2
僕らはきらめく夜を歩いている
広大な星々の光は、人々の思念の渦
転回を続ける惑星たちは
心を広げる感情の波打ち際
そしてこの地球に立つということ
それは計り知れない意志の音──
僕らは、人々の真似をする必要などない
生きるということは、群れるということではない
それでも僕は、きっとサイハと出会わなければ
無理して生きようなどと思わなかった
だとすれば──
生きるということは
自分に合う共同体で始まるのかもしれない
それは熱く新しい陽に染まる荒野のようで
僕らは裸足の言葉で歩きゆく
必要な雫は、全て僕らの名に降り注ぎ
当てがなくても、何も見えなくても
そこに恐怖は存在しない
そしてそれは──僕らにとって
短く長いひとつの夜のこと
永遠、などと言う気はない
それでもそれを感じるほど、きっと
僕らの手は互いを信じていた
だが地上にあるもの、そうこの地上の全て
広がる地平、流れる時間、それらも全て
ここでは常に限界がある
肉体を持つということの、なんと悲しく
どうしようもなく立ち止まってしまうことか
僕らは抗えぬ眠気のため
曇った光の灯る避難所へ
ぼろを纏った異邦の民のように
息を潜めて入り込む
ああ、なんて重く澱んだ呼吸
そこに溜まる、目も覚めるような臭い思いが
自分たちの体から出てきたなんて
これっぽっちも思っていない、そんな
純粋な被害者のふりをした人たちが
狡猾な憐れみを求めている
「ここにいるのは気分が悪い
やっぱり違うところに行こう」
「待って──カナタ、あなたは
自分だけは綺麗な場所にいたいだなんて
そんな逃避で命を削るのですか?」
「サイハ、君の言うことは分かるよ
でもだからと言って
僕らに何ができるだろう」
「その逃避はやっぱり
いつか闇に追いつかれます
光はいつでも
耐える足元にしか差し込まないから」
サイハは僕の手を離し
力なく群れる妄者のなかへと進みゆく
僕は──でも
彼女を追えなかった
そうして離ればなれ
手に残った温もりと光は
すぐに寂しく途方に暮れる
何も持たぬ者が、やはり何も持たず
そして何かを持とうともせず
ここに、放心する糸杉のように立ち尽くす
いや、それは──やっぱり
本来の生と死の在り方なのかもしれない
「ああ、あなたは──なんという幸運
やはり神はお見捨てになどならなかった
またこうしてお会いできた奇蹟に感謝を」
そして僕のもとには
神なき悪の翼をいだくあの牧師が
今にも泣き出しそうな顔で
まるで聖なる天使の首を刈るかのように
何度も何度も十字を切って
ぬるく震える声を飛ばしてくるのだった
「ああ、しかし、お聞きください、同志よ
やむえなかったとはいえ
私はあの教会に、大切なものを置いてきたのです
それは奇蹟の光る石です
あれにより私たちは守られ
悪を踏み砕いてこられたのです
ああ、なんとしてでもあの石を取り戻さねばなりません
ですが今や暴徒はびこるあの場所に
いったい誰が向かえるでしょう
しかし誰かが行かねばなりません
あの石が、暴徒どもに悪用される前に
なんとしてでも、そう、なんとしてでも──」
僕は──もとより彼に興味などなく
その石がどうなろうと、それにより
彼がどれだけ苦悩しようと
そもそも何も関係はない──ないのだけど
彼の生温かい手は僕を離さず
そのいやらしい懇願は、本性を隠し切ることなどできず
僕にひとつの強制を押し付けてくる
僕は──けっして情に流されたわけじゃない
彼の悪意ある意図は十分伝わっている
だとすれば──僕が牧師の望みを受け入れたのは
ただ、サイハのことを思い出したから
──自分だけは綺麗な場所にいたいだなんて
そんな逃避で命を削るのですか
彼女の声が、何度も何度も脳裏に響いて
だから──ああ、これは、僕に与えられた試練なのだと
なんとなく、そう思うことができたから
「取ってこられるかどうかは、分かりません
でも教会に戻り、探してくるくらいなら
きっと僕にもできるでしょう
ただ──ひとつだけ、聞き入れてほしいことがあります
僕が戻ってくるまで、けっして
あなたはあなたの神に祈ってはいけません」
「ああ、あなたは──いったいなんという
それはいかなる私の試練だというのでしょうか
私に神を忘れろと
それともあなたの試練のためとでも?」
「いえ、ただ、それが私のためだと
そう思ってくだされば」
「分かりました、あなたがそうおっしゃるのなら
これ以上、私は何もお聞きしません
どうか、お気をつけて」
僕はただ、僕の安全や石のことを
彼が神だと思っているしたたかな悪魔に祈ってほしくないという
それだけの単純な気持ちだった
石がどうなろうと、僕がどうなろうと
そんなことは、ほんの些細なことなのだから──
そうして僕は牧師に背を向け
来た時と同じ足取りで──いや、それは
ちょっと違う
今、僕の隣にサイハがいない
光る宇宙はまた翳り、星は遠くで幻想となり
でも、僕はまだ地上の足を持ち
ひとり響かぬ音を立て、夜を逆行していく
その道のりは、長いようでとても短く
僕はすぐに丘の上の教会を見つける
暴徒が踊り明かしていたのは、どれくらい前だろう
とても静かに星を受け取る、そんな奇妙な光景が
僕の言葉に真っ直ぐ伸びる
光はもう、霧散して、小さな尖塔が
暗く砕けた十字架を乗せ
かすかに道筋をリズムにしている
僕は見える目を凝らし、踏み外さないよう
ゆっくり教会に近付いていく
僕の予感通り、暴れていた人の火の粉はもう燃え尽き
灰となってくずおれている
開け放たれた入り口
そこから見える暗い通路は、なにか──
ひとつの恐怖に飲まれたように
叫喚の名残りを落としている
そこにも、ここにも、いたるところに、暴徒の死体
彼らはここで争ったのか、それとも自ら選んだのか
体中に傷を負って、歪んだ顔のまま
息絶えている──そう、いったい
何が起こったのか、それを知る術はなく、ただ
彼らはここで、死なざるをえなかったという
それだけの事実が、教会という大地に刻まれている
音のひとつも残っていないここは、明らかに
常軌を逸している──ああ、こんなところが
まだ地上で見られるなんて、僕はあるいは
どこかから夢を見ているだけかもしれない
いやでも──でも、とてつもない大きな力で
僕を暗闇ごと押し潰そうとしてくる、この──
そう、この、得体の知れない壮絶な恐怖
どこからやってくるのか、いったい何なのか
僕は今にも弾けてしまいそうな言葉を見つめ
そして、大丈夫、これは、そう、大丈夫──と
自分と世界の輪郭を確かめ続ける
僕は、信心がないわけじゃない
でもこの圧倒的恐怖の主が
いったい神なのか、悪魔なのか、それとも単に死であるのか
その見当さえ決めかねながら、教会の部屋のひとつひとつを
確かめていく──そう、ただ、確かめるだけ
ひとつ、またひとつ──部屋を覗き、闇のなかで何も見えず
そして次の部屋に行く
ドアノブに手をかけ、回して、戸を開く
そこには大きなベッド
その向こうに小さな机──近付いて、そこに近付いて
ああ──
いや、僕は、見たわけでも触れたわけでもない
だけどどうしてだろうか、なぜか
その机の引き出しに、石があったのだと
まるで何かの光に導かれるよう、そう、確信した
でも、そう、石はもう、ここにはない
どこに行ったのか、どうなってしまったのか
そんなことは、やっぱり、僕にはどうでもいいことだった
「それはきっと、なくなってしまって
そう、たぶん、それで良かったのだと思います」
聴こえたのは、サイハの声──いや、僕は
最初それは、何か地上を超えた誰かの声だと思った
でも、振り返ると
いつの間にか、ベッドの上に、サイハが立っていた
十四、五歳の小さな体が、とても深く脈打っている
僕は寄りかかるように、サイハの足を抱きしめた
すっと、彼女の顔が近付いてきて
それは──花と蝶が出会うような、そんな必然めいた
暗闇にひっそりと光る、星々のくちづけの前触れだった
すぐ、目の前に、サイハの顔がある
そして──
僕は、はっと息を呑んでしまった
サイハの右目の周りにある、大きな大きなアザ
僕はまず、彼女が病を持っていると思い、でもすぐに
このアザはそうじゃないと、思い直す
そのひとつの欠損は、地上の彼女の空洞だった
そこには見えない光が充満し、その奥で
はるかに星々が明滅し続け、さらにその彼方に
サイハの、彼女の──本当の名前があるような、そんな予感がした
強く強く、それは僕の言葉を打ち鳴らしてくる
「夢は夢で、いつか必ず終わるもの
でもあなたは今、夢の恍惚以上の
本当の現実を、その言葉で掴むことができます」
そうだろう──その通り、本当にその通りだ
僕はサイハの声を理解して、そして──
闇よりも静かで、光よりも熱く貫くくちづけをする
彼女のアザから流れ出るのは
僕という本当の世界を包み込む
何よりも確かな、人間という、現実だった