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11-3 季節は廻る

「アルティス国王に話を申し入れました。最東の港から虹の島へ出港できます。港を覆う氷も溶けた、と連絡がありました」


 入江姫が目を閉じて、本や手紙で埋め尽くされている御簾台に腰掛け、秋から冬を越えて少しばかり大きくなった龍の頭を、膝の上に載せて静かに撫でながら言葉を返す。


「………この城には、城の皆には、本当に世話になった」


「いいえ私こそ、どれだけ助けて貰ったかわからないわ。……正直、少し寂しくて」


「……我もな」


「馬車に、お土産をありったけ詰めるわ」


「本も入るであろうか」


「ラムダ卿がぎりぎりで九十八席に留まってくれて正直助かっているわ。きちんとその旨命じてあります。大丈夫」


「あの古書店の店主には、この冬何度世話になったことか」


「欲しい本があったらカモメ達に伝言をお願いね。届くのは少しばかり、時間がかかってしまうけれど……」


 女王陛下が床の敷物に座り、脚を伸ばして呟く。


「こうやって羽を伸ばせる部屋も、もう、なくなってしまうのね」


 二人がいつもの様に笑いあう。


「この部屋も色々あったのう」


「ふふ、まさか出産部屋になるなんて思ってもいなかったわ。そう、色々あったけれど……」


 そこにミーンフィールド卿がやって来る。


「ロビンが寂しがることだろう。それと、アルティス港までの道中、私と第十七席、それとロッテが送ろう」


「第十七席と言えば、テオドール君、否、テオドール卿だね」


 ベルモンテが言うと、ミーンフィールド卿が少しばかり誇らしげな表情を口元だけに浮かべて頷いた。


「私がこの面構えで八頭立ての馬車の御者台にいたら、山賊の頭領の襲撃帰りにしか見えない、と騎士団の皆に言われてしまってな。まあ返す言葉もなかったが。そのテオドールがちょうど、道中で仕上げたい織物がある、とのことだ。城はファルコがいれば大丈夫だろう」


「世話になった者達に挨拶せねばならぬのう。出立は」


「いつでも大丈夫よ」


「………女王陛下よ、一つだけ、約束してたもれ」


 入江姫が居住まいを正し、向き直る。


「何でしょう」


 同じように座り直して背筋を伸ばした女王陛下に、島の姫君が微笑んだ。


「そなたと、そなたの『大鷲の君』の婚儀の日には、必ず呼んでくりゃれ。我ら二人、いつでも馳せ参じようぞ」


 耳まで真っ赤になって足を崩しかけ、それを慌てて直しながら、女王陛下がやっとの事で答える。


「………必ず、一番速い鳥で、知らせを送るわ」


「その件、万事よしなに頼むでな、橘大将」


「喜んで承りましょう」


「我が館が落ち着いた頃に、きっと鳥達からの文が届くのじゃろう。そう、女王陛下よ。我らは寂しがらずとも、また会える日が遠からず来るのじゃ。橘大将も、そうじゃな、帰路は森を通ってゆっくりすると佳い。そなたの小さな姫御前が喜ぶことよ」


 そこにファルコが入ってくる。


「まあしょうがねえ。こいつにはたまには森の空気をたっぷり吸わせて置かないと、そのうちまた突然、遍歴の旅に出て行きかねないからな」


「ロッテとテオドールと森に出るのは何ヶ月ぶりだろうか」


「御者付の新婚旅行みたいなもんじゃねえか!事実上のさぼりだぞゴードンお前……」


 盛大に眉をしかめるファルコの隣で、ミーンフィールド卿が涼しい顔で答える。


「入江姫の深き配慮。何と感謝すれば良いか」


 カールベルク騎士団長の『白いドレスのレディ』は一体どこの誰なのか、相変わらず色んな噂だけが飛び交っているが、本人は丸で意に介していないらしい。


 素知らぬ顔でロッテもまた、以前のように、中庭の隣のミーンフィールド卿の部屋へ飛んでいく。


 そんな変わらぬ日々が過ぎて、新しい季節が巡って来る。少しばかり暖かくなった日差しを見つめて、


「島の皆は驚くであろうな。手紙は、送っておるが……」


 鳥達が島に入江姫の無事を伝えてから、もう数ヶ月が過ぎていた。その間何度もカモメ達が往来し、文を定期的に届け続けている。そしてそんな虹の島でもまた、姫達の帰還は心待ちにされているという。


「館の建て直しからはじめないとね」


 入江姫が、外の明るい日差しから、吟遊詩人へ視線を移す。そして、ぽつりと問うた。


「………我は昔の我ではなく、御簾の後ろでただ愉しい話を乞うだけの姫君ではなくなってしもうた。奇異な女と、蔑まれることもあろう。……故に、最後にもう一度だけ問おう、ベルモンテ、我が舟よ。それでも遠い島で、我と生涯を共にするか」


 部屋中に、医術や算術、農業や交易の本、紙やインクが広がっている。


「君がどんなに努力をしてきたか、僕は良く知っているよ。僕だって異国から来た吟遊詩人。それもあの略奪時に君だけを連れて逃げた男だ。島に帰った途端にどんなお咎めが来るかわからない。けれど」


 ベルモンテが微笑み、孔雀色の龍の背中を撫でてやる。以前ロビンから貰ったスプーンの形の恋のお守りが、彼の胸の上で、窓からの春風に揺れた。


「皆で帰ろう。愛も、使命も、新しい唄も、数え切れないほど持ち帰ろう。そう、僕は君の舟だ。これからも、ずっと」


 ミーンフィールド卿が口元に静かに笑みを浮かべる。いつの間にかそんな彼の肩の上にとまっていたロッテに、入江姫が言う。


「………ふふ、小さな姫御前よ。帰る前にそなたと女王陛下に聞こうと思ってすっかり忘れておったことがある。『接吻の作法』じゃ」


 女王陛下が言った。


「………そうね、つまり、ここにいる殿方全員をまずは部屋から追い出すところからね。けれどベルモンテ、あなただけは残って」


「そうだな。無粋な真似は宜しくない。ファルコ、そういえば城下町に良い酒場が出来たらしい。ロッテ、詳しくは後ほど」


『わかったわ。私もおさらいしたいところだったの。そういえばご主人様、そろそろ満月が近いわ。その件も宜しく頼むわね』


「考えといてやらあ。せいぜい城の皆にバレねえようにやれよ。じゃ、飲み代の領収書は女王陛下持ちだ。俺達は花見酒と洒落込もうぜ。せいぜい頑張れよ吟遊詩人!」


 ベルモンテが言葉を失うよりも先に、二人は素早く部屋を退出してドアを閉める。


「いい日だな」


「今日の酒は美味いに決まってる。飲もうぜ!」


「真っ昼間から騎士団長と大魔法使いが城下町で飲み明かす国か。治安が問われるな」


「アンジェリカ夫婦に見つからねえうちに城を出るぞ。走れ!」


 二人が廊下を駆け抜け城を出て、春の匂いが微かに漂う城下町へと歩き出す。


「羨ましいもんだな、全く」


「お前に足りないのは勇気だけだ」


「……違いねえ。だがな、あの二人が島に戻れば、きっともっとあそこは良い島になる。だから俺は思ったんだよ。……島の『領主夫妻』を招きたい」


「成程、名誉なことだ」


「……で、お前の隣には、『白いドレスのレディ』がいる。もう満月の力も要らない。女王陛下の新しい婚礼衣装には、テオドールの刺繍が煌びやかに施されているだろうな」


「そうだ、ロビンの回すあの糸車で紡がれた、美しい糸でな」


 そんなテオドールは今、島に帰る入江姫の為に、ロビンの工房に通っては、美しい帯を刺繍しているという。


 この国の様々な文物、カールベルク城、森の風景、鳥達や大鷲や花の剣、様々な思い出が織り込まれた帯は、道中、御者台の上で仕上がる予定らしい。


 かの緑の館にも時々足を運んで、諸々を手入れしてくれているかつての近習でもあるテオドールが、彼の言うところの『美しい手の女性』を伴って密やかに館へ向かう日も、遠くない未来での出来事になることだろう。今はまだ秘密にしておくと約束している事柄を思い起こして、ミーンフィールド卿はただ静かに微笑む。


「それで、アンジェリカ夫婦のチビどもが、あちこち走り回って、隠居した爺連中を困らせるんだ」


「目に浮かぶようだな。騎士団と魔法使い達が勢揃いして、跪く。女王陛下と、その王配に」


「……そう、王配。女王陛下の配偶者だ。この俺が今更それを目指してないわけはねえだろう。けれど、わからねえんだよ。俺は本当に、出自もわからねえような魔法使いを王配に迎えることに、世界中の誰も異存を唱えることができないような、そういう本物の『大魔法使い』なのかどうかがな………」


 珍しく胸の内を長年の親友に吐露するファルコの左手の指輪が、春の光で煌めく。


「だが俺は『待たせない』って誓った。今頃『接吻の作法』とやらを城のレディ達にお教えしているであろう我らが女王陛下にな……。ああ、どうしたものか、答えが出ねえやつだ。酒に聞いても、鳥に聞いてもな」


 ミーンフィールド卿が言う。


「……ならばお前がそれに相応しいか、聞きに行くといい」


「何だって?」


「カールベルクの水源地に、大きな柳の樹が立っている。そこへ行け。お前は我が母の弟子だ。母とゆかりのあるかの大柳も、快く迎えてくれるだろう。よく、話をしてくるといい。テオドールも、木々の声が聞こえたという。お前にも聞こえるだろう」


「………恩に着るぜ」


 ファルコが大きく息を吐いて、髪をほどく。そして息を吸って目を細めた次の瞬間、鷲に姿を変えた。以前と異なり、小型で細身の体躯に白い羽、そして足の指のひとつに、金の指輪が嵌まっている。


『出かけてくるって伝えといてくれ』


「了解。健闘を祈る」


 白い鷲が、美しく舗装し直された石畳の上を舞い上がるのを見送り、ミーンフィールド卿は静かに城へと踵を返す。


 春の風が吹き、街の緑達が挨拶を交わしあっている。次に騎士団の召集の鐘が鳴る日は、婚礼の発表の日になるのだろう。


 女王陛下の婚礼。どんなに時間があっても足りないほど、騎士団長の自分にはやらねばならぬことが山積みである。


「夢、か」


 必ず叶うはずの夢を抱いて飛び立った友が、空に白く軌跡を描く。ミーンフィールド卿が足を止め、何時ぞや夜の森で見たあの美しい八頭立ての馬車や、その他いくつもの荷馬車に、城の侍女や従者達が、虹の島へ送り届ける荷物を積んでいくのを静かに見つめてから、再度歩きだし、城の門を潜る。廊下を静かに通り抜け、中庭に足を向ける。


 落雷で割れた木々からも再度新しい緑が芽吹き、庭には春の香りが立ちこめていた。ふと見ると、足元に苺が実っている。


 吟遊詩人と姫君をあの森の館で歓待してから、もう何年も経っている様な気がする。あっという間に過ぎていった怒濤のような一年。予想もしていなかった出来事の数々を思い起こしながら、足元の苺を静かに摘んだ。 


 そしてこの赤い苺のように甘く闊達な瞳をした、自分が城で暮らしはじめてからは、夕暮れ後にも訪れるようになった、小さな『白いドレスのレディ』と分け合おう、と、ミーンフィールド卿は摘んだ苺を片手に、中庭の隣の自分の部屋へと戻っていった。

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