後編
私はメイドの案内で、薔薇園の四阿に参りました。
「わぁ。綺麗なところね。薔薇の花が満開だわ」
『ご友人』のアリッサ・リューネブルグ伯爵令嬢が、甘い声ではしゃぎます。
「殿下は私的なお茶会をするとき、屋外でされることが多いの」
殿下が椅子から立ち上がり歓迎してくれます。舞踏会での正装と違い、シャツにズボンの軽装ですが、すらっと背が高く格好いいです。
お二人のご縁を結ぶことができたらいいのですけど。
「やあ。フィオナ。アリッサ嬢も一緒なんだね。君たちが仲良かったなんて知らなかったよ」
殿下の顔に喜色と同時に失望の色が走ったことに気づきました。私はほどほどで中座させて頂くことにしましょう。
「それが急に、フィオナさんから誘われちゃって。語学の本を貸して頂いたり、仲良くさせて頂いているんですー」
アリッサ嬢は、私が貸した本を読もうとしません。あと25日しかないのだから、特訓しなくてはなりませんのに。
「あら、三人だけ? 他のみなさんは?」
「いないよ。君と話したかったんだ」
侍従が給仕してくれるお茶は香ばしく、クロティッドクリームをつけたスコーンにくるみのタルトがよく合います。
「殿下ぁっ。アリッサはねー。語学の勉強なんて嫌いなのー」
アリッサ嬢の甘えた口調にかすかな嫌悪感を覚えましたが、私は紅茶と一緒にむかむかを飲み込みました。
☆
「フィオナ様。どうかお気をつけて」
護衛の女騎士がくつわを引きながら、馬上の私を見上げています。
「大丈夫よ。いい馬だもの。ああ、乗馬っていいわね。自由って感じがするわ」
馬車と違って視界が開けていて、大地と一体になった気分です。
ずっと乗馬をしたかったのですが、ケガが不安でできませんでした。余命宣告のおかげで自由になった感じがします。
屋敷の馬場は小さくて、あっという間に一周できてしまいます。
「遠駆けをしたいわ」
殿下と一緒に馬に二人乗りをして、遠駆けをしたときは楽しかった。
「もっと上手になってからですね」
「ふふ、そうね」
馬がいななき、二本足で立ち上がりました。
「きゃあっ!」
ぐんっと身体が後方に引っ張られます。
馬が走り出しました。馬場を出て屋敷の外へと走り出していきます。身体が上下に揺さぶられます。
「フィオナ様っ! 前傾姿勢を取ってくださいっ! しっかり手綱を握ってっ!」
護衛の女騎士が叫んでいます。
風を切る音がびゅんびゅん響き、周囲の景色がにじみます。振り落とされそうで、必死に馬にしがみつきます。
「やだっ。死にたくないっ」
「死なないよ。どうどう」
誰かがひらりと乗ってきました。走ってる馬に飛びつき、たずなを引き、馬をなだめてくれたようです。駆足だった馬は、今は常足になっています。
「蜂が耳に入ったんだな。気の毒に。もう大丈夫だよ」
私の背後に腰を掛けた男性が、手を伸ばして馬の首をぽんぽんします。背中を抱かれてドキドキします。
「殿下、どうして?」
「幼馴染みの家に来るぐらいかまわないだろう?」
拗ねたような口調で言うのがかわいいです。
「ふふっ。3年ぐらい前も、殿下と遠駆けをしましたね」
「行くか」
「はい」
「殿下っ」「フィオナ様っ」
殿下の侍従と護衛の女騎士が叫んでいますが、殿下は速足で馬を走らせます。
「妃殿下だーっ! その男性は?」
「ハイリンヒ殿下よ」
「うわっ。殿下と妃殿下が二人乗りされてるぜ」
「殿下ーっ。妃殿下を守ってやってくださいねーっ」
「ああ、当然だ。私の大事な婚約者だからな」
庶民のみなさんはヒューヒューと口笛を吹きます。
私はなんだか楽しくなってしまいました。
「君は人気者だな。未来の王妃が国民に好かれているのはすばらしい」
胸が痛みました。言わなくては。私が死ぬことを。ちゃんと殿下に伝えなくては。
ですが、せっかくの殿下との二人きりの時間です。私の口から出た言葉は、まったく別の内容でした。
「殿下、子供を馬車で轢き逃げした貴族がいます」
私は事情を説明しました。
「許せない。厳罰に処さなくては。調べておくから安心してくれ」
そうこうするうちに、高台につきました。
眼下に王都が広がっています。
3年前も、殿下はここに馬を止め、「父上がご病気だ。私はこの国を治めなくてはならない。たんなる貴族の令嬢なら、私は君を愛さない。私が欲しいのは完璧な王妃だ」
とおっしゃったのです。
私は殿下の期待に応えようとしてがんばりすぎて、芋くさ堅物地味冷静令嬢になってしまったのですけど。
「殿下、私は、20日後に死にます」
「何を言う? 婚約式は19日後だぞ」
「婚約のための祝福を受けに神殿に行ったとき、大聖女様から預言を頂いたのです。私は30日後に命の火が消えると」
「君がおかしかったのはそれでか!?」
殿下は私の背中をきゅっと抱きました。
「私は完璧な王妃になることができません。高貴な血筋を残すことができません。ですから破談にしてほしいのです」
殿下の身体が震えています。
「殿下、泣かないでくださいませ」
「泣くものか!? 私は冷酷王子だぞ!」
「ふふっ。冷酷などではありませんわ。殿下が一生懸命に為政者の責任を果たしていらっしゃることを、私は知っています」
「君は冷静だな」
「だって私は芋くさ堅物地味冷静令嬢ですもの」
「君は美しいぞ!」
「メイドたちが綺麗にしてくれたのですわ」
私はもっと周りの人たちに任せるべきでした。私も殿下も母がいませんから、未来の王妃らしくふるまおうと考えたあげく、ドレスや髪型を肖像画に残る王妃様の真似をしました。やりすぎてしまって芋くさ令嬢になってしまったのです。
「婚約破棄をお願いします。婚約したあとで私がすぐに死んだら王家に不吉を呼び込みます。王家に傷がつくと、国力を下げることになりかねません」
「いやだ」
殿下は私の背中を抱くと、頬をスリスリしてなついてきました。
「ですが!」
「考えさせてくれ。……愛している。フィオナ」
☆
時間はあっという間に過ぎました。
殿下と一緒に料理を作ったり、チェスをしたり、剣を教えて貰ったり、楽しい時間を過ごしました。
慈善活動も一生懸命にしました。代わりの教会の先生も見つけることができました。私の護衛の女騎士です。剣や格闘術も教えるそうですので、私よりもいい先生になりそうですね。
心残りは、王妃の代わりを見つけることができなかったこと。アリッサ・リューネブルグ伯爵令嬢は、家に籠もってしまわれたのです。語学やマナーの講師を派遣しても、断られてしまいました。
そして婚約式。
玉座の上の王子殿下が、よく通る声で言いました。
「私はフィオナ・リヒター公爵令嬢との婚約を……」
婚約式のために正装のドレスを着た私は、ドキドキしながら次の言葉を待ちます。
破棄すると言って!
お願いだから。
私はもう、明日までしか命の火は続かないのだから。
「私はフィオナ・リヒター公爵令嬢との婚約を発表する!」
拍手が響きました。
殿下は玉座から降り、私の前で膝をつきます。さらに殿下は私の手の甲にキスをしました。
「愛している。フィオナ。私と一生を添い遂げてくれ」
「ご婚約おめでとうございます!」
宮廷楽士が舞踊曲を奏でます。
私たちは手を組んで踊り出しました。
「殿下、私は明日死にますのに」
「安心しろ。君は死なない」
「大聖女様の預言ですよ」
「大聖女は脅されていた。大聖女はリューネブルグ地方の出身で、家族を人質に取られていた。伯爵に都合の良い預言をするように脅迫されていたんだ。罪の意識に堪えかねたんだろうな。大聖女は司法院に申し出て、全てを告白した。伯爵は君を追い落として、アリッサ嬢を私の妃にしようとしたんだ。今頃、王都警邏隊が伯爵家に行っているよ」
「そうだったのですか!? 私は死なないのですか? アリッサ嬢には罪がありませんから、どうかお慈悲を」
「それはできない。舞踏会の日、庶民の子供を馬車で轢いて逃げたのはアリッサ嬢だ。7日ほど前から彼女は牢屋に入っていて取り調べを受けている。我が国の司法で裁かれ、罪を償うことになる」
驚きで頭がクラクラします。
伯爵家に派遣したマナー講師が門前払いをされたのも、アリッサ嬢が社交界に姿を見せなくなったのも、王都警邏隊の捜査が進んでいたせいだったのですね。
「大聖女は罪に問われるのですか?」
「大聖女の身分を返上して、民間の医療院でただの聖女として働くそうだ。君は自分の代わりにアリッサ嬢を私の妻にしようとしていたのだろう?」
「はい。私は未来の王妃にはふさわしくないと思っていたのです」
「大聖女から、本当の預言を聞いてきた。君は……」
曲が終わってしまいました。大聖女様の本当の預言は何だったのでしょう?
私たちはダンスを終えてお互いにおじぎをしました。
殿下に手を引かれ、バルコニーにでていくと、庶民のみなさんが私たちに向かって手を振っています。
「これでも君は、王妃にふさわしくないと言うのか?」
宮廷楽士が鳴らすファンファーレをかき消すほどの歓声です。
「妃殿下、ご婚約おめでとうございます!」
吟遊詩人が、よく通る声で叫んでいます。彼の横の少年は、私が救護したけが人です。もうすっかり元気ですね。
「妃殿下ーっ」「フィオナ様ーっ」「シュタイン王国ばんざーいっ」
「君のがんばりが、正当に評価されたんだよ。『フィオナ嬢は完璧な王妃になれる』それが大聖女の本当の預言だ。君を愛している。私の完璧な王妃殿」
「愛しています。殿下」
「1001日目のプロポーズだな」
高台に馬を止めて「完璧な王妃になってほしい」と殿下に言われたあの日。
あの日から1001日目なんですね。
「数えたのですか?」
「ああ」
私たちはロイヤルキスをしました。
歓声が私たちを包んでいました。
END