逆鱗となるそれは。
そして数日後、遂に第二王子殿下が隣国から戻られた。仰々しく馬車が何台も連なって登場するのかと思ったのに、さすがは王族でふつうに転移してきたらしい。私はベル様のお気に入りだけれども、正式な婚約者ではないので彼の帰国した場には居合わせなかった。
謁見の間にご両親である国王陛下と王妃様、そしてベル様に国王陛下の宰相など、極身近な方々だけで出迎えた。だからどんな風に帰ってきて、どんな会話をしたとか見た目がどうとかは、暫くして戻ってきたベル様の膝の上で教えてもらったのである。
ヤナと今後どうしようか、なんて呑気に話しながら2人でお茶をしていたのに、突然転移してきてベル様の私室に攫うと、いつものようにサッと膝に乗せて後ろからスンスンスリスリペロペロされたのだった。正直まだまだ時間がかかると思ったし、なんなら今日は家族水入らずで過ごすんだと予想していたのに、午後3時前の今にここに来るとは本当に吃驚だった。だから油断してヤナとだらけていたというのに、まったくこの人は!!
「サラ好きだよ、会いたかった。ごめんね、寂しかったでしょう?ふふふ、俺もだよ。まったく、ローガンが帰ってきたからって、どうしてこんなに時間を掛けなければならないんだ。別に元々いつだって会おうと思えば会えたし、連絡も頻繁に寄越してきてたんだから。俺とサラとの時間を奪うなんて、腹が立つよね?」
段々怒りのボルテージが上がっていくのが分かったけど、私ごときに何か出来るわけもなく。しかし魔力が大きく漏れ出したらとても寒いので、クルッと横向きになってギュッと頭を抱えながら撫で撫でするという、ベル様が魔王状態でも即元に戻る技を決めたである。するとやはり秒で機嫌が直った彼は、恍惚とした顔で私の胸にスリスリしてきた。おいこら!!ヤナ程ではないとはいえそこそこあるんだから!!やめなさいよね?!と真っ赤になってアワアワする私を、頬を染めた蕩ける笑顔のベル様は幸せそうに見ていた。もちろん腰をガッチリ抱き、ぽよぽよした胸に顔をスリスリしたままで。
そして教えてもらったのが冒頭の話なわけだけど、謁見の間に転移し来て即ベル様の元に駆けきたらしい。そしてご両親に挨拶する前に、ニッコニコで「兄上、ただいま!!」と言ってハグしたきたという、かわいい兄弟エピソードにちょっと笑った。そんな第二王子であるローガン殿下に、両陛下もお怒りになる事もなく、通常運転だなとサッと流していたらしいのでそういうものなんだろう。しかしてベル様は塩対応をしたようで、すぐに彼を押して放すとちょっとだけ笑いながら、「もう行っていいか?」と訊いたらしい。いやいくらなんでも冷たいって!!私がアンディにそんな対応されたら泣いちゃうよ?!だからもう少し優しくしてほしい!!という頭の中をまた勝手に読んだらしいベル様は、途端にムッとして右耳を噛んだ。やめろ!!
「サラ、どうしてそんなにローガンに気を遣うの?ダメだよあいつは。確かに俺の弟だけど実はキャンベル公爵令嬢に憧れていたし、それもあって余計に、君に対して良い感情を持っていないんだ。会えば酷い事を言う可能性もあるし、何かしようと企んでいるかもしれない。まあ俺が全部阻止するけど、サラ自身も用心するんだよ?」
左手で腰を不埒に撫でながら右耳を噛まれた状態で、そんな事を言われてもですね?!あんまりちゃんと聴けないと思いませんか??まあしかし要は、ローガン殿下に気を付けなさいという事ですね。分かりました、でもきっと向こうから何がなんでも接触してくると思います!!その際はどうにか私なりに必死の抵抗をしてみますが、相手は王族ですし貴方程でないとしても、魔法をホイホイ使うんでしょうし。勝てないですからね?!負け確ですよこれは!!こうなったら私のなけなしの筋肉を育てて、どうにかパンチしてみるしか……。そうね、まずはスクワットから??そして腹筋もしてみるか…。という思考の海にどんどん潜り込み、うんうん唸っていたために、ベル様が蕩ける笑みを浮かべながらチョーカーに触れて、物凄い量の魔力を込めていたなんて気付かなかったのである。
「また頭の中だけでたくさん考えているね?それを口に出してくれないと困るなあ。予想出来るようになったとはいえ、全てじゃないんだからさ、知りたいのに分からないのは悲しいなあ?そういう機能もチョーカーに付けちゃおうか。ふふ、それはいいかもね。」
いやいやごめんてごめんて!!ちょっと頭の中でごちゃごちゃ考えてから喋った方がいいって、これまでにたくさん学んできたからさ?!だからちょっと待ってよ!!という事をワタワタと伝えたら、一応は納得してくれた。だって思った事とか考えてる内容をそのまま口に出してたら、私のうるささが5倍ぐらいになるじゃん?そんなのは嫌だしさ!!だがしかし頭の中を覗く魔道具は絶対に作らないでほしいな?!そんな事されたら即ヤナと一緒に、アンディのところに行っちゃうもんね!!なんて考えていたら、海に沈んだ夕日色の目をうっそり細めて見つめられたので、慌てて思考を放棄したのだった。
とにかくその日の夜は、ベル様も含めた極身近の方々が集まってディナーを摂るらしくて、大変不機嫌の彼は時間の本当にギリギリまで私を抱えて、スンスンスリスリペロペロギュッギュッとしていた。そしてエルヴィスさんが「殿下。」と小さく言った事によって、本当にしぶしぶ転移した。その際にしっかり耳元で愛を囁く事を忘れず、しかもちゅっちゅと口付けもしていったのである。真っ赤になって残された私を、ヤナが背中を擦ってくれながら落ち着けてくれたので、2人で夜ごはんを美味しく食べたのだった。
実は私のごはんになんか良くないものが入っていたらしいけど、ベル様が事前に手ずから選んだものに交換していたらしく難を逃れたなんて、全く気付かなかったのである。そしてベル様がまたしても、静かに怒りを募らせているなんて事も当然知らない。
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「兄上、あの女と婚約するのは本気ですか?アレはジュ……キャンベル公爵令嬢に対して無礼を働き、あろう事かお二人の仲を切り裂いたのですよ?これでは一体僕は何のために留学したのか……。」
そんな事を苦しい顔で、ローガン殿下の私室でお茶を飲むベオウルフ殿下に言う彼は、昔から少し思い込みが強い傾向にあった。それゆえキャンベル公爵令嬢がずっと、王妃教育を何かと理由をつけては抜け出して真剣に取り組んでいなかった事も、よそ見をして他の男に粉を掛けいている事も全く気付かない程である。ベオウルフ殿下は気付いていたのに、それでもキャンベル公爵令嬢への淡い気持ちが優先されてしまった結果、サラ・ロバーツ伯爵令嬢に以前入っていたという女に付き纏われたというわけなのだが。
「お前がキャンベル公爵令嬢に憧れていたのは知っていたよ。だが俺が彼女と婚約解消をしたのは、サラが原因ではない。キャンベル公爵令嬢が自ら望んでした事だ。俺の護衛騎士だったベイリー侯爵令息と再婚約を結びたいからと、邪魔な俺を排除するためにサラを利用したんだ。憧れのあの女はそういう人間だぞ?お前は昔から一度思い込むと頑なだよなあ。」
ソファーに背を預けて脚を組み、大腿の上で両手を組みながら吐き捨てるようにベオウルフ殿下がそう言うと、もともと苦しそうだったのに更に渋面にしたローガン殿下は、飲んでいた紅茶を少し乱暴にソーサーに置いた。そしてそのままの勢いでローテーブルに戻すと、ギリッと睨みながら口を開く。
「兄上、すっかりアレに洗脳されたのですね?噂では入れ替わりが起こって、今では別人だと言われていますが、洗脳ですよこれは!!僕は絶対に兄上を救い出しますよ。絶対に助けてみせますからね!!どうにかしてキャンベル公爵令嬢にもお会いして、今後の方向性を決めなければ……。」
彼は少し俯きながら言ったために、ベオウルフ殿下の雰囲気が猛烈な怒りに変わった事に気付いていない。これは不幸中の幸いなのか、同じ王族だからベオウルフ殿下の魔力が漏れ出していても今はほとんど影響を受けないようで、それもあって彼はどんどんロバーツ伯爵令嬢の事を、噂とはいえ悪く言い続けているが、そろそろ黙らせないといけないだろう。そう思って差し出がましくも発言させてもらおうかと思った時、ベオウルフ様がそれを阻止すうように私を強く睨んだのである。だからこちらも目だけで『御意に。』と返し、ただ黙って見守る事にした。
「おいローガン、お前はそうやってサラを悪く言うが、それが何を意味するのか分かっているな?」
ニヤリと口角を上げて、長い脚を組み替えながらそう問いかける彼はまさに魔王。よくロバーツ伯爵令嬢と専属侍女がボソボソと話しているのを聞いた事がある。もちろんベオウルフ様もそう呼ばれている事は知っているが、ロバーツ伯爵令嬢が言うのだからただただ嬉しいだけらしい。さすがの私もちょっと怖いなと思った事は秘密だ。
「ええもちろん。僕は兄上を救うために、わざわざ戻ってきたのですから。ですから今完全に洗脳された状態なので、そのようにアレを庇うのでしょうけど、解けた暁にはきっと僕に感謝してくれますよ!!そして再び、キャンベル公爵令嬢と婚約を結び直して、思い合うお二人が一緒になる未来が訪れます!!」
最後の方は完全に悦に浸ったように、ほんのり頬を染めてそう言うローガン殿下は、どんどんクソデカ地雷を踏み続けている事にどうか気付いてほしい。せっかく暖炉で温めたこの部屋が、極寒になっていて氷柱が天井から下がりそうな程なのだ。しかしてここにベオウルフ様の魔力を抑え込んでくださるロバーツ伯爵令嬢はおらず、私も別の侍従も寒すぎて震える身体を、気合いでなんとか耐えていた。
「ふうん、そうかそうか。あい分かった。」
その時、ブワッと勢いよく漏れ出た魔力が強すぎて、私以外の侍従3名は気絶してしまった。なんとか歯を食いしばって耐えた私でさえ、片膝をつかなければ意識を保っていられない程の強さに、さすがのローガン殿下も気付いたらしい。漸く恐れを抱いた顔をして、尊敬してやまない兄を見つめる。
「悪いなエル、もう少しで終わるからな。」
チラリとこちらを見たベオウルフ殿下は、私が何とか耐えている状態を確認して、眉毛を少し下げていた。しかし魔力を弱めるつもりはないようで、そのままローガン殿下に向き合うと、うっそりとした笑みを浮かべて口を開いた。
「ローガン、お前が何をしようと俺は阻止する自信しかない。だがしかしもしサラになにかしようものなら、二度と笑えないようにしてやるから、そのつもりでいるように。既にお前は俺の怒りを買っているんだ、料理に毒を仕込むなんて古典的な事をしやがって。サラには幾重にも加護をかけているから、どんな攻撃も毒も効かないからな。」
そして指を鳴らすと、途端にローガン殿下が悶え苦しみ始めた。どうやらロバーツ伯爵令嬢の食事に仕込んだ毒を、本人に返しているようだ。効果は吐き気を伴う頭痛のようで、「くそっ、なんで僕が!!」と言いつつ、なんとかしようと魔法を使っているが目の前のベオウルフ様がそれを阻止している。海に沈んだ夕日色の瞳で、悶え苦しむ弟を見ながら微笑む彼は、今何を思うのか。いやきっと、こうなったかもしれないロバーツ伯爵令嬢を思って、怒りに燃えているんだろう。
「あ、兄上……!!もう二度と致しません、から!!どうかお許しをっ……!!」
頭を抱えたまま、脂汗を大量にかいたローガン殿下が懇願する。しかしベオウルフ殿下はすぐに解除せず、笑みを深めると優雅に紅茶を一口飲んで座り直すと、苦痛の表情を浮かべて引切り無しに「兄上!!」と言い続ける弟を見下ろす。こんな姿をロバーツ伯爵令嬢が見たら、悲鳴を上げて専属侍女に抱きつくのだろうな。そしてそれを嫉妬に狂いながら引き剥がして、膝の上に乗せてマーキングする姿が容易に目に浮かぶ。そんな風に現実逃避するしかない程、ローガン殿下の苦しむ様は凄まじいのだ。
「……ローガン、これは警告だ。これだけで済んだのは俺からの慈悲であり、もしお前が死んだとなったらサラが落ち込むだろうからな。お前は彼女に救われたのだ。分かるか?」
本当にこれは兄としての慈悲なのだろう。そうでなけば、彼は今頃ここにはいられない。そしてそんな事が実際に起こったならば、自分を陥れようとしたとはいえベオウルフ殿下の弟だからと、悲しむロバーツ伯爵令嬢を想像出来る。頭の中がベオウルフ殿下以外の事でいっぱいになるなんて、彼には耐えられない事だからなんとしても阻止したいんだろう。弟を思う慈悲0.5割、ロバーツ伯爵令嬢への配慮9.5割というところか。
「わかっ、分かりました!!申し訳ございませんでしたっ……!!」
叫ぶようにそう言うと、漸く治癒されたらしく肩で大きく息をしながら、「……ありがとうございます。」と言うローガン殿下は、これで思い知っただろうか。ロバーツ伯爵令嬢が、いかにベオウルフ殿下にとって大切で重要で、無くてはならない唯一無二の存在なのかを。まさに逆鱗であるという事を。身をもってして知らなければ、第二王子といえども簡単に命を奪われかねない。
「俺に二言は無いぞ。さてエル、もう要は済んだから戻るぞ。そろそろサラが寝てしまうからな、その前に癒してもらわなければ。」
最後にはうっとりとした表情を浮かべて、ロバーツ伯爵令嬢を思って作らせた、ガーネットのカフスボタンを撫でながらそう言うと、サッと一人だけ先に転移してしまわれた。急いで後を追うために、「失礼いたします。」とローガン殿下に腰を折って挨拶して背を向けた。
「……絶対に兄上を取り戻す。」
部屋から出る際に、そんな呟きが聞こえた気がしたけれども、私は決して気付かない振りをする。何故ならば死にたくないからだ。せっかくベオウルフ殿下に助けていただいたこの命、彼の生涯のために尽くさせてほしいのだから。




