30.最速の男
ロッティの心は死んでいた。
虚ろな目で壁を眺める彼女などお構いなしに、背後の男女はきゃあきゃあと楽しそうに盛り上がっている。ロッティの口から細く長い嘆息が漏れた。
「はあああああ……」
「これなんかどうでしょうっ? 肩出しって男ゴコロをくすぐりますよねっ」
「いや、ロッティは清楚系で攻めるべきだと思う。レースとフリル、色は爽やかに白で決定っ」
白なんて絶対に着たくない。
ロッティは黒い服が好きなのだ。目立たず闇に紛れられるし、怪しさ大爆発なお陰で他人も寄ってこない。実用性に長けた最高の色だと思う。
「はあああああ……」
「スカートはどうします? 柄物も素敵だと思いますよ~」
「柄も無地も、いろいろ取り混ぜよーぜ。どうせコイツ一着しか持ってないんだから」
「それは早急に正さないとっ。じゃあブラウスもたくさん追加しちゃいましょ!」
「そっちの帽子もふわふわして可愛いな」
「おおっ、お目が高いですねお客さん! 今朝入ったばかりの新作なんですよぅ!」
背後の会話が恐ろしすぎる。
ロッティにはお洒落な服なんて必要ないのだ。
服飾品にお金を割くぐらいなら、真っ黒な魔石の原石をたくさん買い込みたい。服なんて、お洒落なんて――……
(……私には、どうせ似合わないし……)
「ロッティさん?」
突然声を掛けられて、びくりと身じろぎした。頭を振って、後ろ向きな思考を振り払う。
店長のエレナが不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げてロッティを見つめていた。
――ここは以前、カイに連れられてきたオールディス紹介経営の服飾店だ。
クリスからきらきらと華やかな店に連行されそうになり、大慌てで「私には行きつけがあるんですっ」と主張してここに案内したのだ。……行きつけも何も、一度きりしか来たことがないのだが。
それでも、全く知らない店に行くよりは何倍もましだ。店長のエレナはロッティを覚えてくれていて、クリスとも瞬く間に打ち解けてしまった。
「ロッティさん。ざっと候補を出してみましたから、どうぞ試着してみてください!」
「……い、え……。わたし、は……」
そろそろと後ずさろうとすると、笑顔のクリスから腕を掴まれた。強制的に鏡の前に移動させられ、長いスカートを当てられる。
「ヒイィッ!?」
「……なんでそこで悲鳴を上げる? ほら、ちゃんとよく見ろ! そこまで好みから外れてないだろー?」
しかめっ面のクリスにたしなめられ、恐る恐る鏡に目を向けた。
「……あ……」
クリスの言葉通り、足首まであるスカートは濃紺色だった。小さな花が散りばめられた柄も、派手さはなく落ち着いている。
クリスが満足そうに頷いた。
「うん。ちっと地味だけど、まあ徐々にだな」
「そうそう。買うだけ買って、着なかったらもったいないですし」
口々に畳み掛けられ、ロッティは目を丸くして二人を見比べる。
「……じ、じゃあ。さっきの、肩出しだの白だのレースだのって会話は……?」
上目遣いに尋ねると、二人は「ああ」と意地悪く笑った。顔を見合わせ、息ぴったりに口を開く。
「だってお前、全然参加しねーんだもん」
「わざと好みと違うことを言えば、もっと必死になってくれるかなーって」
「そ、そんなぁ……」
崩れ落ちるロッティに、エレナは朗らかに声を立てて笑った。さあさあとロッティを立たせてくれる。
「嫌なものは薦めませんから、ロッティさんもいろいろ見てみましょ? 少しでもいいと思えばまず試着! 着てみるだけならタダなんですからね?」
「……は、はいっ」
笑顔の彼女に勇気づけられ、改めてロッティは買い物に挑む。真剣な横顔を見て、クリスがくすりと小さく笑った。
***
「想定よりだいぶ早く終わったな」
「そうだな。だが、帰着の報告は不要と上から言われている。今日はこのまま直帰するとしよう」
騎士服姿の男が二人、颯爽と大通りを歩いている。
端正な顔立ちをした金髪の男と、頬に傷のある無骨な大男。
金髪の騎士の方には、通行人の女性から熱っぽい視線が送られていた。それでも、彼はそちらを一切振り返ろうとしない。
「……今日は、手を振らないのか?」
無表情に首を傾げる男に、金髪の騎士――フィルは胸を張って頷いた。
「僕はもう、彼女に顔向けできない事はしないと決めたんだ」
「……なるほど。変われば変わるものだな」
どこか感心したように呟く同僚に、フィルはにやりと笑いかける。
「そういうバートこそ。まだ昼過ぎなのに、団に戻らず直帰する気なんだろう? もっと君は仕事熱心だと思っていたが」
からかうように問い掛けると、バートは動じたふうもなく生真面目に首肯した。先程のフィルと同じく、大きく胸を膨らませる。
「妻も今日は早上がりだと言っていたからな。職場まで迎えに行き、驚かせたい。あわよくばそのままデートしたい」
「………あ、そう」
幸せそうで何より、とフィルは心にもない台詞を吐いた。羨まし……いや。羨ましくなど決してない、と胸の中で何度も言い聞かせる。
(……そうとも。何せ、この僕は……!)
あり得ないほど最速で友人へと昇格した、ロッティにとって稀有な男。
明日には、恋人になっていたとしてもおかしくない。
足取りが弾みそうになるのをなんとか堪え、フィルはバートに爽やかに手を振った。
「それじゃあ、僕はこれで。今日もお疲れ様――」
「いや、待ってくれフィル。妻の職場はすぐ近くなんだ。君に妻を自慢したい」
……紹介じゃなくて自慢かよ。
肩を押さえつけられたフィルは、半眼でバートを睨みつける。邪険に腕を振り払い、きっぱりと首を横に振った。
「生憎だが僕も忙しいんだ、バート。僕だって、今からロッティに会いに」
「ほら、もう見えてきた。妻の職場はあそこだフィル」
バートは大股で駆け出すと、通りの向こうでこれでもかと手を振り回す。無表情にぴょんぴょん飛び跳ねる彼に、通行人がぎょっとしたような視線を向けた。
はあ、とフィルは大仰に嘆息する。
(仕方ないな……)
こうなったらぱっと挨拶して、ぱっと退出してしまおう。
心に決めて、フィルも馬車を避けて通りを渡った。
待ち切れない様子のバートに合流し、彼の妻の職場だという建物の前に立つ。どうやら服飾店らしく、ショーウインドウには華やかな女物の服が飾られている。
無表情ながらも嬉しそうなバートが、ガラス扉を押し開けた。




