39.約束
前回と同じく、カイとはレストランの前で別れた。
今はロッティもフィルも押し黙ったまま、二人並んで夜の王都を歩いている。ガス灯の明かりとフィルが手に持つカンテラが、帰路につくロッティ達を頼りなく照らしてくれた。
ふと夜空を見上げれば、薄い雲がベールのように広がって、美しい朧月がぼんやりと浮かんでいた。
フィルに自身の生い立ちを話せたお陰か、ロッティはひと仕事やり終えたような充実感を味わっていた。どうやら、話すだけで楽になることもあるらしい。
寝静まった街中をようやく抜け出して、ロッティはひそめていた息を吐く。舗装の途切れた道を歩きながら、笑顔でフィルを見上げた。
「フィルさん。私、思ったんですけど」
「どうしました?」
フィルも優しい微笑を向けてくれる。
それに勇気付けられ、ロッティは勢い込んで口を開いた。
「クリスさんの新しい役柄、剣を使うって言ってたんです。フィルさんが稽古をつけてあげれば、クリスさんも喜ぶんじゃないでしょうか」
フィルは虚を衝かれたように目をしばたたかせる。
まじまじとロッティを見つめ、ややあっておかしそうに噴き出した。
「いや、ロッティ。僕も詳しくはないですが、おそらく芝居用の剣術は実践とは違うんじゃないですか?」
「あっ……」
楽しげに突っ込まれて赤面してしまう。
あわあわと言葉を探していると、フィルはロッティから視線を逸らして前を向いた。
「……ですが、それを口実に稽古場に出入りしてもいいかもしれませんね。無理に問い詰めたところで、クリスは僕に何も話してくれませんから。僕らにはきっと、もう少し家族らしい交流が必要なのでしょう」
さみしげな横顔にロッティの胸が締めつけられる。無意識に手が伸びて、フィルの腕に触れた。
弾かれたように自分を振り返ったフィルを見つめ、ロッティは懸命に言葉を探す。
「気にかけて、あげてください。クリスさんのこと……。どんなに周りに恵まれていたって、平気な振りをしてたって、故郷を離れて心細くないはずないって思うんです。だから……」
「……そうですね」
噛み締めるように頷くと、フィルは丁寧にロッティの手を外した。そのまま指を絡め、足を止めてロッティに向き直る。
真剣な眼差しに、ロッティの鼓動が激しく跳ねた。
「ロッティ。僕は兄として、クリスの力になると誓います」
「フィルさん……」
目を丸くしたロッティは、すぐに嬉しそうに頬をゆるめる。はにかみながら何度も頷いた。
フィルも照れたように笑うと、再び歩き始めた。
手はまだ繋いだままだ。ロッティはちゃんと気付いてはいたものの、離したくないから気付かない振りをする。
弾みそうになる呼吸を整え、もう一度空を見上げた。
「……朧月夜の翌日は、雨が降ることが多いらしいです。フィルさん、明日はちゃんと傘を持たなきゃ駄目ですよ?」
「そうなんですか、知らなかったな。ロッティは博識ですね」
フィルが大仰に褒めそやしてくれる。
二人秘めやかに笑い合い、繋いだ手に力を込めた。
***
だんだんとロッティの家が近付いてくる。
楽しい時間はあっという間で、フィルの足取りは少しずつ重くなった。フィルが歩調を緩ませれば、隣を歩くロッティもつられてくれる。
そっと彼女を見下ろすと、彼女は恥ずかしそうに視線を泳がせた。
カンテラの明かりを弾き、美しい翠玉の瞳がフィルを魅惑するように瞬く。
「……クリスの、魔石が出来上がったら」
揺れるロッティの瞳を覗き込んだまま、フィルがひそやかな声で告げた。
「もう一度――次は割り込みではなく、きちんとオールディス商会を通じて魔石の注文を出そうかな。何年だろうと待ってみせます、時間はいくらでもありますからね」
「そ、そんなに待たせないですよ! 豪華な細工が必要なければ、私が直接注文を受けたって構わないんですから」
お友達だし、と消え入るように付け足す彼女に、フィルは小さく笑い声を立てる。
離したくなくて、繋いだままにしていたロッティの手をそっと持ち上げた。
「細工は欲しいです。……ロッティ、あなたが身に着けるものなのだから」
「ええええっ!?」
目を白黒させる彼女に噴き出しそうになる。
懸命に笑いを噛み殺し、真剣な表情を作った。
熱を込めて見つめると、途端にロッティは真っ赤になる。
「何の魔石が一番好きか、じっくり考えてみてください。――どの色だろうと、きっとあなたによく似合う」
「フィルさん……」
大きな瞳を瞠って、ロッティは言葉を失った。
フィルはそんな彼女から目を離さない。
今日聞いたクリスとのやり取りの中で、魔石に関する下りがあった。
ロッティが、自分には美しい魔石は相応しくないと考えていることを知って、フィルは強い憤りを覚えたのだ。そんなことは絶対にない、と彼女にわかってほしかった。
フィルの本気を感じ取ったのだろう、ロッティがコクリと喉を上下させた。
不安気に表情を曇らせたので、フィルはきっぱりと首を横に振る。
「自分なんか、なんてあなたに思ってほしくないんです。そんなものは、クソジ……失礼。お祖父さんがあなたに残した呪いに過ぎないのだから」
「のろ、い……?」
ロッティが茫然と繰り返した。
よろめきかけた彼女を、フィルが力強く支える。
「そう。だから僕が、解き放ってみせます。――ロッティ、あなたに魔石を贈ることで」
「…………っ」
息を呑んだロッティは、カタカタと震え出した。
フィルにすがりつき、必死で呼吸を整える。じんわりと浮かびかけた涙を、大急ぎで払った。
わななく唇を噛み、泣き笑いの顔を上げる。
「……なら、私もフィルさんに魔石を贈ります。交換、ですね?」
フィルは目を見開くと、すぐにくすぐったそうに顔をほころばせた。「ありがとうございます」と優雅に辞儀をする。
嬉しそうなロッティに、企みを秘めてにやりと笑いかけた。
「ではぜひ、僕の魔石は風でお願いします。翠玉のように美しい、緑色の魔石を」
「風……、そうですね。足が速くなれば、きっとお仕事の役にも立ちますよね!」
そう声を弾ませる彼女には、きっと全く伝わっていない。おかしくてますます笑いが込み上げてきた。
笑い続けるフィルを見て、ロッティが不思議そうに首を傾げる。
フィルはなんとか発作をおさめると、姿勢を正して彼女に小指を差し出した。
「ロッティ、約束です。時間がかかっても構いませんから、欲しい魔石を考えてくださいね? 好きな色、好きな細工。一日一度は絶対に鏡に向かって、うんうん必死で悩んでください」
「えええっ? た、大変な難題です……!」
頭を抱えつつも、その瞳はきらきらと楽しげに輝き出した。
頬を上気させ、ロッティもフィルに手を伸ばす。
――朧月の下、二人の小指がしっかりと絡み合った。