56.波乱の予感
東広場は人でごった返していた。
中央付近はぐるりとロープで封鎖されていて、おそらくここが舞台の代わりとなるのだろう。今はぽっかりと空いた空間を囲むように、見物客がぎゅうぎゅう詰めに座り込んでいる。
どの顔も興奮に輝いていて、歌姫フローラの登場を今か今かと待ち構えているのが窺えた。その熱量に圧倒され、ロッティは最後列で立ち尽くす。
(もしかして、こっちの方が人が多い……?)
胸の奥がぎゅっと苦しくなった。
祭りの見物客は、クリスティアナではなくフローラを選んでしまったのか。
泣き出しそうになりながらも、何か自分にできることはないかと考える。
ふらつく足で歩き出そうとした瞬間、不意に背後から肩を掴まれた。
「……っ!?」
「しッ。……こっちよ」
弾かれるように振り返った先には、劇団シベリウスのアナがいた。彼女は静かにかぶりを振ると、震えるロッティの手を握る。
そのまま問答無用で歩き出したアナに従い、東広場の端へと移動した。その背中が緊張で強ばっているのを感じて、ロッティも疑問を飲み込んで足を動かす。
真っ白なテントの前で立ち止まったアナは、ようやくふっと息を吐いた。きつく引き結んでいた唇をほころばせ、にやりと不敵に笑う。
「ここはね、劇団ブロンの控え用のテントなの。中にフローラがいるはずだから、挨拶をして帰りましょう」
「ええっ?」
仰天するロッティに、アナは事もなげに頷いた。
「先日の宣戦布告のお返しよ。お互い正々堂々戦いましょう、って釘を刺すために来たの」
(釘……?)
ロッティが尋ねるより早く、アナは「関係者以外立入禁止」と書かれた立札を無視して、テントの入口を豪快に開けてしまう。中から驚きの声が上がるのが聞こえ、ロッティは頭を抱え込んだ。
「シベリウスのアナよ。少しばかりお邪魔させていただくわ」
「……おっ、おおおおお邪魔しますっ」
覚悟を決めてロッティも中へ進むと、ちょうどフローラが椅子から立ち上がったところだった。その傍らに立つのは、骸骨のように痩せ細った背の高い男。
アナを見て一瞬息を呑んだフローラは、すぐさま大げさなほど華やかに微笑んだ。
「アナ! 応援に来てくれたの?」
「こんにちは、フローラ。そしてブロンの劇団長さん」
「……どうも」
痩せた男が、にやにやと笑みを返す。
差し伸べられた手を一瞥すらせず、アナはまっすぐにフローラへと歩み寄った。
「お互い忙しいわけだから、要件だけ手短に言わせてもらうわね。――今日の私達の目的は、建国記念祭での演技を成功させ、一人でも多くのファンを獲得すること。あなた方も同じよね?」
「ええ、もちろんよ」
朗らかに答えたフローラから目を離さず、アナがすうっと雰囲気を変える。
「ならばお互い、汚い手は使いっこなし。相手方への妨害なんか、もってのほかだわ」
「……なんですって?」
フローラが柳眉を逆立てた。
機嫌の良さそうな様子から一転、不快げに鼻を鳴らすと、めらめらと燃える瞳でアナを睨みつける。
「このあたしが、アンタ達の妨害をしてるとでも言うつもり?」
剥き出しの敵意に怯むことなく、アナは淡々と首肯した。
「柄の悪い連中が西広場にたむろしているの。お酒を飲んだり野次を飛ばしたり、他のお客さんに絡んだり。お陰で公演直前だっていうのに、西広場は閑散としているわ」
「知らないわよ! 警邏にでも頼んで、しょっ引いてもらえばいいじゃない。おかしな言いがかりを付けないで頂戴」
声を荒らげるフローラを、アナは冷えきった瞳でじっと見据えた。ややあって、納得したように小さく頷く。
来た時と同じくロッティの手を取ると、あっさりと踵を返した。
「ちょっと、アナ!」
「忠告はしたわ。――フローラ」
静かに振り向き、一直線にフローラを射抜く。
「あなたは我儘で傲慢、そして自己中心的かつ傍迷惑な気分屋さん。シベリウスに所属していた頃のあなたは、いつも女王様気取りだったわ」
「喧嘩売ってるわけ!?」
ひび割れた声で食って掛かられ、ロッティはひゃっと首をすくめた。自分が直接責められたわけでもないのに、とんでもない迫力だ。
しかしアナは、どこ吹く風と平静を崩さない。どころか、不敵に口角を吊り上げる。
「あなたはプライドが高いけど、それは自分の技能に絶対の自信を持っているからこそ。卑怯な手を使って勝ったところで、胸を張って勝ち誇れやしないって、心の奥底ではちゃんとわかってる」
「…………」
「どうか惨めな勝者に堕ちないで。苛烈で触れたら火傷してしまう光球は、決して人の手の届かない上空で輝くことこそ相応しいわ」
白くなるほど唇を噛み締めるフローラに、アナは無機質な眼差しを向けた。ロッティと繋いだ手に力を込めると、今度こそ本当にテントを後にした。
***
「アナさん! さっきの話……!」
西広場へと足を急がせながら、ロッティが必死で声を張り上げる。
歩調をゆるめないまま、アナは微笑してかぶりを振った。
「大丈夫。警邏が注意したら立ち退いたから、もう客足は復活してると思うわ」
「よかった……!」
ほっとするロッティに、「でも」とアナが瞳を陰らせる。
「妨害がこれで終わりと決まったわけじゃない。それでわざわざ抗議に来たのよ」
それきり口をつぐんでしまった彼女の後ろで、ロッティも黙々と足を動かした。そうして懸命に思考を巡らせる。
フィルに事情を話し、警戒に当たってもらうのが一番安心だろう。ただ、彼はいつ仕事を抜けられるかわからない。
(カイさんも見に来るって言ってたけど……。カイさんって見た目が怖い割に、喧嘩は弱かったよね……?)
何せ、初めてフィルに出会ったとき一瞬でやり込められていたくらいだ。手も足も出なかったあの日の彼を思い出し、ロッティの口からため息が漏れる。
もしもカイがこの場にいたら、「一般人が王立騎士に勝てるわけねぇだろが!」と怒るに違いないが、ロッティにそんなことはわからない。
あれこれと頭を悩ませるうち、気付けば西広場に到着していた。アナは劇団ブロンと似たような、白い控えテントへまっしぐらに進んでいく。
そっと辺りを見回すと、東広場ほどではないが見物客で賑わっていた。
「お客さん、待ち構えてますね」
「ええ、あと三十分足らずで始まるから」
囁き合いながらテントをくぐる。
中に入った瞬間、鏡を向いて立っていた人影がこちらを振り返った。
「クリス、さん……?」
ロッティが茫然と息を呑む。
長い金髪をうなじでくくったクリスは、かっちりとした空色の軍服を身にまとっていた。裾は金でぐるりと縁取られ、豪奢な刺繍があしらわれている。
その凛々しい立ち姿に、ロッティは言葉を失って見惚れてしまう。
(男装の、お姫様……!)
確か、病気の兄王子に成り変わるという設定だったか。
濃い化粧を施されたクリスはどう見ても女性だが、張り詰めた雰囲気からは甘やかさなど欠片も感じられなかった。感想を伝えるのも忘れ、ロッティは熱を込めてクリスを見つめる。
「準備は万端みたいね」
アナの落ち着き払った声に、やっとロッティは正気に返った。照れ笑いして彼女を振り返る。
「アナさんは、着替えないんですか?」
「今日の私は出番なしよ。本番の舞台ではもちろん出演するけど、今から演じるのはほんの一場面だけだから。お陰で裏方に専念できるわ」
最後にもう一度見回りをしてくるわね、と告げてアナはテントを出て行った。
その背中を見送って、ロッティは弾む足取りでクリスに近付く。
「クリスさん、すっごく綺麗――」
「ロッティ」
呻くように遮られ、ロッティはびっくりして言葉を止めた。
まじまじとクリスの顔を見返した途端、クリスの顔がひどく青ざめているのに気が付いた。化粧が濃いせいで、今の今までわからなかったのだ。
「クリスさん?」
「ロッティ……、おれ、どうしよう……」
不意に伸ばされた手が、ロッティを引き寄せる。
あっと思った時には、ロッティの肩にクリスが顔を埋めていた。首筋に、か細く震える彼の呼吸を感じる。
「どうしよう……。実は今朝、起きた時からずっと喉に違和感があって……」
「えっ!?」
棒立ちしていたロッティが身じろぎすると、クリスもやっと青い顔を上げた。今にも泣き出しそうに、くしゃりと顔を歪める。
「声変わり、が……。とうとう、始まっちゃったのかも、しんない……」




