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僕らはきらめく夜を歩いている

広大な星々の光は、人々の思念の渦

転回を続ける惑星たちは

心を広げる感情の波打ち際

そしてこの地球に立つということ

それは計り知れない意志の音──


僕らは、人々の真似をする必要などない

生きるということは、群れるということではない

それでも僕は、きっとサイハと出会わなければ

無理して生きようなどと思わなかった

だとすれば──

生きるということは

自分に合う共同体で始まるのかもしれない

それは熱く新しい陽に染まる荒野のようで

僕らは裸足の言葉で歩きゆく

必要な雫は、全て僕らの名に降り注ぎ

当てがなくても、何も見えなくても

そこに恐怖は存在しない

そしてそれは──僕らにとって

短く長いひとつの夜のこと

永遠、などと言う気はない

それでもそれを感じるほど、きっと

僕らの手は互いを信じていた


だが地上にあるもの、そうこの地上の全て

広がる地平、流れる時間、それらも全て

ここでは常に限界がある

肉体を持つということの、なんと悲しく

どうしようもなく立ち止まってしまうことか

僕らは抗えぬ眠気のため

曇った光の灯る避難所へ

ぼろを纏った異邦の民のように

息を潜めて入り込む

ああ、なんて重く澱んだ呼吸

そこに溜まる、目も覚めるような臭い思いが

自分たちの体から出てきたなんて

これっぽっちも思っていない、そんな

純粋な被害者のふりをした人たちが

狡猾な憐れみを求めている


「ここにいるのは気分が悪い

 やっぱり違うところに行こう」

「待って──カナタ、あなたは

 自分だけは綺麗な場所にいたいだなんて

 そんな逃避で命を削るのですか?」

「サイハ、君の言うことは分かるよ

 でもだからと言って

 僕らに何ができるだろう」

「その逃避はやっぱり

 いつか闇に追いつかれます

 光はいつでも

 耐える足元にしか差し込まないから」


サイハは僕の手を離し

力なく群れる妄者のなかへと進みゆく

僕は──でも

彼女を追えなかった

そうして離ればなれ

手に残った温もりと光は

すぐに寂しく途方に暮れる

何も持たぬ者が、やはり何も持たず

そして何かを持とうともせず

ここに、放心する糸杉のように立ち尽くす

いや、それは──やっぱり

本来の生と死の在り方なのかもしれない


「ああ、あなたは──なんという幸運

 やはり神はお見捨てになどならなかった

 またこうしてお会いできた奇蹟に感謝を」


そして僕のもとには

神なき悪の翼をいだくあの牧師が

今にも泣き出しそうな顔で

まるで聖なる天使の首を刈るかのように

何度も何度も十字を切って

ぬるく震える声を飛ばしてくるのだった


「ああ、しかし、お聞きください、同志よ

 やむえなかったとはいえ

 私はあの教会に、大切なものを置いてきたのです

 それは奇蹟の光る石です

 あれにより私たちは守られ

 悪を踏み砕いてこられたのです

 ああ、なんとしてでもあの石を取り戻さねばなりません

 ですが今や暴徒はびこるあの場所に

 いったい誰が向かえるでしょう

 しかし誰かが行かねばなりません

 あの石が、暴徒どもに悪用される前に

 なんとしてでも、そう、なんとしてでも──」


僕は──もとより彼に興味などなく

その石がどうなろうと、それにより

彼がどれだけ苦悩しようと

そもそも何も関係はない──ないのだけど

彼の生温かい手は僕を離さず

そのいやらしい懇願は、本性を隠し切ることなどできず

僕にひとつの強制を押し付けてくる

僕は──けっして情に流されたわけじゃない

彼の悪意ある意図は十分伝わっている

だとすれば──僕が牧師の望みを受け入れたのは

ただ、サイハのことを思い出したから


──自分だけは綺麗な場所にいたいだなんて

  そんな逃避で命を削るのですか


彼女の声が、何度も何度も脳裏に響いて

だから──ああ、これは、僕に与えられた試練なのだと

なんとなく、そう思うことができたから


「取ってこられるかどうかは、分かりません

 でも教会に戻り、探してくるくらいなら

 きっと僕にもできるでしょう

 ただ──ひとつだけ、聞き入れてほしいことがあります

 僕が戻ってくるまで、けっして

 あなたはあなたの神に祈ってはいけません」

「ああ、あなたは──いったいなんという

 それはいかなる私の試練だというのでしょうか

 私に神を忘れろと

 それともあなたの試練のためとでも?」

「いえ、ただ、それが私のためだと

 そう思ってくだされば」

「分かりました、あなたがそうおっしゃるのなら

 これ以上、私は何もお聞きしません

 どうか、お気をつけて」


僕はただ、僕の安全や石のことを

彼が神だと思っているしたたかな悪魔に祈ってほしくないという

それだけの単純な気持ちだった

石がどうなろうと、僕がどうなろうと

そんなことは、ほんの些細なことなのだから──


そうして僕は牧師に背を向け

来た時と同じ足取りで──いや、それは

ちょっと違う

今、僕の隣にサイハがいない

光る宇宙はまた翳り、星は遠くで幻想となり

でも、僕はまだ地上の足を持ち

ひとり響かぬ音を立て、夜を逆行していく

その道のりは、長いようでとても短く

僕はすぐに丘の上の教会を見つける

暴徒が踊り明かしていたのは、どれくらい前だろう

とても静かに星を受け取る、そんな奇妙な光景が

僕の言葉に真っ直ぐ伸びる

光はもう、霧散して、小さな尖塔が

暗く砕けた十字架を乗せ

かすかに道筋をリズムにしている

僕は見える目を凝らし、踏み外さないよう

ゆっくり教会に近付いていく

僕の予感通り、暴れていた人の火の粉はもう燃え尽き

灰となってくずおれている

開け放たれた入り口

そこから見える暗い通路は、なにか──

ひとつの恐怖に飲まれたように

叫喚の名残りを落としている

そこにも、ここにも、いたるところに、暴徒の死体

彼らはここで争ったのか、それとも自ら選んだのか

体中に傷を負って、歪んだ顔のまま

息絶えている──そう、いったい

何が起こったのか、それを知る術はなく、ただ

彼らはここで、死なざるをえなかったという

それだけの事実が、教会という大地に刻まれている

音のひとつも残っていないここは、明らかに

常軌を逸している──ああ、こんなところが

まだ地上で見られるなんて、僕はあるいは

どこかから夢を見ているだけかもしれない

いやでも──でも、とてつもない大きな力で

僕を暗闇ごと押し潰そうとしてくる、この──

そう、この、得体の知れない壮絶な恐怖

どこからやってくるのか、いったい何なのか

僕は今にも弾けてしまいそうな言葉を見つめ

そして、大丈夫、これは、そう、大丈夫──と

自分と世界の輪郭を確かめ続ける

僕は、信心がないわけじゃない

でもこの圧倒的恐怖の主が

いったい神なのか、悪魔なのか、それとも単に死であるのか

その見当さえ決めかねながら、教会の部屋のひとつひとつを

確かめていく──そう、ただ、確かめるだけ

ひとつ、またひとつ──部屋を覗き、闇のなかで何も見えず

そして次の部屋に行く

ドアノブに手をかけ、回して、戸を開く

そこには大きなベッド

その向こうに小さな机──近付いて、そこに近付いて

ああ──

いや、僕は、見たわけでも触れたわけでもない

だけどどうしてだろうか、なぜか

その机の引き出しに、石があったのだと

まるで何かの光に導かれるよう、そう、確信した

でも、そう、石はもう、ここにはない

どこに行ったのか、どうなってしまったのか

そんなことは、やっぱり、僕にはどうでもいいことだった


「それはきっと、なくなってしまって

 そう、たぶん、それで良かったのだと思います」


聴こえたのは、サイハの声──いや、僕は

最初それは、何か地上を超えた誰かの声だと思った

でも、振り返ると

いつの間にか、ベッドの上に、サイハが立っていた

十四、五歳の小さな体が、とても深く脈打っている

僕は寄りかかるように、サイハの足を抱きしめた

すっと、彼女の顔が近付いてきて

それは──花と蝶が出会うような、そんな必然めいた

暗闇にひっそりと光る、星々のくちづけの前触れだった

すぐ、目の前に、サイハの顔がある

そして──

僕は、はっと息を呑んでしまった

サイハの右目の周りにある、大きな大きなアザ

僕はまず、彼女が病を持っていると思い、でもすぐに

このアザはそうじゃないと、思い直す

そのひとつの欠損は、地上の彼女の空洞だった

そこには見えない光が充満し、その奥で

はるかに星々が明滅し続け、さらにその彼方に

サイハの、彼女の──本当の名前があるような、そんな予感がした

強く強く、それは僕の言葉を打ち鳴らしてくる


「夢は夢で、いつか必ず終わるもの

 でもあなたは今、夢の恍惚以上の

 本当の現実を、その言葉で掴むことができます」


そうだろう──その通り、本当にその通りだ

僕はサイハの声を理解して、そして──

闇よりも静かで、光よりも熱く貫くくちづけをする

彼女のアザから流れ出るのは

僕という本当の世界を包み込む

何よりも確かな、人間という、現実だった

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