29.譲れないもの
王都の大通りはいつもながら賑やかで、食べ物の屋台がそこかしこからいい香りを放っていた。
普段なら路地裏に逃げ込むところだが、今日はクリスが一緒だからそうはいかない。なるべくフードを深く被り、クリスの背中に隠れるようにして慎重に進んだ。
「おっ、あっちでドーナツ売ってるぞ! 食おう食おうっ」
「わわっ、待ってくださいクリスさん!」
クリスが突然駆け出したせいで、ぱっと視界が開けてしまう。
やっと追いついた時には、彼はもう屋台で紙袋を受け取ったところだった。誘われるまま広場の噴水に移動して、二人並んで縁石に腰掛ける。
クリスは待ち切れない様子で紙袋からドーナツを取り出した。ためらいなく真っ二つに割り、ほかほかと湯気の立つ黄金色の断面を眺める。
ほら、と片方をロッティに差し出した。
「デートの王道、半分こ。遠慮すんな、おれの奢りだ」
「だっ、駄目ですよ! だって私の方が年上……!」
慌てふためくロッティの口に、クリスは問答無用でドーナツを突っ込んだ。揚げたてのドーナツは火傷しそうなほど熱く、ロッティは目を丸くして口を押さえる。
熱さに耐えてゆっくりと咀嚼すると、優しい甘みが口中に広がった。
「……美味しい」
表面はカリッとしているのに、中の生地はふわふわだ。口に入れた瞬間、しゅっと溶けるようにして消えていく。
幸せそうに味わうロッティを見て、クリスも顔をほころばせた。
「蜂蜜味だな。おれ、甘いモノ大好き」
「わ、私も……。だいすき」
おずおずと微笑むと、クリスは「気が合うな、おれら」と朗らかに笑った。もうひとつ取り出したドーナツも、先程と同じように等分に割ってくれる。
二人で笑い合いながら、たくさん買ったドーナツをぺろりと平らげてしまった。
名残惜しそうに紙袋を畳むクリスを、ロッティはぼんやりと見つめる。クリスのやわらかな金髪が、ふわりと風になびいた。
(……今なら……)
聞けるかもしれない。
膝に置いた手をぎゅっと握り締める。
勇気を振り絞り、気持ちよさそうに目を細めているクリスに向き直った。
「あ、あの。クリス、さん……」
「ん?」
クリスは可愛らしく小首を傾げる。
気負いのないその様子にロッティの緊張も解け、するりと言葉がついて出た。
「クリスさんは、魔石の属性に希望はありますか? お守り代わりというか、気休め程度の効果もあって――」
フィルから聞いて知っているかもしれないが、改めて魔石の効果について詳しく説明する。
クリスは黙りこくったまま耳を傾けていた。ロッティが言葉を止めると、ためらうように目を伏せて――……微かに首を横に振る。
「クリスさ……」
「いらないよ、おれは。なんにも」
硬い声音で告げて、ロッティから完全に顔を背けてしまう。その体はひどく強ばっていた。
「魔石の加護になんて頼りたくない。……おれは、おれだ。たとえ困難があったって、失敗したって、自分の力だけで乗り越えてみせる」
ずるはごめんだ。
短く吐き捨てると、クリスは勢いをつけて立ち上がった。大きく腕を振りかぶり、ごみ箱に向かって丸めた紙袋を投げ捨てる。
ぱす、と軽い音を立て、見事にごみ箱の中に落下した。
高らかに手を叩くと、クリスは晴れ晴れとした表情で振り返る。
「だからさ、せっかくの注文をフイにしちゃって悪いんだけど。フィルにはおれから断っておくから、魔石は作んなくていーよ」
「クリスさん……」
――彼はもう、心に決めてしまっているのだ。
すとんと腑に落ちて、ロッティは無言で彼を見返した。しばし見つめ合い、ややあって小さく頷く。
ロッティもローブを払って立ち上がり、彼の側まで歩み寄った。
「……クリスさんの気持ちは、わかりました。納得してもらえるかは、わからないけど……。フィルさんには、私からも話してみます」
「あんがと。――さてっ!」
うんと伸びをして、クリスは軽やかに踵を返した。ぴょんぴょんと跳ねるように駆け出して、立ち尽くしたままのロッティを手招きした。
「ほらほら、デート続行っ! お前の服を見に行くぞ!」
「えええっ!? 今日私に会いに来たのは、この話をするためじゃなかったんですかっ?」
ならば、もう目的は達したはず。
あたふたと主張するロッティに、クリスは至極爽やかな笑みを向けた。
「それはそれ、これはこれっ!」
「………」
どうやら、買い物からは逃れられないらしい。
絶望したロッティは、引きつり笑いを浮かべながら後ずさりする。ここはそう、あれだ。今こそクリスの助言を実行すべき時だ。
(……女は女優、女は女優……!)
必死で己に言い聞かせ、ロッティはぶりっと小首を傾げた。
「た、たいへん、だわー。わたし、急用を思い出しちゃったみたーい、だわー?」
言い捨てて、すばやく回れ右する。
脱兎のごとく逃げ出したが、あっという間に背後から肩を掴まれた。恐る恐る振り向くと、予想通り満面の笑みを浮かべたクリスが立っている。
「……今の設定は?」
目だけはちっとも笑っていない彼に、ごくりと唾を飲み込んだ。直立不動の姿勢になり、びしっと敬礼する。
「ごっ、ごごご強引で迷惑な年下カレシからっ、なんとか逃げ出そうともがく、気が弱くて嘘が下手な年上カノジョ、ですっ!」
「ぴったりじゃん!?」
クリスは一瞬目を丸くすると、げらげらと声を上げて笑い出した。華奢な見た目にそぐわない怪力で、ロッティを強引に引っ張って歩き出す。
「ううう、許してくださいクリスさん~!」
「だーめ。おれから逃げられると思うなよー? ダンスだけじゃなくて、足だって早いんだおれは」
得意気な彼に、ロッティは力なく頷くばかり。
確かに今も、一瞬で追いつかれてしまった。
(クリスさんには、風の魔石も必要なさそう……)
こっそり苦笑する。
となると、やはりクリスに贈るべきは水の魔石だったのだろう。
フィルの青でもクリスの紫でも、どちらもきっと彼によく似合ったに違いない。
(……それでも……)
彼が望まないならば仕方ない。
クリスのために必死だったフィルを思うと、ロッティの胸に微かな痛みが走る。
楽しげにしゃべり続けるクリスに相槌を打ちながらも、心は千々に乱れるのだった。




