6.失言の騎士
それから連日、フィルはロッティに花を贈るようになった。
花瓶なんて洒落たもの、ロッティはひとつたりとも持ってやしない。仕方なく壺やら鍋やらに水を満たし、所狭しと床に並べている。
粗末な器の中でもぴんと誇らしげに立つ花を、ロッティは毎日毎日飽きもせずに眺めた。
「この花、薄い紫色がとってもきれい……。花びらも、少しずつ色味が違う……」
うっとりと鑑賞して、なめらかな花弁を指でつつく。花はくすぐったそうにふるふる揺れた。
(水の魔石……。こんな色が出せたなら、きっと素敵だろうなぁ……)
夢見心地で羽根ペンを掴み、思い付いた術式をメモに書き留めていく。床にだらしなく寝そべったまま熱心に手を動かしていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
「おや。やっと気付いていただけましたか」
「――うわわわわっ!?」
おかしそうに目を細めたフィルの顔が目前にあり、途端にロッティは真っ赤になってしまう。
フィルは喉の奥でこもった笑い声を立てると、大ぶりの白い花を一輪ロッティに差し出した。
「どうぞ、本日のお届け物です。……ロッティ様、戸締まりはきちんとなさってくださいね? 不届き者が勝手に入ってきてしまいますよ?」
「…………」
不届き者、というならば、まさに目の前の男こそがそうだろう。
ロッティのもの言いたげな視線を感じ取ったのか、フィルは飄々と肩をすくめた。
「わたしは例外ですよ。何度ベルを鳴らしても激しく扉を叩いても、ちっとも返事がないから何かあったのかと思うじゃないですか。王都の民を守る騎士として、大切な務めです」
「な、なるほど……? あ、ありがとうございます」
一点の後ろめたさもない堂々たる宣言に、ロッティは簡単に丸め込まれて頭を下げる。
フィルは満足そうに頷くと、花をロッティに押し付けてすぐに腰を上げた。
「えっ!? も、もう帰っちゃうんですか……!?」
咄嗟にフィルの騎士団服の裾を掴む。
ちらりと振り向いたフィルは、ロッティに向かって嫣然と微笑んだ。
「……っ」
「引き止めてくださるのですね。――もしや、ようやくわたしに魔石を作ってくださる気になられたのですか?」
フィルの言葉にロッティは唇を噛む。
これだけ毎日通い詰めてくるのだ、きっとフィルは心からロッティの作る魔石を欲しているに違いない。――だが、ロッティの魔石はそれだけでは商品として完成しないのだ。
剥き出しの魔石はオールディス商会が抱える細工師の手を経て、初めてペンダントや指輪、イヤリングといった美しい護符へと生まれ変わる。
ロッティは心を決めて、値踏みするような眼差しを向けているフィルを見上げた。
「あなたの、ために……。魔石を作ることは、できます。……でも、細工をするのは、私には」
「そこにはこだわりません。ロッティ様の魔石を守り袋に入れて首から下げれば、それだけで立派な護符となるはずですから」
間髪入れずにロッティの言葉を遮ると、フィルは早口で言い募る。切羽詰まったその様子にロッティは目を丸くして、ややあってこっくりと頷いた。
「確かに……。魔石の効果なら、それでもきちんと発揮できると思います。でも……でも、袋の中に隠れてしまえば、装飾具としては……」
「わたしは魔石を贈る相手に着飾って欲しいわけではありません。魔石の加護を得て欲しいのです」
決然とした言葉に、ロッティは胸を衝かれる。
そこにあるのは、贈る相手への確かな思いやり――そして、愛情だった。
(優しいひと、なんだ……)
胸の奥が温かくなり、ロッティは頬をゆるめた。なぜかフィルが息を呑んだ気配がしたが、ロッティは構わずに笑顔のまま彼を見上げる。
「わかりました。……守り袋の中にあっても、時々取り出して眺めることはできますから。せっかくなら、お相手さんの好きな色にしてあげてください。それとも、魔石の効果で選びますか?」
「――作ってくださるのですか!?」
歓喜の声を上げたフィルが、両手で包み込むようにしてロッティの手を取った。
自分とは比べ物にならないぐらい大きな手、そして暖かな体温にロッティはみるみる真っ赤になる。耳の奥がわんわん鳴って、息まで苦しくなってきた。
「あ、あああああのっ!!」
「感謝します、ロッティ様……! それでは、ぜひ――」
慌てふためくロッティにフィルは全く気付かず、舞い上がった様子でロッティを床から立たせる。きらきらと輝く瞳でロッティを覗き込んだ。
「火の魔石以外でお願いしますっ!」
「………へ?」
火の魔石、以外……?
予想外の答えにロッティの思考が一瞬停止する。
じっと考え込み、まだ手を握ったままのフィルを慎重に見上げた。
「あの……? 火の魔石、以外というと……。水、地、風の、どれがいいんですか……?」
「どれでもいいです!」
フィルは至極爽やかに微笑んだ。
しばしの沈黙が満ちた後、ロッティの口から呻くような声が漏れる。
「どれでも、いい……?」
「ええ、どれでも構いません! 色も何だっていいので、なるべく早くお願いできますか!?」
はしゃぐフィルはロッティの変化に気付いていない。「ようやく願いが叶って嬉しいです!」「ロッティ様、ありがとうございます!」有頂天な言葉はロッティの耳を素通りしていく。
ようやくロッティの手を離したフィルは、照れたように頬を掻いた。
「いや、大騒ぎしてしまって申し訳ない。それで、魔石の料金ですが――」
「お断り、します」
平坦な声がつるりと口をついて出る。
フィルの動きがピタリと止まった。しかし何を言われたか理解できていないのか、その唇は弧を描いたままだ。
深呼吸して、ロッティは睨むようにフィルを見上げた。
「あなたに、魔石を作ることはできません。私は、私はこんなうすのろだし……。ひとと、普通にしゃべることすら苦手な駄目人間だけど……っ。それでも、それでも自分の作る魔石には誇りを持ってますっ」
どれでもいい、だなんて。
(そんな言葉、聞きたくなかった……!)
唇を震わせるロッティを見て、愕然と立ち尽くすばかりだったフィルがようやく正気に戻る。
慌てたように伸ばした手を、ロッティは普段からは考えられないような機敏な動きで避けた。しゃにむに首を振ると、華奢な腕でフィルの背中を力の限り押し始める。
「ロッティ様……!?」
「帰って、帰ってください。そして、もうここには来ないで……!」
非力な女など簡単に跳ね返せるはずなのに、フィルはされるがまま外に追い出された。フードを深々と被り直したロッティが、すばやくドアノブに手を掛ける。
――バタンッ
拒絶するような音を立て、扉が無情に閉まった。枯れ草ぼうぼうの庭に残されたのは、迷子のように途方に暮れた表情を浮かべる騎士ひとり。
水の魔石に似た深い青の瞳を目一杯に見開き、呆けたように扉を見つめ続けた。