61.謝罪
フィルは己の耳を疑った。
聞き間違いではなかろうか、と何度も胸の中で自問自答して、自分に抱き着く華奢な魔女を見下ろした。その耳が真っ赤に染まっているのにやっと気が付き、カッと体が熱くなる。
「ロッティ……!」
震える手を彼女の頬に当て、そっと顔を上げさせる。
おずおずとこちらを見上げるその瞳は、熱を宿して潤んでいた。
フィルは吸い寄せられるように距離を近付ける。ロッティも一心にフィルを見返した。
「――ロッティ、僕は。あなたのことが、好――……。誰だっ!?」
突如、フィルが弾かれたように振り向いた。
ロッティをすばやく背中に庇い、鋭く声を張り上げる。
「あっ……」
か細い女の声が聞こえ、ロッティは恐る恐るフィルの背中から顔を出した。路地の入口に立つのは、長いローブで全身を隠した長身のひと。
ぱさり、と紺のフードを外した途端、彼女の美しい金髪があらわになった。
「えっ!?……ふ、フローラさんっ!?」
叫び声を上げたロッティを、歌姫フローラは蒼白な表情で見返した。
***
「一体どういうつもりだよっ!」
「てめえ、どの面下げてここに来やがった!?」
耳が痛くなるほどの怒声が満ちて、ロッティは反射的に首をすくめる。フィルが手を握ってくれたので、すがりつくようにその腕に寄り添った。
――ここは、劇団シベリウスの稽古場。
公演を終えたシベリウスは広場を撤収し、拠点である倉庫へと戻ってきたのだ。
ロッティとフィルが顔を出した途端、二人はシベリウスの面々から熱烈な歓迎を受けた。クリスはぐったりと疲れきっていながらも嬉しそうだったし、アナは手を握って感謝の言葉を述べてくれた。
……しかし、それも二人の後ろからフローラが現れるまでだった。
ロッティ達が弁解するより早く、怒れる団員達が一斉にフローラを取り囲んだのだ。
「……お前ら、ちっとは落ち着きな」
劇団長であるダレルが割って入り、彼らはいったん言葉を止める。
いつも豪快なダレルらしくなく、今日の彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。重いため息をつくと、首を振ってフローラに向き直る。
「フローラ。一体何をしに来た?」
「あ……、劇団長……。あたし、は……」
苦しげに顔を歪める彼女を見て、慌ててロッティが前に出た。精一杯両腕を伸ばしてフローラを庇う。
「だ、ダレルさん違うんですっ。フローラさんは、フローラさんは正々堂々と戦うつもりだったって! 妨害する気なんか、これっぽっちもなかったって――」
「嘘つくんじゃねぇ!」
「魔女さん、あんたフローラに騙されてんだよ!」
「――うるせえっ!!」
ビリビリするほどの大声が響き渡り、全員が飛び上がって驚いた。
ダレルは鼻息を荒くすると、がしがしと乱暴に髪を掻きむしる。壁際に立って静観している娘に、「アナぁ!」と苦々しく呼び掛けた。
「何?」
「何、じゃねぇだろが! お前も言うことがあるんじゃねぇか!?」
アナはすうっと目を細めると、ダレルからフローラへと視線を移した。フローラがびくりと肩を震わせる。
「……フローラ」
「な、何よ?」
虚勢のように胸を張るフローラに、アナはゆっくりと歩み寄った。じっと彼女を見つめ、突然深々と腰を折る。
「お、おいアナッ!?」
「――ごめんなさい」
動揺する団員達を無視して、アナははっきりと謝罪を口にした。ロッティやフィル、クリスだけでなく、謝られた当のフローラすらぽかんと口を開けている。
返事も忘れて立ち尽くすフローラを見て、アナは切れ長の目を伏せた。
「あなたは妨害なんかしないって信じてたはずなのに、私、一瞬だけ疑ってしまったわ。だからこうして謝ってるの。……本当に、ごめんなさい」
「なっ、なんで……!」
フローラが泣き出しそうに顔を歪める。
「なんで、アンタが謝るのよ!? あたし、あたしは勝手にシベリウスを抜けたし、ライバルの劇団に入団だってした! 今日の記念祭だって、アンタ達を負かせる気でっ」
「自分の所属する劇団を頂点に立たせたい、というのは当然の欲求よ。私達だって、今日は劇団ブロンに勝つ気でいたわ」
ため息をつき、アナは周りの団員達を見回した。クリスのところでぴたりと止まると、彼を手招きで呼び寄せる。
ためらいがちに近付いてくるクリスに、アナは「フローラはね」と淡々と続けた。
「手の付けようのない我儘者ではあるけど、プライドが高くて直情的な分、卑怯な手を使ったりはできないのよ」
「いやだからアンタ喧嘩売ってんの!?」
わめくフローラを完全に黙殺して、アナはひたむきにクリスにだけ語り掛ける。
「ブロンの劇団長が私達の妨害をしてるだなんて、フローラは知らなかったの。私にはそれがわかっていたけど、敢えてフローラが犯人かのように糾弾したわ。だって私がそうすれば、フローラはきっと――……」
「お望み通り、アンタ達が帰ってすぐブロンの劇団長を絞め上げたわよ! アイツ最初はしらばっくれてたけど、『歌うのを止めるわよ!』って脅したらやっと吐いたわ」
忌々しげに吐き捨てると、フローラは燃える瞳でクリスを睨みつけた。それまで茫然と聞き入るばかりだったクリスが、視線を受けてみるみる顔を険しくする。
荒い足取りでフローラに歩み寄り、長身の彼女を鋭く見上げた。
「それで? まじで歌うのをやめちゃったのか?」
「妨害は中止するって約束させたからね、一曲だけは歌ってやったわよ! でもやっぱり不安で西広場に向かったら、案の定っ」
「――なるほどな。つまりお前は、舞台を途中で放棄したわけだ」
怒気を帯びた声に、フローラは凍りついたように動きを止める。すぐさま声の方を振り向くと、腕組みをしたダレルが仁王立ちしていた。
フローラがさっと青ざめる。
「あ、あたし……。でも、悪いのは全部、ブロンの劇団長で……」
「そんなこたぁ客には関係ねえ」
ぴしゃりと制すると、ダレルは射抜くようにフローラを見据えた。フローラの肩が跳ねる。
「客はお前の歌を楽しみに来てくれたんだ。わざわざ足を運んでくれたんだ。劇団側のきたねえ事情なんざ後回しにして、お前は全力で舞台をやり遂げるべきだった」
「あ……っ」
雷に打たれたかのように硬直する彼女から、ダレルは一切目を逸らさなかった。ふんと鼻を鳴らすと、ますます眼差しをきつくする。
「……そういうところだぞ、フローラ」
「…………」
フローラの美しい瞳から、透明な雫がこぼれて落ちた。




