34.戦闘服に身を包み
四日後。
昼過ぎにやっと起床したロッティは、手早く食事を済ませて自室に戻った。
黒のローブへと無意識に伸びかけた手を引っ込めて、駄目駄目と己を戒める。
(今日は、劇団に行くんだから……!)
カイに調べてもらったところ、劇団シベリウスは昨夜の公演で千秋楽を迎えたらしい。
忙しい最中に邪魔をするのは申し訳なかったので、クリスに会うのは今日まで待つことにしたのだ。
稽古場見学に突撃する当たって、フィルからいくつかの助言を受けた。
あの日――拗ねて壁を向いて座り込むロッティの背に、懸命に語り掛けてくれたフィルの言葉を思い出す。小さく笑い、新しく購入したばかりのクリーム色のワンピースに袖を通した。
(えぇと、まずはお洒落をして向かうこと)
お洒落というのは、どうやら戦闘服でもあるらしい。
きらきらした人達に向かい合っても、戦闘服さえあれば気後れせずに済むというのだ。
ワンピースに着替えたロッティは、フィルから貰った髪留めで茜色の髪をまとめる。ぱちりという音を聞くと、確かに身が引き締まるような心地になった。
(……よし。準備完了!)
鏡の前で全身を確認し、ロッティは緊張する自分にイーッと歯を出した。おかしな顔に噴き出して、少しだけ強ばりが解けた気がする。
震えそうになる足を、しいて大股で歩くことで誤魔化した。
――目指すは、王立劇場だ。
***
「お取り次ぎできかねます」
「そっ、そんなぁ……!」
受付の女性から無機質な眼差しを向けられ、ロッティは崩れ落ちそうになる。
(せ、せっかくここまで来てそれ……?)
回れ右して逃げ出そうとする足をなんとか励まし、やっとの思いでここまで辿り着いたのに。無表情な女性に話し掛けるのだって、ロッティにしてみれば崖から飛び降りるほどの勇気が必要だったのだ。
こうなっては、こっそり忍び込むしかないのだろうか。見つかった場合ただでは済まない気もするが。
頭を抱えてうんうん唸っていると、女性が小さくため息をついた。
「……あなた、シベリウスのファンなんでしょう? でも、お生憎様。もう公演は終わったのだから、劇団員はここには来ないわ」
「……へ?」
先程よりはくだけた口調に、ロッティは恐る恐る顔を上げる。
相変わらず愛想笑いひとつ浮かべていない彼女を、上目遣いに窺った。
「で、でも……。お稽古は、してるんじゃないですか……?」
「ここは王立劇場よ。シベリウスの専用劇場じゃない。次はまた別の劇団が使う予定なの」
シベリウスの稽古場は別の場所にあるのよ、と彼女はそっけなく付け加えた。
ロッティは今度こそ、真紅の絨毯の上に膝を突く。
(う、嘘おぉ……)
こんなことならば、クリスにしっかり場所を聞いておくべきだった。
打ちひしがれながらも女性にお礼を告げると、彼女はやっと表情をやわらげた。
「ファンにも節度は必要よ。公演を観に来ることこそ、劇団に対する一番の応援になるってことを忘れないでね」
「はい……」
力なく返事をして、ロッティはとぼとぼと踵を返した。王立劇場の外に出て、途方に暮れたまま立派な建物を見上げる。
(……どうしよう……)
騎士団を訪ねて、フィルに聞いてみるべきだろうか。
いやでも、とロッティは唇を噛む。
「知ってたなら事前に教えてくれてたはずだし……。きっとフィルさんも、知らなかったのかも」
「何を?」
「うっひゃああっ!?」
突然ぽんと肩を叩かれ、ロッティは文字通り飛び上がった。ドッドッドッドッと早鐘を打つ心臓を押さえて振り向くと、目を丸くした美女が立っていた。
さらさらと流れる美しい黒髪に、切れ長の凛とした眼差し。
そう、彼女は――……
「あ、アナさんっ?」
劇団シベリウスの団長の娘、アナ・シベリウスだった。
巨大な紙袋を軽々と片手で抱えた彼女は、不思議そうに小首を傾げる。
「こんなところでどうしたの? 公演はもう終わったわよ」
「あ、ははははいっ。ちょうど今聞いたところですっ」
背筋を伸ばして返事をすると、アナは続きを待つように耳を傾ける仕草をした。それに勇気付けられ、ロッティは震える呼気を整える。
ごくりと唾を飲み込んだ。
「あ、あの……。私、クリスさんに……、ええとその、いや稽古見学に……っ」
全然落ち着けていなかった。
恥ずかしくて顔から火が出そうな思いでいたら、アナがふっと目を細めた。すんなりした腕を伸ばし、ロッティの手を引く。
「あ、アナさん?」
「来て」
そのまま迷いのない足取りで、ずんずんと歩き出す。
背の低いロッティが小走りで付いていくと、ほどなくして古ぼけた煉瓦造りの建物に到着した。
「……ここ、は?」
「あなたがお望みの稽古場。いくら人気の劇団とはいえ、資金は潤沢じゃないの。古い倉庫を買い取ったのよ」
淡々と告げ、重そうな扉を開く。
その途端、むせるような熱気がロッティを包んだ。
(……わあ……!)
倉庫の中ではわんわんと音が反響していた。
劇団員達が頬を上気させ、発声練習やら柔軟体操やらに励んでいる。どの顔も皆楽しげだ。
活気あふれるその光景に、ロッティはこくりと息を呑む。
「全員は来てないわ。本来なら今日は休みだから、自主練したい連中だけが集まってるの」
「あれっ? ロッティ~!」
こちらに気付いたクリスが、ころころと犬のように駆けてきた。肩から力が抜け、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「こんにちは、クリスさん。えと、お言葉に甘えて見学に来ちゃいました」
「うん、遠慮すんな! つかごめん、場所を伝えてなかったよな。カイさんにはしゃべったから、ついロッティにも教えた気になっちゃってさぁ」
てへへと照れ笑いする彼に瞬きする。
「……なぁんだ。なら、カイさんを誘えばよかったんですね」
苦笑するロッティの横をすり抜けて、アナが劇団員達に紙袋を掲げてみせた。紙袋を揺らし、「芝居狂な皆さんへ、次期劇団長からお菓子の差し入れよ」と厳かに告げる。
途端にわあっと歓声が上がり、我先にと劇団員がアナに群がった。クリスもぱっと顔を輝かせる。
「やった、おれらも食おうぜロッティ! 休憩休憩っ」
「や、私は部外者……!」
制止するロッティの言葉を聞き流し、クリスは強引に彼女の腕を取って駆け出した。