55.決戦の日
『建国記念祭で久しぶりにお会いできるのを、楽しみにしています』
フィル・ウォーカーより、と記された最後の一文を読み返し、ロッティは丁寧に手紙を折り畳む。チラリと時計を確認すると、時刻は丁度いい頃合いだった。
――今日はようやく迎えた、建国記念祭当日。
紺のワンピースを着たロッティは、魔法街区で購入したローブをはおる。花の髪留めをパチリと嵌めれば、無事に身支度が整った。
(……うん、よしっ)
鏡の前で己の全身を点検し、笑顔を作る。
お祭りの割に地味かもしれないが、何せロッティは目立つのが大の苦手だ。賑やかに騒ぐ人々の片隅で、ひっそり静かに祭りを楽しみたい。
戸棚から魔法の杖を取り出すと、ローブの内ポケットに大切にしまい込む。これで防犯対策もばっちりだ。
大きなカバンを肩から下げて、ロッティは意気揚々と自宅を出発した。
***
「――カイさんっ!」
大きく手を振った瞬間、カイがはっとしたように振り向いた。ロッティを認め、大仰に眉を上げてみせる。
「おお、ホントに来たのか。まさかお前が祭りに参加する日が来るとはねぇ……」
「えへへ。私はあくまで見物だけですけどね」
はにかみながらカイの隣に並ぶ。
カイは屋台の店員に早口で指示を出すと、せかせかした足取りで歩き出した。手招きされたロッティも、慌てて彼を追いかける。
「ウチの商会も、今日はあちこちに食い物の屋台を出してんだ。今から一通り見回るから、お前も好きなもんがあれば買うといい」
「はいっ」
カイの仕事に付き合いつつ、ロッティはお祭り料理を堪能する。クリームたっぷりのクレープに、真っ白な粉砂糖のかかったまんまるドーナツ。つやつやと輝く飴細工は、くちばしの長い鳥の形をしていた。
幸せそうに飴を舐めるロッティを見て、カイが思いっきり顔をしかめる。
「……よくもまあ、甘いもんばっか次から次に食えるもんだ」
そういう彼は、こんがりした串焼き肉にかぶりついていた。ロッティは「だって、どれも美味しそうだったから」と口を尖らせる。
所狭しと並ぶ屋台、楽しそうに笑いさざめきながら行き交う人々。
心浮き立つ光景に、ロッティの気持ちもどんどん高揚してくる。
彼女が本心から祭りを楽しんでいるのを悟ったのだろう、カイが安堵したように頬をゆるめた。
「一年前のお前だったら、とっくに逃げ帰ってるところだぜ。成長したなぁ」
わざとらしく目をぬぐう仕草をすると、一転して真剣な面持ちに変わる。
「……フィルとは、この後で一緒にシベリウスの演技を見るんだろ?」
ロッティは一瞬動きを止めたが、すぐに何食わぬ顔で頷いた。飴の棒をごみ箱に捨てると、肩から下げたカバンをぽんと叩く。
「お手紙では、遅くなるかもしれないけど必ず合流するからって書いてありました。私は早めにクリスさんのところに行って、完成した魔石を届けるつもりなんです」
フィルもそれで構わないと言っていた。
自分が渡すよりも、ロッティからの方が素直に受け取ってくれるだろうから、と。
淡々と説明するロッティを、カイが探るように見つめる。視線には気付いていたものの、ロッティは頑なに前だけを見据えて歩く。
カイは小さく息を吐くと、「なら、ちっと早いがもう行った方がいい」とロッティの背中を押した。
「開始直前すぎるとバタつくだろ。クリスもきっと緊張してるだろうし、お守り代わりに渡してやんな」
「……はいっ」
笑顔で走り出したロッティの背中に向かい、「そうそう」とカイが叫ぶ。
「平常心を装ってても、耳は真っ赤だぞー?」
「……っ!?」
大慌てで両耳を押さえるロッティを面白そうに眺め、カイが朗らかに笑った。
***
「もう、カイさんってば……!」
熱くなった顔をパタパタと扇ぎながら、人でごった返す通りを歩く。カバンのベルトを握り締め、シベリウスが演劇を披露する広場へと急いだ。
角を曲がろうとしたところで、不意にわあっと甲高い歓声が耳に飛び込んでくる。
(…………?)
不審に思い、ロッティは足を止めた。
恐る恐る曲がり角の先を確認すると、興奮した様子の人々が一つ所に群がっているのが見えた。場の中心にいるのは、色鮮やかなチラシを配る一人の男――……
「おっ、嬢ちゃんもいるかい?」
一番後ろでぴょんぴょん飛び跳ねるロッティに気付き、男がすかさずチラシを手渡してくれる。礼を言うのもそこそこにロッティはチラシを覗き込んだ。
「……っ! これ――!?」
そこに描かれていたのは、目鼻立ちのくっきりした金の巻毛の美女だった。長いまつ毛に縁取られた瞳が、まるで炎を宿したかのようにきらきらと輝いている。
チラシからはみ出さんばかりに書かれた文字を、ロッティは茫然として目で追った。
「復活の、歌姫フローラ……。天上の美姫の調べに、酔いしれろ……?」
震えて立ち尽くすロッティの後ろを、人々が足早に駆け抜けていく。
「東広場で歌うんだとよ!」
「けどよ、確か西広場ではシベリウスのクリスティアナが」
「馬鹿かお前、久々にフローラが公の場に出てくんだぞ!? 見に行かなくてどうするよ!」
大騒ぎしながら遠ざかる男達を、引き留めなければと思うのに声が出ない。チラシを掴む指先が、急激に冷えていくのが自分でもわかった。
(どうしよう……。クリスさん……!)
迷ったのは一瞬で、ロッティは即座に決断する。地面を蹴って踵を返すと、男達の背中を追って駆け出した。