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大災害──地震、津波、そして豪雨に
この町はことこどく破壊され
人々はうなだれ、次から次へと火災
どこまでも湿った空気、潮のにおい
夜が明けても、次も、その次も明けても
町を閉じ込めるように
希望も悲しみも折っていく空の暗い澱み
それでも──
僕は、特に失うものもなく
ああ、やっぱり──自分は何も持っていなかったと
変わらない心の水位を虚しく見つめる
みんなの大混乱を傍目に
行く当てもなくただ、足を動かす
世界は、崩れることで少しだけ柔らかく
それがなんだか、束縛と重圧が砕けたようで
これからどうすればいいのか
どうなっていくのか──まったく分からないのに
それでも、ちょっとだけ、気持ちいいと思い
避難所には向かわず、ひとり──
砕け散った町を歩き続けた
何日か経ち、町はまだ右往左往し
それでも生きるという意志の集まりが
人々を団結させていった
僕が辿り着いたのは、小高い丘の上の教会
すぐに出ていくつもりで、少しだけお祈りをして
立ち上がったところで──声をかけられた
「人は誰も、ひとりでは生きていけません
あなたのためにも、私たちのためにも
ここに残って頂けませんか」
「僕が、ここで何か役に立てると
そんなふうに見えますか」
「こんなことになってしまいました
しかし力を合わせれば
私たちは前に進むことができるでしょう」
それは僕にとって──
本当にどうでもいいことで、意味も価値も見出せず
それよりも
町にこびりついた人々の思念が
執着と諦めの狭間で苦悶している、その
ひとつの浄化のための大崩壊のほうが
牧師さんの選ぶ言葉のありようよりも、よっぽど
儀式めいた透明さを感じさせていた
でも──
生きている人には興味がありません、とは
返すことができず、牧師さんの
生温かい手に握られ、人が生きようとすることは
いつどこでどうしてこんなにも歪んでいくのか
この期に及んで、まだ流れ去らない欲望が
こびりついた泥のように沈殿しているのか
それが怖くて悲しくて、凍りつく僕の足は
震えながら不当にも、首を縦に振ってしまった
「ああ、あなたは
よくこれまでひとりで耐えてきましたね
もう我慢しなくていいんです
ここにはあなたの仲間がたくさんいます
辛いことをひとりで背負わなくていいんです
私でよければ、いつでも話を聞きます
どうか、あなたに幸のあらんことを」
ああ、僕は──
振り解くように牧師さんの手を払い
込み上げる吐き気を耐えながら
トイレの場所を尋ねる──臭い
生きるということの、なんて醜いことだろう
こんなにおいを立てながら
気持ちの悪い祈りを垂らす
ああ、どうしてこんなところに入ってしまったのか
僕はでも、ちょっとだけ信じていた
全てを失った人間が、瓦礫の隙間に見つけること
すがるでも求めるでもなく
ただ純粋に光のなかの光を思うということ
ああでも、でも──この、大災害は
けっきょくのところ、何も壊しはしなかった
たぶん──と、僕は予感する
きっと、本当に壊れていくのは、これからなのだ、と
牧師さんと目が合い、そのあまりにも硬い視線に
僕は撃ち抜かれるよう、くず折れていく
声が、聞こえる──
聖なるものを排除しようとする、そう
人間というものはきっと、そう、誰しも
そんな無意識にやられ、いつの間にか
生きることも死ぬことも考えなくなる
じゃあ、僕らはいったい、何をしているのだろう
だから──だから、僕は
この地震も、津波も、豪雨も火災も全部全部
引き起こしたのは人間だと、そう、思ってしまう
声が出ず、僕は倒れる
もう地上には戻りたくないと、そう、思う
でも、それでも──少しすれば僕は
また目を覚ましてしまうだろう
何のために、そう、それはいったい
何のために?
◇
「逃げてください、早く
大変です、暴徒が、暴徒が来ています」
硬いベッドの上で目覚め
青ざめ、慌てふためく牧師さんの
気持ちばかりの善意に救われる
ガラスの割れる音、それから奇声
やってきた──と、僕はそれでも
どこか落ち着き待っていたように
この地上の現実を受け入れる
「先に行ってください
僕は大丈夫です」
牧師さんは何も言わずに走り去る
僕はゆっくり起き上がり、近くに、でも遠くに
赤茶けた喧騒の歪さを思う
ああ、逃げないと──形となる僕の言葉の
この地上においてなんと軽く薄いことか
部屋を出て、暗い廊下の先の
燃えるような暴徒の声を聞く
でもあの火は、すぐに消えてなくなるだろうと
僕の皮膚のすぐそばで
星が弾けてきらめいて、そう、教えてくれる
ここを出られるのはよかったと
僕はただそう思いながら
がたがたになったこの教会の律動を捉え、歩いていく
出口はでも、どこだろうかと
汚染された風のなけなしの涙を探していたら
すっと伸びる細い光のように、少女がひとり、歩いている
かわいそう、とは──思わなかった
だって彼女は生きている
それだけ?──そう、僕はちょっとだけ
ありえない、と思ってしまって、でも
すぐに、昂まり廻りはじめる星々に従い
それはまるで、火に飛び込んで陽になろうとする
そんな優雅な蝶のように、僕は
少女に駆け寄りその手を握った
彼女は、そんな僕の体温を、どう感じるだろう
少なくとも、拒絶の星廻りはなく、だから
「暴徒たちが来てる
ここはもう駄目だから、一緒に外に行こう」
「一緒に?」
「家族とははぐれたの?
僕もひとりなんだ、きっと
僕はずっと一人だったような気がする」
「あなたもそうなんですね
私もきっと、ずっとひとりでした──だから
たぶん、あなたとなら
一緒に行けると思います」
何かが壊される、そんな音がして
教会がどんどん崩れていく
でもきっと、僕の星の高鳴りは
恐怖や焦燥からではなく
この少女──たぶん、十四、五歳の
この子の秘める青い宇宙とその光の
運命にも似た強い強い引力ゆえだと
そんな確信に、僕は心の底から
ああ、もう少し生きていようと、そう、思った
「名前、聞いてもいいかな」
「サイハっていいます──でも
これはきっと、本当の名前じゃないんです」
「大丈夫だよ、僕は──カナタ
でもきっとこれも
本当の名前じゃないんだから」
「ありがとうございます
綺麗な星──まだ、こんな星が
ここで見られるなんて思いませんでした」
サイハは僕の手を握り返し、少しだけ
笑ってくれた気がした
暗闇のなか、彼女の顔はよく見えない
ああでも、それでも──
なんて綺麗な光なんだろう、と
ずっとそれだけ思いながら
僕はサイハと教会を出る
凋落していく神の姿が、それでも微笑んでるような
そんな気がして僕は振り向く
いや──ああ、と、僕は思い違いに気が付く
ここに神はいなかった
もう一度振り向き、少しだけ
教会が光った気がして、そして今
やっとこの空洞に、神の衣が流れてきたのだ──
声が聞こえた
サイハが笑ったのかと思い、どうしたのと聞くと
「あなたと出会えたことに
そしてあなたとの時間に
私の言葉の全てをもって
この足を従わせます」
それは不思議な祈りだった
煙を吸い込む黒い夜空が
どこか優しく見えるような、そんな
世界の、大きな大きな、変容だった