33.前進の魔女
人に聞かれては困る話なので、昼食はロッティの家で取ることになった。
帰り道で目に付いたパン屋に入り、おかず系から甘いおやつ系までどんどん籠に放り込んでいく。大量購入に唖然とする周囲には、フィルが必殺の笑みを向けて有耶無耶にしてしまった。
ありがとうございました、とぽうっとなった店員に見送られ、フィルは上機嫌で温かな紙袋を揺らした。
「もし余ったら、明日の朝食にしてくださいね?」
「…………。そう、ですね。余れば、まあ……」
ロッティは苦笑を返すしかない。
多分きっと、パンくずたりとも残らないはずだ。
街外れの自宅に到着し、ロッティは大急ぎで机の上を片付けた。お茶はフィルが淹れてくれたので、ほどなくして遅めの昼食の準備が整う。
机に山盛りのパンを、フィルがにこやかに見回した。
「さ、お好きなものをどうぞ。一口ずつでも構いませんよ? 僕が片付けますからね」
「う……っ。ま、またそんな誘惑を……!」
恨めしげに睨むが、フィルは堪えたふうもなく澄ましている。
しばし口を尖らせていたロッティも、ややあって噴き出してしまった。遠慮なくパンに手を伸ばすことにする。
それから二人で熱心に感想を言い合いながら、とりどりのパンを堪能した。すっかり満腹になったロッティは、膨らんだ胃の上を満足気に撫でさする。
「お腹いっぱい! やっぱり綺麗になくなっちゃいましたね?」
「おかしいですよねぇ。あれほど沢山あったのに」
「…………」
他人事のようなフィルの台詞に、ロッティは笑い出しそうになるのを必死で堪えた。うっかり笑ったら逆流しそうだったのだ。
(……不思議だなぁ。フィルさんが一緒だと……)
ついついつられて食べすぎてしまう。
フィルが大食漢なせいもあるが――純粋に楽しいせいでもある。会話が弾んで、食事がいつもの何倍も美味しくなるのだ。
はにかみながらフィルを窺うと、彼も優しい眼差しをロッティに向けていた。びくっと肩を跳ねさせて、大急ぎで下を向く。
どきどきとうるさい心臓を、服の上からきつく押さえた。……頬が、熱い。
「ロッティ」
低い声にはっとして、すぐさま俯けていた顔を上げる。
フィルはひどく真剣な表情をしていた。彼も何か、察するところがあったのかもしれない。
小さく息を吐いたロッティは、迷いながらも口を開く。
「……フィルさん。実は、今日クリスさんと話してみたんですけど――」
たどたどしくも懸命に、今日彼と交わした会話をなるへく忠実に再現した。フィルは短い相槌を打つだけで、ほとんど口を挟まずに聞き入った。
やっと話し終えたロッティは、緊張を解いて頬をゆるめる。
「私……、クリスさんの意志を尊重してあげたい、って思ってるんです。クリスさんが絶対に、魔石に頼りたくないって言うのなら……」
「待ってください、ロッティ。クリスは、正確にはこう言ったんですよね?――ずるはごめんだ、と」
ロッティの言葉を遮って、フィルは早口で確認した。
「は、はい。そうです」
目を白黒させながら肯定するロッティを、フィルは無言で見つめる。
沈黙に居心地悪く身じろぎした頃、やっとフィルが再び口を開いた。
「――おかしく、ありませんか?」
「……え?」
戸惑うロッティに、フィルは水の魔石の瞳を向ける。彼の青い瞳は、水面にさざ波が立つように揺らいでいた。
「例えば水の魔石ならば、治癒力が高まるのでしたね? 怪我の治りが早まるからといって、それが『ずる』に当たりますか?」
「……あ……」
確かに。
それを言うならば、地の魔石だって同じだろう。
地の魔石は『頑健な体』――つまり、病気予防に効果があるのだ。
ロッティは考え考え、己の違和感を言葉にする。
「……怪我が早く治るとか、風邪を引きにくくなるとか。むしろ、女優のクリスさんにとっては良い事尽くしですよね? もちろん魔石があるからといって、怪我に気を付けなくていいとか、健康管理しなくていいって話じゃないですけど……」
魔石は決して万能じゃない。
だからこそ、地や水の魔石が『ずる』とは言えない気がする。
自信なく呟くと、フィルは目を伏せて聞き入っていた。唇を噛んで考え込み、ややあってきっぱりと顔を上げる。
「となると。クリスの中には、明確に思い描いている魔石があったのかもしれないですね。おそらく、風か火――……」
「で、でもっ」
ロッティがわたわたと手を振った拍子に、ティーカップに当たってしまった。倒れてしまったカップを拾い上げようと手を伸ばすと、同時に伸びてきたフィルの手と重なった。
「……っ」
「――ああ、失礼。こぼれてはいないようですね?」
空っぽで良かった、とフィルが微笑む。
ロッティは真っ赤になって、大慌てで手を引っ込めた。熱くなった手の甲を、包み込むようにして押さえる。
フィルは面白がるみたいに目を細めていた。悔しくなったロッティは、精いっぱい怒った振りをしてフィルを睨めつける。
「で、でもっ。クリスさんは足が速いですっ。そ、それに演技に対する情熱だって凄いし……!」
「そうですね……」
一転して真剣な顔に戻ると、フィルは「一体あいつは何を考えているんだ……」と呻いた。
その隙に呼吸を整え、ロッティも大急ぎで考えをまとめる。頭を抱えこんでいるフィルを、つんつんとつついた。
「私……私が、調べてみます」
「ロッティ?」
驚いたように目を瞬かせるフィルに、はにかみながら頷きかける。
「フィルさんと違って、私の仕事は時間に融通がききますから。クリスさんも稽古を見に来てほしいって言ってたし、まめに通えば、何かわかることがあるかもしれません……!」
頬を上気させて言い募ると、フィルはあんぐりと口を開けた。信じられないというようにせわしなく立ち上がる。
「い、いやロッティ……! 劇団の稽古場ですよ? 知らない人間が沢山いるんですよ?」
「うっ……!」
そう、確かにそれは怖い。
きっとフィルやクリスのように、きらきらと輝きを放つ人達でいっぱいに違いないから。
(……でも……!)
それでも。
ロッティはこぶしを握り締めて立ち上がる。
テーブルを回ってフィルの前に立ち、挑むように彼を見上げた。
「フィルさんとクリスさんは、私のお友達です。大事なお友達の力になれるなら、苦手だなんて言い訳して逃げてられない。私だって、二人のために頑張りたいんです……!」
じんわりと浮かびそうになる涙を堪え、ロッティはしゃんと背筋を伸ばして宣言する。
目を丸くしたフィルは、はっと息を吸って笑い出した。笑いながら手を伸ばし、ロッティを引き寄せる。
「……へっ?」
あっと思った時にはフィルの腕の中だった。
息をするのも忘れて固まるロッティを、フィルはきつく抱き締める。
「――ありがとう。ロッティ」
耳元から熱を孕んだ囁き声が吹き込まれ、ロッティの膝から力が抜けていった。ぐにゃりと床に崩れ落ちた彼女を、フィルが大慌てで覗き込む。
「ロ、ロッティ!? 大丈夫ですかっ!?」
「…………」
ちっとも大丈夫じゃない。
大噴火を起こしている顔を隠しつつ、ロッティはごろごろと床を転がった。