4.追う者、追われる者
カチャカチャと陶器の触れ合う音がする。
ふんわり甘い香りも漂ってきて、ロッティはくっつき合った瞼をやっとの思いでこじ開けた。痛む体をソファから起こすと、そこは見慣れた自分の家だった。
「……ぁ……」
「おう。目ぇ覚めたか、ロッティ」
ぶっきらぼうな声と共に、ロッティの顔の前に湯気の立つマグカップが突き出される。
どこか不機嫌な表情のカイに怯えながらも、恐る恐る手を伸ばして受け取った。カップには真っ白な液体が満ちている。
「ホットミルク……」
「蜂蜜入りな。台所は勝手に借りた」
小さく頷き、熱いミルクを用心しながらひとくちすする。まろやかな甘みが口中に広がり、かちかちに強ばっていた体がやっとほぐれてきた。
ここは自宅の居間で、どうやら気絶したロッティをカイが運んできてくれたらしい。ソファの傍らのテーブルにカップを置いて、ロッティはきちんと居住いを正した。
「カイさん、どうもありがとうございます。私を運んでくれて……、えと、それからホットミルクも」
「おう」
無表情に返事をされて、怒っているのかとまたビクついてしまう。
震える手を握り締め、ロッティはそっぽを向いてしまったカイにもう一度頭を下げた。
「そ、それからそれから。さっき、も、助けてくれてありがとうございます。あの、きらきらした美形さん……。歯の浮くような台詞が、心底気味悪かった……」
カイの背中から「ぐっふ」というようなおかしな声が漏れた。
内心首を傾げつつ、ロッティは滲んできた涙を乱暴にぬぐう。
「ほ、本当に怖かったです……。あんな宝石みたいに綺麗な顔が、私の目の前に……っ。不整脈と動悸息切れで死んじゃうかとっ。でき、できればもう二度と会いたくないですっ!」
「それは無理ですねぇ、『宝玉の魔女』殿?」
笑みを含んだ声が聞こえ、弾かれたように振り向いた。
窓際にもたれかかっていた男が、静かな微笑みをたたえた美しい顔をロッティに向けている。
(ひぃあっ!?)
「残念ながら、わたしは諦める気はさらさらありませんから。オールディス商会への依頼が無理ならば、直接あなたと交渉するまで」
一言一句区切るように告げながら、美形男がゆっくりと歩み寄ってくる。
完全に腰が抜けてソファから立ち上がれないロッティに、カイが大仰な仕草で手を合わせた。
「わりぃ、ロッティ。オレがお前を背負っちまったら、お前の買い物の荷物が持てねぇだろ? 後で取りに戻るつもりだったんだが、この騎士サマが――」
「食材の買い物袋は責任持ってこのわたしが運ばせていただきました。勿論、礼など結構ですよ。どうやらあなたが気を失った原因はわたしにあるようですし、ね?」
おどけたように肩をすくめると、ロッティが座るソファの傍らに跪く。
形の整った眉を跳ね上げ、はくはくと口を開け閉めするばかりのロッティに壮絶な笑みを向けた。
「えぇと、確か? 宝石みたいに綺麗な顔が、恐ろしく? 歯の浮くような台詞が気持ち悪い、と?」
「きっ、きききき気持ち悪いだなんてそんなっ。わ、私は単に、心底気味が悪いと言っただけですうぅっ!」
クッションで顔を隠して弁解すると、「いや似たようなもんだろ」というカイの面白がったような突っ込みが飛んできた。一体どちらの味方なの、とロッティは泣きたくなってくる。
ふるふると小刻みに震えるロッティに、男がくくっと小さな笑い声を漏らした。
「いや、怒ってなどおりませんよ? むしろ、わたしは喜んでいるのです」
「……へ?」
男の言葉が意外で、ロッティは恐る恐るクッションをずらす。
すかさず伸びてきた腕がクッションを奪い取り、またも至近距離に美しい顔が迫ってきた。
「ひっ!?」
水の魔石を彷彿とさせる、深い青の瞳。
こんな状況でなければ見惚れるはずなのに、今のロッティにそんな余裕はない。むしろ、余計なことに気付いてしまった。
こくりと喉を上下させる。
(このひと……。目が、全然笑ってない……!)
そう、この男は口角を上げているだけ。
そしてやわらかな口調を装っているだけ。
鋭い目は笑うどころかロッティを冷酷に観察していて、まるで獲物を前に舌なめずりしている肉食獣のよう。
蒼白になる彼女をとっくり眺め、男は歌うように言葉を紡ぐ。
「あなたはわたしがお嫌いで、二度と会いたくないと思っている。そして、わたしにはあなたの作り出す魔石が必要だ。――と、いうわけで」
「と、ととと、いうわけで……?」
しゃっくりのような声しか出ない。
がたがたと己の体を抱き締めるロッティに、男は無情に宣告した。
「あなたが承知してくれるまで、わたしは毎日ここに通い詰めることにいたしましょう。あなたの嫌いなこの顔で、あなたの気持ち悪がる歯の浮くような台詞を並べ立て、全身全霊で嫌がらせをさせていただきます」
「ひょええええっ!?」
毎日、この美形が。
ロッティに、会いに来る――!?
「だっ、だだだ駄目ですっ! かかかカイさん助けてくださいぃぃぃっ!!」
あまりの衝撃にやっと体が動いた。
全速力でソファから脱出し、面白そうにロッティ達を観察していたカイの背中へと逃げ込む。
そのままカイの服をきつく握り締めた。
「こ、こここ個人注文は受けてませんもんねっ? 私の魔石は、オールディス商会の専売ですもんねっ?」
「専売なのは単に、お前がウチ以外と取引してねぇからだろ。お前がこの騎士サマの依頼を個人的に引き受けたとしても、オレに口出しする権利はねぇよ」
ひょいと肩をすくめるカイに、ロッティは信じられない気持ちでいっぱいになる。
(嘘でしょう……!? あの守銭奴のカイさんが……!?)
「……お前、今なんか失礼なこと考えたろ」
「うひゃひゃひゃひゃいっ」
すばやく振り向いたカイに頬をつねられ、ロッティは手をじたばたと暴れさせた。涙目になる彼女に顔をしかめ、カイが重苦しいため息をつく。
「一応、この騎士サマに釘は刺しておいた。ロッティには指一本たりとも触れんな、魔石作りの邪魔はすんな、ってな」
カイの言葉に、美形男が得たりとばかりに頷いた。
真っ白な歯を見せつけるようにして微笑むと、きらきらこぼれんばかりの笑みを振りまきながら、ずんずんロッティに歩み寄ってくる。
激しい悪寒を感じたロッティが逃げようとした時には、すでに男は目の前に立っていた。
腰に佩いていた剣を鞘ごと抜き、ロッティに向かって掲げてみせる。
「騎士の魂に誓ってカイ殿との約束は守りましょう。……逆に言えば、その二つさえ守ればわたしはあなたに何をしても構わないわけですし、ね?」
「かっ、かかかか構いますよっ?」
息遣いを感じるほどの距離に耐えきれるはずもなく、ロッティは頭を抱えて床に倒れ込んだ。
がたがた震えてうずくまる彼女に、声音だけなら優しげな調子で男が囁きかける。
「随分とお騒がせしてしまいましたが、今日はこれで退散いたします」
ふわ、と男の気配が去った気がして、ロッティはおずおずと顔を上げた。
男の背中を声もなく見送っていると、今にも扉をくぐろうとしていた男が突然振り返る。嘘くさい笑みを顔から消し、硬直するロッティを一直線に射抜いた。
「申し遅れましたが、わたしはフィル・ウォーカーと申します。――また明日お会いいたしましょう、『宝玉の魔女』ロッティ様?」
そう告げて、眩い金の髪を揺らして再び背を向ける。
光の余韻と茫然とするロッティを残し、フィルはようやく去っていった。
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