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10-3 銀の顛末

 髪を下ろし、いつもの装束に戻った入江姫とベルモンテがやってくる。


「此度のこと、我が島の宝を取り返してくれて感謝している。それと、第一席とのこと、つまり、これからは橘大将と呼ばねばならぬのう」


「うっかり眠りすぎたらしく、目が覚めた時には決まっていてな」


 ベッドの下から顔を出した小さな龍が、入江姫を見つめて不思議そうな顔をする。


「きっと同じ故郷の香りがするのだろう。いつか、この小さな龍を、貴殿の島に返してやってほしい」


「相分かった。島の皆は驚くであろうな」


 入江姫が抱えているのは『国家算術の心得』と、数々の医学書である。


「春になったら、海を渡ろうと思う。冬の間に、覚えておきたいことがある故に。………この国の、この城の皆は我に、様々なことを教えてくれた。故に我は、胸を張って帰ることが出来る」


 ベルモンテの手にしている琴に興味津々なのか、龍が小さな手を彼の脚に乗せて、小さな子が大人にせがむように琴をつついている。そんな龍の頭を優しく撫でて、吟遊詩人が陽気に笑う。


「音楽は好きかい? 島の民謡とかがいいかな。島に帰るまでにいっぱい教えてあげよう」


 琴からゆっくりと、遠い島の素朴なメロディが流れる。思わずミーンフィールド卿が息を吐いた。


 第一席。騎士団長。ドラゴンを倒した騎士。これからの自分は、色んな名で呼ばれることになるのだろう。いつもの森の館に帰り、変わらぬ生活をまた続けていくものだとばかり思っていたが、どうやらそれはまた何十年も後の話になるらしい。


「………橘大将。我がいつか島を再興したら、皆で、遊びに来てくりゃれ」


「もちろん」


「あの森の館での歓待の晩、我は生涯忘れない。おぬしが中将であろうが、大将であろうが、我にとってはおぬしは少しばかり不可思議で、誰よりも客人の持て成しの上手い、思慮ある男よ」


 入江姫が龍を優しく撫でる。民謡の美しい音色と共に優しく撫でられるのが心地良いのか、龍がすっかり猫のように丸くなって眠そうな声を上げている。


 そんな午後のひとときが柔らかく過ぎていく。


「………その館も、引き払わねばならないが、幸いにもここには、中庭がある」


「城で暮らすことになるのかい?」


「ああ。第一席とはそういうものだからな。……私は城暮らしには向かないと思っていたが、日々の愉しみとは、自分で見つけるものだ」


「ロッテ君が喜ぶよ」


 ミーンフィールド卿が微笑む。


「ああ、そうだな。……よもや我がレディと一つ屋根の下で暮らすことになろうとは。やはり中庭にはもっと手を入れねばならぬ。愛を囁くには、この城は少々賑やかすぎるゆえに」


 相変わらずどこまで本気なのかわからない口ぶりの中に、本人も気付いているのか定かではない、少しばかり熱い何かが以前よりも多く織り混ざっている。ふとそんな気がして、ベルモンテが愉しげに微笑む。


「そろそろ、恋の歌の楽譜が足りなくなるね」


「光栄なことだ。……入江姫、ベルモンテ、城下町の入口に古書店がある。騎士団のラムダ卿の店だ。もしも島に入り用な本などがあれば、必ず調達してくれる。事情を話して見ると良い」


「それはありがたい話じゃ。先の中庭での働きに、女王陛下から禄を賜った。どう使うべきか考えておったところよ」






「全員帰ったな?」


 入江姫達が退室した後、再び、そっと松葉杖をついてひとり入ってきたのはファルコだった。


「………何か起きていたのか」


「まあ、俺も三日は寝込んだわけだし、流言飛語の飛び交いやすい時期だが、気になる話を一つ拾った。帝国の王が代替わりするらしい」


「………代替わりか。急なことだ」


「噂によると、『王座の間で何者かに背中を刺され、雷に打たれて倒れていた』らしい。生死は定かではないけどな」


「やはり樽五杯では済まなかったという話か」


「……まさかとは思ったが、やっぱりそうだったのか」


「内密で」


「そうだな。俺達ゃあのデカブツは倒したが、それ以上の事は知らねえ」


「そういうことだ」


 二人が目を見交わして、同時に大きく息を吐く。


「しかしまさかお前が『騎士団長』とはなあ」


「お前とて『大魔法使い』だろう」


「アンジェリカとオルフェーヴルのありがたい監視の目が光ってるけどな」


「昔日の我々はやりたい放題だったからな。あれは実に愉しい日々だった」


 すると、


「ええ、本当に。第一席と第二席が毎回カンカンだったのを何度取りなしたか、私、途中で回数を数えるのを諦めてしまったわ」


 そこに女王陛下が入ってくる。


「女王陛下」


「というわけで、二人には怪我が治り次第キリキリと働いていただきます。……託児所を作るって言ったら城の侍女達が皆喜んでいたわ。私も、もっと学ばないといけないわね。この城はお父様が建てた城だけれど、人の考え方や、必要なものは、月日と共に変わっていくのだから」


「城下は」


「騎士団達が頑張っているわ。足りない資材も街道を修繕して他国から輸入しているの。せっかくだから、その資材もアルティス王国と分け合うように命じたわ。あちらの被害はこちらより深刻だもの。でも幸い、今年の収穫は何とかなりそうよ。冬は越せるわ」


「それは良かった。そういえば女王陛下。第一席昇格、ということはこの城への移住になりますが、部屋は何処になりますかな。……あの館を、引き払わねば」


「あなたがあんなに愛していた森から引き離すのだけは、私も心苦しかったけれど、中庭に一番近い窓の大きな部屋を整備させます。図書室の隣の。それでいいかしら。引越しは、怪我が治り次第でいいわ」


「そうですな。……壮行試合の前までには引っ越して来ましょう。しかしながら、どうしたものか」


「まだ問題があって?」


「片目に雹の直撃を受けたわけですが、これで私がこの顔にさらに眼帯などして公の場に出たら祝宴の場の雰囲気など一気に壊しかねませんな?」


 ファルコが首を竦めて言う。


「この野郎さぼる気満々じゃねえか。で、眼帯までつけるのか? ほぼ山賊の長みたいなツラじゃねえか。顔面の治安が最悪だな、こりゃ」


 そして女王陛下もまた、動じる様子もなく微笑む。


「あら、ちょうど良いわ。あなたがいるだけで有象無象の貴公子からの私宛の『紙資源の無駄』が減るのでしょう? 他国のレディ達は震え上がるかもしれないけれど、私は勇気あるレディが好きなの。というわけで、祝宴のサボタージュは厳禁よ。きちんとお仕事してもらいます。ところで、視力は問題ないの?」


 こうして三人で話していると時折、女王陛下の口調というものを忘れるエレーヌが、心配げに問いかける。


「慣れればそれほど支障はありませんな」


「危うく義眼になるのを、あのクロード医師が瀬戸際まで粘って医師達を説得して手術したんだ」


「あの家族にはどんなに感謝しても足りない」


「クロード卿の様な車椅子の人でも登城出来る様に、城の階段にスロープをつける話が出ているわ。直せるだけ直して、もっと良い城にして、次の世代に引き継がないと行けないものね」


「成程。次の世代か」


 ファルコとエレーヌ、昔から変わることのなかった二人、そしてとうとう変わることを決めた二人を交互に見つめて、ミーンフィールド卿は意味深に微笑む。


「……そうだな。愉しみにしていよう」






 気が付くと自宅の方へと歩いていたらしい。テオドールが少し傾いてきた空を見上げて、大きく溜息をつく。


 元々臆病な性格だった。中庭に雷が落ちてきた時も、必死すぎてもう二度とあんなことは出来ない、そんな気さえしてくる。何よりも夢見ていたはずの刺繍すら許して貰ったのに、心は何でこんなに沈んでいるのだろうか。


 ふと、幼い頃からずっと聞き覚えのある歌声が風に乗って耳に届く。城下町をとぼとぼ歩くテオドールが、ふと足を止めた。


 無人だったはずの家具工房の窓のカーテンが揺れ、窓際の机に置かれた糸車を、ロビンが鼻歌を歌いながら回し、糸を紡いでいる。


 幼い頃から見慣れていたはずのこの『奥様』が、どこか幸せそうに、丸で夢見る乙女の様な表情を浮かべながら、糸車をくるり、くるりと回す横顔を、夕焼けが静かに照らす。紡がれる白い糸が、暮れる日の光を浴びて金色に光る。


 もう何日も前に、城で唇を寄せたあの『美しい手』が、美しく輝く糸を紡いでいくのを見て、テオドールはその場でしばし立ち尽くす。


(………そうだ。僕は、約束したんだ)


 自分にはまだ、果たすべき約束がある。誰かのための何かを、自分もまた成さねばならないのだ。寂しさを乗り越えて糸車を回すロビンの新たな生活には、どんな柄のテーブルクロスが良いだろうか。


 そう、これから自分は誰よりも美しい人に、何よりも美しいものを贈るのだ。そのことに、誰にも文句は言わせない。それだけの力を持った騎士に自分はならねばならない。否、なりたい。『騎士になりたい』という気持ちがこうも明確に、輝かしく、己の胸に灯る日が来るとは、思ってもいなかったことだ。


 ティーゼルノット家の庭には祖父の代からの剣の練習場がある。そのまま静かに踵を返し、テオドールは早足で、森に送り出されたあの日以来久しぶりに、自分の家の方へと向かっていった。

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