ある日の支度事情
こんばんは。
昼休み、多くの生徒が外に遊びに行く中、二階から三階に上がるための廊下の踊り場で涙を押し殺すように人知れず泣く少女がいる。しかし誰も気づくことはない。確信はない。だが、少女自身がそれを望んでいたのだ。
『うっぅ....』
『なんで泣いてんの?』
突然頭上で響いた声に驚き少女は上を向いた。目線の先にはただただ彼女を見つめる男子がいた。彼の黒髪は日に当り天使の輪をつくっている。
『泣いてないで何か言ったら?』
少女は涙を服の袖で雑に拭き取り絞り出すように、でもあくまでも強気に見栄をはった。
『...あんたには関係ない』
睨み付けるような視線を介もせず男子生徒はハイハイと手を振り続けた。
『あっそ。けどお前いつも一人で泣いてるよな。』
『なんで知って_』
『まぁそこは気にすんな。てかお前俺に_』
「はっ...」
(この夢...見覚えがある)
疲れて寝た日の目覚めとしては最悪である。陰鬱な気分のまま重い体を持ち上げてベッドから降りる。そしてそのまま部屋に立てかけてある姿見の前に立ち、先週から3年目のお付き合いになる紺を基調としたブレザーに袖を通す。ボサボサの髪をそのままに重い瞼をこすりながら一階のリビングへ向かう。
「おはよー」
「おー!今日はいつもより早いわね。」
「まぁーね、」
ご飯の前に顔洗ってきなさい、と母親が小気味よいリズムの音が響く台所から声をかけてくる。
「はーい」
(ねむい...)
そんな眠気と戦いながら無理矢理にでも自分を起こすかのように大量の水でで顔をジャブジャブと洗う。そしてお気に入りのタオルで水気を取る。
「うわー髪ハネてる」
面倒臭、と湯河原 翠は鏡に写った自分を見ながら率直にそう思った。そして右手にヘアオイル、左手にヘアアイロンという状態で
(よし、やるか)
外に出ても大丈夫な状態になるまで格闘するという決意を固めた。と言っても
「ご飯だよ〜」
「はーい、今行く!」
(今日もこれでいっか、)
前髪は軽めに巻いて後は後ろで簡単に一本に束ねる。これがいつものスタイルであり、一番早く完成できる翠にとっての最適解なのであった。
「「「「いただきます。」」」」
リビングに湯河原家が揃った。家族全員で食卓を囲むのがこの家のルールだ。
「なぁ、このパン一人何個食べていいの?」
「基本一人一個だけど...足りなさそう?」
「ん?いや別にただ聞いてみただけだけど。」
「うわ〜お兄ちゃんメンドクサ」
「翠達、うるさいぞ。さっさと食べないと遅刻するんじゃないのか?」
「ほら、お兄ちゃんのせいで怒られたじゃん」
「いや、知らんし」
これが通常の湯河原家の朝の風景。そして慌ただしく一人また一人と仕事、通学の準備に向けて席を立っていく。ちなみに
「ちゃんと噛みなさいよ〜」
この家族で一番先に席を立つのは母親である。本人に言わせると皆が話している時間を噛む時間に費やしている結果だという。だからか、早食いだね、と本人にいうと怒られる...。
「行ってきまーす」
朝食を食べ終え歯を磨いたら出発だ。今日は雨予報だからと最近買った新品の傘を用意する。それと換えの靴下一セット。
「ちょっとゴメン!」
「ちょっ、お兄ちゃん!!抜かさないでよー!」
さて出ようとした時、兄である隼斗に半ば強引に抜かされた。
「いってきまーす」
そして私の抗議も聞かずにそそくさと出ていった。朝はみんなにとって戦場なのになんだか兄に遅れを取ったようでイヤだ。
「行ってきます。行きたくないけど、」
「頑張れ!今日終われば三連休だよ。」
「んー」
母親の励ましを受け、重い足取りのまま外へ出る。学校に行ってしまえば吹っ切れるのにどうして登校となるとこうも気が重いのだろうか。そんなことを考えながら小学生や大人たちの通勤通学にまじりながら目的地に向かって歩き出した。