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8−2 接吻の作法

「で、何をする気なのさ」


 真っ赤に染まる空に、雷鳴が轟く。


「避難は完了したか」


「怪我の具合次第で私の館とお父様の霊廟に振り分けたわ」


「中庭には動かせない患者が残っている。それで、女王陛下」


「私はここにいるわ。安心して」


 バルコニーに立つファルコとゴードンが、同時に息を吐く。


「昔を思い出すものだ」


「この姫君が俺らの言うことを聞いてくれたことなんてあったっけな」


「残念ながら記憶にないな」


「ミーンフィールド卿まで!」


 エレーヌとアンジェリカが同時に声を上げる。


「このトンチキ阿呆鳥とボンクラ唐変木! さっさと作戦を言いな! さもないとこの場で三人くらい子ども産み落としてやるんだからね!!」


「おいおいオルフェーヴルを過労で殺す気か。暴れん坊隊長よぉ。そのトンチキとボンクラを一気に吹っ飛ばす念願の機会をくれてやるって言ってるんだ」


「何だって!?」


 バルコニーを何度も往き来し、歩幅で何やら図っているらしいファルコが言う。


「やっぱりどう考えてもお前の力がいる。アンジェリカ、ありったけの『風』が欲しい。ゴードン、悪いが少しばかり装備を軽くしろ。危ないのは承知だが」


『まさか、ご主人様……』


「そのまさかだ。ゴードンのお袋、俺の師匠が昔教えてくれた『鳥の魔法使い』最大の魔法だ」


 女王陛下の肩の上に止まっていたロッテが息を呑む。


「………『大魔法使い』と呼ばれるには二つの条件があるらしい。ひとつは『魂の割譲』、俺はここまではやれた。そこにいる使い魔のロッテだ。もうひとつは『肉体の変様』つまり、『鳥そのものに変身すること』だ。だが、この期に及んで小鳥に変身したところでどうしようもない、わかるな」


「………それで、私に装備を軽くしろ、と。成程、アンジェリカの風で飛ぶということは、それ相当の大きな翼で挑むつもりだな」


 ミーンフィールド卿が思わず眉間に手を伸ばしながら、聞いた。


「元の、人間の姿に戻れる保障は」


「残念ながら、今の俺の力だと五分五分だな。エレーヌ、そう言うわけだ。最悪お前は『やたらでっかい鷲』を一生飼育する羽目になる。その時は旨い肉を寄こせよ」


 エレーヌとアンジェリカ。そしてオルフェーヴルが言葉を失って二人を見つめる。


『でも………でも、ダメよそんなご主人様、いくらなんでも、そんな、それに……』


「まあ国が滅ぶよりマシな賭けだろ。この城あってのカールベルクだ。ここがなくなったら国民全員が詰みなんだよ」


『ゴードンさん』


 思わずひらりと、いつものようにミーンフィールド卿の肩にやってきたロッテに、彼は言う。


「ロッテ、もうひとつ案がある。森だ。私の森でさえあれば、どんな相手だろうが多少は有利だ。それと、頼みがある」


『………何かしら』


「最悪の事態が起きたら、全員を連れて城から退避してほしい。テオドールがいる中庭の皆もだ」


 思わずオルフェーヴルが声を上げる。


「駄目だ、そんな危険な賭けに君達を送り出せない。アルティスからの援軍が来るかもしれない。僕が……」


「残念ながらミーンフィールド家の家訓には『如何なる時も夫たるもの臨月の妻から離れてはならない』とあってな。アンジェリカを頼むぞ。お前の妻には随分と無理をさせてしまうが、薬箱を用意しておいて良かった。役立てて欲しい。それと、これを預かっていてくれ」


 ミーンフィールド卿が、美しく光る『花の剣』の鞘を渡す。


「手綱がないな。そこのカーテンのタッセルを借りるが、宜しいだろうか、陛下」


 エレーヌが、ぐっと唇を噛みしめて、そして、数秒後に言う。


「……許可します。ミーンフィールド卿、ファルコを……頼みます」


「承知致しました、我が陛下」


 ミーンフィールド卿が、跪いて胸に手を当てて言った。次に、何事かを少し考えてから、女王陛下が振り返る。


「ファルコ」


「何だ」


「………この前の晩に言おうとして、忘れていたことを、今、思いだしました。こちらへ」


「何だって?」


「ちょっとだけ、しゃがんで」


「何だ、内密の話か? 払いそびれた領収書なら……」


 途端に、ファルコの唇が唇で塞がれる。ただただ燃える様に熱く、若く、まだ完全には熟していない赤い果実の様な唇の色と、僅かに潤む蜜の様な瞳の色が、この『鳥の魔法使い』の視界を、視界だけではない全てを、目くるめく様に奪い取っていった。


 若く美しい女王陛下の細く白い指が、魔法使いの伸ばしっぱなしの銀色の髪に触れ、頬に触れ、そして、細い腕が背中に回る。


 世界中のいかなる言葉よりも雄弁なひととき。


 オルフェーヴルがカーテンのタッスルを取り落とし、アンジェリカが思わず天を仰ぐ。跪いているミーンフィールド卿が口元に微かに笑みを浮かべ、その肩の上のロッテが真っ赤に染まり、永遠のような一時が、バルコニーの上を巡り巡る。






 皆の集うバルコニーを中庭から不安げに見上げていたベルモンテが、声にならない声を上げた。


「何かあったのか」


 反射的につられて上を見上げた入江姫が、思わず口を覆う。ぎょっとしてつられて上を見上げたロビンが声を上げそうになり、思わず入江姫と全く同じように口を覆う。


「どうかしたんですか、もしかして、お師匠様達に何か……」


「いやいや、ちょっと待って、坊ちゃんにはちょっと早いよ、ああ、でもそんなこと……なくもないかな、どうしよう」


 皆の動揺ぶりを首を傾げながら見て、テオドールがバルコニーを見上げ、声にならない声を上げそうになって思わずぺたりと地面に座り込む。


「今、えっ、あの、もしかして、やっぱり、今の」


「つまりは、僕のレパートリーが増えたということさ」


「あの、でも、いいんですか」


「何がかい?」


「あんな、そんなに………なんて、言えばいいのか、全然わからないけど」


 手術の終わった患者の頭部を縫い合わせながら、振り返ることもなくクロード医師が言う。


「何があったかは知らないが、妻に手紙で書いたら喜ばれるようなことかね?」


 入江姫がそんな彼に思わず問う。


「………医師殿、奥方に聞いてみてたもれ。この国では、接吻に作法などはあるのか、と」


 クロード医師が縫い終わった糸をぷつりと切りながら、真顔を崩すことなく答える。


「作法か。私はもう、とうの昔に忘れてしまったが、妻に手紙で聞いて見るとしよう。果たして、覚えていてくれているかどうか」


「は、ははは母上に!?」


 厳格一徹なはずの父の口から出た思わぬ言葉に、テオドールが座り込んだまま思わず頭を抱える。


「私も、ああ、すっかり忘れてしまったよ。随分と昔の様でもあるし、最近の様でもあるし……けれど、悪いものじゃなかったはず。……ああ、だけど、個人的な感想だけど、きっと全然足りてないんじゃないかな。二人とも、あんなに若いんだしね……」


 まるで眩しいものを見るように、少しばかりの追憶がこもった言葉と共に息を吐いたロビンに、テオドールが言う。


「でもロビンさんだって、まだまだ若いじゃないですか」


「坊ちゃんに言われるとは思わなかったよ。あの世でうちの旦那が笑っているよ、きっと」


「………」


 何故か、少しだけ胸が苦しいような不思議な気持ちになって、思わずテオドールはそんなロビンから目をそらす。


「そうさ、ずいぶん立派になったって笑って言うに決まってる。もう少し大人になって、『接吻の作法』を覚える頃には、あのお師匠様も、クロード先生も、その奥さんもびっくりするくらいの立派な騎士になっているはずさ」


 座り込んだ地面の隣に刺した柳の枝が、同意するかのように優しく揺れる。


「……けれど、これだけは忘れないでよ。坊ちゃんが私をこの城に連れてきてくれたあの日から、私はもう一度、自分の人生を取り戻したんだ。今日だってそうさ。自分でもびっくりするくらい、いっぱい人助けができた。だから私は誰よりも、テオドール、あんたにこそ感謝をしているってことをね」


 背を向けたままのクロード医師が、静かに目を細める。


 自分の知っている息子は、気が弱く、騎士の修行にも向いていないような、そんな少年だった。それがいつの間に、一人の女性の人生を再出発させる力を持つような子に育ったのだろうか。


 『騎士になる』という、己があと一歩のところで果たせなかった夢を押し付けすぎて、息子なりの生き方というものを考慮することを、忘れていたのだろう。


 ミーンフィールド卿、『森の騎士』とも呼ばれるかの騎士に、後ほどきちんと挨拶に出向かねば。誰かの生き方を変えるような生き方を、自分の代わりに息子に教えてくれたその騎士に、ほんの少しの羨ましさと感謝の念を抱く。ふと、白い小鳥が言っていた言葉を思い出す。


『彼を知る人は皆、ミーンフィールド卿の元に素敵な近習が来てくれたことをとても感謝しているわ』


 森で生きる峻厳な騎士と聞いていたが、人は一人では生きていくのが難しい。白い小鳥が言っていた通り、医療棚に挟まれて身動きが取れなかった時にも感じたことだ。


 バルコニーで、自分の背中側で繰り広げられているのであろう女王陛下と若者達の、戦い前の魂の交歓。次に妻に送る手紙はきっと、長い文になるだろう。

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