月夜の兎
ブオオオオオオオオン!
清建がヤケクソ気味にアクセルをかけ、原付バイクが進み始めた。
さっきよりもしっかりと清建に張り付いているので、風の勢いが緩和され、とりあえず落下することは無かった。
右腕でしっかりとしがみ付き、左手で大事に『月夜参上』の旗を掲げる。
『何か速くね?』と思い、速度メーターを覗き見すると、赤い針は時速80キロを示していた。
「ここ一般道路だぞ!?」
「【拳誓】の反射神経なめんな。余裕だっての!」
「……たしか、原付って、最高時速三十キロくらいじゃなかったか!? 絶対改造してるだろ!」
「上手いだろ」
「ってかヘルメットは!?」
「落ちても死なないからいらん」
「……そっかぁ」
もう全て諦めて、清建に全て任せることにした。
「……そういえば、今どこに向かっているんだ?」
「決まってない。敢えて言うなら、暗い闇の帳の内側かな」
「このバイク盗品じゃねえよなぁ!?」
「……若気の至りってヤツだ」
「お前本当に大丈夫かよおおおおおおお!?」
そんな叫び声を残して、バイクは山道に差し掛かった。
聞かれたくない話だったからか、清建は強引に話題を変える。
「どうだ? 楽しくなってきたか!?」
「あー、うん――まあ」
確かに、このスピード感というか、疾走感というか、そういうのがクセになってきた。
普通の道路にいる間は、他の車に衝突しないか不安だったが、車通りが減った山道なら、その心配は無い。
流れていく景色や、自然の緑が美しく思え、段々楽しくなってきた――瞬間。
ゴゥ ボキッ
トンネルに突入した際に、掲げていた旗がつっかえ、ポッキリ折れた。
「あ」
「ア? どうかしたか?」
「い、いや。何でもない」
やべぇ、旗を折っちまった。
……結構凝った作りだったなぁ。弁償するのに幾ら掛かるだろう。
というか、どちらかというとアレは記念品の類な気が――。
「あ、あのー。この旗って――」
「ウチの組のシンボルだった旗だ。アタシらはこの旗を片手に、埼玉を制覇した。チームはもう解散したが、その旗がある限りアタシ達は繋がっている」
「……はえ――」
折れた旗の棒を見ながら、俺は呟いた。
つまり、思い出の品と。
……胸が痛くなってきた。
だが、隠し通すことはできないだろう。なら、誠実に言わなければ――
「あ、あのー」
「アン!?」
「……何でもないっす」
無理だ、コワい。
……この絶望感。絶対に黙っていてもいずれバレるのに言い出せない、悪さをした小学生の心境だ。
どう言い訳しようかと、頭を炒めていた時。
救世主は舞い降りた。
ガッ
「ッテ」
いきなり後頭部に衝撃が走った。
どうやら、後ろから石を投げられたらしい。バイクから落下しそうになったが、右腕を腹に回しておいたお陰で助かった。
「あぶねー」
「……どうした?」
「いや、頭に石が――」
「ヒャッハー!」
ブウウウウウウン!
背後からバイクの爆音が聞こえ、振り返ってみると……暴走族の集団が追いかけて来ていた。
モヒカン頭の世紀末を思わせる服装。
普段なら関わりたくもない人種だが、そうもいか無いらしい。
集団の先頭の、一際目立つ赤モヒカンが声を上げた。
「こんな所でソロバイクだなんて、鈍ったなあ! 年貢の納め時だぜ、清建月夜ォ!」
「……お前何やったんだよ」
「……中学までは少し荒れてたんだ。それで色々と恨みを買ってる。なに、もう足は洗ったさ」
「足先くらいしか洗えてなくない? 」
「それより……旗どこやった?」
「……勘のいいガキは嫌いだよ」
暴走族の様子を見ようと、後ろを向いた清建に、遂に旗を壊したことがバレた。
残った棒が虚しくゆれる。
どうにか言い訳しようと、頭を振り絞り――
「アイツらに折られたのかァ!?」
「……そうです」
助け船に飛び乗った。
大切な旗を折られたと分かった清建は、猟奇的な笑みを浮かべてバイクから身を乗り出す。
「じゃあ、片付けてくる」
「え、お前が行ったら誰がバイクを運転するんだよ」
「手前だよ」
「それで傷つくのバイクだけだからなあ!」
絡めていた腕を払われ……眼前から清建が消えた。
「グアッ」
「何だコイツ!?」
背後が騒がしいが、そんなことを気にしている暇はない。
いきなり操縦車を失った改造バイクを、操らなければならないのだから。
「アアアアアアアアアアア! ウオオオオオ!」
旗の清算も済んでいないのに、バイクまで壊すわけにはいかない。
必死にバランスを取るようにハンドルに飛びついて、ブレーキを握り――加速。
ギュン!
「ギャアアアアアアア!」
「言い忘れていたが、ブレーキをアクセルに改造してある」
「先に言えええええええええええええ!」
景色が一瞬で流れ、少しの段差でバイクが跳ねあがり、制御が全く効かなくなる。
「ブレーキは!? ねえブレーキは!?」
「タイヤの――」
「グアアアア!」
「オア!?」
「ギアア!」
その説明は、暴走族の悲鳴のせいで半分も聞き取れなかった。
タイヤって何だよ……。
速度を緩める手段は分からず、蛇行運転で何とか転ばない様に保っていたが……前方に急カーブ現れた。
ここは山中。先は崖。
「ヤバイ ヤバイ ヤバイ ヤバイ!」
「落ち着け。ハンドルの横にボタンがあるだろ?」
「これか!」
言われてみると、ハンドルの横に赤いボタンがあった。
きっと、ブレーキだ。そう思って……期待して、押す。
そのしゅんかん、
カチッ ダァン!
バイクが飛んだ。
「ジャンプコマンドだ」
「何でそんな機能あるんだよ!」
「そのバイクは『月夜のラビット号』だからな」
「ダセェ!」
まあ、ジャンプしたことで、ガードレールにぶつかることは無かった。
しかし、バイクはそのまま崖から飛び出し……景色が、綺麗だった。
「ギャアアアアアアアア!」
次の瞬間には、重力に引っ張られ、数十メートルの落下を開始した。
急激に速度は上がり、広かった景色が段々と狭まって、大自然が迫る。
「アンデード!!」
ギュン!
死なないのに死を覚悟して、目を閉じた瞬間。落下の感覚が無くなった。
「大丈夫か?」
「ああ……ありがと」
暴力団を叩き終わった清建に、空中でキャッチされたらしい。
お姫様抱っこでちょっとキュンとした。
どういう理屈か分からないが、俺とバイクに全く負担をかけないように、フワッと着地し、俺を地面に降ろした。
「手前、ワザと自分がバイクの下になるようにしただろ」
「だって、バイクまで壊せないし――」
「バイクまで?」
「あ」
やべ、口が滑った。
俺は青ざめて顔が引きつったが、清建の方はククッと笑うだけだった。
「冗談だ。手前が旗を折ったことくらい分かってる」
「……すみませんでした」
「問題ない、簡単に直せるさ。そろそろ行こう」
俺と一緒に回収した月夜のラビット号を降ろし、飛び乗った。
それに乗せられて、俺も後ろに乗ったが……すぐに後悔した。
「行くぜエエエエ!」
「早い速いハヤイ!」
整備されていない、道路の『ど』の字も無い森を、バイクは超蛇行運転で駆けていった。