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58.心が命じるままに

 観客達はあっという間に浮足立った。

 座って見物していた前方の人々も、腰を上げて突然の闖入者から逃れようとする。


 顔色を変えたアナが、地面を蹴って駆け出した。おそらく警邏を呼んでくるつもりなのだろう。


 一人取り残されたロッティは途方に暮れる。


(どうしよう、どうしたらいいの……!?)


 震えながらクリスを振り返れば、彼は真っ青になって立ち尽くしていた。ほっそりとした白い手が、すがりつくかのようにポケットを握り締めている。


 いつもと違う――迷子の子供のような彼の姿を目にした瞬間、ロッティの体に電流が走った。たった今まで感じていた恐怖も不安も、潮が引くように消えていく。


 代わりに生まれたのは、爆発的な感情。


 乱入してきたブロンの刺客達を、くらくらと目眩がするほど激しい怒りを込めて睨みつける。


(許せない……!)


 クリスの、劇団シベリウスの舞台を壊させやしない。


 決意と共に辺りを見渡せば、広場の後方にある一際大きな屋台が目に入った。頑丈そうな作りに、ロッティは考える間もなく走り出す。


「――ロッティ!」


 野太い声に名を呼ばれたが、ロッティは振り返らなかった。一直線に屋台を目指し、息を弾ませながら傍らの大きな木箱に足を掛ける。


「おいロッティ、待てっつの!」


 何度も自分を呼ぶ声を無視していたら、とうとう荒々しく肩を掴まれた。身をよじって振り払って、声の主を睨みつける。


「カイさん、邪魔しないでください! 私はクリスさんを助けないとっ」


「助けるったって……! 屋台によじ登って何する気だよ、お前は!?」


 ロッティに答える余裕はない。

 重ねられた木箱を不器用に登り、歯を食いしばって屋台の屋根を目指す。わけが分からず怒っていたカイも、彼女の危なっかしい動きを見て、慌てたように手を貸してくれた。


「よし、……っと」


 木の板でできた屋根は薄っぺらく、踏み抜きやしないかとひやひやする。それでも、後戻りするつもりは全くなかった。


 深呼吸してローブの懐に手を入れ、魔法の杖を取り出した。まっすぐに天に掲げ、高らかに唱える。


「――光よ、踊れ!!」




 ***



 声が掠れた。


 そう悟った瞬間、クリスの視界は真っ暗になった。背中を冷や汗がつたい、足が勝手に震え出す。


 これ以上歌い続けるのが怖い。

 けれど、演技を止めるわけにはいかない。


 無意識に手が動き、守り袋の入ったポケットを握り締める。


(ロッティ……!)



 ――大丈夫。この魔石は絶対、絶対クリスさんの力になってくれるって、私が保証しますから。



 自信に満ちた声が脳裏に蘇り、クリスははっとする。


 出会ってすぐはおどおどしてばかりで、目すら合わせてくれなかった小さな魔女。

 いつの間に彼女は、あんなにもまっすぐクリスを見つめるようになったのだろう。力強い声を出すようになったのだろう。


 クリスはポケットを――守り袋を握る手に力を込める。


(もしかしてこれ、風の魔石かなぁ……?)


 もしそうだったら嬉しい。


 風の魔石、ロッティの瞳と同じ緑の魔石。

 たとえ弱くたって強くなれるのだと、変わることができるのだと、きっとクリスを勇気付けてくれるに違いない。


 気付けば口元に微笑が浮かんでいた。


(大丈夫……)


 己に言い聞かせ、懸命に歌を紡ぎ続ける。


 しかしクリスが決意を新たにしたその瞬間、下世話な声が響き渡った。酒瓶を片手に近付いてくるのは、おそらくは劇団ブロンの雇ったゴロツキ達。


 見物客はどよめき、クリスの歌も止まってしまう。


 蒼白になって辺りを見回すと、黒のローブを揺らして走る、小さな魔女の背中が目に飛び込んできた。なぜか屋台に登った彼女は、不安定にぐらぐら揺れながら長い棒を構える。


 ローブの裾が風でふわりとはためいた。茜色の豊かな髪が広がり、陽光を弾いて美しく輝く。


 息を詰めて見守るクリスを、彼女も見返してくれた気がした。


「ロッ……」


「――光よ、踊れ!!」


 突如、凛とした声が響き渡る。


 西広場の上空に、見覚えのある魔法の光球が浮かび上がる――……




 ***



 アナは全力で走っていた。

 後悔のあまり、血がにじむほど強く唇を噛み締める。


(迂闊だったわ……!)


 フローラのことを見誤っていた。


 彼女の性格、彼女が感じるであろう心の動き。

 どう言えば彼女が不快に思うか、どんなふうに反応して行動を起こすのか。


 完璧に把握しているつもりだったからこそ、わざわざ釘を刺しに行ったというのに。劇団ブロンの暴挙を止めるどころか、逆に火を付ける結果になってしまったのか。


 己の愚かさを悔やみながらも足は止めない。

 反省なら後からいくらでもできる、今はどうやって公演をやり遂げるかだ。


 焦燥感に急かされるように走り続け、勢いそのままに大通りの角を曲がる。その途端激しい衝撃を感じ、目の前に火花が散った。


 尻もちをつきかけたアナを、さっと伸びてきた腕が支えてくれる。


「……っ。すみませ――」


「君は、劇団シベリウスの……?」


 戸惑ったような声音に、アナはずきずきと痛む顔を上げた。長身のアナですら見上げなければならない、端正な顔立ちの男がそこにいた。


 アナはこぼれんばかりに目を見開く。この男はそう、クリスの兄の――……


「フィルさん!?」


 きらびやかな王立騎士の団服、腰には立派な長剣。

 フィルの後ろにも同じ団服を身にまとう、頬に傷のある大男がいるのを見て取ると、アナは必死の形相で彼らの腕を掴んだ。


「お願い、クリスを助けて! 西広場に暴漢が現れたの!」


「なんだって!?」


 顔色を変えたフィルが、すぐさま駆け出そうとしたその瞬間。



 ――ドォォォォォンッ!!



 西広場の方角から、耳が痛くなるほどの轟音がとどろいた。

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