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10-2 新たな日々へ

 長い間、来るはずもない、会えるはずもない誰かをずっと待っていた。それが何故なのかは、自分でもわからない。


 気が付くと、いつの間にかぼんやりと柳の木の下で立っていた。空に、美しい虹がかかっている。遠く、遠くへと、空の果てへと橋を架けるかのように。そこに、聞いたことのない、だが、何となく知っているような声がする。


「お疲れさま」


 そこには年若い、やや厳ついが妙におおらかな雰囲気の騎士が佇んでいた。


「あなたは」


 気が付くと、自分はいつの間にか、かつて城下町に建っていた懐かしい我が家の玄関前にいた。柳の木が揺れて静かに葉音を奏でる。


「剣を、取ってきてくれるかな。花の形をしていて、妻がたっぷり魔法を込めてくれた逸品だ」


 そうだ、父親の形見だ。いつも母の部屋の窓辺に飾ってある、美しい一振りの剣。玄関の隣の窓に映る自分は、どういうわけか、まだ幼い姿をしていた。


「あれは………ごめんなさい、なくしてしまった……」


 朧気に、色んな記憶がゆるやかに流れ込んでくる。銀のドラゴンの背中に剣を刺したこと。落雷でおそらく跡形もなくなってしまった、『花の剣』。


 顔を上げると、いつの間にか今度は自分が目の前の騎士よりも少し背が高くなっていた。両脇に橘の木が薫る、いつもの森の館の前である。自分に面差しの似た、自分よりも若い騎士がのんびりと微笑う。


「いいんだよ。はじめて息子の役に立てた」


「………あなたは」


 それには答えずに意味深な笑みだけを浮かべて、騎士がゆったりと微笑む。


「ゴードン・カントス・ミーンフィールド卿。びっくりするほど大きくなった、僕らの自慢の子、最高の騎士。握手しても?」


 思わず無言で頷く。自分よりもずっと年若い騎士が、嬉しそうに自分の手を取って、握りしめ、何度も何度も感触を確かめる。


「手も僕より大きくなった。けれど、土と、緑と、あとは、優しい小鳥が運んでくる、花の香りがするよ。………さあ、起きて。皆が待ってる。僕は、妻が待ってるから行かないと。遠いいつの日か、また会おう。君にはずっと、ずっと前から会いたかった。本当に、会えて良かった。今はまだ、さよならだけれど。……だから、まだ見ていないものを、たくさん見ておいで」


 遠くから赤子が泣く声が微かに響く。そして、自分のよく知る羽の音。もう朝が来たのか。開けた窓からいつもの白い羽が指先に舞い降りてくる頃合だ。


 思わず何時ものように人差し指を動かした瞬間に、世界が眩く輝き出した。






 ゆっくりと目を覚ますと、足元に何かがいる感触がした。連れて帰ってきた龍だ、と思い出すまでに少し時間を要してから、何度も目を瞬かせようとして、片目が動かない事に気付く。背中と腕と脚と顔の片側に湿布や包帯が巻かれ、胴体ががっちりと固定されている。


 カールベルク城のどこか一室なのだろう。胴体が動かせないが、微かに見知った感覚がある。中庭の香りだ。どうやら一階らしい。換気のためか窓が開いていて、枕元の机に小さな花々が添えられている。


「ここは……」


 花達に聞こうにも、口の中が乾いて声が出ない。おそらく、大砲台の上であのまま気を失ったのだろう。一体何日経っているのか、皆目見当も付かない。


 ファルコはどうしているのか、アンジェリカは無事なのか、オルフェーブルや入江姫達、そして女王陛下に報告することも山のようにあるはずだ。


 開いた窓から赤子の泣き声が微かに聞こえ、それをあやすような優しい琴の音色が響く。城の修繕だろうか、職人達らしき野太い声が、よく知るパイプの煙の香りと共に鍛冶場から二階へと行き来する。


(………すべて世はこともなし、か)


 怒濤のような日は過ぎて、ただただ静かな部屋で、目を閉じる。聞き慣れた羽音が窓辺に響き、いつもの癖でふと人差し指を動かす。ふと、眠っていた間に見た不思議な夢を思い出しながら、枯れた声でミーンフィールド卿は言った。


「………おはよう、ロッテ」


『ゴードンさん!?』


 驚いた小鳥が、摘んできた花を取り落とす。花の香りが鼻腔をくすぐる感覚のおかげか、意識が明瞭になっていく。


「何日……眠っていたのか皆目、見当もつかない」


『ま、ま、待っててちょうだい、すぐにお医者様とテオドールを呼んでくるわ!!』


 ロッテが慌てて窓から飛び去っていき、しばらくして、ばたばたと勢いよく階段を誰かが駆け下りてくる音と共に、勢いよくドアが開かれた。


「お師匠様!!」


 テオドールである。その後ろから、片脚に臨時の木製の義足を嵌めたクロード医師も歩いてくる。


「もう五日間も寝ていたんですよ! 大手術だったんです。目とか、脚とか、もう、数えきれないくらい……」


「……五日間か」


「ちなみにファルコさんは三日間です。腕や背中にすごい数の雹や枝が刺さってて、そっちも大変だったんです」


 クロード医師が息を吐いて、問いかける。


「二人ともよくあの状態で帰還できたものだと皆で仰天したものの、避難所にいた町中の医師達が全員揃っていたおかげで何とかなりましてな。何か、欲しいものは」


「水が欲しい」


「僕、汲んできます!」


 テオドールが飛び出していく。


「ゆっくり飲むように。内臓は無事だと看ていますが、念のため」


「ご助力に心から感謝します、クロード殿」


 クロード医師が、ミーンフィールド卿の上体を少し起こす。


「こちらこそ、何と言えばいいのか分かりませんが……息子が世話になっております」


「良きご子息だ。この緊急時、彼がいてくれてどれほど助かったか」


 ひょこっとベッドの下から龍が顔を出す。


「これが………龍ですかな。島の姫君が言っておりましたが」


「懐かれてしまった。城を襲ったドラゴンとは別物のようなものだ」


 水を大きなお椀に入れて持ってきたテオドールから、ゆっくりと腕を上げてそれを受け取る。身体の調子を確かめ、強烈な渇きを癒やすためにゆっくりと水を飲んで、やっとの事で息を吐く。


「……日々の鍛錬は独りで行ってはいたが、テオドールが修行に来ていなかったら、こうも早急かつ本格的な対応は不可能だっただろう。こんな有様だが何とか生きて帰ってこれたのは、森での鍛錬があったからだ。感謝している」


「お師匠様」


「皆は?」


「これから来ると思います」


 そこに勢いよくドアが開き、やって来たのはアンジェリカだった。ドアは蹴り開けたらしく、両腕には双子の赤子を抱えている。


「まったくこのボンクラいつまで寝てんのさ! うちの子達なんて夜になっても寝てくれないっていうのに……」


「無事に産まれたか。バルコニーでは無茶をさせたな。詫びねばと思っていたところだ」


「出産費用とお祝い金と城の託児所の建設費、あんたとファルコの給金から差っ引いておくからそれでチャラにしてやるよ」


「結構。それにしても双子だったとは気付かなかった。名前は?」


「こっちの女の子が『リベラ』、こっちの男の子が『バウム』」


「『翼』と『樹』か。顔をよく見てみたい」


 アンジェリカがしゃがんで、双子の顔をミーンフィールド卿に見せながら、言った。


「……あんたの薬箱、あれのおかげで大分助かったよ」


「結構。大量に煎じた甲斐があったというものだ」


 そこにオルフェーヴルに支えられたファルコが松葉杖をついて入ってくる。


「起きるのが遅かったな。ロッテに謝っておけよ」


 枕元の小さな花々は、ロッテが毎日摘んできてくれたものらしい。


「お前こそ女王陛下の政務を三日ほど止めただろう」


「………なんで寝てたくせにわかるんだよ。アンジェリカ、お前」


「私まだ何も言ってないよ。さすがはデキるボンクラ、察しが良いね!」


 オルフェーヴルがくつくつと笑い、枕元の花々もまた愉快そうにざわめく。


「おかげでこんなに忙しい一週間は人生で初めてだったよ。兄が来てくれていて大分助かったけれど」


「兄君には森では随分世話になったな。おかげで城に帰ってこれた。礼を言わねば」


「いい土産話が出来たって皆が口を揃えて言っていたよ。アルティス王がカンタブリア領主へ城下町の救援要請を出したって聞いて昨日帰ってしまったけど、くれぐれも宜しく、と。落ち着いたら今度はゆっくりと遊びに来たいって」


 アンジェリカが言った。


「それと、噂が噂を呼んだのか、魔法使いとしてこのお城に勤めたいって希望者が増えたんだ。『大魔法使い』がいる国はまだ珍しいからね。……それと、こっちはあんたにはもっと大事な話だ。第一席と第二席が隠居するって言い出してさ」


「………そうか。で、何故に私にそれが」


「ドラゴンを倒した男が第一席でおかしいことはないよ。君が眠っている間に騎士団満場一致で決まったんだ。どの道、君が起きてたって結果は変わらなかったと思うしね。陛下から許可も頂いたよ」


「………いや、だがそれは」


 珍しく言い淀むミーンフィールド卿に、アンジェリカがにんまりと笑う。


「で、私は女王陛下付き魔法使い。つまり有象無象の魔法使い志願者どもを『鍛える』側に回ったってわけさ。ああ、腕が鳴るね! 早くあの剣が持てるようになりたいもんだよ」


「……成程、どうも私が知る『鍛える』の概念とは少々異なっているようだが、まあこれも致し方あるまい」


「今の台詞をラムダ卿に聞かせてやりたいよ。ついでに、どこぞのトンチキ大魔法使い様とやらが仕事さぼって我らが麗しき女王陛下の部屋に忍び込んだりしないように見張る役だから、そこんとこあんたも心得ておいて」


「で、僕は第二席。ドラゴンを倒した第一席たる騎士団長殿が仕事をさぼって土いじりや庭いじりや森の散策に出かけてはしばらく帰ってこない、なんてことがあっても困るからね!」


 オルフェーヴルの肩の上のガエターノまでもが、ウンウンと頷いて胸を膨らませ、まだ幼い双子達がキャッキャと笑いだす。


「家族円満も程々にしてくれよ、お前らときたら!」


「言っただろう。我々の信用の無さは折り紙付きだ」


 まだ顔に赤さが残る小さな双子を撫でてやりながら、ミーンフィールド卿が苦笑する。


「というわけで、二席分空くから街の復興が落ち着いたら騎士団の壮行試合だよ。君はどっかりと座っているだけでいいけれど、近習が騎士に最短で任命されるコースだ。テオドール君が頑張る番だね」


「修行の途中でこの騒ぎだ。ティーゼルノット卿は何と言うだろうか」


 クロード医師が言う。


「息子は随分と逞しくなりましたよ。私も、父も驚くくらいに。だから言ってやりました。騎士になったら、我が家での刺繍を許可する、と」


 ミーンフィールド卿が微笑む。


「とても喜ばしいことだ。テオドールには才能と、それに相応しい勇気がある。新たに騎士を任命するのは騎士団第一席の仕事のひとつ。楽しみに待っていよう」


 ドアの外に控えていたテオドールがぐっと拳を握り、顔を上げ、そして、息を吐く。


 ある日突然、無理やりあの森に送られてからもう何年以上も過ぎているような気がしてならない。橘の木を眺めていたら突如現れた『お師匠様』。ドラゴンを撃退し、とうとうこの国の最高位の騎士になるという。


 祖父は元副騎士団長、父とて優秀な外科医である。自分は、そんな皆に恥じることのない騎士になれるのだろうか。思わず足音を立てずにその場を離れ、テオドールは城を抜け出すとひとり、城下町の方へぼんやりと歩き出した。

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