52.風の色に重ねるは
やかんのお湯はグツグツ沸いていた。
ティーポットに注いで温めている間に、お気に入りの茶葉を用意する。角砂糖とミルクもテーブルに運べば、後は客人が到着するのを待つばかりだ。
満足気にテーブルを見下ろしたところで、折よくドアベルが鳴った。ロッティは「はぁいっ」と弾む足取りで玄関へと急ぐ。
「――フィルさんっ」
「こんにちは、ロッティ。先日はどうも」
久しぶりに花束を抱えたフィルが、恭しくお辞儀してロッティに差し出した。はにかみながら受け取って、芳香をうっとりと堪能する。
「お土産にケーキもありますよ」
「わ、ありがとうございますっ」
賑やかに騒ぎながら居間へと移動した。
建国記念祭が終わるまでは大忙しのフィルだが、今日だけは時間が取れそうだということだったので、ロッティの自宅に招待したのだ。クリスの魔石は決まったものの、二人の交換する魔石をまだ選んでいなかったからだ。
「とりあえず、この前仕入れた原石の黒は全部抜いてみたんです。フィルさんは『風』のペンダントにするって決まってますし、後はどの原石を使うかだけですね」
フィルが大量に買ってきてくれたケーキを食べ終え、ロッティは原石を入れた箱を持ってくる。
早速フィルが中を覗き込んだ。
「こんなに沢山、大変だったでしょう。……色々考えたんですが、僕は丸い魔石にしようかと」
「なるほど……。ならせっかくですし、研磨してもらいましょうか。カイさんの紹介してくれたお店なら安心です」
カイの口利きのお陰で、時間もお金も通常よりは掛からない。
真剣に議論した結果、フィルはビー玉のような丸い魔石を選んだ。ロッティはほっとして小袋に仕舞い込む。
「じゃ、これはお預かりしておきます。クリスさんの魔石の後になりますけど、私からお店に持ち込んでおきますね」
「任せきりで申し訳ないです」
心底すまなそうに眉を下げるフィルに、ロッティは笑ってかぶりを振った。建国記念祭で王立騎士団は王族の護衛に当たるらしく、フィルが大忙しなのも仕方ない。
「ですが、シベリウスの公演の時だけは抜けさせてもらうよう頼んでるんです。まだどうなるかわかりませんが、よかったら一緒に見物しませんか?」
「は、はいっ。もちろんです!」
勢い込んで頷くと、フィルはふわりと微笑んだ。その笑みに見惚れ、ロッティは真っ赤になってしまう。
もじもじと無意味に小袋をいじる彼女に、フィルは優しい眼差しを向けた。
「それで、ロッティはどの魔石にするか決まりましたか?」
「あ……っ! いえ、それが実はっ」
まだ魔石どころか何のアクセサリーにするかすら決まっていないのだと、ロッティはしどろもどろに説明する。ふんふんと相槌を打ったフィルは、やおらテーブルから立ち上がった。
「フィルさん……?」
「じゃ、今から二人で考えましょう」
ロッティの腕を取って立たせ、背後に回って姿鏡の前まで誘導する。
「わわっ?」
「ちょっとだけ花を借りますね。……まずは、赤」
楽しげに告げるなり、鍋に生けていた花を一本抜き取った。目を白黒させるロッティの髪に当て、「これだと茜色とかぶるかな」と首を傾げる。
ロッティも鏡の中の己をまじまじと見つめ、ぷっと噴き出した。
「赤は駄目ですね。緑は……、まあアリかなぁ? 瞳の色と一緒だし」
独りごちると、なぜかフィルがぎくりと硬直した。不思議に思って振り向くが、強制的に前を向かされる。
「どんどん行きましょう。次は黄色です」
「は、はいっ」
こうして一通りの色を試し、二人でわいわい盛り上がる。色とりどりの花を見下ろし、ロッティはじっと考え込んだ。
「どの色も素敵です。……でも、ブローチや髪飾りにしちゃったら、鏡を使わないと自分じゃ見えない……ですよね」
「そうですね。――ああ、なら腕輪にしてみてはいかがですか?」
フィルがぽんと手を打つ。
ロッティは一瞬ぽかんとして、それからぱっと顔を輝かせた。
「そっか、名案です! どうしよう……腕輪もいいけど、今回は指輪に挑戦してみようかな……! だって私が魔力を込めるとき、指で魔法陣をなぞるんです。いつも自分の魔石が目に入れば、きっと仕事がもっと楽しくなりますから」
「指輪……」
なぜかフィルが難しい顔をする。
「……何色にするんです?」
「えぇと、それは」
ロッティは困ってしまった。
指輪なら髪と色がかぶっても構わないだろうから、赤も選択肢に入れていい気がする。緑はロッティの瞳と同じで、黄と青はロッティにはない色。
思考がバラバラと弾け、ロッティは眉を曇らせてフィルを見上げた。
「どれも捨てがたくて迷っちゃいます。フィルさんは風……緑を選びましたよね。何が決め手だったんですか?」
「秘密です」
間髪入れずに答え、爽やかに微笑む。
唇を尖らせるロッティに噴き出して、フィルは柱時計に目を走らせた。片隅に置いていた鞄を取り上げると、「時間切れです」と残念そうに告げる。
「次に会えるのは建国記念祭かな。ともかく、また連絡しますから」
「あ……っ。はいっ」
玄関まで見送りながら、ロッティの胸がざわざわと騒いだ。またしばらくフィルに会えないぐらいなら、祭りなんか早く終わってしまえばいいと思う。
「それじゃあ、お気を付けて……」
「ありがとうございます。それでは、また」
バタンと無情に閉じた扉を、ロッティは声もなく眺めた。深く俯きかけたところで、再び音を立てて扉が開く。
大きな手で扉を押さえ、フィルが夕焼け空を背に立っていた。驚くロッティに向かって不敵に口角を吊り上げる。
「やっぱり、秘密にするのはやめておくことにします。……僕が風の魔石を選んだ理由は、単純なんです。ただ、好きな女性の色を身に着けたかったから、というだけ」
「好きな……ひと?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
じわじわと理解が及んだ途端、ロッティの目の前が真っ暗になる。体が勝手に震え出し、立っているのさえおぼつかない。
よろけかけたロッティを、フィルが慌てた様子で支えてくれた。はらりとこぼれた茜色の髪を払い、ためらいがちに顔を近付ける。
そのまま、揺れる水の瞳でロッティを覗き込んだ。
「風の魔石は、まるで翠玉みたいに美しい。――ロッティ。あなたの瞳の色です」
「……え……」
絶句するロッティにもう一度微笑みかけ、フィルは今度こそ踵を返す。
扉が完全に閉まってから、ロッティはへなへなとその場に崩れ落ちた。