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逆鱗に触れるという事は ’


前半はジュリア視点で、後半はエルヴィス視点です。



寒い寒い……!!必死で這いつくばっているけれど、手のひらが凍ってきたかのように痛くて仕方がない。下半身はほとんど感覚が無く、そのせいで踏ん張る事も出来なくて、ただだらしなく脚を伸ばし、どうにか必死にか細い腕だけで上体を起こしている状況だった。


歯を食いしばってベオウルフを睨んでも、楽しそうに薄ら笑っているだけだし、ローガンは脂汗をかいて蹲ったまま、悲鳴のような声を時折漏らしている。どうしてどうして、どうして私がこんな目に?カデンに裏切られて、修道院に行って禊もしたのに、どうして?!悪役令嬢が真のヒロインなんだから、ここで幸せになるための大団円にならなきゃおかしいのに!!


未だに声が出せない私は、とにかく『助けて!!目を覚まして!!』と空気を出しながら口をパクパクと大きく動かし続けた。ああもう、指先も感覚が無い。ベシャッと無様に床に潰れたようになってしまうのも時間の問題だ。そんなのは嫌よ、美しい私がどうしてこんなつらくて痛くて苦しい目に遭い続けなければならないの?!誰か、誰か助けて……!!!


絶対に泣くものかと思いながらも、そう願っていた時、ベオウルフの専属侍従に連れられて、突然玉座の横に転移してきた男がいた。どうやらベオウルフの魔力に耐えられるように、何か特殊な魔道具を着けているらしく、スッと彼に向かって片膝を付いて頭を垂れ、忠誠の姿勢をとっている。ああ、助けに来てくれたのね?!


私がキラキラとした、期待を隠しもしない目でその男を見つめる。するとクスクスと笑いながら、ベオウルフが私を顎で指し、彼が遂に私をその目で捉えた。さあほら、走ってきて?!


しかし彼はスッと美しいライトグレーの瞳を逸らすと、何の感情も抱いていないような表情で、再びベオウルフに頭を垂れたのである。この状況を全く理解出来ず、喉から空気しか出ないのにずっと彼の名前を呼んでいた。



『アレン、どうして?!早く助けて!!!』



しかしてベオウルフはただただ楽しそうに笑い、私の専属護衛であるアレンに指示を出して隣に立たせた。どういう事?!ソレは私だけの専属護衛なのに、何故ベオウルフが我が物顔で指示するの!!いくら王子だからといって横暴じゃないの?!という事を空気だけで叫ぶと、遂に大声を出して笑い始めた。カッと頭に血が上るが、動く事も声を出す事も出来ない今、怒りを隠さずに顔を歪めて睨みつけるしかないのだった。



「はー、面白いなあ?エルもアレンもそう思うだろう?あの女は、未だに自分を助けてもらえると信じているようだよ。どこまでも自分の都合しか考えてない、浅はかな女だなあ。俺のサラとは大違いだ。」



するとまたしても大声で笑い始めた。何も面白くないし、むしろ怒りと恨みしかない私はただ睨んでいると、笑いが少し落ち着いたところで漸く口を開いた。



「ここにいるアレンは俺の影だよ。お前は知らなかっただろう?ずっと妃教育をサボっていたもんなあ。見た目が好きそうだなと思って送ったら、案の定即そばに置いたのも面白い。簡単に見た目だけで気に入って信用して、本当にバカすぎる。だから諜報活動も特に苦労しなかったと、アレンが報告してくれたよ。」



クスクスと楽しそうに笑うベオウルフの言葉に、頭の中が真っ白になった。え、アレンがスパイ?そんなはずはないのに、ありえないのに、どうして否定してくれないの??あんなにそばにいて、優しい目で私を見つめてくれていたのに、全部嘘だったなんて、それこそ嘘よね?!そんなそんな……、2年も一緒に過ごしたのに、ずっと裏切っていたという事……?


絶対に泣かないと決めていたのに、堪えきれずに涙がせり上ってくる。こんな無様な格好な上に、更に情けなく涙を流すなんてしたくないのに。それなのに、襲いかかってきた絶望によって、簡単にダムは決壊した。放流したかのような勢いで落ちる涙を、誰も拭ってくれないし慰めてもくれない。ローガンは相変わらずだし、ベオウルフもエルヴィスも、そしてアレンでさえも、ただ嘲るように私を見ているだけだった。



『ああ……お父様助けて……。』



無意識に口から漏れたのは、いつだって私の味方で優しくて、どんな時も守ってくれるお父様への助けを乞うものだった。だってきっと心配している。私が王宮に来てから何も連絡がないのだし、それはもう心配して今にもここに入ってきてくれるかもしれない。そんな細い希望の糸に縋り付いている私の思考を、ベオウルフは読んでしまった。



「ああ、お前の父親だがな。俺の目を欺いた罪で一旦投獄されている。しかしお前を放り出すなら、土地が痩せていて利益が得られず、かつての当主も平民として生きる方が楽しいという理由で返却された、辺境の子爵位をくれてやると言ったら、2つ返事で頷いていたぞ。だからつまりお前は、父親に見捨てられたという事だな。あの男はお前と平民として生きるよりも、名前だけの貴族でいる事の方が重要だったらしい。もう手続きは済んでいるんだ、貴族ではなくなるのも、この話し合いという断罪劇が終わったその瞬間だから心しておくように。」



もうダメだった。心がパァン!という派手な音を立てて、木っ端微塵に砕け散ってしまったのを、ただただ感じていた。そのせいで必死に力を入れていたか細い腕も、クタリとそれを失い、いとも簡単にベシャッと顔から床に落ちた。それを見ていた誰もが、手を差し伸べる事も無く、絶望に飲み込まれて動けなくなった私を見下ろしているのだった。


ああどうして、どうして……。私は真のヒロインなのに……。

































「さて、まあこの女の今後については、隣国の娼館に行く事が決まっている。相当な男好きのようだから、囚人達の欲の捌け口として、いい働きをしてくれるだろうよ。それについては俺も向こうの王太子も大いに期待しているんだ。」



とても楽しそうに言った言葉は、キャンベル公爵令嬢には届いていない。それもそうだろう、彼女が勝手に抱いていた夢も希望も打ち砕かれ、頼みの綱のローガン第二王子殿下はあのように使い物にならず、最後の心の拠り所だった父親も、意味の無い爵位欲しさに娘を棄てた。


あまりにも今のキャンベル公爵令嬢の姿が痛々しく、心配されてもおかしくないのに、本当に私達は誰一人としてそんな気持ちにならない。何故なら私もアレンも、ベオウルフ殿下に生涯の忠誠を誓っているのだから。それゆえ彼の言う事は、全てが正しいしただ只管従うのである。



「さあ、我が愚弟の番だな。正直お前に対しての方が、その女よりも腹が立っているんだよなあ。どうしてくれようか、まあ決まってるんだけどね。」



心から楽しそうな声を出し、笑っているけれどその目は地獄の公爵も逃げ出す程の、怒りと恨みと憎しみが込められていた。彼の魔力に影響を受けないための魔道具を、早急にロバーツ伯爵令息に作ってもらっていなければ、私もアレンも既に気を失っていただろう。下手をしたら命も奪われていた可能性も高い。それ程に彼から漏れる魔力は凄まじい。


絶望に飲み込まれて床に潰れた拍子に、気を失ってしまったキャンベル公爵令嬢に、とりあえず物理的にも潰れてしまわないよう、魔道具を雑に背中に着けてやった。これはただ、中身が飛び出した後の掃除が大変だからであって、決して慈悲ではない。血というものは臭いがこもるからね。「ご苦労。」という労いの声をいただいたので、深く腰を折って執事の礼をとると、素早く移動して再び殿下の後ろに控えた。



「ローガン、聞こえているな。ここまでのその女への対応も見ていただろう?しかし何も出来ないのは、さぞ悔しかろうなあ。昔からその女のように魔法術から逃げていたお前には、一生掛かっても俺に追いつく事はおろか、追い抜くなんて出来ないからな。」



頭を抱えて蹲りつつも、少しだけ顔を上げてつらそうに眉間に皺を寄せながら、ベオウルフ殿下を見つめている。絶えず涙を流すその目は既に光が失われ、畏怖の念しかこもっていない。ここまでの惨状を隣で見ていて、一体自分は誰を怒らせてしまったのか、漸く理解したのではないだろうか。龍の逆鱗に触れた者がどうなるか、それを考えてもう生きた心地がしないのだろうな。それもこれも思い込みによって行動し、ベオウルフ殿下の忠告もきかず、大罪を犯した己を恨むしかない。



「ローガン、残念だよ。まさかお前が王家に代々仕える専属魔道具士を脅して、俺の大切な大切なサラに危害を加えたなんて。その上、精神を勝手に元の世界に送るなんてなあ?命がいくつあっても足らない程に、お前を何度も殺したいよ。」



その瞬間、影響を受けないはずの魔道具にヒビが入った。それ程にベオウルフ殿下から漏れ出る魔力の量は勢いを増し、同じ王族であるローガン第二王子殿下でさえも、今にも押し潰れてしまいそうだった。この時点で存在を忘れてしまいかけていたが、キャンベル公爵令嬢も一応は潰れず原型を保っている。それなら何も問題ないだろう。



「お前の望み通りに、サラのいない世界に送ってやろう。ああ、一応は大切な弟だったのにな。生きるか死ぬか、それはお前次第だ。」



そう言ったベオウルフ殿下は、既に弟への情なんてものは微塵も感じられなかった。それはそうだろう、何故なら逆鱗に触れたのだから。むしろ今ここで、首を跳ね飛ばされないだけましなんだろうな。これも弟への情ではなく、ロバーツ伯爵令嬢が悲しむからという理由に過ぎない。忠告を無視して、思い込みで突っ走った結果、彼女に危害を加えた時点でもう彼の未来は終わっていたのだ。


頭を抱え、またしても蹲ったローガン第二王子殿下を、薄ら笑って見つめながら彼が指を鳴らす。するとロバーツ伯爵令息が国宝である鏡を持って現れた。その顔はなんの感情も浮かんでいない程に無表情で、ただ冷たく蹲るローガン第二王子殿下と、キャンベル公爵令嬢を見ている。恐らく怒りが限界突破したせいで、このように無表情なんだろうな。



「さてローガン、お前をサラのいた世界に送ってやろう。そこは魔法なんてないし、貴族や平民といった身分もない。そんな世界で、地を這いずり回って生きてみろ。」



その言葉を最後に、ロバーツ伯爵令息が鏡を翳す。するとローガン第二王子殿下の身体が発光したかと思うと、徐々に姿が透過していく。それをただ見守るしか出来ないが、彼本人も黙って受け入れているように見えた。きっともう、ロバーツ侯爵令嬢に対しての怒りは無いのではないか。彼が今抱いている感情は、思い込んでいたがゆえに暴走した、自分自身の愚かさへの憤りなのかもしれない。



「あ、兄上……。」



喉から絞り出すような声で、ローガン第二王子殿下が呼ぶ。しかしただ薄ら笑うだけで、何も言わない彼に全てを察したのか、諦めて項垂れながら、最後の言葉を口にする。



「申し訳、ございませんでした。……どうか、お元気で。」



嗚咽も混じったその声は、長年そばで彼の成長をみていた私にも、けっこう胸にくるものがある。しかし彼が犯した罪は大変重いのだ。ここで情けをかけるなんて事はしない。私もアレンも、忠誠を誓っているのはベオウルフ第一王子殿下のみ。



「ああ、言われなくてもな。お前もどうにか生き延びてみろ。もしかしたら、連絡を取ってやらん事もないかもしれんぞ?」



そう言うと声を出して笑い始めた。絶対に彼は連絡するつもりなんてないくせに、希望を持たせるなんて恐ろしい人だ。


きっとそれは、ローガン第二王子殿下にも伝わったのだろう。彼はその美しい紫色の瞳を絶望に染めて、完全に溶けて消えてしまったのである。途端に鏡が白く光り、そしてすぐに元に戻った。


静まり返った謁見室で、ロバーツ伯爵令息がベオウルフ殿下を睨んで何か意思を伝える。そしてそれを察した彼は、ちょっと声を出して笑ったかと思うと指を鳴らし、パッとロバーツ伯爵令息を転移させたのだった。恐らく国宝魔道具室に戻ったのだろう。そこで一応はローガン第二王子殿下を観察しながら、逐一報告してくれるつもりなのだろうな。彼も全く助けるつもりはなく、ただどのように苦しんでいるかを見たいだけなんだと思うけれど。


ベオウルフ殿下程ではないが、ロバーツ伯爵令息も十分に恐ろしく、まさに魔王の補佐という感じだ。2人の中が悪いのは、同族嫌悪というものなのかもしれない。そんな事を、未だにピクリともしないキャンベル公爵令嬢を見ながら考えていた時。



「よし、では行こう。俺の大切なサラが心を痛める案件は全て片付けたからな、きっと安心してくれるに決まっている。」



先程とは打って変わって、心の底から楽しくて幸せで、愛おしいという感情が溢れてくるのが、手に取るようにわかる態度でそう言うと、スッと立ち上がって指を鳴らし、パッと消えてしまった。


残された私とアレンは、一瞬見つめ合うとお互いにフッと笑い、私はすぐに殿下を追って謁見室の扉に向かった。アレンは物凄く嫌そうだが、転がったままのキャンベル公爵令嬢を雑に小脇に抱えると、足先を少し引きずりながら運んで行ったのである。


彼女はこれから隣国に行くまでの間、少しばかり牢屋に入ってもらう。しかしすぐに出発させ、役目をしっかり果たさせるために隣国へ送り込む。もちろん奪った声はそのままで。


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