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9−2 昔取った杵柄

『まあ俺は魔法使いだが、喧嘩の心得はあってだな!!』


 突風を纏った鷲が、鋭く大きな足の爪で、全力でドラゴンの顎を蹴り上げる。


「さすがは元不良少年。そういえば私はお前と素手で喧嘩して勝った記憶がないな」


『負かした記憶もねえけどな。お前は頑丈すぎるんだよ。アンジェリカの奴、容赦も手加減もしやがらなかったな。五体吹っ飛ぶかと思ったぜ』


「御前試合を思い出すものだ。しかし臨月でなおあれだけの魔法を使えるとは。……母体が無事だと良いのだが」


『吉報を届けてやろうぜ。出産祝いにな!』


 ファルコが、顎を蹴り上げられて上向きになったドラゴンの頭を再度大きな足の爪で掴み上げ、地震で割れた地面の石畳に叩きつける。普通の動物であれば命はないはずだが、石畳にぶつかったドラゴンから、金属の様な音がする。


『やっぱり、妙に頑丈にできてやがる……』


「何かしらの『銀』を全身に纏っているらしい。やはり普通の生き物ではないな。成程、弓も大砲も通らないわけだ」


 地面に叩きつけられたドラゴンとミーンフィールド卿の瞳が、ほんの僅かに交差する。動物的な赤い瞳の虹彩の奥に、僅かに人の瞳のような、銀色の光が揺れている。


「………思った通りだ。操り手がいる。ファルコ、森まで誘き寄せろ」


『了解』


 ミーンフィールド卿が『花の剣』を抜く。そして、赤い瞳の奥の銀色の僅かな光に、言い放つ。


「我らの城が欲しければ、我々を倒してから行けば宜しい。もっとも、我々にはこの後『予定』があるゆえに、命など簡単にはくれてやらないがね」


『お前もなかなか言うじゃねえか。全面的に同意だ。そら、行くぞ!!』


 ファルコがドラゴンの頭を再度掴み上げ、森の方へと力尽くで舞い上がる。ドラゴンが激しく暴れて鷲の爪から逃れ、鋭い牙を剥いた。


「ファルコ、低く飛べ! 森へ突入するぞ」


『任された! しっかり掴まっていろ、舌を噛むなよ!!』


 二度、三度、挑発するようにドラゴンの上空を優雅に舞って見せてから、そのまま一気にファルコが森へと急降下していった。






 顔面に凄まじい衝撃を受けて転がり落ちた王が、ゆっくりと立ち上がる。


「鷲か」


 通常ではありえない大きさの鷲に、その背に乗った壮年の騎士。


「小国かと思えば、あのような隠し玉があったとは」


 頭がぐらりと揺れる。王座の隣にある鏡を見ると、この帝国の歴代の長達特有の銀の瞳が、燃える様に紅くなっている。制御していたはずの魂が、心を逆に染めていく。


「………これが、ドラゴンか」


 神秘の獣と呼ばれる所以。己の魂が、より大きな魂に引きずり込まれていくような感覚。


 この挑発を無視をし先に城を滅ぼすか、厄介な蠅達を先に潰すか。自分なら前者を選ぶはずが、そう命ずるよりも早く、ドラゴンが鷲を追い、舞い上がる。


 今この瞬間に無理にそれを止めようとすれば致命的な隙が生じる、そう判断し、王は息を吐いて、己が操っているはずのドラゴンに、その選択を良しと命ずることにした。


「蠅二匹、潰してしまえば気も晴れよう。それからでも遅くはあるまい」


 まただ、また歯車が狂う音が脳内に響く。強い酒を無理に煽ったような酩酊感にも似ているこれは何なのか。否、ただの焦りだ、と今はそう判断し、王は静かに玉座に座りなおすと、再び目を閉じた。






 両手に纏った風が、バルコニーを吹く風と同化して流されていく。


「はは、トンチキとボンクラめ。子供がお腹から出てきそうだったよ………」


 思わずその場に座りこんで、アンジェリカが呟く。


「オルフェーヴル。もしかして、このお腹の子達、双子かもしれない。魔法を使ったとき、感じたんだ。小さい手の平が四つ、私を支えてくれたのを」


 そして、息を吐く。


「今日もし何かあったら出産費用はあの二人の給金から差っ引いて貰うからね」


 思わずオルフェーヴルが青ざめる。


「大丈夫かい!?」


「こんなとこに座りこんでちゃお腹に悪いけど、疲れてもう動けないんだ。ちょっと手を貸して」


 女王陛下とオルフェーヴルで、アンジェリカをバルコニーの中に引っぱりこみ、大広間のカーテンを剥がして布団替わりにし、彼女をその上に横たえる。女王陛下がアンジェリカの掌を両手でさすってやりながら、優しく聞いた。


「双子ね。楽しみだわ。どっちに似てるのかしら」


「私に似てたら大惨事だよ。私みたいなやんちゃなチビが二人も出てきたら………」


「間違いなく僕が育休を取ることになるね」


 そんなアンジェリカと、その手を握りしめるオルフェーヴルの二人を見て、女王陛下が囁いた。


「オルフェーヴル卿、城の修繕時に託児所を増やすなら今よ。私が許可するわ」


「………陛下、お任せください。このどさくさに紛れて意地でも費用を捻出してやります。そこで、少々早急な具体案ですが……差し当たってはあの二人の給金から月々しっかりと天引きする、などといった形で宜しいでしょうか」


 オルフェーヴルが文官の顔付きになって言うのを見て、アンジェリカが少し懐かしげに笑う。


「そういうところ、あんた、だんだん父上に似てきてるよ」


 薬箱を持ってきた女王陛下が呟く。


「ジャコモ卿ね。小さい頃、何度も算数を教えて貰っていたわ。懐かしいわ」


 そこに足音が響き、テオドールが入ってくる。


「ご無事ですか、皆様!」


 床でカーテンに包まったまま、アンジェリカが答える。


「無事だよ、なんとかね。そっちは?」


「中庭の皆は?」


 女王陛下に問われ、慌てて胸に手を当てて、頭を下げて答える。


「はい、全員無事です。死者を出すことなく最後まで治療に専念できた、と父がとても感謝していました。それと、えっと、あの……」


 思わず顔を上げて女王陛下の顔を見て、先程のバルコニーでの一幕を思い出し、耳まで真っ赤になりながら、テオドールは言う。


「あの……吟遊詩人のベルモンテさんが、陛下にお礼を述べるように、と。えっと、その………『新しいレパートリーをありがとう』と」


 女王陛下が、思わず虚を付かれて真っ赤になる。


「あなた達、もしかして」


「………中庭から、その、すみません。さっきの、その………」


 声にならない声を上げてその場で硬直し、思わず顔を覆いながら、目の前の女王陛下が呟いた。


「いいえ、謝ることじゃ、ないわ。そう、そうなのね。まるで考えていなかったわ、ああ、もう、私ったら………」


 真っ赤になった顔を覆っている女王陛下は、女王陛下というよりも、丸で絵本に出てきそうなひとりの恋するお姫様そのものである。


「あのボンクラ唐変木の近習っていうからどんな曲者を館に入れたのか心底心配してたけど、第二席のお孫さんだったなんて知らなかったよ。素直で良い子じゃないか。びっくりだよ」


 カーテンに包まっている身重の女性が笑う。


「仮にも騎士団長なのにこんな格好で示しが付かなくてごめんよ。私の名前はアンジェリカ・セルペンティシア。騎士団第三席、そこにいるオルフェーヴルは私の旦那様さ」


「はい。オルフェーヴル卿には剣術を教えて頂きました。そういえば、ロッテは………」


「バルコニーさ。外の見張り、いや、それよりも、そう、君のご主人の帰りを待ってる」


「………さっき、鷲に変身したファルコさんと一緒に、飛び出していくのが見えました」


「君も心配かい」


「………はい。けれど、あの、中庭の前の廊下に、父やロビンさん、入江姫、ベルモンテさんがいます。父は車椅子ですが……もう少し安全な場所を、聞きに来ました。もう皆、一歩も動けなくて……」


「救護班、ありがとうよ。あんた達が最後まで踏ん張ってくれたおかげだよ」


「さっきの雷は大丈夫だった?」


 女性二人に言われ、思わずどぎまぎしながらテオドールは胸に手を当てて背筋を伸ばす。


「は、はい!」


「オルフェーヴルとアンジェリカはここでもう少し休んでいて。私は皆を案内してきます」


「えっ、女王陛下が!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げて、恐縮のあまり目を白黒させる赤毛の少年に、女王陛下が微笑む。


「この城に一番詳しいのは、この城の主の私だもの、ね?」


 そう言われると返す言葉もない。


「皆にお礼も言いたいわ。レパートリーの件は、その、ともかく。さあ、手を。案内してくれる?」


「か、かしこまりました!」






 緑と緑の間を低く縫う様に大きな鷲が飛ぶ。その上空から、目下の鷲を追いかけるように飛ぶドラゴンが咆哮し、紅く染まる空から雷鳴が轟き、真後ろの木を轟音と共に真っ二つに裂いていく。


「ファルコ、私の館への道はわかるな。誘き寄せろ」


『館に雷が落ちるぞ、正気か』


「承知の上だ」


 森がざわつき、巨大な闖入者を寄せ付けまいと威嚇するような木霊が響きわたる。その木霊に呼応するように、花の剣が輝く。


「今のこの剣ならドラゴンにも効くが、あの銀は貫けない。だが、一か所でも銀を剥がせたら話は別だ」


『………その鉄梃はそういうことか!』


「銀の鎖を切る道具をローエンヘルム卿に頼んでいたが、時間が足りなかった。だが、これがあれば鎖の下にねじ込むなり何なり出来るはずだ。応用が利く。これもテオドールがロビンを紹介してくれたおかげだ。さすが我が近習、女性を見る目に間違いはないと見える」


 少しばかり意味深に、ミーンフィールド卿が笑みを浮かべる。


『俺の使い魔を散々泣かしておいて何のうのうと言ってやがるこの唐変木が』


 ファルコが呵々と笑い、一息で言う。すると、


「我が国としては、我らが麗しい女王陛下を適当な国に嫁に出すわけにはいかぬ。つまり、場合によっては、お前が我が主君になる可能性があるのだがな?」


 卿もいつもと変わらない表情のまま、揺れる鷲の背の上で悠々と言ってのけた。


『………王配ってやつか。ああ、お前ってやつは、この期に及んでなお人のケツに火ぃ付けて煽るのが上手いから困るんだ!!』


「というわけで良く励むことだ。我々の悪評は同期の皆に知れ渡っているからな」


『馬鹿野郎! どこの馬の骨ともしれねえスラム生まれの男に無駄な高望みをさせるんじゃねえ。無理な話だ。夢だぞ、夢。あれは、そうだ、夢だったんだ』


「命を賭けるほどの?」


『………ああ、そうだ、夢だ。だから、叶わないとは言ってない』


「そうでなければ。………私とて、まだ見てみたいものがあってな。お前が今さっき見たばかりのもので、私がまだ見たことがないものだ」


『………』


「おかしなものだ。長い遍歴を経て、何度も何度もこの目で見てきたつもりでいたというのに」


 砂漠に咲いていた『菫の花』、燃える天幕で握らせてやったあの白い手と手、森へ逃げ延びてきた姫君と吟遊詩人、夫を亡くしてなお新たな出会いと共に再度歩き出した未亡人、水源地に佇む柳の樹、生涯誰とも再婚しなかった母、自分の友を愛すると決意したばかりの女王陛下。そして、


「だから私は、応えようと決めたわけだ」


 自分の良く知る白い羽の小さな小鳥。あの白い羽が、この緑の森に一人で住まう自分の人生をどんなに鮮やかに彩ってきたのか、きっとそれは、この森の木々の方が、自分よりもよく知っているに違いない。


『……いいぜ。せいぜい魂を全部持っていかれるがいいさ。俺らはそういう風にできてるんだ』


「間違いないな」


 森の街道の少し外れた場所。曲がれば館へと続く見慣れた道に、次々と雷が落ちていく。ぎりぎりのところで体を翻して飛び続けるファルコに、ミーンフィールド卿が言った。


「私の庭で歓待する」


『………そうだな。開けた場所はこの森ではあそこだけだ。何とかしてやる。真上へ飛ぶぞ、手綱を離すなよ』


「了解。背中の上で私を降ろせ。一度しか試せない。二度目はないからな」


『心配すんな。絶対に生かして帰してやる』


「お互いにな」






 階段からテオドールが手を引いて降りてきた女性を見て、車椅子のクロード医師がぎょっとして思わず背筋を伸ばす。


「女王陛下」


「はじめまして、クロード卿。お話は伺っています」


「いや、おそれながら陛下、私は『卿』などという身分では………」


 表情を大きく変えることの少ないこの医師が、胸に手を当てながら言う。女王陛下が微笑んだ。


「いいえ。あなたのことは第一席と第二席から聞いていましたもの。ローエンヘルム卿はこう言いました。『絶対に来てくれる』と」


「………」


「私の国の民を最後まで見放さずに治療してくれて、本当にありがとう。それと、レディ・アーゼンベルガー」


 生まれて初めて『レディ』と呼ばれた家具職人の未亡人が、一瞬自分のことだと気づかずに左右を見てから、数秒の空白の後に仰天して思わずその場で頭を垂れる。


「職人用の鉄梃を担いで街中を走り回って、何人も、倒れた家具や潰れた家から怪我人を助けてくれた女性がいる、と避難民達から聞きました。あなたでしょう? 入江姫から聞いていたから、すぐに誰のことだかわかったのです。さあ、顔を上げて」


「は、はい」


「入江姫、ベルモンテ、本当にありがとう。大切なお客様を働かせてしまったわ」


 二人が顔を見合わせ、微笑む。


「その働き分に相応しい経験ができた。器具をああして茹でるだけで怪我人が助かるとは、相知らぬことであった。帰ったら島の皆に教えたい。医師殿に教えをもっと請うておかねば」


「僕もまた、働き分に相応しい曲が出来そうでして。女王陛下のおかげです」


「中庭からバルコニーが見えることをすっかり忘れていたわ。レパートリー、どうしようかしら。何年も、何年も、隠してきたのに、私」


「つまりプライバシーに配慮を、と」


 女王陛下が笑いを零す。


「そうね、まだあともう少しの間、内緒にしておきたいわ。でも……いつか遠い島で、私の想いが美しい歌になって歌われているのを想像したら、きっとそれは悪くはないと、思っています」


 そんな女王陛下に、ベルモンテは静かに言った。


「女王陛下。僕は中庭で決めたんです。僕もまた、いつかは姫と共に海をまた渡ろう、と。そして僕は姫に誓っています。『悲しい歌は歌わない』と」


 鷲に姿を変えて飛んでいった魔法使いを、誰よりも心配していても、心配顔ひとつ見せなかったはずの女王陛下が、少しだけ睫を揺らす。


「そう、悲しい歌など、決して歌うことはないでしょう。これからも、この先も」


「……ありがとう、私のお城の吟遊詩人。あなた達が生き延びてこの城まで来てくれなかったら、きっとこの国も、私達も、城下の皆も、無事ではなかった。さあ、あと少しだけの辛抱です。もう少し安全な場所に行きましょう。それとクロード卿」


「はい」


「身重の女性がいます。万が一に備えて、できれば来て欲しいのですが」


「かしこまりました」


「厨房の真下に、ワインセラーがあります。他の皆はそこへ。地下の方が安全でしょう」


「父さんは僕が運びます。皆さん、避難していてください」


 そんなテオドールに、入江姫が言った。


「……テオドール、柳の童よ。先程の礼じゃ。持っていくがよい」


 入江姫が、襷の代わりに使っていた、刺繍が入った白く細い帯をほどいて渡す。


「折れてしまった大事な枝の代わりじゃ。この文様は柳紋という。帯や守り袋によく綴られる縁起のよいものぞ。もう随分と古びてしまったが」


 白い帯に白い糸でさりげなく、そして柔らかく縫われている異国の文様。


「………ありがとうございます!」


 深々と胸に手を当てて礼をするテオドールの赤い髪の毛を、童にするように撫でる。


「きっとこうして頭を撫でてやるのはこれが最後じゃな。おぬしはもう、立派な大人ゆえに」

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