶に逸らしたのは許してほしい。美しいって罪すぎるじゃん…。
しかしどう答えていいものか、私だってイマイチよく分かっていないので難しい。だから眉毛をハの字にして顎に拳を当てつつ、うんうん唸って考えている間もずっと観察されていて居心地悪い事この上ないわ。でも中身が入れ替わるなんていう珍事件が発生しているので仕方がないだろうと甘んじて受け入れる。
「その、信じていただけるか分からないのですが、私もまだ全てが不明なのです。もともとここではない世界で生きておりまして、酔ってお風呂に入りながら寝てしまって目が覚めたらこの女の子の身体になっていたという状況です。」
途中で詰まりながらもなんとか説明すると、「ふうん。」と言いながら再び太ももの上に両肘をついて、手を組み顎を置くスタイルの殿下にいちいちドキドキする。くそ、歳下なのになんて色気だ!!大人のお姉さんをからかうんじゃないよ!!!頭の中では強気にいけるのに、実際の私は目を泳がせ顔もうっすらピンクになっているのではないだろうか。恐らく世界共通でイケメンや美女に弱い事は見逃してほしいものだ。
「つまり、全く違う世界の違う人間がサラ嬢に入っているという事なんだね?どうりで魔力も人間性も違うわけだ。」
どうやら納得してくれたようで、そう言いながら微笑む殿下が美しすぎる。無意識に、「はぁぁぁ……美の暴力が痛い…!!」と声に出てしまい、それにキョトンとした顔の彼が思い切り吹き出したので私も言っちゃった!!と慌ててつつも事実だから、口を噤んで眉間に皺を寄せたのである。
「やっぱり面白いね。ジュリアが…おっと、もうキャンベル公爵令嬢と呼ばなくてはね。そしてカデンの事は、ベイリー侯爵令息と間違えないようにしなくては。」
口角を上げながらそう言う彼は、なんだかとても寂しそうで。やはり好きな人と護衛騎士とはいえ、恐らく幼馴染に裏切られていたというのはショックが大きいんだろうな。どれだけの年数を近くで共に過ごしてきたのか分からないけど、私なら立ち直るのにかなり時間が欲しいところだ。しかしきっと目の前の彼は、表向きだけでも気丈に振舞ってしまえるんだろうなと思いつつ、自分の高校時代と比べてあまりの酷さに苦笑が漏れてくるのだった。
「キャンベル公爵令嬢が言っていた事も君ならば理解出来る?乙女ゲームというのは、女性の間で流行っている遊びか何か?」
今度は背もたれに身体を預け、ゆったりと腕を組みながら訊かれたがあまりにも絵画や彫刻のように美しく、見とれてしまってすぐに返事が出来なかった。ポケッとしている私の目にクスクスと笑う殿下が映りハッとして姿勢を正すと、とりあえず知ってる範囲の説明をする事にした。
「いいえ、そうでは無いです。恐らくジュリア様も私と同じ世界で生きていたのでしょう、その時に夢中になられたというのが、この世界を元にしたゲームなんだと思います。ゲームと申しましてもカードゲームやボードゲームとは違い、恋愛小説や愛の観劇?のようなものとお考え下さい。ですが申し訳ございません、生憎私は彼女の言うこの世界のゲームを全く知らないので、内容をお伝えする事は不可能なのですが。」
眉毛をハの字にして一旦ここで言葉を切った。一気に話すにしてもしっかり考えながらがいいし、それに緊張がほぐれていないせいで喉が乾いてお茶が飲みたい。もう冷めてしまっている香りのいい紅茶をゆっくりと二口程飲むと、再び姿勢を正して続きを言うために口を開いたのである。
「少々長くなりますがご説明致します。
一般的な乙女ゲームで言いますと、主人公の女の子が攻略対象と呼ばれる何名かの男性から一人を選び、二人で困難を乗り越えつつ恋愛をするというものです。ものによっては全員と恋仲になれるらしいのですが、ジュリア様の言っていた逆ハーエンドというのがそれに値します。そして大方、ゲームの物語は学園に入学する所から始まり、大体の攻略対象の男性には婚約者がおりまして、その方々を悪役令嬢と呼びます。当然ですが事ある毎に主人公と攻略対象が恋仲になるのを、あらゆる手段を使って阻止してくるので悪役と呼ばれておりますが、そもそも婚約者がいるのにその人を差し置いて恋仲になられたら、誰だって嫌だと思いますけどね。まったくもう。
…すみません逸れましたね。恐らくですが、本来ジュリア様はその悪役令嬢と呼ばれる存在なのだと思います。この世界を元にした乙女ゲームの主人公であるらしいサラさん…つまり私が入っているこの女の子ですね。彼女が王子様、つまり殿下、貴方と恋仲になるのを必死で阻止していたはずです。しかしジュリア様はそれをせず、前世からの推しであったカデンさんを落としにかかったという事なのでしょう。
……長い挙句にお辛い話をして申し訳ございません。」
考えつつもわーっと話してしまうと、長い脚を組んで太ももに片肘を付き、手の甲に顎を乗せながら最後まで聴いてくれた殿下は、少し考え事をするように目を閉じている。私はそれを見ながら、冷たい紅茶を飲み干したのだった。
数分してから目を開けた殿下は、何を考えているのは分からない微笑みを浮かべて私を見つめる。ヒエー!!と悲鳴が出そうになるのを必死で我慢してサッと目を逸らすと、落ち着きなく自分の手に目を落とした。現実世界の私と違って、傷一つ無くほっそりとした綺麗な手が、やはり私ではないと思い知らされて悲しくなったのである。
「サラ嬢、乙女ゲームというものを説明してくれありがとう。大体把握したよ。質問なのだが、〔おし〕とはなんの事?」
そうか、確かにこの世界にそんな言葉は存在しない。気が回らなかった事に反省しつつも、「人にお勧めしたくなる程に好きな人の事です。」とさっくり説明すると、それだけで理解してくれたようで数回頷いていた。
「そうか、ありがとう。つまりキャンベル公爵令嬢は最初から、私を裏切っていたという解釈で良さそうだね。…ふうん、いろいろと納得がいくよ。今度王族のみ使用出来る魔道具で、隅から隅まで話してもらう事にするね。」
輝かしい笑顔で恐ろしい事を言う彼は、きっと長年の恋心が悲しみに、そして今怒りに変わったのだろう。ゾッとするような美しさに、むしろ興奮から鳥肌が立ってしまった私はどうした事か。普段はチキンのくせに、異世界テンションと言うやつかもしれない。怖いはずなのに抑えきれない胸の高鳴りが騒がしく、顔がものすごく火照っているという自覚がある。そんな私を楽しそうに眺める殿下は、「ふふふ、どうしようかな?」と言いながら指を鳴らして、先程まであった紅茶セットを消し、新しいものを再度出してカップに注いでくれたのだった。
ありがとうございますと言いながらそっと紅茶を口に含む。すると先程と違って温度が熱すぎない事に驚いて殿下を見ると、楽しそうな顔をそのままに片眉だけ上げてちょっとドヤっているのがかわいい。こ、これはいけない!!またお姉さんをからかってこの!!簡単にトゥンクしちゃうんだからやめなさいよ!!!という強い思いが顔に出てしまい、ギュッと眉間に皺を寄せつつも「…お気遣いくださいましてありがとうございます。」と精一杯伝えたのである。
しばし二人で静かに紅茶を飲み、お菓子を勧められたりしながら数分経った頃。美味しい紅茶とマカロンにすっかり油断していた私に、微笑みながら彼は言った。
「さてサラ嬢、君の処遇を決めようか?」
思わず手に持っていた食べかけのマカロンが滑り落ちてしまいそうになる。しかし食い意地が張っている私はなんとかそれを阻止すると、一旦深呼吸をしてからガッと口の中に押し込んで咀嚼した。それを見た殿下は、驚きのあまりに目を見開き、そして一生懸命もぐもぐ噛んで飲み込もうとする私を見て、お腹を抱えて笑い出したではないか。
恐らく、はしたないとバカにしているんだろう。だがしかしこちらは死刑宣告をされるかもしれない身なのだ、最後の甘味と思って食らいついてもいいじゃない!!美味しい!!
すっかり恐怖ではなくヘソを曲げた私は、テーブルの上にあるマカロンを全部食べてやるべく、次々と手に取っては口に運んでもぐもぐする。それをあまりにも楽しそうな、嬉しそうな顔をして見つめながらサッと立ち上がって隣に座ったかと思うと、流れるようにマカロンを手に取り私の口に運んでくる。ポカンとしつつも反射的に開いてしまった口に、魔法で綺麗に半分にしてくれたマカロンを入れると、もぐもぐ咀嚼して飲み込むまで微笑みながらじっと見つめられたのである。
暫くこのやり取りが続き、テーブルの上のマカロンが無くなると指を鳴らして、今度は別のお菓子を出してくれた。そして同じように給餌し始めて、この状況はなんなんだ?!死ぬ前のサービス?!いい夢見させくれるってやつか……ホストかよ……貯金おろしてドンペリいれちゃうか…。と思いながらも、何故か幸せそうな殿下と共に、二度と食べられないかもしれない甘味に舌鼓を打ったのだった。