エピローグ
「あれっ、ロッティ?」
不思議そうな声に、ロッティはおしゃべりをやめて振り向いた。帽子を目深に被った少年が、買い物かごを手にこちらを見ている。
ロッティはぱっと顔を輝かせると、大急ぎで彼に駆け寄った。
「こんにちは! クリスさんもお買い物ですか?」
「うん、アナから頼まれて夕飯の買い出しに」
引退公演も終わって落ち着いたことだしね、とクリスが小声で付け加える。
ロッティの後ろでは、年配の女性が興味津々で聞き耳を立てていた。ここオールディス商会経営の食料品店の、店長であるクレアだった。
たった今までロッティとおしゃべりしていた彼女は、面白そうにロッティとクリスを見比べる。
「ロッティちゃん、もしやこの美少年がアンタの『いいひと』かい? カイさんから聞いてるよぉ、金髪の色男だって!」
「へっ!?」
にやにやと笑み崩れるクレアに、ロッティは目を白黒させてしまう。ぽかんとクリスと顔を見合わせて、慌てふためきながら首を横に振った。
「ちっ、ちちち違っ」
「おれの彼女がいつもお世話になってマースっ!」
「クリスさんも乗らないでぇ!?」
半泣きになるロッティに、クリス達は腹を抱えて大笑いする。「冗談だよ、さすがに年の差がありすぎるもんね?」と舌を出すクレアに見送られつつ、ロッティとクリスは店を後にした。
夕暮れの街並みを眺め、クリスが大きく伸びをする。
「まさかロッティと会うと思わなかった。今日はフィルと夕飯デートだって聞いてたからさ。フィルのやつ、初めて一緒に酒を飲むんだぞーなんて自慢してきて、うざいのなんの」
おかしそうに暴露するクリスに、ロッティもくすくす笑った。買い物袋を揺らし、買ったばかりの野菜を見せる。
「そのための買い出しなんです。フィルさんはお店を予約してくれるって言ったけど、私は家でゆっくり飲むのが好きだから。せめてサラダぐらいは作ろうかなって」
それ以外は出来合いです、と白状すると、クリスはなぜか束の間動きを止めた。「いいなぁ」とぽつんと呟き、目を逸らす。
「……おれも、早く大人になりたい。大人になって……早く、もう一度舞台に立ちたいな」
さみしげな横顔に、ロッティははっと胸を衝かれた。衝動的に買い物袋を放り出して、クリスの手を両手で包み込む。
「きっと、きっとすぐです。だから焦らず、クリスさんはクリスさんのペースで――」
「うん。わかってる」
くすぐったそうに笑うと、クリスはロッティの手を外して買い物袋を拾い上げた。はい、と渡して大きく胸を張る。
クリスの胸元で魔石が揺れた。
ロッティの贈った透明な魔石は、今は夕陽を反射して赤みを帯びている。
こぼれるような美しい輝きに、二人は言葉を失って見惚れてしまう。
「……おれは、何色にだってなれるんだから」
不意に、クリスが噛み締めるように呟いた。
ロッティが顔を上げるより早く、クリスはさっさと踵を返した。数歩進んで振り返り、嬉しそうに胸を叩く。
「この魔石が教えてくれるんだ。焦るんじゃない、おれはまだ途中なんだ、無限大なんだって。――だから、おれは絶対大丈夫!」
力強く宣言すると、クリスはぴょんぴょん飛び跳ねるようにして行ってしまった。元気いっぱいの後ろ姿が見えなくなるまで、ロッティは大きく手を振り続ける。
買い物袋の土を払い、ロッティもまた歩き出した。
街外れへと続く道を辿り、住み慣れた自宅の屋根が見えてくる。
ドアノブに鍵を差し込もうとして、すでに開いていることに気が付いた。くすりと笑って扉を開く。
「――ああ。お帰り、ロッティ」
すぐにフィルが出迎えてくれた。
今日の彼は私服姿で、大きな箱を両手に抱えている。
ただいま、と答えながらロッティが覗き込むと、箱の中には大小様々な酒瓶がぎっしりと詰まっていた。
「えええええっ!?」
「ロッティは大層な酒豪なのだから、このぐらいは用意しておくべきだ、とカイから助言をもらいまして」
フィルが楽しげに説明してくれるが、ロッティには返す言葉が見つからない。それでも目は箱に釘付けで、色とりどりの瓶をしげしげと見つめた。
「売りつけられてる自覚はあったんですが、別に構わないでしょう? 今日で全部飲みきらなくたって、時間ならいくらでもあるんですから」
「そ……っ、そう、ですね」
やっとの思いで返事をして、二人無言で見つめ合う。ややあって同時に噴き出した。
買い物袋と大量の酒瓶を持って、一緒に居間へと移動する。テーブルにはフィルがすでに料理を並べてくれていた。
「ロッティはサラダを作ってくれるんですよね? 楽しみだな」
台所に向かうロッティの後ろを、フィルも当然の顔をして付いてくる。ロッティは大得意で頷いた。
「えへへ。エレナさん直伝、名付けて『豪快サラダ』です! 簡単だけど、とっても美味しいんですよ」
「なるほど、人参の丸かじりではなく」
「それはもう忘れてくださいぃ!!」
賑やかに騒ぎながら、手伝いを申し出てくれたフィルと共に調理する。ここに来るまでに偶然クリスと会ったことを報告すると、フィルは優しげに目を細めた。
「もどかしい思いを抱えてはいるでしょうが、あいつならきっと大丈夫。ロッティの魔石が支えてくれます」
「魔石だけじゃなくフィルさんも、ですよ。フィルさんの話をするクリスさんは、いつだってとっても楽しそうなんですから」
口を尖らせて主張すると、フィルは照れたように頷いた。
サラダとグラスを居間に運び、ロッティが選んだ深緑の瓶のコルクを抜く。揃いのグラスに、美しい赤色が満たされる。
「さて、それでは乾杯しますか」
「はいっ。クリスさんの魔石の完成を祝って――」
「違います」
声を弾ませるロッティを遮って、フィルがきっぱりと首を振った。きょとんとしたロッティが、不思議そうに首をひねる。
「え、じゃあ……。クリスティアナさんが、全公演やり通せたことを祝って?」
「ちょっと僕の弟から離れましょうか」
またしても駄目出しされ、ロッティは眉根を寄せて考え込んだ。
「私とフィルさんの魔石交換記念……」
「惜しい」
「今日、フィルさんが初めてうちの合鍵を使った記念……」
「もう一声!」
「――あっ! わかりましたっ!!」
初めて二人で一緒にお酒を飲む記念!
今度こそ自信満々で回答すると、フィルがわざとらしくずっこけた。しかつめらしい顔で手を伸ばし、ロッティの額をピンと弾く。
おでこを押さえたロッティに、フィルはおごそかに答えを教えてくれる。
「正解は『晴れて僕らが恋人になった記念』です」
「……あっ、ああああ!」
一番大事なところがすっぽり抜けていた。
恥ずかしさのあまりロッティはテーブルに突っ伏して、そのままぴくりとも動かなくなる。
フィルは笑いを噛み殺すと、恋人の茜色の髪に指を絡ませた。つんつんと優しく引けば、ロッティがようやく真っ赤な顔を上げる。
からかうように目を細めるフィルに、ロッティは拗ねて視線を落とした。が、今度は自分の手にある青の魔石が目に飛び込んできた。
どこを見てもフィルからは逃れられない。
「なかなか慣れませんね?」
頭を抱えるロッティに、フィルが笑みを深くする。ロッティはむっと頬を膨らませた。
「わ、私もクリスさんと同じく、まだまだこれからなのでっ」
赤い顔のまま開き直って胸を張ると、フィルがぱちぱちと瞬きした。ややあって納得したように頷き、テーブルのグラスに手を伸ばす。
「なるほど、確かに。……ではそろそろ乾杯しましょうか」
ロッティが慌ててグラスを持ち上げるのを待ち、フィルがいたずらっぽく片目をつぶった。
「恋人として、まだまだこれからな僕とロッティに」
「うっ……。ま、まだまだこれからな私達にっ」
ロッティもやけっぱちで声を張り上げる。
チン、と澄んだ音を立て、二つのグラスが合わさった。
――了――
これにて完結です。
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無事に書ききれたのはそのお陰と言っても過言ではありません…(本当に!)
最後までお付き合いくださった皆様に感謝を。
ありがとうございました!




