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65.終わりの幕開け

 ふんわりと軽やかな白のワンピースの上に、ベージュ色の薄手のコートをはおる。

 靴は以前エレナの店で購入したもの。最初は爪先がきつくて痛んだが、今ではもうすっかり履き慣れた。


 準備万端整えてから、ロッティは居間にある姿鏡に向かい合う。鏡の中の自分は、緊張のせいかひどく青ざめて見えた。


 ため息をつきながら全身を検分すると、今度は首元が寂しいのが気になってくる。


(ううう……。でも私、宝飾品なんか一個も持ってないし……。やっぱり、私もペンダントにすべきだった?)


 眉根を寄せて考え込み、机の上に置いてある二つの小箱に目を走らせた。これは昨日、王都の職人通りにある店で受け取ってきたものだ。


 鏡の中の自分は相も変わらず顔色も悪ければ、服だって飾り気がなく華やかさに欠けている。それでも母譲りの茜色の髪だけは、自分でもはっとするほど色鮮やかだった。


(……うん。いつもよりは艶がある、はず……)


 今日のこの日のために、オールディス商会で購入した香油を使い、毎晩欠かさず髪の手入れをしてきたのだ。


 ともかく、これが今の自分にできる精一杯。

 ほっぺたをつねって笑顔を作ると、青ざめていた顔に少しばかり赤みが差してきた。


「――よしっ、それじゃあ行こうかな!」


 景気づけのように声を張り上げて、ロッティは箱を大切そうにカバンにしまい込む。日が傾きかけて眩しい外へ、勇気を出して踏み出した。




 ***



 久しぶりに訪れる王立劇場は、夕焼け空を反射して茜色に輝いていた。

 瞬きもせずにじっと見つめ、ロッティはその光景を目に焼き付けようとする。今日という日が、きっと自分にとって一生忘れられない日になる――そんな予感がしたからだ。


「――ロッティ!」


 不意に飛んできた大声に、ロッティはびくりと身をすくませる。

 あたふたと周囲を見回せば、王立劇場の中からフィルが駆けてくるところだった。


「あれっ、フィルさん!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 ロッティがここに到着した時には、フィルの姿はまだ見えなかった。そのため外に突っ立って待っていたのだが――


「ごっ、ごめんなさいっ。中に入って探すべきでしたよね、私ったら気が利かなくて――!」


 真っ赤になって頭を下げるが、フィルはにこやかにかぶりを振った。


「いいえ。直前に待ち合わせの時間と場所を変更して、僕の方こそ申し訳なかったです。……本当なら、開演前に一緒に食事を取りたかったのに」


 なぜか恨めしそうに付け足すと、目を丸くしているロッティに手を差し伸べる。おずおずとその手を取って、劇場入口へと続く階段を二人で登った。


 足元を気にしながらも、フィルの横顔をこっそり盗み見する。


(……なんだか……)


 拍子抜けするほどいつも通りだ。


 フィルの告白も、それに対するロッティの中途半端な返事も。

 魔石作りに熱中するあまり、会いたいというフィルの誘いを断り続けたことも。



 ――全部、無かったことになってるみたい。



 突然浮かんだ、暗い考えにどきりとする。

 頭を振って誤魔化して、ロッティは無理やり笑顔を作った。フィルと繋いだ手に力を込める。


「実は昨日のうちに、職人通りのお店に魔石のアクセサリーを受け取りに行ったんですけど……。フィルさん、先に料金を払ってたんですね? お財布を出そうとしたら、『もう頂戴しております』って言われてびっくりしちゃいました」


 唇を尖らせると、フィルが小さく含み笑いした。劇場の扉をくぐり、さらさらした金髪を揺らして振り返る。


 今日のフィルは休みのはずなのに、なぜか王立騎士団の団服を着用していた。足首まで届く長いコートは彼によく似合っていて、ロッティは何度見ても見惚れてしまう。


「――あれは、僕らが交換するものですからね。二人分の原石を購入し、魔力を込めて魔石に仕上げたのがロッティ。そしてアクセサリーの細工を施したのは職人のかた。その料金を僕が支払うのは当然でしょう」


 店の場所はカイに聞きましたから、まんまと先回りすることができました。


 いたずらっぽく告げるフィルに、ロッティは噴き出した。声を上げて笑ったことで、ようやく緊張がほぐれてくる。


 フィルも頬をゆるめると、楽しげに声を弾ませた。


「出来上がりを見るのが待ちきれないな。観劇が終わってからのお楽しみ、ということで」


「はいっ」


 二人笑い合い、荘厳なホールへと足を踏み入れた。




 ***



 久しぶりに会うロッティは、少しばかり顔色が悪く見えた。もともと華奢だった体も、さらに線が細くなったような気がする。


 こんなことなら自分らしくない遠慮などせず、差し入れを持って彼女の自宅に押しかけるべきだった、とフィルは激しく後悔した。


 建国記念祭の後――フローラの起こした騒動により、有耶無耶になってしまった告白の返事が聞きたいのはもちろんだが、何よりロッティの体調が心配だった。今日だって、本当は一緒に食事を取ってたくさん食べてもらうつもりだったのに。


 ロッティの手前にこやかな笑顔を保ちつつも、フィルは内心で歯噛みしていた。


(全く、余計な横槍さえ入らなければ……!)


 ()からの突然の無理難題に、王立騎士であるフィルが逆らえるはずもなく。

 泣く泣く今日の予定を変更せざるを得なかったのだ。


「……きれい」


 ぽつんと落とされた一言に、フィルははっと現実に引き戻される。


 慌てて隣に座るロッティを見れば、彼女は夢見るような表情で劇場内を眺めていた。

 どうやら自分が独り言を言ったことにも気付いていないらしい。豪華な装飾の施された舞台から、シャンデリアの掛けられた天井まで、ゆっくりとした動きで見回していく。


(……綺麗、だな)


 その横顔に見惚れ、フィルはごくりと喉仏を上下させる。


 青白かった頬はすっかり薔薇色に染まり、翠玉の瞳は興奮にきらきらと輝いていた。シャンデリアの光を弾く茜色の髪は、いつもよりさらに艶めいてフィルの心を騒がせる。


 花に誘われる蜜蜂のように、無意識に手を伸ばした。


「……っ」


 ロッティが弾かれたようにこちらを見る。


 それでようやく自分が彼女の髪に触れたことに気付き、フィルは顔を赤くした。


「あっ、その……っ。そろそろ始まる頃合いかな、と思いまして!」


 しどろもどろに言い訳すると、ロッティも真っ赤になって何度も首肯する。


「そっ、そそそそうですね! たたた楽しみですっ久しぶりの観劇! クリスティアナさんの晴れ舞台っ!」


「ええ本当にっ楽しみです!」


 二人揃って楽しみだ楽しみだと連呼して、周りの観客達から「しいっ」とたしなめられた。慌てて口を塞いだ仕草まで全く同じで、またも同時に噴き出してしまう。


 腹に力を入れて笑いを噛み殺したところで、開幕のベルが鳴り響く。


「……さあ、クリスティアナの最後の公演が幕を開けます」


 そっと囁きかけると、ロッティも神妙な表情で頷き返した。きちんと背筋を伸ばし、一途な眼差しを舞台に注ぐ。


 その横顔から強いて視線を引き剥がし、フィルも歌と物語の世界へと意識を集中させた。

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