考え抜きの男
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらや。こんなところにいたのか。
ほ〜、だいぶお悩みのようだな。お前がこうも頬杖つきながら考え込むたあ、珍しい。また新しいネタでも探ってんのか?
悩むことがいいことかどうかは、人によってだいぶ感じ方が違うだろう。
下手の考え休むに似たり、と行動に起こすのが大切と語る人もいりゃあ、やみくもに動いても時間を浪費するだけだから、よく考えろという人もいる。
どちらが正しいかを、やる前に知れるのはお天道様だけだ。俺たち人間は結果でもってものを見て、あるいはほめそやし、あるいはこきおろす。その基準は自分にとって益があるか、どうかといったところだろう。
この益、もし自分にはないように見えても、他にあったとしたら、そいつはどのように評価すればいいんだろうな?
俺が以前に聞いた昔話なんだが、耳に入れてみないか?
むかしむかし。
考えごとをよくする男がいたようだ。
彼は暇さえあれば、岩から地べたまで、あらゆるところに腰を下ろし、じっと考え込んでしまう。
この間、誰が声をかけても反応しやしない。その割に、ものを投げるとそれは俊敏に動いてかわす。何も見えていないわけじゃないんだ。
日々に必要な仕事のときは、彼もちゃんと動いている。畑仕事のおりに通りかかった者が問う。「ああして考え込むとき、何を頭に描いているのか?」と。
すると彼は答えた。「想像の畑に、タネをまいているのさ」と。
どうやら彼は、頭の中でものを育てる様を、模擬的に想像しているようだった。
自然と付き合っていくのが畑仕事だ。自分がいかに完璧に、芸術的に仕上げようとも、自然のご機嫌ひとつで、ご破算になることもしばしばある。
しかり、殴れる目の前の人と違って、自然は大きな相手だ。つばを吐いたところで効果がないどころか、自分にかえってくることだって。
ゆえに、やられる前の備え、やられちまった後の処理を、いかにうまくやるかが彼らとの付き合いで、とても大切だ。
けれど、誰だって思うだろう。「もし、すべてが自分の思惑通りに進んだとしたら、どのような結果がもたらされるだろうか?」とな。
鬼に笑われる皮算用だろうと、理想を目指す行いには価値がある。
周りの人も一度は経験のあることだからこそ、当初は大目に見ていたのだそうだ。
だが、彼の悩む時間は日に日に増えていき、ついには寝る時間以外に考え込む日が増えてしまったのだそうだ。
見通しのいいところがいいのか、村一番の大きさの岩の上に、朝から晩まで足を組むときがあった。
仕事日和の晴れの日も、皆が出たがらない雨風の強い日も、土のうを持ってきたら破格の報酬を出すという、近辺に陣を張る大将からの触れがあった日も。
彼は暗くなるまで、不動の姿勢を貫いたという。ろくに食べ物を口にしていないのか、座り込む彼の露わになっている顔や手足はかさかさにひびわれ、皮の下から骨が浮き出てきている。
健やかとはとても言えない様子に、たまりかねた者が声をかけるも、彼はいらだちを交えた口調で、返事をする。
「黙れ。いま、根を張り巡らせているところだ」
心配を叱責で返されて、おもしろく思うやつはいないだろう。しかも現実を軽んじて、想像に突っ走りすぎているという、しょうがない輩だ。
しばらく手を入れられていない彼の担当する畑は、そこかしこに雑草が茂ってしまい、満足に野菜が育っているかも怪しい事態だ。
どうなってもしらんぞ、と村の皆々は突き放していき、それでも彼は考え事をし続けている。身にまとう服もまともに取り換えていないのか、肩からずれ落ちそうなくらい、ぼろぼろになっていた。
それから何日かが経ち。
この地域一帯を長雨が襲った。水路として使われていた近くの川も水かさを増していくが、堤には十分なゆとりがあり、これまで大事に至ったことはなかったという。
しかし、今回は違った。
村の物見やぐらから見る遠方より、川の幅を大いに超える濁流が、大蛇かのような勢いで迫ってきていたんだ。
川幅などおかまいなしに、一帯に洪水をもたらしながら迫るそれは、先日に運んだ土のうが関係している。件の大将がある城を水攻めするための堤防を築いており、それによってためこまれていた川水が一気に飛び出した、その余波だったのだ。
遠目に見るに、あふれ出す水は壁のごとき高さで、とても堤が受け止められるようなものではない。速度もすさまじく、いまから人の足で補修に向かったとて、とうてい間に合わないだろう。
それでも少しは被害を減らさねば……と、見張りたちが台を折りかけたところで。
村の最寄りの堤たちより、どん、どんと破裂音のようなものが響いてきた。
よもや、水が届くより前に堤が壊れたか、とも思われたが違う。
その堤防のてっぺんを突き破り、わずかな間隔をおいて、次々と木が生えたっていったがゆえだ。
身をうねらせながら背を伸ばしていく木々は、下へ向かうほどその身の太さをあらわにし、肩を組むようにして体を寄せ合い、互いにできていたすき間を次々に埋めていく。
高さもまた、このやぐら台と同じほど。それが川の両側に何十、いやもしかすれば何百と、この村の堤防裏に控える田畑たちの前へ、あっという間に高々と塀のごとく立ちふさがったんだ。
やぐらから見る川の一部は隠れてしまい、かの濁流が村近くまで来たことのみは確認できたが、そこより先は木々の向こう側。
しかし、手前側で節操なくあふれ、飛び散るしぶきたちは、いま立つ木々の間からわずかにも漏れることはなく、田畑もまた泥水を浴びることなく済んでいたとか。
これはやがて水の勢いがゆるみ、雨が止むまでの間、変わらずにあり続けたという。
よそで大小の被害を出した洪水が、この村は被害皆無で済んだ。
信じがたいことの起きた秘密を知ろうと、外から訪れる者もいたが、あの巨樹は雨がやむとともに、たちまち枯れ細ってしまい、姿を消していた。
ただ堤のてっぺんに開いたままでいる穴が、先のことが事実であったと告げるばかり。証拠は記憶の中にのみ残っていた。
そしてあの考え事をする男は、雨降りの間も例の位置を動くことはなく、一連のことが終わるときには、すっかり弱り切っていた。
口をきくどころか、意識さえほとんどない状態。そのまま彼は数日後に息を引き取ったのだそうだ。
とつぜん現れ田畑を守り、枯れていったあの木々たち。それが彼のいう「根をはりめぐらせた」成果なのかは、いまになってもわからずじまいなのだとか。




