最終話.約束の魔石
第一王子と会合した広場から離れると、ロッティとフィルは小道沿いのベンチに並んで腰掛けた。庭園に咲く花の香りを含んだ、甘い夜風が二人を包み込む。
緊張に震えそうになる呼吸を整え、ロッティはカバンの中から二つの箱を取り出した。
なめらかなビロードで覆われた、濃い青と赤の箱。青の方は細長く、赤の方は手の平に載るほどの正方形の小箱だった。
フィルは食い入るように二つの箱を目で追った。
おそらくは青の箱に入っているのが自分のペンダントで、赤い方がロッティの指輪なのだろう。
「……ロッティも、まだ中を見てはいないんですよね?」
囁き声での問い掛けに、ロッティは無言で首肯する。
フィルの手を取って小箱を握らせると、自分は細長い箱をきつく胸に抱き寄せた。
「……? こちらが、僕のものなのですか?」
「……いいえ」
ロッティが意を決したように顔を上げる。
翠玉の瞳でまっすぐフィルを見つめ、たった今まで抱き締めていた箱をフィルへと差し出した。
「交換、ですから。どうぞ受け取ってください、フィルさん。私からの贈り物――『風』のペンダントです」
「……っ。ありがとう、ございます」
顔を赤くして受け取って、幸せな気持ちで箱を見下ろす。
中を見るのが楽しみなのに、開けてしまうのが惜しくもある。いつまでもこの気持ちを味わっていたいような、生まれて初めての感覚にフィルは戸惑った。
箱を開きかけてはやめ、細く開いては閉じてしまう。じっと待っていたロッティも、とうとうこらえきれずに噴き出した。
声を上げて笑う彼女を見て、フィルもやっと己の行動に気が付いたらしい。恥ずかしそうに頬を搔いた。
「いや、子供みたいにはしゃいで申し訳ない。――では、開けますよ」
ごくりと喉仏を上下させて、今度こそ思い切りよく箱を開く。
箱の中に鎮座していたのは、銀のチェーンに透き通るような緑の魔石。
震える手で持ち上げれば、角度によって不可思議に濃淡を変えて、フィルの心を鷲掴みにする。
一心に見入る彼を、ロッティもまた固唾を呑んで見守った。
突然、フィルがほころぶように笑みを浮かべる。
ロッティの顔の横に魔石を持ち上げ、ためつすがめつ見比べた。
「凄い。ロッティの瞳そのままです」
「あ……っ。それは、だって……!」
ロッティが真っ赤になって目を伏せる。
あたふたと立ち上がると、逃げるようにベンチを回ってフィルの背後に立った。
「も、もう帰るまで見たら駄目です。付けてあげるから、貸してください」
「嫌です。永遠に見ていたい」
「もうっ、フィルさんってば!」
地団駄を踏むロッティが可愛くて、フィルはついつい頬をゆるめる。魔石と同じくいつまでだって見ていたいが、あまりからかうのも可哀想かと思い直した。
神妙な顔でペンダントを差し出せば、彼女はすぐさまチェーンをフィルの首に掛ける。
首の後ろに触れるロッティの指がくすぐったい。
どうやら留め具がなかなか嵌められないようなので、フィルは心持ち前屈みになって彼女の作業を助けた。
「……フィルさんの、欲しい魔石」
奮闘しながら、ロッティが密やかに息を吐く。
「す、好きなひとと、同じ瞳の色だって、言ってたから。そ、それって、私の色だって、言ってたから」
火傷しそうに熱い指が首から離れる。
手探りで胸元を確かめると、すべすべした冷たい石に触れた。石を大事に握り締めたまま、フィルはゆっくりとロッティの方を向く。
ロッティは今にも泣き出しそうに唇を震わせていた。
それでも決して目を逸らさず、挑むようにフィルを見る。
「だから、私……、私の瞳に、似せて作ってみたんです。合って、ましたか?」
「ええ。合っていますよ」
力強く頷くと、フィルも立ち上がった。ベンチの背もたれを挟み、二人向かい合う。
少しだけ遠い距離に、フィルはもどかしさを覚えて手を伸ばした。ロッティの瞳が揺れる。
「――あなたのことが、好きです」
はっきりと告げた瞬間、ロッティは静かに目を閉じた。透明な涙が頬をつたう。
ぽろぽろと後から後からこぼれる雫に、もったいないな、なんて間の抜けた感想がフィルの頭に浮かんだ。涙を受け止めなければと、彼女の頬に指を当てる。
ようやく目を開けたロッティが、花が咲くように微笑んだ。一歩下がってごしごしと涙をぬぐい、足早にフィルの隣に戻ってくる。
「……今度は、私の番。フィルさん、私に魔石をプレゼントしてくれますか?」
「もちろん、喜んで」
大仰な仕草でお辞儀して、ベンチに置いていた赤い小箱を取り上げる。ロッティの小さな手の上に、壊れ物を扱うように慎重に載せた。
大きな手で小箱ごとロッティの手を包み込み、秘め事のように囁きかける。
「……きっと、この魔石は誰よりもあなたによく似合う」
「だ、だといいんですけど……」
頬を上気させ、ロッティが恥ずかしそうに視線を逸らす。フィルの手が離れると、深呼吸して小箱を開いた。
「……っ」
止まったと思っていた涙が、ロッティの大きな瞳にみるみる盛り上がる。フィルは優しく彼女の肩を抱き寄せた。
「ロッティ。泣かないで」
ぽんぽんと背中を叩くと、ロッティがむずかるような声を上げた。
「な、泣いてませんっ。そ、想像以上に……、素敵な出来だったから、ちょっとびっくりしただけです」
フィルから体を離し、震えながらも嬉しげに笑う。小箱から取り出した指輪を、そっとフィルに差し出した。
「見てください。凄く綺麗な……フィルさんの、花」
「――え?」
フィルは束の間絶句すると、大慌てでロッティから指輪を受け取った。
まるで子供のおもちゃのように小さな指輪は、フィルのペンダントと同じく銀色に輝いていた。少し力を入れたら折れてしまいそうな華奢なリングに、銀で作られた花の意匠。
繊細な五つの花弁の中央を飾るのは、はっと息を呑むほど美しい青――……
「……水の、魔石……?」
茫然と呟くフィルに、ロッティはぶんぶん頷いた。目に涙を浮かべ、フィルを見つめる。
「フィルさんの、真似をしてみたんです。風の魔石と違って、すぐ側にお手本があるわけじゃないから、大丈夫かなって心配してたんですけど」
フィルの手にある魔石とフィルの瞳とを見比べて、ロッティは安堵したように息を吐いた。
「……ちゃんと、そっくり。人の目を見るのが苦手な私だけど、フィルさんはいつだって、辛抱強く目を合わせてくれたから」
「…………」
「いつだって、笑いかけてくれたから。だから、だから私も……っ」
ぼろぼろと涙をこぼしてしゃくり上げるロッティを、フィルは無言で引き寄せた。きつく抱き締め、やわらかな茜色の髪に顔を埋める。
下手に口を開けば、フィルまで泣き出してしまいそうだったからだ。
「……っ。小指用の、指輪にしたんです。職人さんが、小指の指輪には意味があるんだよ、って教えてくれたから」
フィルの胸を叩き、ロッティが泣き濡れた顔を上げる。
「自分の可能性を引き出してくれる、幸運のお守りなんだって。それから……、その、それだけじゃなくって……」
恋を、叶えてくれるお守りでもあるんだって。
消え入るような声で付け足すと、フィルが目を瞬かせた。考えるように黙り込み、難しい顔でロッティの手を取る。
「それは凄い効能ですね。となれば一刻も早く、指輪に願いを叶えていただかなければ」
「えっ、えっ?」
「――付けますよ」
いたずらっぽく宣言すると、ロッティもはっと居住まいを正した。口をつぐんで頷き、真剣な面持ちで待ち受ける。
花の指輪が、ロッティの小指にするりとはまった。
ロッティが儀式のようにおごそかに夜空に手をかざす。自分の手にしっくりと馴染む、青の花を潤んだ瞳で仰ぎ見る。
「きれい……」
泣き笑いでフィルを見れば、フィルも優しい眼差しでロッティを見守ってくれていた。ロッティの指にある――水の魔石と同じ、温かくて深い青。
涙を払い笑顔になって、つんつんとフィルの団服を引く。フィルもすぐに察して屈んでくれた。
それでもまだ遠いフィルの耳に向かって、ロッティはうんと背伸びする。
「あのね、フィルさん。私は、フィルさんのことが――……」
夜風にさわさわと草花が揺れる。
屋上庭園の真ん中で、二つの影が重なり合った。