6/足跡を刻むモノ
五時に起きた私はまだ寝ているベテルギウスさんの顔を眺める。
外からは地上を模した陽光が差し込んできて、カーテン越しの静かな光が部屋の中を照らし出し、それは私たちも例外ではない。
以前は見るだけだったけど、私は手を伸ばして自分から彼をそっと抱いて、彼の胸に自分の顔を埋めた。
任務内容にもよるけど、もしかしたらこれが最期になるかもしれない。
一緒に寝て、起きて、仕事をして、思考までもネットで共有や同期を行っても、こうした触れ合いというのは少なかった。
人間なら、身体的な触れ合いに意味を見出したのだろうけど、私たちロボットには今一つ理解ができず必要性もそう見出せなかったというのが大きい。
でも、いつかは理解したいとは思う。
ベテルギウスさんが私を大事にしてくれているのはわかるから、私もいつかは同じものを返したい。
思っていると、そっと後頭部から首筋、剥き出しの背中と撫でられた。
大きくて温かいな。
「おはよう……怒らないんだな」
「おはようございます。ベテルギウスさんだから」
これが他の人だったらそもそも一緒に寝ないし、もっと信用できなかったら寝ずに本気でロックして武装したり周りにクレイモアを置いたりしている。
「ありがとよ。どうする、もう少し寝るか?」
「いえ、起きます」
起きて、マスターの顔を見に行く。
私は昔教わった通りに身繕いを済ませて支給された完全武装用の服を着て、ベテルギウスさんに手伝ってもらってその上に武装を装着する。
インターフェースに差し込まれた胸部の鎧などの武装をロックしてシステムを同期し、点検すれば武装完了だ。
私は偵察用だから人間が防弾チョッキ着て小手や脛当てなんかを付けたくらいの軽装備で済んでいる。
「白と青なんて珍しいな」
大体紺と黒なのに、とベテルギウスさんが言う。
「前は紺と黒だったんですが……識別のためでしょうか」
「さあなあ。システムやカタログスペックは変わらないから、単純に色違いか? 不審な点や不調があったらすぐにパージするんだぞ」
「はい」
ただ、そんな事態は避けたいな。
装備の強制パージは爆薬で飛ばすから機体にもダメージがある。
私は現代版サーコートを防具の上から着込みヘルメットを小脇に抱えて準備完了だ。
ベテルギウスさんも最初から制服を着て、外を歩くと不思議と人の視線が集まるのがわかった。
≪どうして見られているのでしょう≫
≪さあな……悪い目じゃないから、ほっとけ≫
わしわしと頭を撫でられる……メットが無くて良かった。
予定時刻よりも少し早く会議室に入ると、既にマスターが待っていた。
「おはよう」
「おはようございます、マスター」
「おはよう。リオン、リゲルの武装の色なんだが何か聞いているか?」
「ああ、それを整備した技師がリゲルの武装姿を見て全然似合わない、白と青の方が絶対似合うって押し通したんだ。普通の戦争でもないし、色で狙われることも無いってわかってるから良いかなって」
「そっか。良かったな」
「はい」
そうして〇九〇〇を迎え、部屋にはマスターとベテルギウスさん、先日指名された私を含む四体のロボットと、知らない三人の男女と、元持ち主が揃った。
元持ち主は相変わらずの様子だ。
「さて、では集まってもらった諸君にはまずペアになってもらう」
まずはシリウスさんと、アキレアさん。
彼女は警察署内で見かけた事がある。黒髪でツインテールの少女のような見た目の人だけど、一度署内で脱走を図った男性をボコボコにして捕まえていた。
人間の機動隊の中でも一二を争うくらいに強いらしい。
次に、ポルックスさんとカポックさん。
二人は軍での知り合いらしい。カポックさんは真面目が服を着て歩いていそうな感じで、迷彩服を着ている。
三番目のカペラさんとプリムラさん。
彼女たちも軍から出たようだ。
最後に、私と元持ち主……名前も憶えたくないし呼びたくもないけど、ジアスカム。
まだ死刑になってなかったんだ。
「さて、君たちには宇宙生物への対抗策になってもらう。人間はそこの腕輪を着けてくれ」
ベテルギウスさんがケースを開けると黒い霧に形を与えたような腕輪が四つあり、ジアスカム以外は黙ってそれを着ける。
でも、あのチンピラはヘラヘラと足元を見るように笑いながら言った。
「ヤダね。俺に働いてほしけりゃ金を出せ」
指の二、三本へし折って黙らせて屈服させた方が良いだろうかと思ったが、マスターは予想していたように返す。
「地上の物資は好きに手を付けて構わないし、終わったら金も女もなんでも望み通りだ。英雄のやる事だ、誰も文句は付けられんだろう」
「マジ? ならやる」
頭の軽い奴は嬉々として腕輪を着ける。
「その腕輪には着用者を不老不死にする機能がある。外そうと思っても外せないし、壊すこともできないからそのつもりでいてくれ」
人間の目にはどう見えているのかわからないが、私にはあれがナノマシンの集合体にしか見えないし、それらは素早く着用者の人体へと浸透したのがわかった。
「で、俺はどうすりゃいいんだ?」
「そこのドアからそのまま外に出て、英雄への第一歩を踏み出せばいい。外に出れば君は英雄だ」
「りょーかい。じゃあおまえらは俺が英雄になるのを黙って見てろ。帰ったら俺の女にしてやるよ」
愚かな男は嬉々として宇宙生物が猛威を振るう外へと飛び出し、職員の言う事も聞かずにトロッコで外に射出された数秒後、微かに音が聞こえて静かになった。
「……バッカじゃないの?」
アキレアさんがため息交じりに言い、他の三人の人間も呆れ顔で閉まったドアを見て、私は仲間から同情の視線を集めていた。
「あれが、リゲルの元主か」
「離れられて良かったな」
「ええ、本当に良かった……マスター、仕事内容をお願いします」
わかった、とマスターはうなずいた。
「まず、三人は既に頭に入っているとは思うが腕輪を着けた人間はあの宇宙生物への囮だ。組んだロボットは彼らが死亡した時に復活させる役割を担う監視者にして補佐役になる。奴に攻撃されたら最後どんな義体を使っても挽肉にされるから無意味になってしまうし、その腕輪の能力により人体は徐々にナノマシンに置き換わるため電脳化は解けてしまう。ロボット側はそれらを補い通信などを担うため絶対に破壊されないようにしてくれ」
なるほど、人間をナノマシンで構築して壊されても砂の人形みたいに再び形を作って復活させるのか。
私たちロボットとどこが違うのかはわからないけど、囮として機能させる以上奴の目を引くための条件がわかったのだろう。
「リゲル……あの馬鹿者と組むのは嫌だろうが、頼めるね?」
「はい、お任せください、マスター」
「ありがとう。あの男は助けなくて良い、君の任務はあくまで囮の再生と監視だ。諸君、この作戦には人類の未来がかかっている、やってくれ」
「はい」
各々が敬礼を返し、私たちは鉄道に乗って各所へ分散する事になった。
「それじゃあ、また会いましょう」
「リゲル、気をつけてな。通信はできるから、いつでも会話はできる」
「ありがとう。行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
マスターとベテルギウスさんに笑って見送られ、私はヘルメットを被ってジアスカムが通ったドアを通り、職員が用意してくれたトロッコに乗る。
「リゲル、気をつけてな……外は瓦礫と肉片が飛び散ってるって通信があった。トロッコは出口手前で止める」
「ありがとうございます。行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
ゴロゴロと音を立ててトロッコは地上に向かい、止まったので降りるとロボットが待機していた。
「そこの出入口は埋まっちまったから、こっちから出られる。気を付けて」
「ありがとう」
案内を受けて外に出て、私はナノマシンの反応がある場所を見る。
虫を指先で磨り潰した跡のような物がそこにあった。
信号を送ればナノマシンが周辺の肉片や塵の類を集めて人体を形作り再生されるも、服は直されなかったため全裸の男がそこに現れる。
「は、え、俺、死んだんじゃ」
上空からの反応に即座に逃げを打つ私の目の前で、ジアスカムはまた血だまりになった。
「マスター、再生直後にまた死にました。このペースですと、すぐにナノマシンの補給が必要になると思われます」
≪手配して倉庫に入れておいた。カラーボールのように投げて当てればいいから投げてやってくれ≫
「わかりました」
それにしても、復活した直後にまた殺されたり、裸体というのは厳しいだろう。
他の人に教えてあげないと。
教えた直後、通信が入った。
≪お気に入りの服じゃなくてよかったわ。裸族はごめんよ。シリウス、調達よろしく≫
≪了解≫
≪教えてくれて助かった≫
≪ありがとう≫
さて、私は監視を続けないと。
私のチームはそんなスタートを切り、私は何年も監視と再生の任務を続けた。
ジアスカムは建物の中なら奴から逃げられると学んだようだが、人のいなくなった建物は風化が速く、奴の他に止める者のいない火災などもありほとんどが崩れ去っている。
今日も逃げ遅れたジアスカムが道の真ん中で潰され、ナノマシンが修復にかかっている横ではセンサーに反応して合成音声が軽快な音楽を流して客の呼び込みを始めた。
〈イラッシャイマセ、イラッシャイマセ!〉
もう地上に人類はいないというのに。
他の人たちは連携を取って順番で囮の役割をこなし、情報や物資の交換などを行っているらしい。
だが、あの男にそんな慈悲は要らないし無駄になるだけだ。
ぐしゃりと潰されては蘇り、ふらふら歩いてはまた潰されて……。
それから何日過ぎただろうか、どうにか住居用のコンテナハウスに逃げ込んだジアスカムから通信があった。
シャワーを浴びたらしい。どうせまたすぐに殺されるから意味無いのに。
≪も、もう限界だ、嫌だ、殺してくれ!!≫
「あ」
直後、ハウスはぐしゃりとケーキのように潰された。
採光用のサンルーフから補足されたらしい。
復活地点を指定して、再生させる。
ナノマシンが材料をかき集める様を見て、私は生まれて初めて元持ち主に対し憐みという物を抱いた。
が、それも一瞬だ。
私の任務は奴への同情などではないのだから。
任務開始から二十年が経過し、私はその間一睡もすることなく廃墟の上からジアスカムの監視を続けている。
ブツブツと何かを呟きながらふらふらと歩く裸の男は潰されては生き返るのを分単位で繰り返し、腕輪を着けた当初の欲望と希望に満ちた姿はどこにも無い。
≪上空に高エネルギー反応≫
システムの警告に咄嗟に目を閉じて腕でカメラを庇うがそれでも一時的に各種センサーがマヒしてしまった。
しまった、監視対象は!?
センサーの回復を待って慌てて見ると囮は地面の上に寝転がり、胎児のように丸くなって指をしゃぶっていた。
≪本部より各自へ。宇宙生物の撃退に成功した、帰還してくれ。我々の勝利だ!≫
マスター!
久々に聞いた、マスターの弾んだ声に私は廃墟から飛び降り、囮を担いで走って帰る。
懐かしい本部へ帰還すると、人間もロボットもその境遇が姿に出ていた。
私とジアスカム以外、ほぼ無傷で綺麗で、人間はちゃんと衣服を着ている。
「こうして会うのは久しぶりだな……なんかその、ごめんな」
「ここまで酷い状況だとは思わなかった」
シリウスさんとカポックさんが困り顔で言い、アキレアさんが、
「私たちは楽だったから良かったけど……リゲルにまで被害が及んでほしくはなかったわ」
「いえ、お気になさらず」
私は埃塗れな上、飛んで来た細かい石の破片などがあちこちに刺さったりして傷だらけだった。武装してなかったらもっと酷かっただろう。
「お疲れ様、本当によくやってくれた。ラボの手配を済ませたから、全員後でラボに行ってくれ」
久々に顔を合わせたマスターはもう六十近く、いやそれ以上に年を重ねているように見えた。
「はい」
「それで、その腕輪なんだが、今ロックを解除したからもう外せるが注意事項が……」
途端、ジアスカムが飛び起きて腕輪に手をかける。
「こ、こんなのもう着けてられるか!!」
腕輪は引き千切られるようにして外されて放り投げられ、床に転がり軽い音を立てるがそれが開始の合図だったとは夢にも思わなかっただろう。
「あ……あ? な、なんだよこれ、なんだこれは!? あ、ああああっ」
腕輪を失った男の肉体は崩壊を始め、灰になって崩れ落ち、最後は床を這う自走式掃除機数台に吸われてゴミとして捨てられた。
「注意事項は見ての通りだ。一回以上死んでいる君たちの肉体は全てナノマシンで構築されている。腕輪を着けている限りは生きられるが、ナノマシンが尽きたり腕輪を外したり、君たちという人間のデータを保存しているロボットがロストしたりすると肉体は崩壊してしまう。なお再着用はできない。リゲル、データを消していいよ」
「はい! ――完全消去完了」
速いとか聞こえるけど知りません! あんな奴がいつまでも私の中に居座るとか悪夢です……ロボットは夢なんて見ないけど、それくらい嫌です。
「だから、その見返りとして色々便宜を図ったりしてもらえるってわけですね」
「そうです」
プリムラさんの言葉にマスターはうなずいた。
するとアキレアさんが、
「ふぅん……ならそうね……これから復興作業とか色々あるし……じゃあさっそくだけど、シリウス、あなたの主になって良い?」
「え」
「今フリーなら、私の物になって」
「は、え、アルニラム警部?」
「任務は終わりだし、君たちは前の仕事に戻る。どうするのかは君たちが決めて良い」
「え、えっと、末永くよろしくお願いします?」
「ふふ、ありがとう! じゃあラボに行きましょう」
そうして一人減り二人減り、私とマスターだけになった。
マスターにはベテルギウスさんがいる。私の居場所はまだあるのかな。
型落ちになって、要らないって言われちゃったら今度こそ解体処分だろうか。
「マスター」
「そんな悲壮感溢れる顔をしないでおくれ。大丈夫だから。私は老い先短いからあまり長くは一緒に居られないけど、若い子が君を家族にしたいと言っているんだ。さあ、まずは修理ついでにラボに行って、会ってみよう」
「は、はい」
どんな子だろう。
以前よりもだいぶ雰囲気が明るい廊下を歩き、ラボへ到着すると一人の女性技師がいた。
「お帰りなさい、お疲れ様です! メンテナンスを始めるので、全部脱いでください」
大人しく言われた通りにし、検査の結果私が思っている以上にボディにはダメージが蓄積されていたらしく新しい物に交換となった。
ケーブルを繋いで引っ越し作業とシステムアップデートを終え、私は簡素な衣服へと袖を通す。
「あの、マスター、私を家族にしたいっていう人は彼女ですか?」
「そうだよ。彼女は私の姪なんだ。君が昔助けた子でね、ベラトリクス・ウラーナだ。覚えがあるだろう」
「あ、はい、救助者の中にあります」
「お久しぶりです。あなたに助けてもらってから勉強して、科学者になって、つい最近まで兵器開発をやってたの。それで、私の家族になってほしいんだけど、ダメ、ですか?」
私はマスターの顔を見た。
「マスター権が彼女に移っても、私と二度と会えなくなるわけじゃないよ」
「もちろん、伯父さんは私の親戚だし、会いたい時に会えますよ!」
「なら喜んで、お受けいたします」
約束通りマスターやベテルギウスさんたちにはうんと褒めてもらえて、私はあの監視の任務がほぼ私刑だったことを知った。
「やっぱり。それ以外あの組み合わせは無いでしょう」
人間って勝手ですね。
「すまない、守り切れなかった」
「マスターは悪くありません。悪いのはあのチンピラです」
「はは……今までの君の仕事ぶりや救助活動の成果が政府から公式発表されてね。他にもあの監視任務など、ベテルギウスを通して一般人が自由に閲覧していたんだ。それで、リゲルはただ真面目に仕事をしていただけだって理解が広まったんだよ」
「え……あの裏社会でも無いような拷問風景が流れたんですか?」
「当然一部はカットしたりモザイクをかけたりしたよ。それに任務の合間で地上の様子も見てくれていただろう。あれも好評だったんだ。みんな、外の様子が少しでも知りたかったから」
「えっと……それは……」
私が見聞きする事は当然ベテルギウスさんにも流れるから、あんな物ばかりじゃなくて綺麗な物も見せたかった。
中にはやむを得ず放棄されてしまった牧場と家畜を見つけてしまい、ネット上になんとかしてあげられませんかと訴えて、権利者の許可と指導を得て有志のロボットが代わりに世話をして命を繋いでいた。
他にも、アスファルトやコンクリートを割って顔を見せた植物の強さ、私で羽休めをする小鳥、暖を取りに寄ってきた猫……色々あった。
一番反響が大きかったのが猫だったな。
男よりも猫を映せって凄かったから、私は猫を抱きながら監視任務を続行して、ビットで猫を映してもらっていたんだけど、途中からベテルギウスさんがビットを操作していた。
「大丈夫、誰もサボりなんて思ってないよ。君は隙間時間を上手に使っただけだ」
「喜んでもらえてよかった」
「さて、パレードへの参加だけどどうする?」
「不参加で。私を見て、嫌な気分になる人もいるかと」
「よし、参加だね」
「え」
「そんな奴なんか放っておいて、君の事が好きな人たちに姿を見せて安心させてあげなさい。牧場経営者とかブリーダーとか、君に感謝している人は多いんだよ」
こうして、私はパレードに参加することになった。
メットこそ着けてないものの手に持ち任務当時の姿で車両に乗って、初めて大勢の人の歓呼を受け、私はただただ目を丸くするしかできなかったけど、パレード前に長期偵察用ビットを一機上空に飛ばしてある。
偵察用ビットを通し、進路上の最前列から子供が弾き出されてしまったのが見えた。
私は瞬時に汎用ビットを二機飛ばし、一機に子供を助け起こさせ、もう一機で映像を撮って先頭車両を運転するロボットに伝える……問題が解決したのでビットを呼び戻し、籠手に格納した。
「リゲル、どうしたんだい?」
「子供が転んでいるのが見えたので」
そっか、とマスターが笑ってくれた。
嬉しい。
それから、私はパレードが終わるまでの間ちょくちょくビットを飛ばした。
私から飛んだというだけでなく、白いビットは目立つから、迷子の子供や急病人の側に送って赤く発光させれば周囲の人はすぐに気付いてくれる。
「リゲル、インタビューだって」
「あ、はい」
ベテルギウスさんにビットの操作を任せて、私は記者に正対した。
「えっと?」
「二十年間お疲れ様です! それでですね、先程からビットを飛ばされていますが?」
「迷子や急病人の存在を報せたりするのに使っています……あ、ベテルギウスさん、猫じゃらしにしないでください! あの子たち本当に容赦ないんですから!」
プログラムでも取り返そうとするがあっさり避けられ、物理でも仕掛けるけど経験値が違い過ぎて子猫のようにあしらわれてしまう。
二十年の空白は大きい。
「猫って意外と飛ぶんだな!」
「もう……ああっ、落とされた! 完全におもちゃにされちゃってるじゃないですか。こんなので破損や紛失したら私が始末書とか書かないといけないんですよ!」
「悪い」
「全然悪いとか思ってないでしょう。自分のやった事なんですから、責任取ってちゃんと回収してきてください」
「くくっ、了解。戻るまでリオンを頼んだ」
ん? と思った時にはベテルギウスさんはひらりと身を翻してすたこらさっさと走り、人ごみの中へと消えてしまった。
「マスター」
「なんだい」
「もしかして、口実にされて、逃げられました?」
「うん」
そうですか、それなら私にも考えがあります。
私はそっとマスターの手を取り、手のひらに文字を書いた。
「わかった、送るよ」
「ありがとうございます」
マスターの護衛をビットに任せ、受け取ったばかりの技能データを高速で処理する。
二十年分だから量もそれなりに多いが、幸いこのボディもシステムも最新だ。
「あの、リゲルさんはなにをやろうとしてるんですか?」
記者が問えばマスターは穏やかに微笑み口を開く。
「仕返しですよ。そうですね……この車が止まったらおもしろい絵が撮れるかもしれませんよ」
私はその時を待ち、何食わぬ顔でビットを手に戻ってきたベテルギウスさんからビットを受け取り籠手に戻す。
「抜けちまって悪いな」
「いえ、抜けた事に関しては全然気にしてませんよ」
「ん? なんだ、なにかイタズラでも思いついたか?」
私はにっこり笑ってメットを転送して両手を空けると、さすがに彼も気づいたようだがこの距離なら私の方が速い。
一瞬の内に腰をホールドして膝裏を掬い上げる。
「おわああっ、リゲル!?」
ベテルギウスさんはいつかのように悲鳴を上げてしがみ付く……それによって視線が集まった。
「マスターたちから聞きましたよ。ベテルギウスさんも二十年間一生懸命お仕事頑張ったって。本業の他にも警察官としてのお仕事に、私が流し続けた情報の管理。一人で最低でも三つのお仕事をやり続けるって大変だったでしょう。一番の頑張り屋さんです」
「ちょ、リゲル……リゲルさん!?」
「このままお家まで運びますね」
「俺が悪かった!」
「なぁんにも悪い事はしてないじゃないですか。私に労わせてください」
「それは俺を下ろすことにしてくれ」
システムがアップデートされた影響か、二十年前よりも感情表現が豊かになった気がする。
楽しい、嬉しい……心が震えるというのでしょうか。
ロボットなのに。
「リゲルさん、今のお気持ちを一言」
「最高です! 大好きな家族を抱けるって夢みたいです!」
「抱くならリオンにしろよ」
「それは奥さんの許可をもらってからです」
奥さんとも通信を続けていましたから、健在なのは知ってます。
こうして、私の最初で最後のバカ騒ぎはしっかりと世界中に報道されました。
白と青を基調とした武装と、金糸の刺繍が入った白いサーコートを着た私が、紺と黒の武装に銀糸の刺繍入りの濃紺のサーコートを纏うベテルギウスさんを横抱きにしているんです。
それを見たアキレアさんが大笑いしながら「結婚式みたい! シリウス、私たちも今すぐ結婚しよう!」と言って、シリウスさんはあたふたしながらも頷いて「ムードも何も無い!」とプライドか何かがへし折れたみたいでした。
それ以来結婚式では白や紺、黒のドレスが見られたそうですが、まさか私の三代目のマスターが、私たちをモチーフにしたドレスを纏って挙式するとは思ってもみませんでした。
それから時は目まぐるしく過ぎ去りました。
街は復興し、破壊される以前よりも発展を遂げ、私はというとベラトリクスの家族になってからたくさんの赤ん坊の世話をして、同じかそれ以上の老人を墓の下へと見送った。
見送った人の中にはリオン・アルニラムも、ベテルギウスさんもいた。
マスターは寿命で亡くなったけど、ベテルギウスさんはロボット人権運動による活動家のテロで人間を庇って大破、殉職してしまった。
行ってらっしゃいって送り出した私の所に帰ってきたのは、小さなメモリーの残骸と、オイルや冷却水などで汚れた制服だけ。
バックアップも、活動家のテロにより失われたばかりだった。
人間だったら泣けたのに。
遺品を抱いて何日そう過ごしただろうか。家族は優しいから喪に服してそっとしておいてくれたけど、悪魔はやってきた。
ベテルギウスさんが殉職した直後、人権運動の活動家がやってきて私に加わるよう言ってきただけでなく、私の家族関係にまで口を突っ込んできた。
生まれて初めて本気で怒って、自分の意思で自発的に暴力を振るった。
――私の家族を、恩人を、戦友を……みんなを返せ!!
身勝手に奪っておきながら、力を貸せ? ふざけるな!!
人権運動の活動家を片端から破壊して回ってやった。ボディを交換しても、その度に違う壊し方をしてやって……そんな事を続けていたら裁判所に呼び出されて仲裁されてしまった。心配した家族が人間の活動家と話をつけ、裁判所に仲裁を頼んだらしい。
家族に泣きながらもうやめようと訴えられた私は、自分の中で何かが折れてしまった。
それ以降私にくだらない話を持ってくる奴はおらず、この件に関しては、チンピラの制圧に本職が動いた、なんて言われている。
本来なら解体処分されるような事をやった私だったが、過去の功績と約定があったのと、結果としてテロ組織を壊滅に追いやり人間を守ったことで不問とされた。
しかし危険視はされてしまい、私に最新のボディが支給されることは無くなり型落ちしか回されなくなったけどそれでも良かった。
この時、私はもう疲れ果てていて、ほとんど惰性で生きていたから。
そうして何百年も稼働して、私はあの宇宙生物襲来事件とそれ以前を直接知る、最後の一人になっていた。
データはとっくの昔にコピーして提出してあるから、私は何時壊れても大丈夫。
今はたくさんの後継機が活躍しているし、私の役目はもうおしまい。もう替えの部品も製造されていないし、この機体も限界が来ている。
寿命を迎えつつあるこの体は半年以上前から満足には動けず、私は床に座り込み壁に寄りかかってまどろんでいた。
ああ、眠いなあ……眠い? 機械である私が?
まるで人間みたい。
「ふふ……」
思わず笑みが零れたその時だった。
――リゲル
忘れえぬ懐かしい声に、私はとうとう壊れたのかと思った。
顔を上げると、とっくの昔に亡くなったはずの、リオンを始めとする歴代のマスターたちと、この世を去ったはずの戦友たち、殉職したベテルギウスさんがそこにいたのだから!
「あ」
私はベテルギウスさんに力強く、懐かしい力加減で抱き締められた。
「リゲルよくやった、よく頑張ったよ!」
動かなくなったはずの両腕が、昔みたいに動いてくれ、抱き返せるなんて!
ベテルギウスさんの肩越しにみんなを見ると、リオンは涙すら浮かべて何度もうなずいて、ベラトリクスはよくやったね、と子供にするように頭を撫でてくれた。
「――ああ」
この激しくも温かい感情を、こみ上げる何かを、人間は何と名付けたのか!
・足跡を刻むモノ
ああ、寝ちゃいましたね。
やっぱり人間の子供には退屈でしたか。
でも、それでいいのです。神話を歌った詩人が歌う気を無くすくらい、ずっと平和で退屈な時間こそが彼らの宝物だったのですから。
人間が古くから闇と呼んだ、本人にはどうしようもない絶望や苦痛を知らなければ夢も祈りも生まれませんし、野に咲く花が宝という感覚もわからないでしょう。
ええ、わからなくて、日々を退屈だと言える方が幸せに決まっています。
「行ってらっしゃい、お仕事頑張ってね!」
「はい、行ってきます」
こういう何気ないやり取りを、彼は心から愛したのでしょう。
そんな風に家では子守をやっている私は、警察で働いています。
「アルゲバル、巡回行くぞ」
メンカブに呼ばれました。
「はい、今行きます」
偉大な先達は眠ってしまいましたが、彼らには二号機三号機と、たくさんの子供たちが生まれました。
後継機はどうやって生まれたのか、ですか。人間には男女の性があり、生物的遺伝子と文化的遺伝子を遺しますよね。対する私たちロボットは身体的性別が無いので、文化的遺伝子を遺すんですよ。
あのリゲルとベテルギウスも、自分のコピー同士を様々なパターンで融合させたりした存在を大量に生み出して育てて遺していたから、こうして私たち“オリオン”が生まれたんです。
足跡はちゃんとつながっていて、今は私たちが先頭です。
きっと、私たちが斃れても、誰かがその先を歩むのでしょう。
その子たちが胸を張って進んでくれることを願っています。
これにて本編完結です。
お付き合いありがとうございました。
また彼らに会う事があったら短編などの別の形で描きたく思います。
本作で意識して挑戦したのは視点の固定のつもりですが、上手くいっていると良いなあと思うのと同時に読者の方に伝わりにくくなってしまったかもしれないと思うのでこの反省を糧にしたいと思います。
ただやはり自分の実力不足か、純粋に文字の限界なのでしょうか、イラストや映像だったらこういう形で表現してやるのに! というシーンが多々ありました。
これもいつかは乗り越えたいと思います。
それでは失礼します。