50.嵐来たりて
稽古場では、大勢の劇団員たちが熱心に振り付けの確認を行っていた。そこかしこから威勢のいい台詞合わせも聞こえてくる。
ロッティは邪魔にならないよう小さくなりつつ、クリスの手が空くのを待った。
クリスは数名の団員に取り囲まれ、凛々しく剣を構えているところだった。
短く気合いを発した瞬間、低く身を屈めて風のように動き出す。鮮やかな剣さばきで敵役らしき団員達を次々に下し、縦横無尽に舞い踊った。
しなやかで力強い剣舞に、ロッティは言葉を失って見惚れてしまう。
「すごい……!」
「だいぶ形になってきたわね。これで来月の建国記念祭も安心だわ」
静かな声音に弾かれたように振り返る。
黒髪をひとつにくくったアナが、目を細めて微笑んでいた。
「来てくれてありがとう。……魔石のことが吹っ切れたお陰か、今のクリスは気力も体力も充実しているわ。お兄さんも時々顔を出してくれるしね」
「え……。フィルさん、が?」
戸惑いながら問い掛けると、アナはあっさりと頷く。
「時間を見つけて剣の稽古をつけに来てくれるの。クリス、不機嫌な振りをしていてもとっても嬉しそうだったわ。何だかんだでお兄さんっ子なのよね」
「そう、だったんですね……」
微笑ましい気持ちになりながらも、なぜかロッティの胸がチクリと痛んだ。
ロッティ自身は最近フィルと全く会えていない。フィルが弟であるクリスを優先するのは当然のことなのに、羨ましいだなんて思ってしまう自分はまるで子供みたいだ。
自己嫌悪で俯いていると、演技を終えたクリスがころころと犬のように駆けてきた。
「――ロッティ! 来てたんだな、おれの勇姿見ててくれた!?」
「は、はいっ。クリスさん、とっても格好良かったです!」
慌てて笑顔を作るロッティに、クリスは得意気に鼻の下を擦る。
「へへへ。男装して戦うお姫様なんだよ」
「建国記念祭で演じるのは、ほんの一場面だけ。派手な剣舞とクリスティアナの透き通る歌声――聴衆は魅了され、記念祭の話題はシベリウスで持ち切りになるに違いないわ」
アナも胸を張って補足してくれた。
ロッティが「わあっ」と手を叩いた瞬間、彼女はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「いいところだけを見せて、『続きはまた劇場で!』という寸法よ。三ヶ月後の本公演、チケット完売は間違いなしね」
「せ、宣伝上手……!」
「いよっ、さすがは次期劇団長!」
「――た、大変だっ!!」
アナの策士っぷりをロッティとクリスの二人で讃えていると、突然稽古場に悲鳴が響いた。
扉を開けて駆け込んでくるのは、ひとりの男。確かシベリウスの劇団員で、一直線にこちら――アナの方を目指してくる。
しんと静まり返る中、彼は額の汗をぬぐって声を震わせた。
「アナ。劇団長は!?」
「父は外出中。……そんなに慌てて、どうしたというの」
落ち着き払った口調の彼女につられたのか、男もいくらか冷静さを取り戻したようだった。弾む呼吸を整え、固唾を呑んでいる他の団員達をぐるりと見回す。
「さ、さっき街頭で、とんでもない噂を聞いたんだ。建国記念祭で……復帰するらしい、ってな」
呻くように告げられた言葉に、ロッティとクリスは戸惑い顔を見合わせる。
声を上げようとしたクリスを制し、アナが一歩前に出た。
「あなたには公演のチラシ配りをお願いしたわよね。その最中に噂を聞いたのね? 誰が、何に復帰すると言っていたの?」
男がごくりと唾を飲む。その顔はすっかり青ざめていた。
唇をなめ、彼が再び口を開こうとした刹那、またも扉の開く音が響く。
弾かれたように振り向いた先には、ひとりの眩いばかりの美女が立っていた。ロッティの目は彼女に釘付けになってしまう。
ほっそりとしたドレスが包むのは、弾けんばかりの豊満な肢体。豪華な巻髪はクリスよりもずっと濃い金色で、アーモンド形の瞳は挑戦的に輝いている。
絶句する周囲を見下すように唇を歪めると、彼女は金の巻毛を払って進み出た。
「……フローラ」
アナが平坦な声を出す。
(フローラ……?)
ロッティは胸の中でその名を反芻した。聞き覚えがある気がしたのだ。
ロッティが思い出すよりも早く、すぐ側を一陣の風が吹く。顔を真っ赤にしたクリスが駆け抜けたのだ。
「おいっ! お前、一体何しに来たんだよ!? 公演直前に姿をくらませといて、今更――!」
「新人風情が、このあたしに向かって偉そうな口叩かないで。大体、あたしが辞めたお陰でアンタは舞台に立てたんでしょ? クリス――……いいえ」
朱に彩られた唇をにいっと上げる。
「クリスティアナ。……短い天下だったけど、夢が見られて良かったじゃない。あたしという『本物』が戻ったからには、もう誰もアンタになんか見向きもしない」
歌うようなあからさまな挑発に、クリスは口をつぐんで立ち尽くした。
それでやっと、ロッティも彼女の正体に思い至る。フローラはクリスが『クリスティアナ』になるきっかけを作った、シベリウスの前の歌姫だ。
みるみる色を失っていくクリスを見て、ロッティの胸に怒りが湧いた。衝動に突き動かされるまま、庇うようにクリスの前に出る。
「クリスさんだって『本物』です! 演技も、演技に対する情熱もっ。それに何より、クリスさんの歌はっ」
「期間限定のまがいもの」
フローラが冷ややかに遮る。
絶句するロッティをうさんくさそうに見つめ、鼻を鳴らした。
「アナったら、こんな鈍臭そうなのを入れちゃったの? アンタも見る目が落ちたものね」
クリスの体が震え出す。
ロッティは慌てて彼の腕にきつく抱き着いた。もう一度口を開こうとした瞬間、背後から優しく肩を叩かれる。
「ロッティさんは団員じゃなく、私達の大切な友人よ。……仮に団員だとしても、部外者のあなたには関係ない。あなたの席は、もうどこにも残されていないのだから」
帰って。
アナの静かな拒絶に、フローラが柳眉を逆立てた。おかしくて堪らないといったふうに、腰を折って笑いころげる。
「席、ですって!? 土下座されたって誰が戻ってやるもんですか! おめでたい勘違いをしてるようだけど、あたしはアンタ達に宣戦布告をしに来たの」
「……宣戦布告?」
訝しげに繰り返すアナを燃えるような瞳で睨みつけ、フローラは深々と頷く。気取った仕草で団員達を見回すと、口元にはっきりと嘲笑を浮かべた。
「あたしは今、シベリウスの対抗馬である『劇団ブロン』に所属してるのよ。ブロンの歌姫としての初お目見えは、建国記念祭の街頭公演」
『なっ……!?』
全員が驚愕の声を上げる。
反応に気を良くしたように、フローラはますます笑みを深くした。
「シベリウスと同時刻、別の場所で開催されるそれに、より多くの観客が集まるのはどちらだと思う? 選ばれるのはフローラとクリスティアナ――……一体、どちらなのかしらね?」




