38.彼女の生い立ち
「そんでまあロッティのために宿を手配して、試しに魔石を作ってもらったわけだ。出来上がりは言わねぇでもわかるだろ? ウチの商会、すんげぇお祭り騒ぎになったわ」
「なるほど……」
フィルがおかしそうに頬をゆるめる。
反応に気を良くしたカイは、興に乗ったように身を乗り出した。
「ロッティは文無しだったからな。当座の生活資金を渡して、今の家を借りさせたんだ。つってもあの技能だ、借金返済なんかあっという間だったぜ」
カイへの借りを返し終わっても、ロッティはオールディス商会との契約を切らなかったという。
人見知りの彼女には新たな契約先を探すつもりなどさらさらなかったし、恩人であるカイに全幅の信頼を置いてもいた。盗まれたカバンが戻ってくることはなかったが、『自活する』という当初の目標は無事に達することができたのだ。
カイは手酌で杯を満たすと、ぐいと一息にあおった。
「気心が知れてきてやっと、ぽつぽつ事情を話してくれたんだ。アイツの母親は、どこぞの貴族のご令嬢だったらしい。父親から命じられた政略結婚の直前に、出入りの庭師と駆け落ちしたんだと」
「それはそれは。情熱的だな」
フィルが感心したように口笛を吹いた途端、個室のドアが間延びした音を立てて開く。細い隙間からロッティが顔を覗かせ、「大恋愛だったらしいですぅ……」と囁いた。
機敏に立ち上がったカイが、ぺしりとロッティの額を叩く。
「いや怖ぇわ。ちゃんと入ってから話せや」
「ううう……」
まだ少し顔色の悪い彼女のために、カイが温かいお茶を注文してくれた。フィルは騎士団服のコートを脱ぐと、甲斐甲斐しくロッティの膝に掛ける。
「お腹を冷やしたら良くないですからね」
「あ、ありがとうございます」
はにかむ彼女にフィルが微笑する。
まだフィルの温もりが残るコートを、ロッティは大事そうに抱き締めた。
やがてお茶が運ばれてきて、ロッティはふうふう一生懸命に吹き冷ます。慎重に一口すするとじんわり温まってきて、安堵したように息を吐いた。
両手でカップを包み、ロッティは静かな声で語り出す。
「……父は、私が生まれてすぐに病気で亡くなったそうです。でも母は父と暮らしていた農村から離れず、女手ひとつで私を育ててくれました」
ロッティの母はレース編みの名手だったという。
特製のレースは近くの街で高値で取引きされていたし、心優しい農村の人々も母娘の二人暮らしを心配して、何くれとなく世話を焼いてくれた。別段苦労することもなく、日々は穏やかに過ぎていったそうだ。
そこまで話して、でも、とロッティは視線を落とす。
「私が、九歳の時……。母が、亡くなったんです。街にレースを卸しに行く途中、馬車の事故で、あっけなく……」
「ロッティ……」
辛そうに顔を歪ませるフィルを見て、ロッティはぎこちなく微笑んだ。すでに事情を知っていたカイも、荒っぽく髪を掻きむしって眉根を寄せる。
友人二人に感謝の眼差しを向け、ロッティは深呼吸して続けた。
「すぐに、母の故郷に知らせが行きました。自分に万が一のことがあった時には、と母が村長さんに言い残していたらしいんです」
ロッティは母方の祖父宅に引き取られた。
母の実家は地方貴族で、ちょうど祖父から息子――ロッティの母の弟へと代替わりが行われた頃だったという。
ロッティはこれまでの人生で縁のなかった豪奢な屋敷で、初めて会う祖父と、叔父家族と共に暮らすことになった。
ロッティは困ったように微笑む。
「私は居候の立場でしたし、あちらの家族と打ち解けることはありませんでした。かといって、叔父や叔父の家族から邪険にされたわけでもありません。でも、祖父は……」
事あるごとにロッティと母を比べて罵った。
あれは優秀だったのに、お前はいつもビクビクおどおどして情けない。勉学にも突出したところがなければ、容姿も垢抜けない。
「――祖父は厳格なひとで、自分にも他人にも常に完璧を求めていました。だからこそ、私みたいな人間が許せなかったんだと思います」
自嘲するロッティに、カイが小さくため息をついた。「そんなクソジジイの言うことなんざ気にすんな」と慰めようとして、ぎくりと身じろぎする。
フィルから冷え冷えとした気配を感じたのだ。
カイの視線に気付いたフィルが、憤ったように眉を上げる。
幸いロッティは俯いていたので、カイは身振りで「どうどう」とフィルをなだめた。
ロッティはぼんやりと頬杖をついて続ける。
「……引き取られてから二年後、十一歳の時に受けた魔力検査で、自分に魔法使いの適性があることを知りました。リディス魔法学校への入学も可能だって言われて、私は即決したんです」
魔法の素養がある者はそう多くない。
もし魔法を会得できれば手に職をつけられて、胸を張ってこの家から出ていけると思ったのだ。
「祖父も叔父も止めませんでした。あの家の、祖父以外の人達は私に無関心だったから」
魔法学校の寮に入ってからも、他人との交流が苦手なのは変わらなかった。特に年上の男性は、祖父を思い出してしまって怖くてたまらない。
それでもあの家から解き放たれ、初めて触れる魔法に胸がときめき、魔法学校での日々は充実したものになったという。
打って変わってロッティの表情がいきいきと輝き出す。
楽しげにフィルとカイを見比べると、堪えきれないようにくすくす笑った。
「先生達からもびっくりされたんですけど、私、四属性である地火風水すべてに素養がありました。それなのに本当に実技がダメダメで。自分が発動した魔法を見るだけで、けたたましい爆発音を聞くだけで、恐ろしくて気絶しそうになっちゃうくらい。先生達もほとほと呆れ果ててました」
フィルとカイが同時に噴き出す。
大笑いするカイの隣で、フィルは控えめに微笑んだ。「ロッティらしいです」と目を細める。
ロッティも頬を上気させてはにかんだ。
「でも、私には魔石がありましたから。それで単位を稼いで、無事に卒業できることになりました。――でも、そんな時に……」
ロッティの声がだんだんとしぼんでいく。
「祖父が、亡くなりました。私は大急ぎで帰郷して……祖父の葬儀を終えた後で、叔父から言われたんです」
――お前ももう学校を卒業し、成人となる
――これからは好きに生きるといい
「まとまったお金を、貰いました。ああ、これは縁切りの宣言なんだな、ってすぐに気が付いて」
けれど、不思議と寂しくはなかった。叔父を恨む気持ちもなかった。
最後まで家族と思えなかったのは、馴染めなかったのはお互い様なのだ。
「それから、卒業してすぐ職を探すために王都に出ました。途中の乗合馬車の中で、カイさんと出会って」
「あ、そっから先はもうオレが話したわ」
カイが気楽な口調で突っ込むと、ロッティは安堵したように頬をゆるめた。「よかった、もう喉がカラカラでしたから」と冷めたお茶を一気飲みする。
胸のつかえが下りたかのように、晴れ晴れした笑みを浮かべた。
「私、王都に出て運が開けました。カイさんやフィルさん、クリスさんともお友達になれたから。先生から王都行きを勧められた時は、正直すごく迷いましたけど。あの時勇気を出してみて、ホントに良かったなぁ……」