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6-5 揺れる城下町

 臨月の妊婦とは思えない健啖家っぷりを発揮してぺろりと野菜を挟んだパンを食べ終わったアンジェリカが言う。


「ベルモンテ君、だっけ。あとで算術書はこの部屋まで届けさせるから姫様と二人で……」


 言いかけて、突然ぷつりと言葉を切った。


「陛下、皆、伏せて。身体を低くして!!」


 入江姫がはっと顔を上げる。


「地震か」


 食べかけのパンを抱えたままの女王陛下にアンジェリカが駆け寄り、入江姫の上にベルモンテが覆いかぶさる様に伏せた次の瞬間、突き上げるような衝撃が建物全体を襲う。琴が床に落ち、大きく波打つように揺れる部屋に不釣り合いな典雅な音が響く。丸で世界が回るように大きく、大きく揺れる度に、城内のあちこちから侍女や従者達の悲鳴のような声が聞こえてくる。


「……大丈夫よアンジェリカ。お父様は言っていたわ。この城は何処よりも丈夫に建てたって」


 そんな女王陛下に寄り添い、息を詰めるアンジェリカが呟いた。


「先代陛下に、感謝しなきゃね……」


「……執務室にいたら危なかったわ。ここには背の高い家具がないもの」


「入江姫に救われたってわけだね。ありがとう、姫様、女王陛下の恩人だよ」


 そこに荒々しく扉が開き、ファルコが飛び込んでくる。


「よかった、やっぱこっちにいたんだな。エレーヌ、無事か!?」


 アンジェリカが言う。


「我らが陛下をファーストネームで気安く呼ぶなと何回言ったらわかるんだこの阿呆鳥! 陛下は無事だ」


「執務室がひどい有様で一瞬青ざめたぞ」


「お昼をここで取っていなかったら危なかったわね。城内の皆の安否を確認してちょうだい。その後で速やかに片付けるわ」


「それより、外を見てくれ。アンジェリカもだ」


「外? まさか……」


 ファルコが少し斜めになっただけで済んだ御帳台の横をすり抜けて、東側の窓を開け放つ。


「城下町は無事だ、今はな。けど見ろアンジェリカ、あれだ」


「………なんだあの空は」


 遠く東側の空が紅く染まり、雷鳴の音が微かに聞こえてくる。


「風が悲鳴をあげているぞ、一体……一体なんだあれは。只事じゃない」


 入江姫がベルモンテに支えられて立ち上がる。そして東の空をじっと見つめ、ぽつりと言った。


「………我の島には、こういう言い伝えがある。空が紅く染まる刻は三つ。明け方、日の暮れ、そして、龍が生まれる日」


 ファルコが穴の空くほど入江姫を見つめてから、空を仰いで呻く。


「あっちは帝国の方向だ。まさか、本当に、島から盗んだドラゴンの卵を孵したのか……帝国のクソみたいな魔法使いの連中か、何考えてんだかわかんねえ帝国の長の仕業に違いねえな。ゴードンの奴の懸念は当たったってわけだ……ロッテがローエンヘルム卿の鍛冶場に戻ってきていたはずだ。連絡を取らせる。伝言がある奴はいるか?」


 アンジェリカが一瞬考え込む。


「……オルフェーヴルにはうちの『執事』を付けてる。もしも空でロッテとすれ違ったらガエターノに私は城にいると伝えるように」


「了解」


「ファルコ、すぐに城下に鳥達を」


「もう出せるだけ出した。街道がやられてないかも確認しろって言ってある。あと速く飛べる奴らは東へ送った。エレーヌ、じゃねえ、女王陛下。幸いにも城下で火事は起きてない。倒れた家もあるが、鳥達が把握に努めてる。今は落ち着いて、アンジェリカと一緒にどんと構えててくれ。ゴードンとオルフェーヴルが森から帰ってくるまでに、騎士団を集めておいてくれるとありがたい」


「任されたわ。それと中庭と中央広間を開けておくから好きに使っていいわ。城下の民が城に避難してきたらそっちに誘導して。中庭には薬草もあるわ。私は常に大広間に詰めるから。騎士達の集合の鐘はすぐに鳴らしておくわね。他にも何かあったらすぐに言って」


 まだ姫君と遍歴の魔法使いだった頃の口調に戻ってしまうが、言い直す暇などない、と女王陛下は判断する。


「まあ俺とゴードンは面倒な事態と不測の事態ってやつにゃめっぽう強いんだよ。何せ起こす側に関しちゃ一級品だったからな! ついでにオルフェーヴルも、残念ながら俺達との付き合いも大分長くなってきててな……」


 アンジェリカが眉を吊り上げて言った。


「私の可愛い旦那に悪事を吹き込みやがって! この緊急事態、キリキリ働きな! さもなきゃ年季の入った阿呆鳥と唐変木をまとめて城門に吊してやるからって伝えとくんだよ!! ああ、私が身重じゃなかったら……」


「俺達が三倍働いてやるから心配すんな。お前がエレーヌの隣に仁王立ちして目ぇギラリと光らせてるだけでうちの騎士団は死ぬほどキリキリ働くから安心しろ。間違ってもその身体で重いもの持ったりするんじゃねえぞ!」


 そして走るように部屋から駆けだしていくファルコを見て、女王陛下が『在りし日の姫君の表情で』微笑む。


「彼ったらいつもああなのよ。こんな緊急事態でも、他人の心配が出来るのよね」


 アンジェリカが息を吐いて、自分の主君のそんな横顔をじっと見つめて、僅かに首を振りながらもう一度深々と息を吐く。


「………あの阿呆鳥、二十年早く城門に吊しとくべきだったってずっと思ってたし今でも思ってるけど、この騒ぎが収まるまで恩赦ってことにしてやるよ」






 突然の揺れに、噴き出すように棚から本が溢れ出る、気が付くと、倒れかかってきた棚と棚同士に運良く出来た狭いスペースで本に埋もれながら気絶していたらしい。立っていた場所が悪かったら押し潰されていただろう。


 カールベルクの古書店の店長にして騎士という肩書を二つ持ち合わせた男が、崩れ落ちた本の山から這い出して大きく肺から息を吐き出し、奥へ声を投げる。


「デヴィッド、フィンガル、無事か」


 たまたま先日雇い入れたばかりの、古書店の店員達である。


「無事ですぜ親方!」


「昼時でよかったですよ。巻き込まれたお客様もいない」


 店員達二人も、自分と同じように散々たる有様の店の床から這い出してくる。


「生きてるだけで儲けもんです。速やかに片付けますぜ」


「……二人とも、店を頼むぞ。自分はこれでも騎士だからな。城へ行く」


 九十二番目の騎士が、少し歪んだドアを力いっぱい開ける。城の方から、鐘の音が絶え間なく聞こえる。騎士団招集の合図だった。ただただ古書店を救うためだけに手に入れたはずの『騎士』という称号。それでも、それを緊急時にないがしろにする様な『指導』を受けた覚えはない。自分を騎士たらしめた『あの二人』はどうしているのだろうか。そして、こういう時には何をすればよいのだろうか。ラムダ卿が、眼鏡をかけなおしながら言った。


「昼時か。くれぐれも火事に巻き込まれないことだけを考えてくれ。ドアが壊れているから雨にも注意だ。それと、もしもでっかい地図が出せたらファルコの鳥に渡しておいてくれ。いくら何でもこんなでかい地震は前代未聞だ。多分すぐに御入り用になるだろう。城下のでも街道のでも世界地図でもとにかくなんでもいい、今から優先的にありったけここから掘り出しておくんだ。片付けはその後でもいい。城からの依頼は最優先で。こんな時だ、勿論、領収書はなくていい」


「了解、親方……いや、騎士殿!」


「騎士稼業、頑張ってくださいよ。こういう時、なんて言えばいいんだったかな……」


「ああ、そうだ、『御武運を!』ってやつだ! 一度は言ってみたかったんだよなこれ!!」


 ラムダ卿が思わず笑いだす。そして、息を吐くと、腰の剣を撫でて、城からの鐘の音に耳を傾けながら背筋を伸ばし、言った。


「よしお前達、いや、『我が頼もしき従者達』よ、今月の給金はたっぷりはずんでやるから後は任せたぞ。じゃあ行って来る!」






 いつものように一人で昼ご飯を食べてから、工房から出してきた古い糸車を磨く。


(まだ十分使えるね)


 そんなことを考えながら輪の部分にヤスリをかけていると、途端に突き上げられるような揺れに襲われる。反射的に糸車を抱えたまま工房の大きく頑丈なテーブルの下に逃げ込んだロビンが、蒼白になって目を閉じた。


 地面が回るような揺れ。旋盤にかけられた板のような気分だ。家中のあちらこちらから、色んなものが倒れる音がするが、夫の死後に色んなものを整理してあるこの家にはもう最低限のものしかない。ありこちに木材や作りたての家具が積まれた工房が全盛期だったころだったら大変なことになっていただろう、と混乱する頭の隅で、ロビンは思わず考える。


(地震なんて珍しい……結婚してから二度目だっけ。でも前のとは全然違うような……)


 窓の外から町の人達の悲鳴が聞こえる。


(……テオドール坊ちゃんは、森だっけ。良かった。あのお師匠さんもいればなんとかなるよね)


 揺れが収まり、ロビンは糸車をテーブルの下に置いて、かまどの火を確認する。あと少し速い時間だったら大変なことになっていたはずだ。


 厨房脇の造りつけの食器棚の扉がこの凄まじい揺れで開いてしまったらしく、思い出の食器が割れている。唯一、夫との生活をしのばせる白く美しい陶器。どうしても捨てられずにいたその美しい皿の数々が、粉々になって床を白く染めていた。心臓を直接掴み上げられるような恐怖と寂しさが、途端に猛然と足元から襲いかかってくるような気がして、思わず後ずさるように厨房を後にする。


 とにかく外に出よう、と工房の裏手から外に出て、表通りへ走る。カールベルクの城へ連なる表通りを彩る美しい石畳がところどころひどく割れている。回りを見渡すと、壁が崩れかけている家もある。現状どこにも火の手が上がっていないことを神に感謝しながら、城へ、自分が家具を納入したあのお姫様と吟遊詩人の元へ行かねばならない、とロビンは石畳の向こうの城へ視線を投げる。あの部屋に設置した背の高い家具は御帳台くらいだが、軽くしなやかな木材を選んだのでこの揺れでも耐えているはずだ。くらくらする頭、まだ早鐘のように脈打つ胸を押さえ、何度も何度も深呼吸する。


 しかしながらふと、夫の口癖が頭の中に浮かぶ。


『近所付き合いを大切に』


 無意識のうちに拳を握り締めたまま、気が付くとロビンは工房へ戻っていた。


 城ならば、今でなくともなんとかなるはずだ。入江姫は賓客なのだから。自分には別に、今ここでやらねばならないことがある。


 何か役に立ちそうなものは残ってないか。ほとんど空になった工具箱から、重い木材を動かすのに使っていた鉄梃を引っ張り出す。誰かが家具の下敷きになっていても、これなら助け出せるはずだ。夫だったらこういう時、すぐさま職人達を引きつれて町へ繰り出していただろう。今はたったひとりしかいなくとも、この自分もまたアーゼンベルガー、工房を取り仕切る家具職人の妻だったのだ。やれないことはない。重い金属でできた鉄梃を両手で抱え、再度ロビンは家を飛び出した。

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